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DAY2: ふるさとは遠きにありて思ふもの

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東京を出発して、トロントまで12時間。その後9時間のトランジット、そしてサンパウロまでさらに10時間のフライトを乗り継いで、出発翌日の昼にサンパウロに到着した。

今回サンパウロ経由にしたのはひとつ理由があった。ブラジルの日系移民を描いた垣根涼介さんの「ワイルドソウル」を読んでサンパウロにある世界最大の日本人街、リベルタージを訪れてみたかった。それが今回、サンパウロで9時間のトランジットの時間をつくった目的だった。

サンパウロの空港に着き、リベルタージまでの行き方をインフォメーションセンターで聞いてみると、リベルタージまで直接アクセスする公共交通機関はないものの近くまで行くバスがあるらしい。アドバイスに従いサンパウロ空港から出ているエアポートバス(たしかNo.2)に乗り、リベルタージに近いRepubulicaの駅前まで行く。距離にしておよそ25km、バスチケットは33レアル(約1,500円)。5月の時も感じたけど、ブラジルの物価は高い。レアルが一時期より下がっているものの、移動や食事の物価は日本と変わらない。

30分ほどでRepubulica駅前に到着。 黄色で塗り染められた教会、昼間から広場に集まる人たち。その周りの屋台で売られているハンバーガーとホットドック。耳に届く言葉はポルトガル語だけれど、一気に南米に来た実感が沸いてくる。

屋台のおばちゃんにリベルタージまでの道を聞くと「歩いてもいけるけど、地下鉄でも行けるわ」とのこと。せっかくなのでサンパウロの地下鉄に乗ってみることにした。地下へと続くエスカレータを降りていき、トークンを購入する。サンパウロはブラジル経済の中心だけあって、さすが地下鉄も充実している。

実は地下鉄に乗るのもかなりびびっていたのだけど、乗ってみたら杞憂で有楽町線となんら変わることない。 10分ちょっとでリベルタージに到着した。地下鉄駅からエスカレータを上がって地上に出ると、いきなりびっくり!日本風のデコレートされた銀行が出迎えてくれた。

隣に目を移すと、マクドナルドも日本風。純和風でなくちょっぴりアクセントが入っているのはブラジルならではの愛嬌。建物のつくりが本物に近いかどうかは別にして、街全体で東洋的な雰囲気を大切にしているのは日本人としてうれしく思う。

ここリベルタージは地下鉄の駅がある場所が小高くなっていて、そこから表通りが一本延びている。その表通りを下っていくと、大きな鳥居が道の真ん中にどーんとそびえ、道の両側にはちょうちんのような飾りと日本の食材を扱う店や日本料理店、みやげ物屋がずらりとならんでいた。

この地下鉄の駅に近い辺りは、勤勉な日系人の経営の店が多いようで、「つがる」や「万里」といった名前の店が並んでいる。だが、今日はクリスマス・イブ。クリスチャンが多数を占めるブラジルでは家族でゆっくり過ごすことが多く、通りを歩く人はまばらで店も半分くらいがシャッターを閉めていた。

「つがる」はやっぱり一世の方の出身が青森だったんだろうな、などと少し錆びが目立つシャッターを眺めながら物思いにふけっていると急に雲行きが怪しくなりポツリと雨が降ってきたので、ちょうど角にあった「梓」とのみやげ物屋に雨宿りがてら入ってみる。

ブラジルはアメジストやアクアマリンなど宝石の産地でもある。そんなブラジル産の宝石をまとったピアスや指輪がところ狭しと並べられたショーケースを眺めていたら、店主らしき方から「いいものがあったら言ってくださいね」ときれいな日本語で話しかけられた。

主人は二世のセルジオさん。同じ日系の奥さんと結婚して60歳を過ぎた今でも元気に店を切り盛りしている。こんな日で客も僕以外にいなかったこともあり、きれいな日本語で店の成り立ちや、苦労話、中国人や韓国人も増えた東洋人街になっているとの最近のリベルタージの様子を語ってくれた。

10分ほど話をしたのち、雨も上がったので僕はセルジオさんとの出会いの記念も兼ねて友人たちへのお土産を買い店を出た。その際、深々と腰を折り曲げて「ありがとうございました、またお越しくださいませ」と見送ってくれたセルジオさんの姿が印象的だった。 そんなに深くお辞儀する人、日本じゃなかなかいないよ。

ドミニカなどよりかはひどくなかったものの、日本からブラジルに渡った人たちは苦労して街として地位と財産を築き上げた。そして、国から見捨てられながらも日本の心を大切に保ちながらも、この街で足場を築いて暮らし続けている。もちろんすべての日系人がそうではないけれど、東京から1万2千km離れた地球の裏側の鳥居が並ぶ通りで、日系人としての矜持を持ちながら昔からの文化を受け継いでいる人がいる。日本人として忘れちゃいけないな。

「この先に立派な神社があるから行くといい」セルジオさんの店を出る際にそんな助言をいただいたこともあり、さらに坂道を下って行くと、確かに立派な神社があった。この写真だけ見てこれがブラジルだと思う人はいないだろうな。そういえば、戦前の日本は台湾や韓国、サハリンやサイパンなど進出した地域で、ただ進出するのではなく日本のコミュニティを築いていきその中心に神社があった。サイパンでも見たっけ。ここブラジルでも人が移住しただけでなく、ここに小さな日本というコミュニティを築き上げたんだ。戦後に築き上げられたこの街は、日本人が日本以外に作った最後のコミュニティなのかもしれない。

このあたりまで坂を下ってくると、日本料理屋でなく中華料理屋と漢字だけの看板が目立ってくる。セルジオさんが、ここ10年くらいで日系人が減っていき中国、韓国からの移民が増えたと言っていたけれど、通りに捨てられていた王老吉(広州の涼茶メーカー)のダンボールがそんな時代の流れを象徴しているようだった。

リベルタージには、日系移民の歴史を集めた移民資料館があるのだけれど、さすがにクリスマス・イブで閉まっていた。だいたいひととおり見たので空港に戻るべく坂道を地下鉄の駅へと戻っていくと、ふと八百屋”Kanazawa”から山本譲二の「みちのくひとり旅」が流れてきた。

たとえどんなに離れていてもお前が俺には最後の女~♪マイナーコードのメロディと、こぶしがきいたジョージの歌声、思わず聞き入ってしまった。これまで特にこの歌に思い入れがあったわけじゃないのだけれど、地球の裏側で、半分シャッターが閉まり日系人が減っていっている通りと、少し物悲しいメロディがシンクロして不思議な気分になった。とてもふるさとに帰りたくなる、そんな郷愁がたまらなくあふれ出てくる感じ。演歌のメロディって、日本人のDNAに受け継がれてきた音なのかもしれない。

リベルタージをあとにして空港に戻る。そして、マナウスを経由して午前3時にベネズエラとの国境に近い町、ボアビスタに到着。

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Written by shunsuke

2012年2月16日 @ 3:06 AM

カテゴリー: 2011/12 Roraima Trek

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