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Archive for 7月 2006

夏休み

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一足早い夏休み。

27-28日、男五人で富士登山へ。
学生時代アルバイトして想い出の場所。
もう何回目かは忘れたが、何度登ってもいいもんだ。
真夜中、空を見上げると空を埋め尽くす星たち。
その星の間を縫っていく流れ星。
東京の明かりが届いてはいるが、さえぎるものが何もない分、富士の空には解放感がある。
然別湖の星空、チベットの夜空とはまた違った意味で見とれてしまう。
10年先も、20年先も、じいちゃんになっても友人とそして家族と
この喜びを共有できるような人でありたい。
心からそう思った。
そして、頂上で素敵な出会い。
なんと、ハワイからわざわざ富士山を登るためだけに来たLynneと出会う。
下山後は北アルプスに行って5日後に帰るのだとか。
富士山にかかわっていた一人として、そんな旅人に会えるのは最高にうれしい。

29日、隅田川花火大会。
ユースケに誘われて浅草へ。
ユースケの友達やその辺にいた人やら、気がついたら、多国籍のわけわからん状態に。
酒と女の子の記憶はあるが、ほとんど花火の記憶はなし。
シュンペイ、Rebecca, Natasha,Roger、あと韓国からの留学生たちに出会えたことに感謝。
サイコーにはじけた夜だった。
やっぱり夏は浴衣とビール、それにうんこ花火だね。

30日、世界報道写真展。
日曜午後の恵比寿で心を揺さぶられた。
ただ一瞬を切り取っただけのその光景が、なぜこれほどまでに人に強く迫るのだろう。
写真を撮る職業に僕は就くべきだったんじゃないか。
何度も問いただした疑問をまた繰り返してしまう。
激動する世界と僕をつなぐ不思議な空間。
きっと、また来よう。

大切にしていきたいことを改めて実感した、そんな7月の終わりだった。

Written by shunsuke

2006年7月30日 at 4:49 PM

カテゴリー: 旅行

洞爺湖へ

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先週末、雨の予報が起きて顔を上げたら青空に変わっていた。
思わず、自転車こいで洞爺湖、大和旅館へ。
ライダーズルームを備えており、温泉旅館になんと1500円で宿泊ができる!こりゃすばらしいね。
湯につかり、洞爺湖畔で夏祭りの生ビールを飲む。
幸せのひととき。

その後、「勝ったらTシャツあげるよ」の誘い文句にのり、主人と女将さんにオセロに挑むがあっさり敗北。
古い建物からもっと歴史ある旅館かと思いきや、古い建物を買い取って始めてまだ六年だとか。
主人と女将の二人とも僕と大して年は変わらない。
北海道を旅する人たちがほっと息をつける、そんな空間を提供してくれるお二人に感謝。
北海道最後の週末にまた素敵な人と出会えた。

Written by shunsuke

2006年7月18日 at 12:37 AM

カテゴリー: 旅行

夏の日と祖母の死

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一昨日、岐阜に住む祖母が亡くなった。
僕が、来週から愛知に転勤となり会いに行こうとしていた矢先のことだった。
82歳、帰宅して椅子に座ったまま息を引き取ったという。
苦しみながら亡くなっていく人が多い中、苦しまずに自宅で最期を迎えた。幸せだったと、そう思う。

祖母に最後に会ったのは三年前の夏、八月の暑い日だった。
祖母の家を去る日、「じゃあ、ばあちゃんまたね」僕がそう言い軽くハグをすると祖母は急に泣き出した。
「ばあちゃんもこんな年だで、これが最後かもしれん」
そう言って、泣きつづける祖母に僕は戸惑っていた。
これまで僕が頼る立場だったはずの祖母に、そんな態度をとられて戸惑っていた。
何と僕が返したか、今となっては覚えていない。
祖母がその後何て言っていたのかも定かではない。
僕は上の空で騒がしく鳴くセミの声を聞いていたような気がする。
昨日の告別式の日、岐阜はすっかり夏だった。
式を終え、火葬場に着いた僕の耳に飛び込んできたのは、あの日と同じセミの声だった。
その瞬間、三年前僕に涙を見せた小さな祖母の姿が僕の目に浮かんできた。
同時に、祖母がこの世からいなくなってしまった寂しさと、最後に会った時冷たい態度をとってしまった後悔の念が急に胸にこみ上げてきた。
祖母は死んだ、もう抱きしめることはできない。
ばあちゃん、あと一週間待ってくれたら会いに行ったのに。
僕は涙を止めることができなかった。
毎年、夏が来るたび僕は祖母を思い出すだろう。
セミの声を聞くたびに、あの日小さくなってしまった祖母の姿を。
ばあちゃん、あの時もっとしっかり抱きしめてあげなくてごめんな。
次会った時は、また一緒にビール飲もうな。
ゆっくりおやすみ。

Written by shunsuke

2006年7月14日 at 1:31 AM

二風谷へ:二日目

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翌日、7月1日快晴、朝8:00鵡川発。
門別競馬場を通り過ぎ、富川を経由し、
沙流川沿いに二風谷を目指す。
両側には水田と牧場が広がり、空は高く、雲は白い。
最高のツーリング。

11:00二風谷到着。
「谷」というから、もっと深い谷を想像していたのだが、沙流川沿いに水田が広がる土地だった。
沙流川の語源がアイヌ語で土砂をたくさん流す川とのことであるので、山から流れ出た土砂が堆積してこの土地がつくられていったのだろう。

萱野茂二風谷アイヌ資料館、二風谷アイヌ資料館へ。
そもそも、ここ二風谷を訪れた目的はこの資料館を、先日亡くなった萱野茂さんが残したものを見に行くためだった。
わずかな期間であるけども、北海道に暮らすものとして見て知っておかなくてはいけないもの。
それが、アイヌの歴史なのではないかと僕は感じている。

少し長くなるが、二風谷という土地とアイヌ、そして二風谷ダムと裁判について書こうと思う。

二風谷は、ダム建設裁判で有名となった土地だ。
皮肉だが、僕もそのアイヌ文化を喪失させたダム裁判を通じて、ここがアイヌの聖地だということを知った。

人口7000人の平取町には2000人のアイヌが、そして二風谷には500人のアイヌが暮らしているという。この地には、チノミシリと呼ばれる聖地やチャシ(砦、囲いなどの意)が数多くあり、また、沙流川の水没した河岸では毎年チプサンケという舟降ろしの儀式が行われるなど、伝統的な民族文化の伝承が未だに根強く守られている所だ――それは、国立民族学博物館の大塚和義氏の言葉を借りれば、「日本神話の天孫降臨の高千穂の峰」にも喩えられるほどの場所だという。そんな場所にダムをつくるという話が計画されたのは1971年のことだった。

二風谷ダム建設の背景には、政府の杜撰な苫東開発計画があったことが指摘されている。苫東開発とは、北海道の苫小牧東部地区に、アジア最大規模の工業基地を作るという構想であり、第2次全国総合開発計画の一部として、政府によって1969年に決定されたものであった。そして二風谷ダムは、この苫東開発のための「工業用水調達」の目的で計画されていた。ところが苫東開発そのものが、結局、頓挫してしまうことになる。

バブル経済の絶頂期(1989年)までに、苫東開発の目的で売却された用地は全体の10%に満たないという悲惨な状態が露呈する。86年に着工された二風谷ダムは、本来であればこの時点でその計画を見直すべきであったのだが、しかし、当時の開発局がとった行動は、ダム建設の目的を「工業用水調達」から「多目的(洪水対策・灌漑用水・発電など)」に変更して、新たな観点から二風谷ダムの建設を正当化する、というものであった。諫早湾干拓事業、長良川河口堰と同様に、ここには日本の政・官・業の癒着によって公共事業の暴走を制御できなくなるという、「政府肥大化」の悪しき実態が見て取れるだろう。

萱野茂さんは、アイヌ人初の(元)参議院議員として知られるだけでなく、二風谷ダム裁判の原告としても、歴史に残る歩みを残した人物であった。「二風谷ダム裁判」とは、アイヌの聖地二風谷をダム湖にして沈めることの正当性をめぐって争われた裁判であったが、その判決は97年に、原告側の実質的な勝訴、すなわち、アイヌ民族の先住性を国家がはじめて国内で認めるという画期的な内容をもって終わっている。
裁判における原告のアイヌ人は萱野茂さんと貝澤正さんの二人だけであったから、二人の闘いは並々ならぬものであっただろう。もっとも、裁判は原告側の実質的勝訴とはいえ、形式的には「敗訴(ダムは撤去しない)」であった。二風谷の土地はアイヌの聖地として認められたものの、二風谷ダムは現在も稼動中である。

以上:橋本望北大助教授のHPを参考

僕は、新聞報道でこの二風谷ダムの話を知った。
当時、子どもの頃から泳いでいた長良川に河口堰ができてしまう話を聞いて憤ってきた時だった。
だから「二風谷」という地名は子ども心に強烈に残っていたのだ。

一人で1000点を超える民具を集めたという資料館、博物館には、目からうろこが落ちた。
まるで、雲南で少数民族の博物館に来ているような感覚。
アイヌという民族、文化に対する誇り、和人との違いを強烈に感じさせるものだった。
たった一人の個人が人生を賭して成し遂げたことに僕はただ感服するのみ。
萱野さんが亡くなった今は、息子さんがその意思を受け継いで学芸員として資料館で、来客にアイヌ文化を伝えている。

もっと、多くの人がこの地を訪れ、アイヌと和人との歴史を知る。
心からそう望む。

豚丼を食べ、13:30二風谷発。
平取から鵡川へのショートカットを使い、60キロの道のりを三時間半で苫小牧へ。

ちなみに、アイヌ文化振興法を成立させ、国会議員としての目的を果たした萱野さんは一期限りで次のような言葉を残して引退した。
「人(狩猟民族)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」


僕も足元が暗くなる前に家に帰ろう。

Written by shunsuke

2006年7月3日 at 4:42 PM

カテゴリー: 旅行

二風谷へ:一日目

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週末、二風谷へ。
ようやく手首のケガも治りかけ、医者から許可が下りた。
自転車に乗り、チャリ好きの同僚と一泊二日で苫小牧から沙流川を目指す。

6月30日p.m.4:00苫小牧発。
県道259号線を一路東へ。
苫小牧港を通り過ぎ、沼ノ端で勇払方面へと向きを変える。
右手に広がる工場群、左手に広がる湿地帯、空には優雅に舞うカモメ。
少し町から離れただけで、いつもとまったく違う景色が広がる。
そして、走る道はひたすらまっすぐ。
これが北海道の魅力。
100年前はこのあたりが全部湿地帯だったという。
沼ノ端なんて地名がそれを物語ってるよね。

厚真を過ぎると、次第に湿地帯が草原へと変化する。
気がつくと左手には牧場が。いよいよ日高、期待が高まる。
20キロくらいを過ぎてから、ようやくロードバイクの乗り方がわかってきたような気になる。
脇をしめて腹筋と背筋で支える。
同行者のアドバイスが的確だ。
自分の足で進んでいく感覚がたまらない。
このままどこまでも行けるんじゃないか、そんな気持ちになり、自然と口元がニヤニヤしてくる。
自転車にハマってしまったかな。

初日は、二風谷のライダーハウスが早く閉まることもあり、
近くの鵡川温泉四季の湯で疲れをとる。
意外と本格的な温泉にびっくり!
その後、鵡川のライダーハウスで「ラーメン大将」で一泊。
ラーメン屋に併設したカラオケハウスで地元のおばちゃんに囲まれて休みをとる。
冷えた生ビールと大将のニンニク味噌ラーメンが絶品!
この日の走行距離43キロ。

Written by shunsuke

2006年7月2日 at 4:06 PM

カテゴリー: 旅行