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四川大地震被災地訪問:北川編

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前回エントリ: 四川大地震被災地訪問:汶川編

四川大地震の復興地訪問二日目、この日は震源地から北東に100kmほどいったところにある北川を訪れる。まずは成都から高速に乗り北東150kmにある綿陽に向かう。そして綿陽から安県を経て北川を目指す。

前日に訪れた汶川は、都江堰を過ぎたとたんに急に険しい谷になったけれど、ここはまた地形が全然違って緩やかな傾斜の山が徐々に増えていくような感じ。途中には仮設住宅もちらほら見えた。

北川の県城に近づくにつれて次第に山肌にがけ崩れの跡が目立つようになってくる。このあたりは汶川と違って標高1,000m以下な上に降水量もかなり多いので、かなり植生が濃い。岩だらけの山だった汶川とは大違いだ。そんな植生が濃いところでも二年後にこれだけ山が崩れた跡が目立つのだから、地震発生時はさぞかしものすごいようすだったんだろう。

成都から3時間ほどで北川県城に到着。ここ北川チャン族自治県の県城は四方を山に囲まれた場所に築かれていて、地震の発生により建物が倒壊し、がけ崩れとあいまって甚大な被害をこうむった。それに加え2008年の9月の大雨で土石流が発生し、復興が不可能なほどの被害となった。そこでこの県城を遺跡として残し、生き残った住民も全員新しく建設する新県城に移住することになった。それゆえ県城のそばの小高い山の中腹から眺めると、被害地がそのままの姿で残されているのを見ることができる。被害地をゼロから建設しなおした汶川とは対照的だ。

200mmの望遠で見てみるとこんな感じ。こんにゃくのようにねじれた北川大酒店、ぺちゃんこになった道路沿いの建物。2年ちょっとが経った今でも地震のすさまじい傷跡が伝わってくる。これには言葉を失った。

草が覆い茂っているところには小学校が建っていた。地震で建物が崩れた上、山から土砂が崩れてきて今でも多くの遺体が土の中に眠っている。そんな場所でも2年も経てば跡形もないように草が生え、10年も経てば木が多い茂る。自然はあくまで自然に忠実だ。

岩と土砂の下には中学校があった。ここにも多くの遺体が眠っているとのこと。ビルの三階分くらいある岩の大きさがよくわかる。

この姿をこのまま残しておくことにはいろいろ議論があると思う。少なくとも政府の鶴の一声で決まる中国だからこそ可能だったことは間違いない。

山の中腹は被害地を見下ろすスポットになっていて、ふもとから山の中腹まで観光地のようにずらりとみやげ物やが並んでいる。いや、これは観光地のようではなくて、観光地そのものだ。

そして、こんな写真も売られていた。地震前の北川。

地震後の北川。どこで何人亡くなったかの解説付き。10元なり。

話によると、この北川の旧県城を今後もこのまま残して博物館にしてロープウェーもつくるらしい。そうしたら多くの観光客がやってきて入場料を払っていくのだろう。確かに地元にお金は落ちるのかもしれない。ただ、この地で先祖代々暮らしてきて、地震で多くの家族、親戚を亡くした人たちはそれをどう感じるのか。このように公開されているからこそ、まったくの部外者である僕もこうやって被災地のようすを見ることができるわけで、こんなことを言う権利はないのかもしれない。でも少なくとも僕だったら、一生忘れられないような思いをした場所が、自分の家族が土の中に埋まっている場所が見せものになって心張り裂ける思いになるだろう。他人の気持ちや尊厳に敬意を払わない中国人、ここまできたか。

「北川の劇的Before and after写真、10元10元、買わない?」そんなことを考えながら廃墟を眺めていたら、みやげ物を売っていたおばあちゃんに現実に引き戻された。話してみると、県城から少し離れたところの地元出身だったので、この県城を遺跡として見世物にすることについて聞いてみた。「もちろん地震で家がつぶれちゃったけど私のように県城に住んでいなかった人間は仮設住宅にも入れなかったし、何にも補助がもらえなかった。だから自力で家を建て直して今はこうしてみやげ物売ってお金稼いでる。息子が県城死んだけど、そんなことを嘆いているヒマなんてない。なにせお金稼ぐチャンスだしね」

自分の息子の死んだ場所を目の前にしてお金を稼いでる、やっぱりたくましい。そしてメンタリティが日本人のそれとは違う気がする。よくよくいろんな人に聞いてみると、この被災地観光地化にはかなり反対の声もあるらしい。それを聞いて少しほっとした。そして、最後にこの見晴台の入り口に立てられていたメッセージが印象的だった。北川県城で生き残った人からのメッセージ、「北川で亡くなった人たち安寧を祈り、生き残った人間が安心して暮らしていくことが一番大切なんだ」感情のこもったこの文章を読んでなんか胸のつっかえが少し取れた気がした。

でもこのような旧県城を遺跡化することをすすめる文章が大々的に掲げられているということは、それに反対する声があるということであろうし、被災地を掘り返して物を盗ったりするのはチャン族の恥だ!と書いてあるということは、そういうことが横行しているということなんだと思う。一番いいのは実際に北川県城に住んでいた人たち自身の手で、自分たちが住んでいた町をどうするかどうかを決めることができればいいんだろうけどね。

帰り道、ちょうど今建設中の新しい北川県城が見えた。原っぱに160億元の金をかけて一つの街をゼロからつくっている、実写版シムシティだ。

汶川は広東省だったけど、ここ北川は山東省が支援をしているとのことで、いたるところで「山東」の名前が見えた。それにしてもこのクレーンの数、ものすごい。

このあと、謎の遺跡、三星堆遺跡に寄って成都に戻る(次回に続く)。

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Written by shunsuke

2010年7月18日 @ 3:16 AM

カテゴリー: 旅行

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