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西安の夕日

with 3 comments

先日、今年度の中国採用の研修生がやってきた。僕の所属する部にも一人来たのだが、なんと西安外国語大学の出身だという。そのことを聞いた瞬間、5年前の夏のことが鮮やかにが浮かんできた。

2001年7月、僕は西安外国語大学(当時はたしか外語学院)にいた。昆明でHSK(漢語水平考試)の試験が行われず、はるばる西安まで試験を受けにきたのだった。

雨季で肌寒い昆明から灼熱の西安へ。空港に降り立った僕の目の前では、大きな真夏の太陽が地平線に沈もうとし、街では昆明では見たこともなかったセミがうるさいくらいに鳴いていた。そして、学校へ向かうバスの中で、椅子に座っていた僕の前でワキ毛未処理のままタンクトップでつり革をつかんだ女の子がいた。西安外国語大学、その言葉を聞いたときに僕の目の裏に浮かんだのはそんな景色だった。

試験終了後、西安には3日間滞在し、始皇帝の墓・兵馬俑や三蔵法師が経典を納めたという大雁塔を訪れた。1000年の古都はシルクロードへの玄関口、西安には多くのムスリムが住み、彼らの街には食欲をそそる羊のにおいとあの独特の香辛料の香りが漂い、祈りの時間を告げるアザーンが鳴り響いていた。

旅では、訪れた土地それぞれに強烈に残る感触がある。それらは視角や聴覚、時に味覚と結びついて日常の中に埋もれている。ふとした瞬間にそのキーワードに触れた時、引き金がひかれ懐かしい思い出が甦ってくる。僕はそんな瞬間が大好きだ。

目の前のことを処理するのが精一杯の毎日の中で、そんな風に自分が過ごしてきた土地・時間と接点が持てる。西安外国語大学の言葉を聞いたその瞬間、僕の目には西安の夕日とワキ毛の女の子が浮かび、耳にはセミの鳴き声が聞こえていた。

僕にとって、西安と結びついていたのは始皇帝や三蔵法師でもなく、月夜に浮かぶモスクでもなかった。意外と、どこにでもあるどこでも見れるありふれたもの。きっとそんなものなのだろう。実際に目にして感じると、普段目にする機会があるだけにそういったもののほうが違いを感じとり思い出と結びつくのかもしれない。

これまで旅をしてきてよかった。そして、これからも訪れた場所の一つ一つに思い出を残していきたい。心からそう思った。

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Written by shunsuke

2006年11月18日 @ 2:16 AM

コメント / トラックバック3件

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  1. 初めに御質問。IDなし、無料でずっと、簡単にコメントできる道はありますか?入り方を確かめるために、2日続きで書いています。
     
    さて、西安ですか。さらさらの「粉まみれ」の道路、薄汚れた街路樹が、晴れ間も分からないほどにたちこめたモヤの下にぼーっと広がっている。なのに、どこでも多い人間達だけが自転車、オートバイ、ボロボロの車で、「目標目指して一直線」。生活脇のいたるところに日用品を使い捨て、工事現場ばかりが多くて、人も街も脇目も振らずに走っている。あれが問題の黄砂、砂漠化、大気汚染。今よりもずっと僕の知識は少なかったなー。そー言えば、僕ら2人のガイドさん自身がしわがれ声、マスクもしてたなー。
     
    次いで、昆明。あそこは、ランナーとして街を2回ほど走ったので、さらに馴染みが深い。宿の側に「貧民街」がある! 大規模に取り壊し中のようなそこを怖々と通り抜けていった。「繁華街に近く、しかも官庁街のすぐ横に、こんな貧民街!」、驚いた。後で訊くと、そこがいわゆる「旧家」の連なりで、結構な金持ち地区なのだそうだ。一瞬考えて、「名古屋駅西直近に最近まであった商店街!あそこも怖かった」と納得。
    ランニングと言えばナポリの港も驚いたし、怖かったー。中央駅の向こうの港をベスビオ方向へ同行者の1人と走っていたとき、10匹ほどの野犬に追いかけられたのだ。僕は物陰に逃げたが、友達は軽トラックの屋根に緊急避難。その車の周りでわんわんわんわんと、まー恐ろしかったこと!
     
    こんなふうに、「実際に目にして感じると、普段目にする機会があるだけにそういったもののほうが違いを感じとり思い出と結びつくのかもしれない」、これはほんとのことですね。記憶に残っているものの多くは、どこか見覚えがあるもの。それか、いっそのこと全く見たこともないようなもの。始皇帝の銅馬車、長江第1湾、麗江の街並み、キュウサイコウの「雄大な湿地」、小さな絵の具皿を少しずつ重ねていったようなコウリュウなどなど。
     
    ランニングのように旅先で自分の特別な何かをすると、その周囲への印象も強いようです。前にお話ししたように、民族旅館の中庭でギターを弾いたのは強烈な思い出です。ご存知のように、大理はペイ族、麗江はナシ族の建物でした。
     
    今は頑張って働いて下さい。2極分化という、そのそれぞれに異なった厳しさのただ中にある方々に対してこう言うのは申し訳ないような気分になるのですが。この寒くなる中、僕よりも最低2時間も早く起きる娘を見ては、そう感じ入っている昨今です。
     
    先月末から、「ギター」は増えて4カ所、全て初めて指が震えなかった。安定剤は飲んだのですが、驚いています。それぞれ、ソルの「月光」2重奏、アラビア奇想曲、トラベルソとの重奏(宵待草、浜辺の歌、ゴセックのガボット他)、ラグリマでした。
     
    長く書き、それもこちらのは話ばかりが多くて、失礼しました。ただし、「2者共通の関心」には留意したつもりということで、ご容赦を。
     

    Unknown

    2006年11月18日 at 11:40 AM

  2. >鶴賀さんコメントありがとうございます。昆明の貧民街というと・・・北駅の近くでしょうか?もしくは街の東側のホリデイインの近くかな?ここ二年ほど訪れておりませんので、さらに劇的に変わっていることと思います。二極分化とは思いませんが、自分の望む将来に対して具体的なプロセスを描く人が増えていることは実感しています。そうあることが、企業の中で、社会の中で道を切り開いていく秘訣なのかと。10年先にどんな社会になっているかさえわかりませんから。こちらへのコメントはMSNのアカウントをとれば早いと思います。無料でホットメールのアカウントはとれるので、こちらのURLからサインインしてみて下さい。http://jp.msn.com/

    Shunsuke

    2006年11月18日 at 10:56 PM

  3. 堀さん
    ありがとう、アカウントは既に取れていました。馬鹿みたいですね。なんせ用語の意味が分からないので、まるで漫才ボケ。
    あらかじめ言いますが、お返事はまとめてでよいです。僕は暇ですけど、貴方は大変でしょうから。以後度々感想を送らせて頂きますが、いちいち気にしないで下さい。僕の勝手な動機で、「若い友達が欲しい」ということで出発していたりしますので。堀さん、面白そうだし。
     
    昆明は市政府の側、東風路だったと思います。旅館名は忘れました。
     
    「二極分化とは思いませんが、自分の望む将来に対して具体的なプロセスを描く人が増えていることは実感しています。そうあることが、企業の中で、社会の中で道を切り開いていく秘訣なのかと。10年先にどんな社会になっているかさえわかりませんから」
    この文章、よく分かるような気がします。特に最後の文章と、それを「迎え撃つ?」ようにせざるをえない現在の覚悟などが。ただし「2極分化」は大変なものだと思いますけど。「年収200万円」と正規社員との別、前者が凄く増えていることに着目している積もりですけど、違っていますか。
     
    時間のある時で結構ですが、一度「子ども達のイジメ、それによる自殺」について背景などご意見をお聞かせください。
     

    Unknown

    2006年11月19日 at 12:47 AM


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