人に学びて、自然とともに生きる

Never stop exploring, Keep your curiosity fresh

Archive for 5月 2009

南寧でのミッションについて考えてみた

leave a comment »

南寧行きを控えてぼちぼち向こうでのミッションに向けて準備を始めました。書いておかないと忘れてしまうので、向こうに行ってから初心を忘れないためにも書きとめておこうと思います。
 
①経営安定かつ事業の将来に道筋をつける
 
僕が行くことになる会社はある程度現状は安定しているのだけれど、発展戦略が見えてこなくなっている。同業他社頼みのところもあるのだけれど、一番大きなミッションは収益向上に加え会社の将来のビジョンを示して実行に移すこと。具体的には森林認証材による高付加価値製品の開発、もしくは川下の加工段階までの出資といったところか。 
 
②会社にも地域にもメリットのあることを事業の枠組みでつくりだす
 
土地を資本としている企業として、その土地に暮らす人々との良好な関係なしでは安定した事業継続は不可能。だからこそ、彼らの土地で得た利益はその土地の人々と共有すべきと思ってる。難しいことはわかっているけど、既存の事業枠にとらわれずビジネスの一環としてその土地に暮らす人たちにこれまでになかった選択肢を提供したい。
 
③ODA(草の根無償、JICA)を活用してワクワクできそうな地域貢献活動を継続的に行う
 
広西チワン族自治区に進出している数少ない日系企業、かつ農村に対してダイレクトに接している企業として地域と日本とをつなぐ役割を担いたい。むしろ個人的にはそれが責任だと思ってる。具体的に今考えられるのは事業対象地域での教育支援や農林業技術支援、日本語を学んでいる中国人学生への支援あたりか。それらをNGOや協力隊員と連携しながら産官連携という形で継続的に行いたい。
 
④事業での経験を研究にフィードバックする
 
個人的なミッションになるのだけど、運よく科研費プロジェクトに加えてもらえることになったので、事業での経験を中国の農村と農民にとって少しでも役立つような研究として残したい。実際の経験を多くの人と共有することで新しい化学反応が生まれるはず。やっぱり、学問は現実の問題に対して解決策を導くために存在しないといけないと思ってる。
 
今日、科研の研究会に出たあとこんなことを終電の中で考えていました。研究会では久しぶりに頭を使ったらひどく疲れた。もっと勉強しないと。
広告

Written by shunsuke

2009年5月31日 at 2:10 AM

赴任までのTO-DOリスト

leave a comment »

7月の出発まで一か月とちょっと。健康診断や引っ越し準備やらでいよいよ出発モードになってきた。きっと一か月なんてあっという間に経ってしまうんだろうな。ということで、やり忘れることがないようにここらでTO-DOリストをつくってみた。まずは遊び編。
 
・草津温泉旅行
・房総半島チャリンコ一周
・富士山登山
・「花と兵隊」試写会鑑賞@京橋
・ミュージカル「李香蘭」観賞@浜松町
・日野皓正ライブ@モーションブルー
 
やっぱり草津は中国行く前に行っておきたいし、富士山は夏には欠かせない。で、前々から計画していた房総半島は一周したい。っていうか、絶対一周する。と、気がついたらMっ気たっぷりな計画になってしまった。
 
体動かさないところでは、友人の第一回監督作品「花と兵隊」は見逃せないし、中国行くのに「李香蘭」はやっぱり必須。で、日野皓正はタダで招待券が手に入った。
 
やばい、引っ越し準備とか考えるとこれはきっと時間がない。また多分出発前夜は徹夜とかになっちゃうんだろうな。

Written by shunsuke

2009年5月28日 at 10:56 PM

7月から中国へ行ってきます

with 2 comments

7月の上旬から中国に行くことになりました。
 
行き先は広西チワン族自治区の南寧、広東省と雲南省の間、ベトナムとの国境まで150kmくらいのところ。近くにはちなみに仕事先の日本人は僕のみ、南寧に住んでいるのは駐在員家族も含めて20人足らず。そんなところで木を育ててきます。
 
できれば中国はもう卒業で…とは言っていたけど、結局もうしばらく付き合うことに。付き合うからには中国の農村で農林業の可能性をとことんつきつめてきます。
 
向こうでは日本人とほとんど接しない生活。かなり寂しがっていると思うので、桂林観光かベトナム観光を兼ねてぜひお立ち寄り下さい。手ぐすね引いて待ってます。

Written by shunsuke

2009年5月26日 at 12:31 AM

カテゴリー: 南寧での生活

ペルー&ボリビア旅行 Index

leave a comment »

ペルー&ボリビア旅行:2009年4月25日~5月7日
 
■地図
 
 
■旅程
4/25 NH6 東京(NRT)17:10 → LAX 11:10
        AA252 LAX 14:30 → マイアミ(MIA)22:15
    LA2511 マイアミ 23:55 → リマ(RIM)4:35(+1day)
4/26 LA19 リマ 7:40 → クスコ(CUZ)08:55 → マチュピチュ
4/27 マチュピチュ → オリャンタイタンボ
4/28 オリャンタイタンボ → クスコ
4/29 クスコ → プーノ
4/30 チチカカ湖観光
5/1 プーノ → ラパス →(車中泊)
5/2 → ウユニ
5/3 ウユニ →(車中泊)
5/4 → ラパス → ワイナポトシ登山
5/5 LA2566 ラパス(LPZ) 21:55 → リマ 22:50
5/6 LA600 リマ 1:05 → LAX 7:40
      NH05 LAX 12:55 → 東京 16:25(+1day)
 
■日記
 

Written by shunsuke

2009年5月26日 at 12:30 AM

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

キーンベック病体験記(4)手術と術後の経過

with 9 comments

■手術と術後の経過(2008年5月~2009年5月)

2008年5月14日手術の日。この日朝一番で病院へ行き入院をして手術を迎える。麻酔は部分麻酔。手術している場所が見られないように、ちょうど右肩のあたりに幕みたいなものが取り付けられオペ開始。

手術は二段階、まず右手首の月状骨を圧迫していた橈骨を、テトリスみたいに楔状に真っ二つに切り取って短くする。そうすることによって手首への圧力を和らげると同時に、次に取り除いた骨の部分を壊死が進んだ月状骨に移植する。生きている骨を移植させることで、すこしでも壊死部分を活性化させるためだ。

まず第一段階でかなりビビる。骨を真っ二つにするといってももちろん部分麻酔だから僕は意識があるわけで、はっきりした意識の中ガリガリッと骨を切る音を聞かされるのはたまったものじゃない。

結局骨を切ってボルトでつなげる第一段階で二時間ちょっと経過。そして骨を手首に移植する段階になって、メスで開いた時先生は思わず一言。「ありゃりゃ、これは思ったよりつぶれているねえ、まあ何とかなるでしょ」…えっ?先生、聞こえてるんだから人ごとみたいに軽く言わないでよ…頼むよ。一気に不安になってきた。

するとしばらくしてなんか様子がおかしい。右手が痛むんだ。手術開始から3時間半ほど、どうやら麻酔が切れてきたらしい。必死に痛みを訴え麻酔を追加してもらうが、痛みはひどくなるばかり。最後の縫合の時なんて、針が皮膚を縫っていくのが見なくてもよくわかった。結局4時間ちょっとかかり無事終了。

その後5日間入院し、退院後はすぐに仕事復帰。1ヶ月半ギプスをして3ヶ月は体重をかけられなかった。骨を真っ二つに切るって骨折と違ってなかなかくっつかないらしい。

2008年7月:東京に異動。名古屋の中日病院から紹介してもらい豊洲の昭和大学付属病院に通う。

2008年9月:術後4か月が経過し固定もとれリハビリを始める。最初はほとんど手首が動かなくて動かそうとすると激しい痛みがあったが、毎日かかさず10分程度可動域を広げ握力を回復させるトレーニングを行う。この前に富士山登山とダイビングに行ったのは今思うと無謀だった。手に体重掛けたらつぶれて台無しになっていたかもしれない。

2008年10月:術後5か月経ってようやく切断した骨がくっつき始める。当初の予想よりも骨のつきはちょっと遅かったみたい。ただ、移植した月状骨の経過は良好だった。4か月このころになると手術前にあったような痛みはほとんどなくなっていた。

下の写真は術後5ヶ月目の写真。プレートがついている切断部分の骨がくっつきはじめ、以前はつぶれていた赤い部分に移植した白い骨が同化しているのがわかる。

違う角度からのレントゲン。くっつき始めたとはいえ、切断した部分はまだまだ全然埋まっていない。

2008年11月:恐る恐る腕立て伏せをしてみる。風呂に入って温めてからだとほとんど痛みもなく3年ぶりに腕立て伏せができた。10回もできなかったのにびっくり。すっかり衰えちゃったなあ。

2009年3月:ふとしたきっかけで逆立ちをする。風呂で温めていなくてもほとんど痛みがなく、逆立ちができたことに感動。手術してよかったなあ。この月、1年ぶりに自転車にも乗る(その後2009年6月には自転車で房総半島一周!)。

2009年4月:4年ぶりにまともに野球をやる。さすがに心配だったけど久し振りに打球を打った感触はたまらなかった。

2009年5月現在、術後一年経って思うのは術後のリハビリ次第でどうにでもなるんだなあということ。もちろん傷める前と比べたらまだ引っかかる感じは残っているし、可動域も狭い。

でも、以前と同様とはいかないまでもたった一年で腕立ても逆立ちもできるまで、そして一度は「もう一生できないでしょう」と言われた野球ができるまで回復したのは本当にうれしい。人生辛いことが続いても、それを乗り越えたら希望が見えてくるもんなんだね。がんばってよかったと心からそう思うよ。

キーンベック病体験記(5)プレートとボルトの除去 へ続く

Written by shunsuke

2009年5月26日 at 12:20 AM

カテゴリー: キーンベック病

キーンベック病体験記(3)痛みの悪化と手術の決断

with one comment

■痛みの悪化と手術の決断(2007年12月~2008年5月)
 
2007年12月:右ひじの痛みとともに痛みがひどくなり、春日井市内の整形外科に行く。4軒ほど回った後、キーンベック病の疑いありと判断され名古屋市内にある中日病医の手の外科を紹介される。
 
2008年2月:中日病院の手の外科にて中村蓼吾先生初診。レントゲン、CTにより右手首の月状骨が圧迫されて壊死しているのが確認されキーンベック病ステージ3と診断される。「元通りにはならないねえ、もっと早く来ていれば違ったんだろうけど」との言葉にショックを受ける。その時のレントゲン写真↓手と腕をつなぐ部分の骨がつぶれて変形しているのがわかる。
 
 
こちら拡大編。きれいな骨の形の左手。
 
 
こちらが問題の右手。赤で囲った場所が左手と違ってつぶれてしまって、周りの骨とともに変形してしまっているのがわかる。
 
 
2008年3月:三度目の診察で手術を決断。迷いはまったくなかった。現状が少しでもよくなるなら手術をしようとすぐに決断できた。やっぱりずっと運動はしていたいから。先生の「リハビリ次第では80%くらいまでには戻るよ」との言葉に勇気をもらう。この時のCTスキャン画像↓壊死が進んでいる部分が血が通っていないため黒く映っているのがわかる。
 
 
2008年5月14日:中日病院にて中村蓼吾先生の執刀により右手の橈骨楔状骨切り術および、月状骨への移植手術を実施。5日間入院ののちに退院する。
 
ここまでを振り返ってみて僕の失敗は、最初の段階で腱鞘炎と診断され自分でもしばらくすれば痛みはとれると勝手に判断して放置していたこと。最初からもっといろいろ整形外科を回っていれば早期発見できてもう少し早い段階で処置ができたかもしれない。独断はいけないね。
 

Written by shunsuke

2009年5月25日 at 11:10 PM

カテゴリー: キーンベック病

キーンベック病体験記(2)手首の痛みの発症と初期治療

leave a comment »

■手首の痛みの発症と初期治療(2006年4月~2007年12月)
 
2006年4月:社会人となり研修にて北海道に赴任したとたん右手首が痛み出す。最初は重たい感じだったが、だんだんひっかかる感じがひどくなっていく。次第に動かすだけで痛くなってマウスのクリックもできなってしまった。それと同時にひじも痛くなり手首の真ん中が引っかかる感じも出てくる。
 
2006年5月:痛みがひどくなったため整形外科にいくが、腱鞘炎と診断されひと月ギプスをする。なんで腱鞘炎になったんですか?と医者に聞いたら「研修で字を書きすぎたんじゃない?」なんて答えだったっけ。今思えばこの時は軽く考えていたなあ。
 
2006年6月:ギプス固定で痛みは和らいだが、かなり手首が固くなり動きが制限される。右手を地面につくと相当な痛みが走るが固くなったせいか、炎症のせいか判断できず。
 
2006年7月:異動で名古屋に引っ越す。名古屋では通院しないが、ギプスで固定したため可動域が狭くなったと判断し、風呂で温めて可動域を広げるリハビリを毎日続ける。
 
2006年10月:久し振りに野球をするが、ボールを投げられず。軟式でも打ったとたん右手首がしびれるような痛みが走る。これは痛かった。
 
その後、しばらく痛みは沈静化したため放置、風呂でのマッサージとリハビリは継続する。
 

Written by shunsuke

2009年5月25日 at 10:51 PM

カテゴリー: キーンベック病