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二風谷へ:二日目

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翌日、7月1日快晴、朝8:00鵡川発。
門別競馬場を通り過ぎ、富川を経由し、
沙流川沿いに二風谷を目指す。
両側には水田と牧場が広がり、空は高く、雲は白い。
最高のツーリング。

11:00二風谷到着。
「谷」というから、もっと深い谷を想像していたのだが、沙流川沿いに水田が広がる土地だった。
沙流川の語源がアイヌ語で土砂をたくさん流す川とのことであるので、山から流れ出た土砂が堆積してこの土地がつくられていったのだろう。

萱野茂二風谷アイヌ資料館、二風谷アイヌ資料館へ。
そもそも、ここ二風谷を訪れた目的はこの資料館を、先日亡くなった萱野茂さんが残したものを見に行くためだった。
わずかな期間であるけども、北海道に暮らすものとして見て知っておかなくてはいけないもの。
それが、アイヌの歴史なのではないかと僕は感じている。

少し長くなるが、二風谷という土地とアイヌ、そして二風谷ダムと裁判について書こうと思う。

二風谷は、ダム建設裁判で有名となった土地だ。
皮肉だが、僕もそのアイヌ文化を喪失させたダム裁判を通じて、ここがアイヌの聖地だということを知った。

人口7000人の平取町には2000人のアイヌが、そして二風谷には500人のアイヌが暮らしているという。この地には、チノミシリと呼ばれる聖地やチャシ(砦、囲いなどの意)が数多くあり、また、沙流川の水没した河岸では毎年チプサンケという舟降ろしの儀式が行われるなど、伝統的な民族文化の伝承が未だに根強く守られている所だ――それは、国立民族学博物館の大塚和義氏の言葉を借りれば、「日本神話の天孫降臨の高千穂の峰」にも喩えられるほどの場所だという。そんな場所にダムをつくるという話が計画されたのは1971年のことだった。

二風谷ダム建設の背景には、政府の杜撰な苫東開発計画があったことが指摘されている。苫東開発とは、北海道の苫小牧東部地区に、アジア最大規模の工業基地を作るという構想であり、第2次全国総合開発計画の一部として、政府によって1969年に決定されたものであった。そして二風谷ダムは、この苫東開発のための「工業用水調達」の目的で計画されていた。ところが苫東開発そのものが、結局、頓挫してしまうことになる。

バブル経済の絶頂期(1989年)までに、苫東開発の目的で売却された用地は全体の10%に満たないという悲惨な状態が露呈する。86年に着工された二風谷ダムは、本来であればこの時点でその計画を見直すべきであったのだが、しかし、当時の開発局がとった行動は、ダム建設の目的を「工業用水調達」から「多目的(洪水対策・灌漑用水・発電など)」に変更して、新たな観点から二風谷ダムの建設を正当化する、というものであった。諫早湾干拓事業、長良川河口堰と同様に、ここには日本の政・官・業の癒着によって公共事業の暴走を制御できなくなるという、「政府肥大化」の悪しき実態が見て取れるだろう。

萱野茂さんは、アイヌ人初の(元)参議院議員として知られるだけでなく、二風谷ダム裁判の原告としても、歴史に残る歩みを残した人物であった。「二風谷ダム裁判」とは、アイヌの聖地二風谷をダム湖にして沈めることの正当性をめぐって争われた裁判であったが、その判決は97年に、原告側の実質的な勝訴、すなわち、アイヌ民族の先住性を国家がはじめて国内で認めるという画期的な内容をもって終わっている。
裁判における原告のアイヌ人は萱野茂さんと貝澤正さんの二人だけであったから、二人の闘いは並々ならぬものであっただろう。もっとも、裁判は原告側の実質的勝訴とはいえ、形式的には「敗訴(ダムは撤去しない)」であった。二風谷の土地はアイヌの聖地として認められたものの、二風谷ダムは現在も稼動中である。

以上:橋本望北大助教授のHPを参考

僕は、新聞報道でこの二風谷ダムの話を知った。
当時、子どもの頃から泳いでいた長良川に河口堰ができてしまう話を聞いて憤ってきた時だった。
だから「二風谷」という地名は子ども心に強烈に残っていたのだ。

一人で1000点を超える民具を集めたという資料館、博物館には、目からうろこが落ちた。
まるで、雲南で少数民族の博物館に来ているような感覚。
アイヌという民族、文化に対する誇り、和人との違いを強烈に感じさせるものだった。
たった一人の個人が人生を賭して成し遂げたことに僕はただ感服するのみ。
萱野さんが亡くなった今は、息子さんがその意思を受け継いで学芸員として資料館で、来客にアイヌ文化を伝えている。

もっと、多くの人がこの地を訪れ、アイヌと和人との歴史を知る。
心からそう望む。

豚丼を食べ、13:30二風谷発。
平取から鵡川へのショートカットを使い、60キロの道のりを三時間半で苫小牧へ。

ちなみに、アイヌ文化振興法を成立させ、国会議員としての目的を果たした萱野さんは一期限りで次のような言葉を残して引退した。
「人(狩猟民族)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」


僕も足元が暗くなる前に家に帰ろう。

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Written by shunsuke

2006年7月3日 @ 4:42 PM

カテゴリー: 旅行

コメント / トラックバック4件

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  1. Shunの記事(ツーリング時の2つ)読ませてもらいました。
    北海道で、すごく有意義で且つ真剣な時間を過ごしているんだなと感じました。
    私も実は自転車大好きで、大学入学時に買った自転車を今も大事に乗っています。
    大学周辺はもちろん、いろんな街を本当にたくさんたくさん走ってきた自転車です。
    いつか機会があれば、ツーリングに誘ってください。
    (以前、名古屋に住んでいたころ、知多半島を一泊二日で約100キロ走ったりもした。)

    夕日の写真、美しい・・・。
    私も自分の心の中に美しい光が灯る日がくるよう、一日一日を大切にしていきます。

    倫子

    2006年7月12日 at 1:52 PM

  2. 追伸 :フォトのところにコメントを書きたかったけど、エラーが出てしまいますよ???私が書き込みたかったのは以下の文です。
    「写真、ここに載っていたものは全部見たけどとにかく美しい。。。これってデジカメで写してるの?私はあなたの写真のファンなので、これからも素敵な写真を撮り続け、そして見せてください。」

    倫子

    2006年7月12日 at 2:05 PM

  3. c7、コメントありがとう!写真は普通のデジカメもあり、一眼で撮ったスライドをスキャンしたものもありです。日常のはデジカメ。自転車は僕は社会人デビューなので、これまでいろんなところを走ってきたなんてうらやましい!そのうち、福井までチャリで行くからね。

    Shunsuke

    2006年7月14日 at 1:52 AM

  4. 待ってるぞー!でも私は次は東京の街を走り回ることになりそうだけどね(笑)。

    倫子

    2006年7月17日 at 1:43 PM


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