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赤い月

with 2 comments

7年ほど前から中国にかかわってきた。
きっかけは些細なことだったけど、留学、研究と自分なりに中国とかかわってきた。
中国の女性と結婚しかけたこともあった。
だけど、やっぱり自分は日本人なんだよね。
帰属すべき場所があって、どんなに工夫を凝らしてもその立場を抜けることはできないんだよな。
なかにし礼の「赤い月」を読んで改めてそう感じた。
 
満州に移住して、日本へ引き上げてくるまでの激動を記した著者の自伝的小説。
「満州で生まれ育った者はどこかしら、自分の土台のはかなさ、頼るべきもののない、属するべきもののないはかなさを抱えている。戦時にかけて国家に三回も裏切られたから」
彼はあとがきでそう回顧している。
この気持ちは僕には理解することはできない。
 
満州に骨を埋める覚悟で行けと言われ満州に赴き、
ソ連が攻めてきたら真っ先に置いていかれ、
敗戦となったら勝手に帰って来い。
宮尾登美子、山崎豊子、この二人も満州体験を強烈に引きずっている。
良くも悪くも。
頼るべきものがない中で、人々の生への執念のよりどころとなったのは、
他者への愛と自己への尊厳だったのだろう。
 
そんな強い人間は平和の中ではなかなか育たないのだろうな。
だって、そうでなくても生きていけるから。
敢えて情緒的な表現を避け、簡潔な表現で全編を書ききっている。
作詞家だからこそ、そして自分のことだからこそもっと情緒的に伝えたいという気持ちもあったのだと思う。
その中で、「この作品を書くために作家になったんじゃないかな」とまで言えるマイルストーンを記した彼は敬意に値する。
ここまで「幻の満州国」を描ききった作品はなかった。
 
傑作です。
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Written by shunsuke

2006年3月2日 @ 12:12 AM

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コメント / トラックバック2件

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  1. そうかァ、shunちゃんは中国女性ともロマンスがあったんやね~。
    付き合うのと結婚って全然ちゃうから、結婚という決断を考える時に普段はあまり考えない「国」だとか「自国の文化」だとか、そういうものが目の前に突きつけられるのわかるなァ。
     
    「赤い月」、満州のことが書かれた小説なんだね。名前だけ知ってて、内容はあまりチェックしてなかった自分・・・。
    実は、今満州にもめっちゃ興味あります。戦前に満州にいった人たち・・・を今いじってるので(ここでは詳しく書けねえっ)、当時の満州が日本人にとってどんなものやったのか。あるいは、アメリカや他国にとってはどう移っていたのか。歴史教科書以外の部分で、詳しく知りたいって思ってたッスよ丁度。
     
    でも何だ。もし自分が当時の人間だと考えて、いきなり満州だ、戦争だ、自分の生きる場所だとか、時間がどんどん国家によって束縛されたり、奪われたりする感覚とかって平和世代の自分にはわかんねぇな~・・・。っていうか、当時の人から見たら「お前らにわかるわけないっ!」って思いも多いだろうね。でもなんかそこで世代間に大きな壁ができて、お互いの行き来ができないのも悲しい気がする。自分ら若い世代は戦争を知る必要があるし、経験した世代は伝えなきゃあかんと思うし。
     
    伝える手段はいろいろあると思うけど(語り部、とか)、大衆に伝えるには「歌」とか、「テレビ」とか、大衆に身近で親しみのあるもので伝えていくのは一つのやり方かもしれないね。最近映画では「男たちの大和」、ミュージカルでは劇団四季の「李香蘭」、「異国の丘」を見たよ。どれも二次大戦をテーマにしてるものだけど、やはり文章とはまた違う戦争のリアリティが伝わってきて、いろいろ考えたし、感じたなぁ。

    Nobuyuki

    2006年3月4日 at 10:16 AM

  2. ビリケンさん、コメントありがとうございます!
    満州の件は、僕も二三理由があって最近接する機会が増えました。
    「李香蘭」は僕も見ましたよ。山口淑子さんの自伝「李香蘭を生きて」がたしか元になっていると思ったのですが、事実に基づいていてしかも本人がまだご存命なだけに伝える力は強いですよね。当事者が生きているという事実が何よりも。
    あとは、共同通信社会部編「沈黙のファイル:瀬島隆三とは何だったのか」も面白かったです。満州という国が誕生し、国家政策の中でどのように位置づけられ敗戦へと向かったのか。そして、日本を太平洋戦争へと導いた人物たちが戦後どのように日本の中枢へ復帰していったのかを、元伊藤忠商事会長の瀬島隆三氏を中心に綴っています。
    ガダルカナル島の撤退が遅れた理由、日本兵のシベリア抑留を誰が決めたのか。これまでなかなか触れられなかった点に切り込んでいるので、その事実は衝撃的でした。
    瀬島氏は、山崎豊子の「不毛地帯」のモデルとなった人物でもあり、共同編では彼の戦争責任に焦点が当てられているので、山崎作の瀬島像と照らし合わせて読むと、戦争責任と戦後復興に対する功罪のバランスをとることの難しさを考えさせられつと思います。そして彼もまだ存命です。
     

    Shunsuke

    2006年3月15日 at 5:17 AM


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