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Archive for 7月 2010

四川大地震被災地訪問:北川編

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前回エントリ: 四川大地震被災地訪問:汶川編

四川大地震の復興地訪問二日目、この日は震源地から北東に100kmほどいったところにある北川を訪れる。まずは成都から高速に乗り北東150kmにある綿陽に向かう。そして綿陽から安県を経て北川を目指す。

前日に訪れた汶川は、都江堰を過ぎたとたんに急に険しい谷になったけれど、ここはまた地形が全然違って緩やかな傾斜の山が徐々に増えていくような感じ。途中には仮設住宅もちらほら見えた。

北川の県城に近づくにつれて次第に山肌にがけ崩れの跡が目立つようになってくる。このあたりは汶川と違って標高1,000m以下な上に降水量もかなり多いので、かなり植生が濃い。岩だらけの山だった汶川とは大違いだ。そんな植生が濃いところでも二年後にこれだけ山が崩れた跡が目立つのだから、地震発生時はさぞかしものすごいようすだったんだろう。

成都から3時間ほどで北川県城に到着。ここ北川チャン族自治県の県城は四方を山に囲まれた場所に築かれていて、地震の発生により建物が倒壊し、がけ崩れとあいまって甚大な被害をこうむった。それに加え2008年の9月の大雨で土石流が発生し、復興が不可能なほどの被害となった。そこでこの県城を遺跡として残し、生き残った住民も全員新しく建設する新県城に移住することになった。それゆえ県城のそばの小高い山の中腹から眺めると、被害地がそのままの姿で残されているのを見ることができる。被害地をゼロから建設しなおした汶川とは対照的だ。

200mmの望遠で見てみるとこんな感じ。こんにゃくのようにねじれた北川大酒店、ぺちゃんこになった道路沿いの建物。2年ちょっとが経った今でも地震のすさまじい傷跡が伝わってくる。これには言葉を失った。

草が覆い茂っているところには小学校が建っていた。地震で建物が崩れた上、山から土砂が崩れてきて今でも多くの遺体が土の中に眠っている。そんな場所でも2年も経てば跡形もないように草が生え、10年も経てば木が多い茂る。自然はあくまで自然に忠実だ。

岩と土砂の下には中学校があった。ここにも多くの遺体が眠っているとのこと。ビルの三階分くらいある岩の大きさがよくわかる。

この姿をこのまま残しておくことにはいろいろ議論があると思う。少なくとも政府の鶴の一声で決まる中国だからこそ可能だったことは間違いない。

山の中腹は被害地を見下ろすスポットになっていて、ふもとから山の中腹まで観光地のようにずらりとみやげ物やが並んでいる。いや、これは観光地のようではなくて、観光地そのものだ。

そして、こんな写真も売られていた。地震前の北川。

地震後の北川。どこで何人亡くなったかの解説付き。10元なり。

話によると、この北川の旧県城を今後もこのまま残して博物館にしてロープウェーもつくるらしい。そうしたら多くの観光客がやってきて入場料を払っていくのだろう。確かに地元にお金は落ちるのかもしれない。ただ、この地で先祖代々暮らしてきて、地震で多くの家族、親戚を亡くした人たちはそれをどう感じるのか。このように公開されているからこそ、まったくの部外者である僕もこうやって被災地のようすを見ることができるわけで、こんなことを言う権利はないのかもしれない。でも少なくとも僕だったら、一生忘れられないような思いをした場所が、自分の家族が土の中に埋まっている場所が見せものになって心張り裂ける思いになるだろう。他人の気持ちや尊厳に敬意を払わない中国人、ここまできたか。

「北川の劇的Before and after写真、10元10元、買わない?」そんなことを考えながら廃墟を眺めていたら、みやげ物を売っていたおばあちゃんに現実に引き戻された。話してみると、県城から少し離れたところの地元出身だったので、この県城を遺跡として見世物にすることについて聞いてみた。「もちろん地震で家がつぶれちゃったけど私のように県城に住んでいなかった人間は仮設住宅にも入れなかったし、何にも補助がもらえなかった。だから自力で家を建て直して今はこうしてみやげ物売ってお金稼いでる。息子が県城死んだけど、そんなことを嘆いているヒマなんてない。なにせお金稼ぐチャンスだしね」

自分の息子の死んだ場所を目の前にしてお金を稼いでる、やっぱりたくましい。そしてメンタリティが日本人のそれとは違う気がする。よくよくいろんな人に聞いてみると、この被災地観光地化にはかなり反対の声もあるらしい。それを聞いて少しほっとした。そして、最後にこの見晴台の入り口に立てられていたメッセージが印象的だった。北川県城で生き残った人からのメッセージ、「北川で亡くなった人たち安寧を祈り、生き残った人間が安心して暮らしていくことが一番大切なんだ」感情のこもったこの文章を読んでなんか胸のつっかえが少し取れた気がした。

でもこのような旧県城を遺跡化することをすすめる文章が大々的に掲げられているということは、それに反対する声があるということであろうし、被災地を掘り返して物を盗ったりするのはチャン族の恥だ!と書いてあるということは、そういうことが横行しているということなんだと思う。一番いいのは実際に北川県城に住んでいた人たち自身の手で、自分たちが住んでいた町をどうするかどうかを決めることができればいいんだろうけどね。

帰り道、ちょうど今建設中の新しい北川県城が見えた。原っぱに160億元の金をかけて一つの街をゼロからつくっている、実写版シムシティだ。

汶川は広東省だったけど、ここ北川は山東省が支援をしているとのことで、いたるところで「山東」の名前が見えた。それにしてもこのクレーンの数、ものすごい。

このあと、謎の遺跡、三星堆遺跡に寄って成都に戻る(次回に続く)。

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Written by shunsuke

2010年7月18日 at 3:16 AM

カテゴリー: 旅行

四川大地震被災地訪問:汶川編

with 2 comments

「地震で山がひとつなくなったところもある。2年以上経った今でも何百人、何千人って人が土砂の中に埋まっているんだよ」6月に成都に行った際に会った友人からそんな話を聞いた。以前にも四川の涼山州で林業関連の仕事に従事していた彼は、今年の3月から2008年に起きた四川大地震の被害地での植生回復の仕事に携わっている。
 
今回、そんな彼の好意に甘えて先週末に地震から2年と2ヶ月経った現地、汶川と北川を訪れてきた。木曜の夜遅くに成都入りし、金曜の朝一番で出発してまずは震源地汶川に向かう。車の中で熟睡の同行者とこの夏大学を卒業したばかりの通訳スタッフ。
 
 
成都から都江堰を過ぎてしばらく行くと、急に盆地が終わって山が迫ってきた。そしてその山のトンネルをくぐった先にはダムが待ち構えていて、ここですでに地震の爪あとの土砂崩れ跡を見ることができた。この標高500mちょっとの四川盆地から1,300mほどの汶川までずっと山道が続く。いやいや、ここはもうチベット高原の入り口でもあるのでここからずっとチベットまで山が連なっているのだ。ちょうど中央高速を東京から山梨方面に進んでいって八王子インターを過ぎたあたりのようなかんじ。
 
 
ここから先は岷江(ミンジァン)の流れが作り出した谷に沿って道を進んでいく。両側に迫る山肌にはほとんど岩肌がむき出しのところが多く、雨季の今はいたるところでがけ崩れが起こっていた。もともと道も対岸を走っていて、以前の道はこの土砂の下に埋まったままだそうだ。
 
 
とても気になったのが、地震で崩れた家を見世物用にそのまま残していること。地震の教訓を忘れないためか、観光用としてなのかわからないけれど、このメンタリティは日本にはない。翌日に行った北川でも感じたけれど、この家で親しい人が亡くなったりした人にとっては複雑な気分なんじゃないかな。
 
 
もちろん橋も保存されている。こんなものをほうっておくわけがない。これは明らかに観光用だなあ。
 
 
成都から二時間半ほどで汶川の街に到着。これまでの道の途中とはうってかわって、ここには何も残されていない。本当に2年ちょっと前にここで町が壊滅するような地震があったの?と疑いたくなってしまうくらい。沿海地区の各省と直轄市がそれぞれの地区のGDPの1%を地震の被災地域に復興援助として資金を供出しているらしい。都江堰は上海市が、そしてここ汶川は広東省が資金を出して、2年ちょっとの間に廃墟がまったく新しい街に生まれ変わったというわけだ。
 
 
街の目抜きどおりもちょっとチベット風に整備されている。
 
 
こんな博物館も。この赤の使い方を見て思わず京都伏見の鳥居を思い出した。
 
 
極めつけはこの小学校。まったくどこかのホテルかと思ったよ。今年あった青海の地震の際にも地震発生後一週間以内で電気、水道のライフラインが開通したとのニュースを聞いて中国の底力に驚いたけど、この復興のスピードはほんとにびっくりだ。そして改めて思う。この国に日本の税金を使って援助をする意味があるのかと。外交のカードとして意義があるとの主張も、ここまで中国が経済力をつけるともはや説得力がない気がする。この話についてはそのうちいつか改めて書いてみたい。
 
 
ま、あまり考えても仕方ないのでおいしいものでも食べようか、ということでおいしそうな食堂に寄りタンタンメンと刀削面をいただく。これが、四川らしく山椒のたっぷりきいた味であっという間に平らげてしまった。四川料理、やっぱり大好きだ。
 
 
おなかを満たしたあとお店のおばあちゃんと話をする。おばあちゃんは70歳、この食堂を家族、親戚と一緒に切り盛りして20年近くになる。地震の際にも店を営業していて、運よく家がつぶれなかったらしい。なので補強工事を少しして今でも建物をそのまま使っているとのこと。「そんでも親戚はたーくさん死んじまったよ。その分わたしゃ長生きするよ」ばあちゃんならきっと100歳くらいまで生きるよ。
 
 
ここ汶川は羌(チアン)族が結構住んでいる。掃除のおばちゃんも民族衣装だった。
 
 
このあと友人の仕事のカウンターパートである汶川県の林業局と酒を飲む羽目になり、飲んだらセーブするのも申し訳ないので帰りの車は熟睡だった。あとからきいたところでは震源地にも寄ったらしいのにまったく覚えていない。残念。明日は別の被災地、北川。汶川とは対照的な光景が待っていた。

Written by shunsuke

2010年7月16日 at 2:26 AM

カテゴリー: 旅行

7/24-8/3 一時帰国

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7月24日から8月3日まで一時帰国します。
久しぶりの日本食と温泉、富士山が楽しみ楽しみ。
基本的に東京滞在なので時間のある方ご飯食べに行きましょう。

Written by shunsuke

2010年7月8日 at 7:40 AM

DAY4: 成都でかつ丼を食べる

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朝5時30分、昨夜のワールドカップ対カメルーン戦の余韻も冷めやらぬ中、一日一本の西寧行きのバスに乗るため宿をチェックアウトしてバスターミナルへ向かう。早朝の夏河の街は空気がとても澄んでいて、高原のひんやりとした空に真っ赤に広がった朝焼けがとても印象的だった。

夏河初西寧行きのバスは座りきれないほどのチベタンとわずかの旅行者を乗せて6時10分に出発。見渡す限り草原と山が広がる絵に描いたような高原地帯を西に向かってひたすら走る。そんな風景に見とれながら2時間ほど走ったところで急にバスが止まった。どうやらパンクしたようで、ドライバーがバスの下に潜り込んでタイヤ交換を始めた。他の乗客たちと一緒にバスを降りてゆっくり景色を眺める。

それにしても中国をはじめ途上国の長距離バスやトラックのドライバーは多少の故障なら自分でいろいろいじってすぐに直してしまうのはすごい。こんなところでJAFなんて呼べるわけないので当然なんだろうけど。大変そうなバスのタイヤ交換も10分足らずで終わってしまった。

3,000m近い夏河から2,300mの西寧まで次第に下っていくと、突然真っ黄色の景色が一面に広がった。菜の花畑だ。それもこれでもかというくらい豪快に広がっている。

西寧には定刻通り12時30分に到着。青海省の省都だけあって大都会、なんだけどその中にも袈裟を着た坊さんが歩いていたり、チュパを着たチベタンがいたり風情を感じる街だ。ここに来るのも9年ぶり、前回は屋台で食べた刀削面が感動するくらいおいしかったなあ。

ここまで来たからには、うまかった西寧の麺をもう一度食べたい!ということで道行く人に尋ねて、西寧で一番人気との「牛肉面大王」にたどりつく。昼時ということもあり、店は満員。バックパックを背負った姿で入るのを一瞬ためらうもののすぐに気を取り直して、店の定番牛肉面をオーダーする。これが噂どおりの絶品。店の中で打っている麺はコシがあるだけでなく、噛めば噛むほどうまみが出てきて、スープと牛肉とのコンビネーションも抜群。まず小麦の味が全然違う。さすがシルクロード、ここはもう小麦の世界なんだなあ。コメの世界の広西では絶対に食べられない味だ。

牛肉面で満ち足りた後は空港に向かい成都行きの飛行機に乗る。今回成都経由にしたのは3月から成都にやってきた友人に会いに行くのと、成都でかつ丼を食べるため。北京にも上海にもない「とんかつ和幸」がここ成都の伊勢丹にはあるのだ。さっそく成都の伊勢丹の7回に向かうと懐かしいのれんが見えてきた。

店内、そしてメニューは日本のそれとまったく同じ。ごはんとみそ汁、キャベツもおかわり自由。日本人スタッフもいてほかの中国人スタッフも日本語対応ができる人をそろえている。肝心のかつ丼は期待通りのおいしさ、幸せだー米も日本で食べるようなもっちりとした味で中国で食べている気がしないよー。ひさしぶりのしじみのみそ汁がたまらなくおいしくて2杯もおかわりしてしまった。それにしてもなぜ北京でも上海でもなく、日本人が1,00人くらいしかいない成都だったんだろう。

成都には一泊して以前北京でインターンしていた時の知人と6年ぶりに会うなど、懐かしい面々と会うことができリフレッシュできた時間だった。中国在住のみなさん、とんかつ食べたくなったら成都ですよ。

Written by shunsuke

2010年7月7日 at 6:04 AM

カテゴリー: 旅行

DAY3: ラプラン寺で考えた

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11時まで寝てしまった前日の反省を踏まえてばっちり朝6時に目が覚める。あさもやの中を外に出て大タンカ台のほうに歩いて行くと、昨日とうってかわって真っ青なにゴンパの茶色がよく映える最高の天気。そうだよ、こんな青空が見たくてここに来たんだよ。

 

 

街のはずれにあるタンカ台の丘に登って朝日を浴びるラプラン寺を眺める。こうして全景を見てみるとあらためて寺がでかい。街の半分は寺だ。

 

 

中心部を拡大するとこんな感じ。昨日会ったゲシェは朝8時から説法を始めると言っていたので、もう今頃は寺の中で坊さんたちが説法を聞いているんだろう。

 

 

そんなことを考えてながら寺を眺めていたら、坊さんが丘をてくてくと登ってきた。若いのできっと説法を抜け出してサボりに来たのか。やっぱりどこにでもいるんだなあ。青い空に緑の草と赤い袈裟が見事な組み合わせ。
 
 
丘の上でぼーっとしていたら昨日の二人組が草原に行くとのこと。天気がいいので僕も行くことに。丘を降りて境内の中を歩いていくと豚が日向ぼっこをしていた。こんな天気のいい日は豚も気持よさそうだ。どうせもうすぐしたら食べられてしまうんだろうけど。
 
 
標高3,000mの日差しは思ったよりも強烈。水を売っていたおばちゃんもパラソルと帽子で完全装備だ。
 
 
車で20分ほどいくと、こんな感じの草原が広がっている。
 

 
草原には何か所か乗馬向けの馬が飼育されていて30元くらいで乗ることができる。「馬乗ろうぜ、馬。草原きたら馬だよ」なんかすっごい素朴な兄ちゃんにすすめられてついつい草原で馬に乗ってしまった。この素朴さで稼いでいるんだろうなー
 
 
草原から夏河の街に戻り、郎木寺へ向かう二人組を見送ると急におなかがすいてきたので、メイン通りでやたら人でにぎわっている回族料理屋に入る。そこで牛肉炒面を食べるとこれが大当たり。ちょっぴり辛めの香ばしいソースで炒められたシコシコの麺とヤク肉が最高においしかった。そうなんだよ、この小麦の味、これは南では食べられないんだよなあ。
 
 
「おい、ちょっとこっちきて座んなよ」一人で黙々と食べていたらチベタンに声をかけられた。彼は家族で青海省からラプラン寺に巡礼に来たとのこと。チベタン相手にはあまり中国語は好まれないので、カタコトのアムド方言と英語で話していたら、向こうから普通語を使ってきた。10年前はほとんど普通語は通じなかった記憶があるんだけど、今ではみんな話すことができるし聞くのも問題ない人が多いなあ。今でも日常会話はみんなチベット語だけれど、これだけテレビが普及したら当たり前か。
 
 
食後、彼と一緒にラプラン寺にコルラに出かける。チベット寺にはどこにもこうしたマニ車が寺の周囲に作られていて、巡礼に来た人々はこれを回しながら時計回りにぐるぐると回る。ここラプラン寺はチベット仏教の最大宗派ゲルク派の六大僧院の一つ。そんな聖地なので、もちろんここに巡礼に来る人は後を絶たない。マニ車はそんな巡礼者の手によって握られている部分が真っ黒になっている。
 
 
ラプラン寺はおよそ一周3.5kmほど。巡礼者たちだけじゃなくて、地元の人も時間を見つけてはコルラをしていて散歩コースのような雰囲気。
 
 
巡礼路のあちらこちらに「昔誰々が何かをした」といったスポットがあって、みんなそこの場所にくると頭をくっつけて祈る。毎日毎日頭をこすりつけられている場所はマニ車同様真っ黒になっている。
 
 
そんなコルラを終え夕暮れのラプラン寺を見ようと再びタンカ台にやってきたら二人組の坊さんと仲良くなった。彼の名はジュメ、四川のゾルゲから3カ月ほど勉強のためここにきているとのこと。多くの活仏、ゲシェがいるラプラン寺には各地から彼のような僧が集まってきていて数カ月滞在して勉強していく。そしてそれを地元の寺に持ち帰って広めていくそうだ。
 
彼が今研究しているのは仏教哲学とチベット医学。地元では寺が医療施設も兼ねていることもあり、簡単な病気は薬草を煎じて地元の人に提供するらしい。「村のために人が集まる、そんな寺にしたいんだよね」ときらきらした目で語ってくれたのが印象的だった。ジュメ、いろいろ教えてくれてありがとう。寺に戻ったら遊びにいくよ。
 
 
そんな夏河滞在最後の夕方、コルラの道筋で中国人観光客が正面からカメラを巡礼者に向けて無遠慮にパシャパシャ撮っていた。あーあ、見たくないものを見てしまった。動物園じゃないんだから、撮られる側の気持ちも考えようよ。相手は豚や牛じゃなくて人間なんだよ。
 
たとえば写真を撮られることが魂を抜かれることと同義な人もいるのかもしれない。信仰の場を他人に写真を撮られるのは信仰を汚されたと考える人がいるかもしれない。そういうことを想像しようよ。彼らの生活の場、信仰の場に相手の文化への敬意を持たずにずけずけと踏み込むから嫌われるんだよ、暴動が起きるんだよ。僕はチベタンでもないいち日本人だけど、この光景を見てあまりに腹が立ったので、そんな中国人オヤジの写真を至近距離で撮って言いたい放題文句言ってやった。自分は無遠慮に撮りまくっているくせに僕が彼を撮ったら怒り出す彼。
 
中国人、特に漢民族のみなさん、相手の文化に敬意を持って接しようね。こういう行為は恥以外の何物でもないよ。
 
 
少し歩いて冷静になって考えてみると、僕が撮っている写真も大して変わらないことに気がついた。もちろんすべて相手に撮っていいと確認してから撮っているんだけど、結局のところ自己満足であって彼の行為と大して変わらないんじゃないか。もしかしたら僕がこれまでとってきた行為も知らず知らずのうち、相手に不快な思いをさせていたこともあったのかもしれないんじゃないか。そんなことを考えたらカメラを取り出す気がなくなってしまった一日だった。

Written by shunsuke

2010年7月1日 at 2:09 AM

カテゴリー: 旅行