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2021年3月11日へのビジョンを考えてみた

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前回、最悪なシナリオを書いてみたので、今回は目指すべきビジョンを想像してみたいと思います。もちろん素人が妄想したフィクションなので突っ込みどころ満載ですが、その辺は非難より建設的な意見をお願いします。

2021年3月11日、この日に発表された2020年の関西国際空港の旅客数が初めて成田空港を超えた。2011年3月11日以降、日本の国のあり方と地域の概念が大きく変わったことを象徴した出来事だった。

その変化のきっかけをつくったのは関西にルーツを持ち東京に本社を置いていた企業だった。2011年の夏に大幅な電力不足が懸念されたため、近江商人の流れを汲む商社をはじめとする多くの関西系企業が大阪に本社を移し始めた。歯に衣着せぬ発言で知られる大阪府知事は、東京から大阪へ本社移転をする企業に対して、千里山など空き部屋が目立つ団地の安価での社宅供給を申し出た。この府知事の提案は全国に広がり、北海道や九州に工場を持つ企業に対しては、自治体の多くが無償や低価格での社員への住宅提供を申し出た。結果、東京一極集中だった日本の産業構造が変わり始めた。なんか日本変わりそうじゃない?そんな雰囲気が世間に流れ始めた。

そんな流れを受けて、巨大地震からの復興を促進させ、投入した復興費用を効率よく使うことを目的として政府は道州制の導入を決めた。北海道特別区、東北、関東、東京、東海、北陸、関西、中国、四国、九州、沖縄特別区。日本は10の地区に分けられ法人税、所得税、住民税、相続税など国税と行政サービスの7割以上が委譲された。東京からの本社機能移転に際して住宅提供が行われたように、各地区で争うように産業誘致、産業振興のための施策が実施された。-日本は変わり始めた-その段階で多くの人がそう確信を持つようになった。

その中でも特筆すべきは東北、関西、沖縄だった。

地震で壊滅的な被害を受けた東北地区は復興に際し、地震を逆手にとった戦略を描いた。地震で被災し住みかと全財産をなくした人向けに、東北新幹線の駅から1km圏内の場所に新しい街がつくられた。東北地方では原発を廃止し、豊富なバイオマス、地熱、風力を使った地域発電システムを各地域で整備していった。それらは世界の中でもスマートシティ、エコシティのシンボルとなり、大規模災害からの復旧モデルとして世界中から視察が訪れた。この復興プランをデザインした東北復興公社は、地震・津波への災害リスクヘッジコンサルタント、復興デザインコンサルタントとして世界中から仕事が舞い込んできている。これも復興計画の際に目先にとらわれず、復興を産業振興と結びつけた政府のビジョンのたまものだった。

このスマートシティのために開発された低電力のデバイス、高燃費のタービン、高性能の電池は世界を驚かせた。世界中で脱原発が進む中、電力効率を画期的に改善させた東北発の製品は世界中で引く手あまたとなった。逆境こそチャンス。原子力の脅威を感じた国民だからこそそれに頼らず電力を供給していくことができる、その情熱が生んだ技術だった。

残念ながら福島第一原子力発電所付近の土地は放射能に汚染されてしまった。30km圏内は人の居住が制限され、80km圏内の農作物は放射能検査が義務付けられた。政府は30km圏内に居住、農業を行っていた人の土地を買い取り、80km圏内の土地も希望があれば多少安い価格ではあったが買い取り補償を行った。そして政府は30km-80km圏内を特別区とし、従来の土地使用規制をすべて撤廃しほぼタダ同然の価格で希望者に貸し出した。従来の法規制では日本ではできなかったバイオ実験や実証プラントがこれらの土地で行われるようになり、そこから後ほど出てくるバイオ産業などブレイクスルーが生まれた。人がいなくなった土地だからこそできた、汚染を逆手にとったアイディアだった。

関西地区は淡路島を経済特区として関税を10年間無税にすることを発表した。関空から高速フェリーで20分足らずで結ばれ、自然もたくさん残っている島は東京から本社を移した企業にとって最高の場所だった。東大阪を代表とする地場企業の実力もあり、次第に日本企業だけでなく多くの外資企業が淡路島に研究開発拠点や技術開発拠点を移してきた。中国にはない日本の自然とグルメ、そしておもてなしが多くの外国人をひきつけた。一番人気は明石のタコ。そして、ここでも必要とされる電力の半分が波力と地熱でまかなわれていた。鳴門の渦潮がこんな形で役立つとはタコもびっくりだ。

沖縄はもはや日本の一部とは思えないコスモポリタンな場所となった。淡路島同様タックスフリーゾーンとなった沖縄特別区には多くの台湾、中国系企業が進出した。もともと米軍基地があり英語文化があった影響で日本語、英語、中国語がこの地では飛び交うようになった。「ダイジョブラー」今日も那覇のダウンタウンではそんな言葉が飛び交っている。英語と中国語が広範囲で通じることもあり、手付かずの青い海を目指して多くのアジア人が訪れるようになった。「沖縄では誰もごみを捨てないの」ゴミだらけの三亜ビーチしかしらなかった西安出身の陳夏華さんは初めて訪れた沖縄に感動し、今では波照間島に毎年通うようになった。2020年には沖縄を訪れた外国人は500万人を突破し、那覇の空港は日本で3番目に乗降客の多い空港となった。

そんな日本の変化を演出したのは日本人のメンタリティの変化だった。地震と津波、その後に発生した原発からの放射能漏れ事件と、それらをリアルタイムで伝える映像が日本人のメンタリティと考え方に大きな影響を与えたのだった。全財産があっさりと津波で流されていく、テレビの画面から映し出されたその画像を見て多くの日本人が思った。お金を溜め込んでも使わずに死んでしまったら、使わずになくなってしまったら意味がない、今を楽しまなきゃと。

こうして日本人のラテン化が進んだ。戦前に鬼畜米英と言っていたのが、戦後には民主主義ばんざーいと言うようなそんな劇的な変化だった。

エコノミックアニマルと呼ばれたのも今は昔、今では有給を毎年消化しない人間は変わった目で見られ、一ヶ月の夏休みをとることが当たり前となった。10年前はバカンスの代名詞と言えばフランス人だったが、今では日本人がその地位を脅かしつつある。

日本人のラテン化で個人資産が動き出した。まず変わったのは団塊の世代だった。高度成長期を生きタンスに溜め込んだ彼らの資産が市場に流れ始めた。元々「日本を支えてきた」との自負のある世代、その彼らが活発に消費、投資を始めたのだった。これまで団塊の世代と言えば、地域コミュニティの活動には消極的な人間が多かったが、地震によって活発化したコミュニティの活動を通じて多くのベンチャー企業が生まれた。いまや世界中から注目される小林健吾さん(71)はその中でも出色な存在だ。

関東地区に住む小林さんはバイオ関連企業の研究員だった。定年退職後、同じ地区に住む同様のバックグラウンドを持った人間とバイオ研究に特化したベンチャーを立ち上げた。福島原発の影響により特別区に指定された土地をタダ同然で借り受け、そこで通常ではできない遺伝子組み換えキノコの栽培を始めた。彼らがキノコから採取した成分はガン細胞の細胞分裂を抑制し、細胞を正常化させる働きがあることが昨年発表され、小林さんはTIME紙の表紙を飾った。

政治家と官僚も変わった。地震の前は政治家や官僚と言えば事なかれ主義と呼ばれ「前例がありません」や「前向きに対処いたします」が口癖だったが、今では「ほな、やってみましょうか」が口癖となった。これは2013年に流行語大賞にもなった関西出身の首相の言葉だ。道州制を決断した首相の英断がきっかけとなって、官僚組織にも危機意識が伝わり柔軟性のある組織となっていった。官僚たちも人間。いつ死ぬかわからないんだったら楽しく仕事しないと。地震から得たその教訓が硬直化した組織を変えたのだった。

ラテン化を象徴するかのようにうつ病患者は目に見えて減り、10年前年間3万人を超えていた自殺者は1万人未満となった。地震で3万人近くの命が失われたが、地震によって人々のマインドが変わったことで毎年2万人以上の命が救われることになった。みんな楽に生きるようになったのだ。楽に生きた結果、なぜか地震前よりも労働生産性はあがった。おまけにラテン化が進んだことで精神的ストレスが減少したのか、もともと長寿だった日本人の平均寿命はさらに延びてしまった。以前は何日も前から診察予約が必要だった精神科には閑古鳥が鳴き、数人の精神科医は収入源による生活苦により自殺してしまった。笑えない話である。

少子化は劇的に改善に向かった。地震の翌年、厚生労働省が発表した合計特殊出生率は前年を大きく上回る1.71を記録し、世界を驚かせた。地震と津波、放射能汚染による不安は都会で一人暮らしをしている若者に多くの不安感を与えた。災害が家族の絆の大切さを思い出させ、多くの若者が困難な時に愛する者と一緒にいることのできる安堵感を求めたのだった。そして2年間続いた首都圏の計画停電がそれに拍車をかけた。オフィスの冷暖房抑制、鉄道の混雑緩和のため自宅勤務者が増え、夫婦が一緒にいる時間が増え、停電となった地区では愛をはぐくむこと以外にやることがなかったのだ。とりわけ2012年1月から2月の間に生まれた子どもは多かった。地震の不安におびえる中、皆愛する人のぬくもりを求めたのだ。その後も出生率は2.0近くで推移しており、ブライダル産業は活況に満ちている。

何をするにしても一人ひとりの心の持ちようで世界は変わる。こんな10年後になればいいなと、僕はそう思ってます。みんなはどうですか?

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Written by shunsuke

2011年4月4日 @ 2:42 AM

コメント / トラックバック6件

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  1. 国関にいながらも、今までは自分のアイデア、夢想のビジョンを語ることを恥ずかしいと思ったり、実現可能じゃないとか、他のビジネスマン達に比べて経済を知らなさ過ぎるとか、思っていました。
    震災後の今、Shunsukeのエントリーを読んだり、知人と話しながら感じるのは、これからはどんな未来を描いても恥ずかしいことはなく、今までよりも皆が自分の想いを口に出しやすくなるのではないかという点です。特に日本人が苦手だった、政治的立場の表明などでもね。それは日本人にとってとても良い事だと思うんだよね。

    日本人のラテン化。これは大学2年次以来、内に秘めていた俺の野望です(笑)。

    2011年4月4日 at 12:25 PM

    • > 学さん
      これは僕の希望的観測なんですけど、今回の件をきっかけに日本でも自分の意見を堂々と言えるような、そんな風潮になってほしいなと思います。
      日本にとって今回の一連の影響はマイナスインパクトのほうが大きい中で、一番可能性が大きいプラスインパクトは日本人のメンタリティへの影響なんじゃないかなと、そう考えています。それこそが最大の希望だと。
      そして、最終的には日本人のラテン化ですね。まさか学さんも考えていたとは。

      shunsuke

      2011年4月6日 at 1:18 AM

  2. こんばんは、初コメントです。
    ラテン化の構想すごいです!私も憧れます。
    ひとりひとりがもっとオープンに自分の気持ちを話す時代に
    なってきてるんですよね。
    そしていつも楽しむ気持ちが大事。
    手始めに一人ラテン化から始めてみようかな(笑

    奈央

    2011年4月5日 at 11:57 PM

    • > 奈央さん
      コメントありがとうございます。
      どうせ生きるなら楽しい人生を過ごしたほうがいいと思うんですよね。
      きっと一人ひとりの人生の楽しみ方は違うはずなので、みんながみんなラテン化する必要はないんですけど、今を楽しむ気持ちは持っていたほうが人生は豊かになるんじゃないかと思います。

      自分が楽しんでいることを正当化しているだけかもしれませんが・・・

      shunsuke

      2011年4月6日 at 1:35 AM

  3. しゅんさんのビジョンに追加して欲しいこと。

    日本中が節電に励み、自然とエコ生活が身に付いたため、Co2削減。
    都心もエアコンの熱が減ったために夏の猛暑が激減した。

    と言うようなこと。^^

    Herry

    2011年4月6日 at 12:13 PM

    • > Herryさん
      そうですね。日々の暮らし、今後の日本の社会や産業の方向性を考えるには絶好の機会だと思うんです。こういう時こそ、目指すべき方向性を明確にして具体的なビジョンを描き、そのビジョンの達成のために何をすべきかを説明する。こういうリーダーが求められているんじゃないかなと思います。

      shunsuke

      2011年4月9日 at 10:32 PM


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