人に学びて、自然とともに生きる

Never stop exploring, Keep your curiosity fresh

2013年3月11日の日本を想像してみた

with 7 comments

※この話はフィクションです。てきとーに読み流してください。

2013年3月11日。この日銀座4丁目の交差点に店を構える百貨店が最後の営業を終え、80年以上続いた歴史に幕を閉じた。この百貨店は2010年に海外からの観光客を意識して増床したが、それが経営を圧迫、2月に民事再生法を適用した。これで2013年に入って4件目の東証一部企業の経営破たんとなった。

日本は2011年3月11日の地震によって変わってしまった。

いや、正確な言い方をすれば地震後に発生した原発からの放射能漏れ事件と、その事件に対する日本政府の対応ですべてが変わってしまった。地震発生後に制御不能になった福島第一原発への対処に際し、政府は漏れ出した放射能の数値を公表せず、ただ「安全です!」との何の科学的根拠もない言葉を繰り返した。さらにその後国内の食品の放射能規制値を引き上げるという愚行に世界の日本政府に対する不信感はピークに達した。

原発の問題が明らかになった後、最初に行動を起こしたのは在日外国人と日本に支社を置いていた外資系企業だった。見えない放射能から真っ先に逃れようと成田空港には外国人が殺到し、欧米の日本支社は香港やシンガポールに移された。

その後、日本と外の世界との人の往来が激減した。

政府は1,000万人の訪日観光客を目指していたが、2011年3月を境に訪日客はバタリと絶え、2011年の訪日外国人数は対前年度比74%減の200万人となった。そのうち2月までに140万人が訪日済みだった。香港の大の日本好きLauさん(32)はこう語る。「これまで年に2、3回くらいディズニーシーとか遊びに行ったりしていたけど、さすがに行かないわ。日本はもちろん好きよ。スシもラーメンも大好き。でも好きなのと行くのは別。だって放射能は浴びたくないもの」

東京を極東のハブとしていたユナイテッドとデルタ、両エアラインはそれぞれ香港とソウルに極東のハブを移した。引き続きアメリカにとって日本が大事な同盟国であることは変わりない。ただ訪日客の需要がなく、乗務員の安全に影響を及ぼすような可能性のある東京をハブとしている理由はすでになかった。

日系航空会社は悲惨な状況だった。乗客客、貨物数が50%超減少する中、2011年度末に二大エアラインは国営化され統合した。従業員の給与は40%カット、高給の象徴であったパイロットの給与は50%を超えるカットとなった。

東京のホテルは軒並み休業を決めた。真っ先に休業を決めたシャングリラホテルの東京支配人はその英断によりCEOとなり、大手外資ホテルの多くは東京を撤退した。訪日客を当てにしていた観光地は壊滅的だった。

原発の原子炉は地震発生から1ヵ月後にようやく冷却に向かったが、大気中への飛び散った放射能は雨や風に乗って東北、関東各地へ飛散していき雨となって海水、河川や地下水、そして土壌へと蓄積されていった。各国は日本から輸入品に対する放射能検査をはじめ、EUでは日本からの食品輸入が全面的に禁止された。「安全です!」との防災服を着た首相の言葉にも関わらず世界各地で各国の規制値を超えた放射能が検出される日本製品に、日本ブランドの評価はがた落ちとなり、原発事件とは関係のない四国や九州でつくられた製品もMade in Japanというだけで輸入禁止となった。

この動きを受けた日本メーカーの対応は早かった。世界市場で生き残るため、各社は生産工場を他国へ移し始めた。すでにタイで主力車種の生産を始めていたある自動車メーカーは真っ先にすべての日本国内の生産拠点を閉鎖することを決定した。斬新な製品で知られる電機メーカーもアメリカ人社長が本社をシンガポールに移すことを発表した。世界各国の幹部が会議をするのに東京に行きたくないというのが最大の理由だった。10年後にはブランド名が英語のその会社を、もともとは日本企業だったと知る人すら少なくなるだろう。どちらの会社の判断も、Made in Japanというだけで製品が受け入れられない現状を考えるとしごく当然の判断だった。

日本と外の世界とのモノの往来も激減した。

“安全な日本、信頼できる日本製品”戦後長い間かけてコツコツ積み上げてきた、日本ブランドに対する信頼はあっさりと崩れ去った。

政権は地震の前に法人税を35%にする閣議決定をしていたが、そんなものは何の意味もなかった。たとえ法人税を1%にしても東京に本社を移し、日本に税金を納めようという企業はいなかった。放射能に汚染されるということは、その土地が世界の人とモノの動きから取り残されること。2011年度の法人税収入がほとんどゼロとなる見込みになった時、一年間作業着を着続けた首相は自分の「安全です!」との言葉を誰も信じていなかったことにようやく気がついた。

地震後日本から原発は消えた。各地で地元のバイオマスや自然エネルギーを利用した小規模発電が広がった。地震発生後は節電のために街の明かりは暗くなったが、今ではどの街もネオンが輝いている。日本の製造業の多くが拠点を閉鎖したため原子力発電に頼らなくても電気はまかなえるようになったのだ。ただ今更原発をなくしても、いったん放射能に汚染された土地はすぐには元通りにはならない。放射能同位体の一つストロンチウム90の半減期は30年もあるのだ。

絶望的な状況の中でも日本人は頑張り続けた。地震でひび割れた東北自動車道は2ヶ月で全面復旧し、津波で流された街は2年のうちに再建された。世界はその日本人の不屈の精神を讃え続けた。しかし、現地を取材する人間はみな拠点を閉鎖したためほとんどいなかった。それとは別に優秀な高校生は東大に行くよりもハーバードや北京大学、シンガポール国立大学に進学するようになった。もはや日本国内と世界を結ぶような仕事は圧倒的にパイが小さくなっており、グローバルに活躍するならば日本を飛び出すのが手っ取り早かった。海外に飛び出した若い才能たちが唯一の希望となった。

輸出が激減した結果、財政収支に加え貿易収支も大幅な赤字となり、日本の国債が世界中から注目されることとなった。地震後災害復興を名目として国債発行高は急増し1,000兆円を超えた。そして、昨年末から金利もじわりと上昇しつつある・・・

ということで、政府のみなさん。もうすでに遅いかもしれませんが、あまり適当な対応ばかりしていると世界から完全にそっぽ向かれますので、事実をそのまま国民、世界の皆さんに伝えてくださいね。

広告

Written by shunsuke

2011年3月27日 @ 5:38 PM

コメント / トラックバック7件

Subscribe to comments with RSS.

  1. 地震、大丈夫でしたか?地震のあと私用で義母の老家に行っていて、気になりつつも連絡できなくてごめんなさい。とりあえず、無事でよかったです。この記事、見入ってしまいました。私、日本に居るまでは、政府の人が言ってることとか、鵜呑みにしていたけど、今回は中国から見ていて、本当に大丈夫なのかこの人たちの言うこと正しい?って思っちゃいました。さすがの中国も不信感感じてるみたいです。中国には、福島原発は実は核兵器製造工場だ。だからすぐに放水できなくて原発が起きたとか、以前から何度も事故があったのにもみ消してたとか色んな情報が入ってきているようです。フランスのメディア経由みたいです。で、ご存知かもしれませんが中国は、原発後、塩不足に陥りました。放射能を塩で分解できるとかそういう変なデマが流れたようです。政府で調整があって大量に買い占めた場合は罰金するということで今は落ち着いてますけど。”日本で原発が起きると、中国で塩がなくなる。”不思議でしょうがない。
    地震も痛いけど、原発はもっと痛い。日本の被災地とか避難所の様子、時々CCTVで流れるんですが、ここが日本?って疑いたくなってしまいます。なんか、人の表情も以前とは全然違う。これから日本どうなっていくでしょうか?課題は山済みだと思いますが、一日も早く一人でも多くの人が落ち着いた生活に戻って欲しいものです。遠く離れてますが自分に今出来ること、ちゃんと考えたいです。不便なこともあるかと思いますが、体に気をつけて、頑張ってください。

    xiaopie

    2011年3月31日 at 12:38 AM

    • > Xiaopieさん
      ご無沙汰しています。僕は震災のときは東京にいて、家族友人にも被害はありませんでした。
      地震から三週間が経ちましたが、すでにほとんど不自由はないです。オフィスが節電で寒いことくらいかな。
      地震後の原発事故に関してXiaopieさんも不安をもたれていると思います。お子さんが生まれたばかりでは尚更かと。

      日本政府の発表が真実なのかそうでないのか、僕には判断するすべがありません。
      ただ原発事故による放射能汚染のような場合は、国境を超えて汚染は広がります。
      日本以外の国にとっては自国ではコントロールできないことなので、常に最悪の事態を想定して対応するはずです。
      現在中国は日本からの輸入品に対して放射能検査を強化していますが、中国で原発事故が起きたら日本も中国からの輸入品に対して同様のことをしていたでしょう。だって自分じゃコントロールできないことですもの。

      そのような世界中が日本政府の対応に注目している中で、国を率いるリーダーは事実を把握し正確に科学的な数値を用いて伝えなくてはいけないと思います。疑われたらそれで終わりですもの。そして現実を直視し常に最悪の事態を想定して備える、その勇気と決断力を持ってほしいものです。

      shunsuke

      2011年4月2日 at 10:52 PM

  2. なんかこれ、読んでてワクワクする。
    もしかしたら企業人の皆はこうなって欲しくないのかもしれないけど、俺にとってはこうなっても全然面白い。こうなった日本も見てみたい。生きてみたい。

    本当にどうなるのかね。そう思っただけでワクワクするよ。こういう話もしたいんだよね。皆と。

    2011年4月2日 at 9:40 PM

    • > 学さん
      ご無沙汰しています。
      こういう状況こそ、僕らの芯の強さが求められると思うんですよね。
      放射能は怖いです。どれだけ摂取したらどのくらい遺伝子が傷つけられてしまうのか。
      事故後にググッた僕のにわか知識ではよくわからない。でもそんな日本で僕らは生きていかなくてはいけない。
      そのためにも、その日本を代表する人たちには僕ら若い世代の将来を背負っているということを自覚してほしい。
      自分たちの一言が世界でどう認識されるのか、その言葉が5年後、10年後にどういう影響をもたらすのか。
      原発で事故が起こってしまった事実は変えられないわけですから、その現状を認識した上で最悪のケースを想定しつつ、
      最高のビジョンをイメージして、それを実現するための努力をしてほしい。
      まだ多くの人が事実を受け止める前に思考停止になってしまっているような気がしてならないんです。

      生きてきた中で今回ほど人間の弱さと自分の無力さを思い知ったことはありませんでした。
      そんな中、今の自分にとって日本のために何ができるのか。それを考えた結果このエントリを書こうと思いました。
      最悪のシナリオに対する準備と、目指すべきビジョンとゴール。これを少しでも僕らの中で共有することがこれを書いた目的です。
      茨城で土に根を張って暮らす学さんには無神経なエントリに感じたと思います。すみませんでした。
      でも、こういう時こそ僕らコッカン生のようなたくましさが日本を救うと思うんですよね。
      どこでも生きていける、自ら道を切り開いていける人間でありたいものです。
      また酒飲みながら話したいですね。

      shunsuke

      2011年4月2日 at 11:12 PM

  3. 「最高のビジョンをイメージして、それを実現するための努力をしてほしい。まだ多くの人が事実を受け止める前に思考停止になってしまっているような気がしてならないんです。」という部分に、とても刺激を受けました。

    可能な限りの想像力を働かせて、日本の未来をイメージして、自分が何をするかを考えてみることが、これからを生きていく私達の使命なんでしょうかね。

    私自身すごく苦手分野ですけど…
    shunsukeさんからいただいた刺激、大事にしたいと思います。

    shinoeri

    2011年4月3日 at 11:13 AM

    • > shinoeri
      日本はどうなっちゃうんだろう?今回の地震で多くの人がそう感じたと思う。
      そんな時だからこそ個人でも組織でもビジョンが今一番必要とされていると思うんだよね。
      またゆっくりごはん食べにいきたいね。

      shunsuke

      2011年4月4日 at 12:55 AM

  4. […] 前回、最悪なシナリオを書いてみたので、今回は目指すべきビジョンを想像してみたいと思います。これももちろんフィクションなので、てきとーに読み流してください。 […]


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。