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写真への情熱

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土曜の深夜、懐かしい映画がやっていた。

「地雷を踏んだらサヨウナラ」ベトナム戦争の最中27歳で亡くなった写真家一ノ瀬泰造の半生を描いた作品。彼は当時クメール・ルージュの支配下にあったカンボジアのアンコール・ワットへの一番乗りを目指し、結果クメール・ルージュに処刑された。

無事帰ってこれる可能性が低かったのにもかかわらず、彼はアンコールへと向かった。ベトナムに始まりアフガンでもイラクでも、危険を顧みず多くの写真家が戦地へと赴き命を落とした。古くはロバートキャパしかり、沢田教一しかり。戦場では生と死をめぐり人間の究極の姿があらわになり、人の本性がさらけだされる。その魅力に人はひかれるのだろう。

彼が命を賭して目指したアンコールに僕がピックアップとバイクタクシーでたどり着いたのは2000年のこと。かつて密林に覆われた神秘の遺跡は外国人観光客であふれ、内戦が終わったカンボジアにとって貴重な外貨収入源となっていた。当時の僕は写真を始めたばかり。激しいスコールの後、空全体が燃えるように空が赤く染まる夕暮れ。暗闇から赤みが射し、その中から遺跡が浮かび上がっていく朝焼け。すっかり観光地化したその姿でも、僕が写真にのめりこんでいくには十分な魅力だった。

その後僕は夢中で写真を撮り続けた。被写体と接して関係を築きあげ、その結果生まれる瞬間を残していく。技術的なことはともかく、被写体が心を許してくれたその瞬間、ファインダーをのぞきシャッターを押すその瞬間のゾクゾクがたまらなかった。

あれから7年。僕はほのかな野望を抱きながらもサラリーマンをし、毎日職場と家を往復する毎日だ。ここ数年はカメラを手にすることはほとんどなく、気がついたら一ノ瀬泰造がカンボジアで消息を絶った年を過ぎている。

今日、久しぶりに彼を描いた映画を見て、確かに僕は興奮した。ベトナムで開高健の「夏の闇」を読んだ時のような、湧き上がるものを押さえきれない興奮を僕は感じた。今の生活がこの先どうなるかはわからない。ただ、これからもゾクゾクする瞬間を感じることができるよう、写真への情熱は失わずにいたい。

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Written by shunsuke

2007年6月24日 @ 3:16 AM

カテゴリー: エンターテイメント

コメント / トラックバック2件

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  1. そのときの写真なんですね。しゅんさんの感動が伝わってくるようです。
    写真を撮ることは自分の感動をうつしとること、ひいては自分を表現すること、というのが文を読んで納得できます。常に自分を見失うまいとしているしゅんさんらしい感じ方だと思いました。

    裕子

    2007年6月24日 at 9:36 PM

  2. 技術的なことはよくわかりませんが、自分に余裕のない時に写真をとろうとする気持ちにはなれない。きっと、写真は不器用な自分にとって、他者との関係性を測るモノサシでもあるのだと思います。そういう意味では、写真を撮りたくなるような余裕を持てる人間になりたいです。

    Shunsuke

    2007年6月27日 at 12:55 AM


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