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昭和天皇と硫黄島

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勤労感謝の日、10:00過ぎに会社に呼び出される。仕事の片手間、ずっと見たかったソクーロフの「太陽」が岐阜のユナイテッドシネマで明日まで上映していることを発見!一時間半かけて、18:15からの回を見に行くことに。

ロシア人監督アレクサンドル=ソクーロフが日本の、その中でも天皇の神格返上というナイーブな題材を描いた作品。結論をいうと、歴史考察ではなく、昭和天皇ヒロヒトの人間としての人格を描いたわけでもない。神としての苦悩と、神格を捨て去ることの決断にいたったその過程に焦点を絞っている。

すごいなと思ったのは、以下の二点。
①ソクーロフがシチュエーションごとに天皇をうまく描き分けていたこと
②場面を支配する静寂と会話と会話との間が作り出していた、慎み深い日本的な表現の美しさ(最後に桃井かおりが破壊してしまっていたけれど)

独りでいるとき、佐野史郎演じる侍従との会話、統治者としてスーツを着用し、大元帥の役割を演じねばならないときは軍服に着替えている。服を象徴として、神の人格(いや、神だから神格か?)の使い分けを見事に表現していた。 そして「あっそう」。この短い口ぐせに、うかつなことを口にできない天皇としての慎重さ、常日頃から周囲の影響に配慮し自らの主張・感情を抑えていた、日本人として長らく美徳とされていたそんな昭和天皇の自己犠牲が表現されていた。

ただ、以下の二点で物足りなさが残った。
①歴史考証に基づいた情景描写
②昭和天皇の品位と人間としての人柄

マッカーサーと昭和天皇との会談は、その後の日本の政治制度と、昭和天皇自身の戦争責任追及の分岐点となったと記憶している。昭和天皇にとっては、自らが戦犯としていや自決も辞さない覚悟で臨んだ会談であり、その会談を経てマッカーサーは昭和天皇の人柄に魅了され、天皇の戦争責任を問われることはなく象徴としての現在の政体が築かれるにいたった。

しかしながら、その場面でソクーロフが注力していたのはその時の昭和天皇の覚悟や決意、あるいは緊張感、恐怖、不安を表現することではなく、天皇の人格表現であった。極度の緊張がユーモラスな言動を招いたとの解釈もできなくはないが。その人格表現にしても、大好きなタバコをめぐって天皇の人格の使い分けはここでも見事に描かれていたが、マッカーサーが「日本最上の紳士」と評した昭和天皇の品位を描ききったとは思えなかった。まあ、ソクーロフの観点と言ってしまえばそれまでだけど。

それはたぶん僕が日本人であるがゆえの疑問なのだろう。敗戦国の元首の器や日本の歴史を詳細に述べたところで、世界はたいして関心を持ちはしない。世界の関心は、ベールに包まれていた神であった人間の姿やその生活、仕事ぶり、その浮世離れしたところにある。でも、歴史を修めたソクーロフにはもう一歩歴史描写に踏み出してほしかった。

多くの外国人、現代の日本人にとってもかつての天皇制自体がコメディなのかもしれない。全能だからこそ神であるのに本人は何も知らないし何もできない。おまけに、この映画の中で天皇はことあるごとに「神でいるのは何かと不便だ」と愚痴っている。戦争だって軍部が勝手に始めてしまうし、230万人の兵隊さんたちは「天皇陛下万歳!」なんて叫んで死んでいった上に、人間宣言を録音した技師も自殺する。自身曰く 「僕の身体は君たちとほとんど変わらない」人間を周りが「神だ、神だ」と崇めてしまう状況は、確かに喜劇に見えてもおかしくはない。

この映画は日本人には絶対つくることができなかった。それを見られただけでも幸せだと思う。

「太陽」鑑賞後、となりの温泉で一汗流して、レイトショーで「父親たちの星条旗」を観る。感想は、また後日に。

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Written by shunsuke

2006年11月24日 @ 2:32 AM

カテゴリー: エンターテイメント

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