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DAY15-16: あたたかいものに包まれた街、エルサレム

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いよいよエルサレム。アンマンから国境を超えて乗ったバスはダマスカス門の前に到着した。
エルサレム到着の午後、 イエスが十字架を背負って歩いたという道、Via Dolorosaを歩く。周りにはアメリカ人、ケニア人、フィリピン人、韓国人。世界中から集まってきた巡礼者とともに、賛美歌を歌いながら石畳の道を一歩一歩進む。
まるで迷路のような旧市街の中に、イエスが立ち寄ったという場所があり、十字架が掲げられている。長い間巡礼者がイエスの受難をたどった道を今自分が歩いている。そう感じ、祈りの賛美歌に包まれていると、真綿に包まれているような安心感を感じた。
実に不思議な気分だった。僕はクリスチャンではないが、高校がルター派の高校だったこともあり聖書の世界には親しみがあった。今回のエルサレム行きに際し、改めて聖書を読んだが、「2000年の間人々が読み継ぎ受け継がれてきた」内容よりもその事実が聖書を聖書たらしめていると、改めてそう思った。
宗教に帰依するということは、こういうことなのかもしれない。「寄らば大樹の陰」大勢の人、自分が頼りにする人に包まれていると安心感。事実、それがなくては人は生きていけない。
安息日の前の金曜の夕暮れ、ユダヤの人が街中から湧き出るように嘆きの壁に集まってくる。これがソロモン王の時代から2000年の時を越えて残っている壁か。ユダヤの人はみな頭の上には白い皿のような帽子キッパをかぶっている。これは頭の上に神がいることを表わしているんだって。
続々と集まるユダヤの民。そしてそのすぐ奥にイスラムの聖地、岩のドームがきらきらと光る。
僕にとって頼るべきもの、包まれるべきものって何なんだろう。いつの日か、エルサレムで祈りをささげていた人たちと同じように、何か暖かいものに包まれた安心感をほしくなる日がくるのだろうか。これが、Via Dolorosaを他の巡礼者とともに歩き感じたことだった。
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Written by shunsuke

2006年3月18日 @ 4:29 AM

カテゴリー: 2006/03 Middle East

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