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Archive for 2月 2012

DAY3: 国にあふれるシモン・ボリバルたち

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午前2時前にマナウスを出発した飛行機は午前3時過ぎにボアビスタに到着。こんな時間のフライトなので客は20人ちょっとだったのだけど、僕以外に客に2人日本人がいてびっくり。そして席に着いたら「困ったことがあったら声かけてくださいね」とCAにきれいな日本語で話しかけられて、またびっくり。マナウスは日系移住地が近くにあったり、領事館もあったり日本との関係は深いけど、それをちょっぴり実感したフライトだった。

ボアビスタ行きの飛行機の中で出会った同じくベネズエラを目指す二人組と空港で明るくなるまで待って、国境のパカライマ(Pacaraima)行きの乗り合いタクシーステーションまで移動する。この道は5月にも来た道なので慣れたもの。ここから国境までは220km、交通手段は乗り合いタクシーと一日数本のバスしかない。朝日が昇り、朝一番のタクシーでパカライマまで向かう(25レアル)。

国境までの道はサバンナと熱帯雨林のジャングルが続く道で、車は100kmくらいのスピードでびゅんびゅん飛ばしていく。さすがに丸二日ベッドで眠っていないとかなり疲れてきたようで、ほとんど寝ていて気がついたら国境に着いていた。

ベネズエラ、帰ってきたよー。ブラジルを出国手続き後、ベネズエラの入国スタンプを押してもらいにイミグレーションへいくと、扉の鍵が閉まっている。係員に聞くと「今日はクリスマスなので休みだ!」とのこと。おいおい、そりゃ困るよ。国が国だけにスタンプがないと賄賂を請求されそうなので、何とかしてくれと頼んでみるがクリスマスだから仕方ないの一点張り。中華圏の旧正月みたいなものか、さすがはベネズエラ。でもブラジルはちゃんと仕事してたぞ。

結局、翌朝にスタンプを押しに戻ることにしてベネズエラに入国、サンタ・エレーナ・デ・ウアイレン(Santa Erena de Uairen)の集合場所Posada Michelleで、今回一緒にロライマへ登るGと無事に落ち合う。今アルゼンチンのブエノスアイレスに住んでいるGと会うのは半年振りだ。すっかりスペイン語でジョークも言えるようになっていて、元々濃い顔立ちの彼がラテン化してますます怪しくなっていた。

Gとの再会を祝し、地元っ子が集まる屋台のレストラン街で昼ごはん。アボガドが南米っぽくてうまい。ずっと移動ばかりだったので、落ち着いて食べられるご飯がおいしい。

二日前に到着しているGはどうやら毎食ここへ来て食べ歩いていたようで、レストランのおばちゃんたちと顔見知りのように言葉を交わす。同い年の彼とは7年ほど前にまったくの偶然の出会いを通じて仲良くなったのだけど、目指している世界とそこへのアプローチが近くていつも彼から多くの刺激をもらっている。そんなGの行く先ではいつも空気が和む。

昼食後に日本から電話で(一応)明日からのトレッキングを予約しているので、エージェントのFrancisco Alvarezに電話してトレッキングの確認をする。このロライマトレッキングは通常5泊6日で行く日程なのだけど、今回12月31日から1月3日まではバスが動かないとの話を聞き4泊5日のツアーを組んだ。5人集まれば2,800VEF(350USDくらい)になるのだけど、4泊5日との強行スケジュールだけになかなか人は集まらず、この時までに集まったメンバーは僕とGのほかにもう一人。ツアー代は、ガイドとポーターそれにテントや食料すべて入れて結局3,800VEF(450USD)で落ち着いた。最低1,200USDくらいはかかるキリマンジャロに比べると格安だ。

ガイダンスでフランシスコから強く言われたのがプリプリ対策。トレッキングでは川沿いを歩くこともあり、プリプリと呼ばれている小さい蚊が多い。そしてそれに刺されると猛烈なかゆみを引き起こすらしい。そんなのに刺されたくない。5月にスナノミに卵を産み付けられた僕としてはこれはぜひとも予防せねば。不思議なことにビタミン剤を飲んでいると刺されにくいことを聞き、ビタミン剤と食料を買出しついでにしばし街を歩いてみた。

街のはずれにある教会。Gによると、昨日のクリスマスイブはここでミサが行われたらしい。1922年に建てられた石造りの厳かな雰囲気の建物で、よそ者の僕は入るのをちょっとためらってしまう教会だった。

街の中心に戻ると、ボリバル広場(Plaza Bolivar)に建てられた南米解放の父、シモン・ボリバル(Simon Bolivar)の銅像には、1923年に街がつくられたと彫られていた。街の建設よりも先に教会が建てられたということか。南米の歴史を濃縮したような街だ。南米ではいたるところで彼から名付けられたものを見聞きするけれど(ボリビアなんて国名がそうだ)、こと彼の生誕の地ベネズエラではその頻度がすごい。たいてい街の中心広場はボリバル広場で、通貨はボリバル・フエルテ、カラカスの空港もシモン・ボリバル空港だし、国の正式名称もベネズエラ・ボリバル共和国だ。それにしてもこの国にはいくつのボリバル広場があるのだろうか。

さあ、明日からは一年越しのロライマトレック。いよいよだ。

Written by shunsuke

2012年2月24日 at 5:46 PM

カテゴリー: 2011/12 Roraima Trek

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DAY2: ふるさとは遠きにありて思ふもの

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東京を出発して、トロントまで12時間。その後9時間のトランジット、そしてサンパウロまでさらに10時間のフライトを乗り継いで、出発翌日の昼にサンパウロに到着した。

今回サンパウロ経由にしたのはひとつ理由があった。ブラジルの日系移民を描いた垣根涼介さんの「ワイルドソウル」を読んでサンパウロにある世界最大の日本人街、リベルタージを訪れてみたかった。それが今回、サンパウロで9時間のトランジットの時間をつくった目的だった。

サンパウロの空港に着き、リベルタージまでの行き方をインフォメーションセンターで聞いてみると、リベルタージまで直接アクセスする公共交通機関はないものの近くまで行くバスがあるらしい。アドバイスに従いサンパウロ空港から出ているエアポートバス(たしかNo.2)に乗り、リベルタージに近いRepubulicaの駅前まで行く。距離にしておよそ25km、バスチケットは33レアル(約1,500円)。5月の時も感じたけど、ブラジルの物価は高い。レアルが一時期より下がっているものの、移動や食事の物価は日本と変わらない。

30分ほどでRepubulica駅前に到着。 黄色で塗り染められた教会、昼間から広場に集まる人たち。その周りの屋台で売られているハンバーガーとホットドック。耳に届く言葉はポルトガル語だけれど、一気に南米に来た実感が沸いてくる。

屋台のおばちゃんにリベルタージまでの道を聞くと「歩いてもいけるけど、地下鉄でも行けるわ」とのこと。せっかくなのでサンパウロの地下鉄に乗ってみることにした。地下へと続くエスカレータを降りていき、トークンを購入する。サンパウロはブラジル経済の中心だけあって、さすが地下鉄も充実している。

実は地下鉄に乗るのもかなりびびっていたのだけど、乗ってみたら杞憂で有楽町線となんら変わることない。 10分ちょっとでリベルタージに到着した。地下鉄駅からエスカレータを上がって地上に出ると、いきなりびっくり!日本風のデコレートされた銀行が出迎えてくれた。

隣に目を移すと、マクドナルドも日本風。純和風でなくちょっぴりアクセントが入っているのはブラジルならではの愛嬌。建物のつくりが本物に近いかどうかは別にして、街全体で東洋的な雰囲気を大切にしているのは日本人としてうれしく思う。

ここリベルタージは地下鉄の駅がある場所が小高くなっていて、そこから表通りが一本延びている。その表通りを下っていくと、大きな鳥居が道の真ん中にどーんとそびえ、道の両側にはちょうちんのような飾りと日本の食材を扱う店や日本料理店、みやげ物屋がずらりとならんでいた。

この地下鉄の駅に近い辺りは、勤勉な日系人の経営の店が多いようで、「つがる」や「万里」といった名前の店が並んでいる。だが、今日はクリスマス・イブ。クリスチャンが多数を占めるブラジルでは家族でゆっくり過ごすことが多く、通りを歩く人はまばらで店も半分くらいがシャッターを閉めていた。

「つがる」はやっぱり一世の方の出身が青森だったんだろうな、などと少し錆びが目立つシャッターを眺めながら物思いにふけっていると急に雲行きが怪しくなりポツリと雨が降ってきたので、ちょうど角にあった「梓」とのみやげ物屋に雨宿りがてら入ってみる。

ブラジルはアメジストやアクアマリンなど宝石の産地でもある。そんなブラジル産の宝石をまとったピアスや指輪がところ狭しと並べられたショーケースを眺めていたら、店主らしき方から「いいものがあったら言ってくださいね」ときれいな日本語で話しかけられた。

主人は二世のセルジオさん。同じ日系の奥さんと結婚して60歳を過ぎた今でも元気に店を切り盛りしている。こんな日で客も僕以外にいなかったこともあり、きれいな日本語で店の成り立ちや、苦労話、中国人や韓国人も増えた東洋人街になっているとの最近のリベルタージの様子を語ってくれた。

10分ほど話をしたのち、雨も上がったので僕はセルジオさんとの出会いの記念も兼ねて友人たちへのお土産を買い店を出た。その際、深々と腰を折り曲げて「ありがとうございました、またお越しくださいませ」と見送ってくれたセルジオさんの姿が印象的だった。 そんなに深くお辞儀する人、日本じゃなかなかいないよ。

ドミニカなどよりかはひどくなかったものの、日本からブラジルに渡った人たちは苦労して街として地位と財産を築き上げた。そして、国から見捨てられながらも日本の心を大切に保ちながらも、この街で足場を築いて暮らし続けている。もちろんすべての日系人がそうではないけれど、東京から1万2千km離れた地球の裏側の鳥居が並ぶ通りで、日系人としての矜持を持ちながら昔からの文化を受け継いでいる人がいる。日本人として忘れちゃいけないな。

「この先に立派な神社があるから行くといい」セルジオさんの店を出る際にそんな助言をいただいたこともあり、さらに坂道を下って行くと、確かに立派な神社があった。この写真だけ見てこれがブラジルだと思う人はいないだろうな。そういえば、戦前の日本は台湾や韓国、サハリンやサイパンなど進出した地域で、ただ進出するのではなく日本のコミュニティを築いていきその中心に神社があった。サイパンでも見たっけ。ここブラジルでも人が移住しただけでなく、ここに小さな日本というコミュニティを築き上げたんだ。戦後に築き上げられたこの街は、日本人が日本以外に作った最後のコミュニティなのかもしれない。

このあたりまで坂を下ってくると、日本料理屋でなく中華料理屋と漢字だけの看板が目立ってくる。セルジオさんが、ここ10年くらいで日系人が減っていき中国、韓国からの移民が増えたと言っていたけれど、通りに捨てられていた王老吉(広州の涼茶メーカー)のダンボールがそんな時代の流れを象徴しているようだった。

リベルタージには、日系移民の歴史を集めた移民資料館があるのだけれど、さすがにクリスマス・イブで閉まっていた。だいたいひととおり見たので空港に戻るべく坂道を地下鉄の駅へと戻っていくと、ふと八百屋”Kanazawa”から山本譲二の「みちのくひとり旅」が流れてきた。

たとえどんなに離れていてもお前が俺には最後の女~♪マイナーコードのメロディと、こぶしがきいたジョージの歌声、思わず聞き入ってしまった。これまで特にこの歌に思い入れがあったわけじゃないのだけれど、地球の裏側で、半分シャッターが閉まり日系人が減っていっている通りと、少し物悲しいメロディがシンクロして不思議な気分になった。とてもふるさとに帰りたくなる、そんな郷愁がたまらなくあふれ出てくる感じ。演歌のメロディって、日本人のDNAに受け継がれてきた音なのかもしれない。

リベルタージをあとにして空港に戻る。そして、マナウスを経由して午前3時にベネズエラとの国境に近い町、ボアビスタに到着。

Written by shunsuke

2012年2月16日 at 3:06 AM

カテゴリー: 2011/12 Roraima Trek

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DAY1: 遥かなるロライマ

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今回のロライマ山トレッキング、目指す場所ギアナ高地はベネズエラ、ブラジル、そしてガイアナの国境沿いにある。トレッキングの起点となる街サンタエレーナ・デ・ウアイレン(Santa Erena de Uairen)は、ベネズエラ領内にあるのだけれど、ここまではベネズエラ国内線の定期便が飛んでおらず非常にアクセスが悪い。

今回のトレッキングは、5月にロライマ山を断念した際にはすでに決めていたトレックだった。なので夏過ぎから手配をはじめ、バスターミナルでよい対応をしてくれたFranciscoのやっているRepresentaciones y Servicios Turisticos Alvarezをはじめとするにツアーオペレーター数社に3ヶ月ほど前からコンタクトをとり、年末年始のロライマトレックでどんな日程が可能かどうか探っていた。

最初はロライマの頂上で初日の出を見たかったのだけど、日本から往復で6-7日はかかるため年末年始に二週間以上会社を休まないと行くことが難しいことがわかり、初日の出は断念(さすがに二週間は厳しい)。加えて現地からの話だと12月31日から1月3日まではバス会社がお休みでサンタエレーナからギアナ高地の基点となるシウダーボリバル(Ciudad Bolivar)へのバスが出ないとのこと。これには困った。

結局Franciscoに何度か電話をして6日間のトレックを5日間にしてもらい、12月26日から30日までの日程でトレッキングを予約。エア・カナダで12月23日に日本を出発してサンパウロからブラジル国内線で北上、5日間のトレッキング後に1月2日にカラカスから帰る日程になった。

初日は成田を17時過ぎに出発。13日間の日程のうちホテルに泊まれそうなのは3~4泊との、9日間でキリマンジャロを思い出させるハードな旅が始まった。

Written by shunsuke

2012年2月12日 at 4:34 PM

カテゴリー: 2011/12 Roraima Trek

美しき悲劇の湖、バイカル湖

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ここ数年、比較的自分で休みを決められる仕事をしていることもあり、いろいろな場所を旅する機会に恵まれた。そうして訪れた国々でのすばらしい景色と現地の人たちとの出会いを通じて、自分が外の世界に何を求めているのかが少しずつだけどわかってきた気がする。

冷え切った身体に命を吹き込んでくれたキリマンジャロの朝日、10m先も見えなくなるような砂嵐のアルジェリアのサハラ砂漠で暮らすベドウィン、常に強風が吹きすさぶ高原でヤクを追うチベタンたち。暑いところ、乾燥したところ、高いところ、寒いところ。世界中の過酷な自然環境の中で暮らしている人たちの力強さに僕は惹かれていることに気がついた。

そんな折、友人がロシア転勤になった。仕事を始めてすぐ、名古屋でもがいていた頃を共にした友人で、南寧に会いに来てくれたりもした。僕もまだロシアに行ったことがなかったのでちょうどいい、彼を訪ねに行こう。そしてどうせロシアに行くなら飛び切り寒い2月に行こう。ということで、真冬のバイカル湖に行くことにした。

世界で一番深く透明度の高い湖、バイカル湖。思い返せば北海道に住んでいた5歳の時に摩周湖へ行き、これよりもっときれいな水をたたえた湖があるのかと驚いたのがバイカル湖を知ったきっかけだった。真冬は常時-20℃以下で時に-50℃にもなる。

湖に浮かぶ島(奄美大島くらいの大きさがある)には今でも狩猟採集を中心とした人々が暮らし、凍った冬のバイカル湖面には島に車で渡る人のために澄んだ氷の上に道路標識ができているらしい(以下こちらのサイトからのイメージ図)。

歴史を振り返ると、20世紀初頭にロシア革命の際に赤軍の手から逃れここまでやってきた白軍が、真冬のバイカル湖を渡ろうとして全滅したことがあった。凍死した数万の亡骸は翌年の春に氷が解けた後、1,600mの湖底に沈んでいったという。そんな悲劇の湖でもある。

そんな美しき悲劇の湖、どんな風景と人々との出会いがあるのか、今から楽しみだ。

●旅程
2/17 NH955 東京 1725 → 北京 2030
2/18 S7 510 北京 0435 → イルクーツク 0840
バイカル湖1泊2日のツアー、Olkhon島で民泊
2/20 S7 509 イルクーツク 0200 → 北京 0345
NH906 北京 1450 → 東京 1915

Written by shunsuke

2012年2月11日 at 11:12 PM

カテゴリー: 2012/02 Lake Baikal