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国はあなたのことなんてこれっぽっちも考えていません

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外国にいると、国家について考えさせられることが多い。とりわけ、仕事で政府関係の人たちと接することが多かった南寧ではその機会が多かった。国民を戸籍で区分し、インターネットの情報をコントロールする。国が国民を愛しているようにはこれっぽっちも思えない中国なのに、国への愛を口に出す人は実に多い。翻って、僕は日本という国を愛しているのだろうか?日本人を愛しているのだろうか?日本は僕を愛してくれるのだろうか?何度もこれまで自分に問いかけてきたそんな言葉が、帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんの「逃亡」を読んでまた浮かんできた。

召集されて赴いた中国大陸で憲兵となり、香港、広州で活動をしたのちに終戦を迎えた主人公の話。終戦後に武装解除が行われ、真っ先に逃げ出した軍人、身一つで逃げ出してきた民間人。憲兵は中国人たちの怨念を一身に受ける人身御供として、治安維持の名目で大陸に残り続けることが命令された。

その状況を察して、主人公は武装解除の前夜に組織を離れ民間人に名前を変えて帰国するも、戦犯として手配されて日本国内で逃亡生活を送ることになる。逃亡中に蘇ってくる香港の憲兵時代に摘発し死に至らしめた相手方のスパイの記憶。軍の命令で行ったスパイの摘発も、相手は非戦闘員である時点で戦争犯罪となる。

国によって徴兵されて戦地に赴き、軍隊の命令で行った憲兵としての行為が罪に問われる理不尽さ。その一方で終戦後、日本の旧占領地各地で行われた戦犯裁判、世に出ることがないB・C級戦犯に対する扱い、その中で裁かれていった憲兵たちの姿が直接・間接に描かれていく。

「一人殺せば殺人者で百万人殺せば英雄となる」チャップリンはそう語ったけど、まさにこの状況のことなんだよね。国なんて守ってくれない。ちょこっと状況が変われば手のひらを裏返したように、敵に回る。リビア国民という愛する息子たちに下水道管から引きずり出され最後を迎えたカダフィ大佐の姿が少し主人公にかぶった。彼も自分自身が国そのものだったはずなのにね。

戦犯を逃れた天皇陛下と、殺されたカダフィ。比較が強引なのは承知の上で、戦いの後の二人の姿があまりに対照的。反共との思惑があったにせよ、天皇陛下を許したアメリカはすごいよね。親族を殺された人たちからすれば、相手の親玉なんだから。天皇陛下万歳の方々にはソ連に感謝する必要があるはずだ。

ところで、この帚木さん。本業は医者とのこと。医者と作家って相性がいい。古くは森鴎外、斉藤茂吉、北杜夫。最近では「チームバチスタ」の海堂尊さんもそうだ。人の身体や心の病を治療していくことと、物語をつくりそれを言葉に置き換えて表現していくってことは意外に近い作業なのかもしれない。

考えてみればそうだ。外科にせよ内科にせよ、年齢や性別、身長や体重、食生活が異なれば同じような病巣であっても対処方法は異なってくるから、まったく同じ病状は一つとして存在しないはず。それはきっと一つのテーマに対して想像力を働かせて世界を築き上げていく作業に近いんだろう。コンサル的な論理的思考だけでなく直感的思考を交えた作業なんじゃないかな。

そんなことを考えた週末でした。本は全力でおすすめです。

逃亡

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Written by shunsuke

2011年10月30日 @ 11:18 PM

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