人に学びて、自然とともに生きる

Never stop exploring, Keep your curiosity fresh

村上春樹の世界

leave a comment »

千葉に引っ越してきて一ヶ月半。最近ひと駅行ったところにある図書館によく行くようになった。昔は返すのが面倒であまり好きじゃなかったけど、行ってみると意外に最近の本も置いてあったりしてなかなか使える。これ以上部屋に本を置くスペースもないし、何よりタダって素晴らしい。
 
先週は村上春樹の『海辺のカフカ』を読んだ。久しぶりの村上春樹。『風の歌を聞け』を読んだ高校一年の夏、カリフォルニアの乾いた風が吹いているような爽快感と、ちょっとナイーブな主人公たちがつむぎだす言葉たちに夢中になった。どの作品を読んでも、本に心の何かを抜き取られたかのような虚無感があり、その読んだ後の空っぽの感じが当時の僕にはたまらなかったのだ。僕はフィッツジェラルドとサリンジャーを読み、形而上学とメタファーの意味を覚えた。けだるい脱力感と予想もしない想像の連続、今思うと村上春樹の小説とマリファナはすごく近い。
 
さておき、『海辺のカフカ』。相変わらず読み手から何かを吸い取るような文章は健在だけど、『羊をめぐる冒険』や『ダンスダンスダンス』のような世界観の広がりはなくなっている感じがする。もしかしたら作家としての成長、というものなのかもしれないけど。ただ、すべてを否定し、すべてを肯定する感覚はデビュー以来何ら変わっていない。つまり空虚だ。やはり完璧な文章など存在しない、完璧な絶望が存在しないように。 
 
もはや彼の本は文字を追うのではなくて、村上春樹の雰囲気を味わうことが目的になったのかもしれない。村上春樹的にいえば、僕らは本を読んでいる時点で形而上学的な文字を追っているのではなくて、そこにあるものを感じているだけ。つまりは読者の中には村上春樹はすでに存在せずに、メタファーとしての村上春樹だけが(村上春樹的なものだけが)存在するってことなんだろう。
 
やはり完璧な文章など存在しない、完璧な絶望が存在しないように。 
広告

Written by shunsuke

2008年8月22日 @ 1:20 AM

カテゴリー:

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。