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夏の日と祖母の死

with 4 comments

一昨日、岐阜に住む祖母が亡くなった。
僕が、来週から愛知に転勤となり会いに行こうとしていた矢先のことだった。
82歳、帰宅して椅子に座ったまま息を引き取ったという。
苦しみながら亡くなっていく人が多い中、苦しまずに自宅で最期を迎えた。幸せだったと、そう思う。

祖母に最後に会ったのは三年前の夏、八月の暑い日だった。
祖母の家を去る日、「じゃあ、ばあちゃんまたね」僕がそう言い軽くハグをすると祖母は急に泣き出した。
「ばあちゃんもこんな年だで、これが最後かもしれん」
そう言って、泣きつづける祖母に僕は戸惑っていた。
これまで僕が頼る立場だったはずの祖母に、そんな態度をとられて戸惑っていた。
何と僕が返したか、今となっては覚えていない。
祖母がその後何て言っていたのかも定かではない。
僕は上の空で騒がしく鳴くセミの声を聞いていたような気がする。
昨日の告別式の日、岐阜はすっかり夏だった。
式を終え、火葬場に着いた僕の耳に飛び込んできたのは、あの日と同じセミの声だった。
その瞬間、三年前僕に涙を見せた小さな祖母の姿が僕の目に浮かんできた。
同時に、祖母がこの世からいなくなってしまった寂しさと、最後に会った時冷たい態度をとってしまった後悔の念が急に胸にこみ上げてきた。
祖母は死んだ、もう抱きしめることはできない。
ばあちゃん、あと一週間待ってくれたら会いに行ったのに。
僕は涙を止めることができなかった。
毎年、夏が来るたび僕は祖母を思い出すだろう。
セミの声を聞くたびに、あの日小さくなってしまった祖母の姿を。
ばあちゃん、あの時もっとしっかり抱きしめてあげなくてごめんな。
次会った時は、また一緒にビール飲もうな。
ゆっくりおやすみ。
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Written by shunsuke

2006年7月14日 @ 1:31 AM

コメント / トラックバック4件

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  1. ただただ、読んでいて涙が出てしまいました。人一倍おばあちゃん子のわたしは、いつも「その日」が来るのをびくびくしているから。やっぱり海外なんて行くんじゃなかった、と悔やみ泣き続ける自分がくっきり見えてしまうから。
    何と言えばいいのか分からないけれど、大丈夫、きっと遠いいつか、またおばあちゃんを抱きしめられるよ。

    Hirata

    2006年7月14日 at 9:43 PM

  2. うちの祖父母も岐阜に住んでます。実家から電話があるたびに、遂にきたかと毎回びくびくしてます。
    今年の夏は孝行孫になろうと思いました。
     
    愛知県勤務ということは、しばらく愛知で暮らすということでしょうか?
    夏時間があったら会いましょう。
     
     

    45

    2006年7月16日 at 1:10 AM

  3. 愛する人と離れ離れになるとき、ふと「ああ、これが最後かもしれない」と思うことがよくある。すると、その人との思い出が本当に美しく蘇ってくるんだ。もう過ぎ去って手に届かないものだから、余計に美しい。
    君のおばあさんは最後の別れを知っていたんだろうか?だから泣いてしまったの?
    愛する孫との別れが本当に寂しくて仕方なかったんだろうね。でも、またいつかどこかで必ず会えると思う。そのときまで、おばあさんとの思い出を大切に温め続けていてね。
    残念で悲しいお知らせだけど、愛する家族に囲まれて一生を終えたおばあさんは、安らかに天に召されたのではないかな。私もおばあさんのご冥福をお祈りしています。

    Yoko

    2006年7月17日 at 10:18 AM

  4. くま今回会いに行こうとしてた矢先の出来事だったのが、一番辛かった。会うことができる時に、気持ちを伝えることができればいいんじゃないかなと思うよ。フィリピンから心のこもった手紙でも送ってあげてね。シンゴさんコメントありがとうございます。申し送れましたが、7月21日より愛知県民になるのです。気温20度前後から一気に35度・・・これが一番心配です。つくばには、また戻ると思うのでその時にぐいっといきましょう!シンゴさんも会える時に岐阜に行って下さい。たぶん祖父母は喜ぶと思いますよ。yoko暖かいコメントありがとう。不思議なもんだよね。生きてる時は時に疎ましく思ったこともあったのに、美しい思い出だけが甦ってくる。三島が好きそうな美のシチュエーションだ。今回亡くなった祖母の連れだった祖父が10年くらい前に亡くなったのだけど、それ以後急激に祖母が老いていった。70過ぎても白髪一本なかったのに、白いのが目立つようになり、腰が曲がっていった。恐らく祖母は長年連れ添った祖父がいなくなり、もういつ死んでもおかしくない、いつ死んでもいい、そんな心境だったのだと思う。ばあちゃんとじいちゃんが今頃再会できていることを、祈ってるよ。イギリス行く前に、また会えるといいね。茨城方面に行くことがあったら連絡するよ。

    Shunsuke

    2006年7月17日 at 2:08 PM


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