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Archive for 9月 2007

伊豆の海と鯛づくし

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9月に入ってもまだまだ夏。そんな夏の日差しと海を求めて先週末伊豆の最南端下田へシーカヤックに出かけた。

台風9号が通過した後の青空の中、南へと下る。増水して瀑布と化した趣のない浄蓮の滝を過ぎ、天城峠を越えると目の前に真っ青な海が広がった。シーカヤックは波が高いため断念となったが、代わりに伊豆白浜でボディボードで波とたわむれる。

台風一過の海はこれまでの汚れを洗い流すかのように大きな波で、何度も頭から塩水をかぶる。まさに頭の上からざばーん。横を向いたり、波の中に飛び込んでやり過ごすのだけど、波をかぶるたびにしょっぱい味が口の中に広がり、耳に水が入る。波にもみくちゃにされる、この感覚が最高に気持ちいい。

ゴーグルをかけて下をのぞくと、予想以上に透き通っていて、ずっと先まで見渡せる。この青い海が東京湾とつながっているなんて不思議だ。汚れを拡散させて浄化させる、その自然のメカニズムに改めて感服。考えれば海に入るのもベリーズ以来、ほぼ二年ぶりだ。こんなに気持ちいいことから遠ざかっていたなんて、ああなんて損をしていたんだろう。

波にもまれたほどよい疲れを温泉でほぐした後は、南伊豆の弓ヶ浜、トーチャンが漁師、カーチャンが海女の宿「月見屋」で海魚の舟盛、金目鯛の煮付けと魚づくしの晩ごはん。いつもながら、気の許せる友と心からおいしいと思える料理を食べてる瞬間は本当に幸せだ。

疲れた身体がお酒と料理で満たされて、気がついたら8時に就寝。まさにバタンキュー。身も心も満たされた週末だった。みながこう満たされていたら、いつか世界から戦争がなくなるのかな。

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Written by shunsuke

2007年9月17日 at 11:43 PM

カテゴリー: 旅行

徹夜おどり

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気がつけばもう九月。企業で働いていると学期や学年の区切りがないので、季節と季節の変わり目を知らずに過ごしてしまっていることが多い。この夏は、夏の節目を感じることが多かったが、中でも8月の上旬に郡上八幡の郡上おどりに行ったのは印象に残った一夜だった。

郡上おどりは夏の間7月上旬から9月上旬、32日間にわたっておどり続ける。そのうち8月13-16日の徹夜おどりは、まさに文字通り朝方までおどり続けるおどりのクライマックスだ。

8月15日、仕事を終えて夜10時ごろ郡上八幡に着く。街はおどりが行われているのが嘘なくらい静かで、せせらぎが流れる古い町並みはひっそりとしていた。昼の暑さが冷め切らない夜の町並みをうっすらと聞こえる歌い手の声を頼りに歩いていくと、次第に往来は多くなり下駄をならす音が大きくなる。

出店が見えた角を曲がると、そこがおどり会場だった。十字路の中心にあるやぐらで歌い手が音をつむぎ、十字路を老若男女がおどり続ける。阿波おどりやよさこいのようににぎやかにおどるものかと思っていたのだけど、みな黙々と歌に合わせておどり続ける。一曲20分くらいの間、音に合わせて下駄をならし、みなおどり続けるのだ。一曲終わると、すぐに別の曲が流れる。そして人々はみな踊り続ける。

僕はおどりの輪に入るつもりで郡上まで行ったのだけど、黙々とおどる人たちの前でなかなか入るきっかけが見つからなかった。結局15分くらい踊ってすぐに輪から離れて、あとは踊る人々をただ眺める。よそ者を受け付けない、そんな雰囲気が僕の足をすくませていたのだ。

もともと日本の祭って地鎮祭や豊作祈願祭なり、地元の人間が土地への感謝を表すものだったと思う。その土地で生まれ育った人間がその土地への感謝を表す。徹夜おどりはそんな昔ながらの本来の祭の形、意味を残している祭だった。

ふるさとでその土地の人々が守り続けてきた祭に、小さい頃から転勤続きだったでふるさとと呼べるような場所がない僕が入っていくことができなかったのは当然なのだと思う。いや、むしろ入っていかなくて正解だった。日本全国津々浦々、それぞれの土地に生まれ育った人々が守り続けた祭がある。ふるさとっていいなあ、そんなことを改めて感じた今年の夏だった。

Written by shunsuke

2007年9月2日 at 8:25 PM

カテゴリー: 旅行