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Archive for 8月 2012

DAY6: グッバイ、ウシュグリ

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朝、6時に起きて朝もやの村を歩くも、霧が濃くてほとんど視界ゼロ。8時くらいになると霧も晴れ、朝日を浴びた村のようすが浮かび上がってきた。これでウシュグリの景色も見納めだ。いつかここにはまた来たいな。50家族ほどが暮らすウシュグリ村、Ninoの話によると最近ではここを拠点にトレッキングに来る人も増えてきているようで、メスティアからウシュグリまでの道を舗装する話もあるらしい。5年後、10年後には、どんな風になっているんだろう。

8時過ぎに一晩お世話になったNinoの親戚の宿をあとにする。70歳過ぎのばあちゃん手作りのジャムや手料理がおいしくて、息子、孫たちも対応がよくアットホームで快適な宿だった。その分しっかりとるけどね。ともかく、ばあちゃんの手料理に感謝、ありがとう!

昨日来た道を再び4WDで戻る。朝方の霧が嘘のように晴れ、青空と雪そして緑がきれいだ。

11時過ぎにメスティアに到着。スワネティですっかりお世話になったNinoともお別れだ。彼女は普段、メスティアの役所で働く公務員で、旦那や親戚がこのNinoの家や他のビジネスを手伝っている。この先はウシュグリとメスティアとトビリシをつなげて、トレッキングの手配とかもやりたいと話してた。たくましいね。

ちょうど昨夜同じ宿に泊まっていた旅行者が、乗っていた車をそのままマルシュートカとして貸しきってズグディディまで行くというので、15ラリ(800円)で便乗して乗せてもらうことにした。途中、ドライバーがグルジアで何番目かに高い山、Mt.Ushbaが見えるポイントで停まってくれた。コーカサスの峰はどれも鋭く、山好きをぞくぞくさせる形をしているな。

行きは登りに加え、たびたびのビール休憩のためゆっくりだった道のりも帰りはあっという間に3時間足らずでズグディディに到着。メスティアから高度を下げていくと次第に濃い緑の針葉樹が減り、広葉樹の若葉の割合が増えていく。この季節は新緑が鮮やかだ。

ここでグルジア西部のもうひとつの見所、古都クタイシに行くリチャードや他の旅行者と別れ、トビリシに戻ることにした。これで、今日戻って明日アルメニアに行けばタテヴの教会にも行くことができる。ちょうどズグディディからトビリシに向かう乗り合いバス、マルシュルートカがあり18ラリ(1000円)で乗る。

トビリシへは4時間ちょっと、夜8時前に到着。ウシュグリからトビリシまで一日で来たのは、がんばったぞ。前回トビリシで泊まったSkada Veliのオーナーに電話すると今日も空いてないけど、また階下の住人のところに泊まればいいよ、と手配してくれた。Mr.ビーン、ほんと感謝です。

Written by shunsuke

2012年8月20日 at 1:37 AM

インド雑感

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先日、4年ぶりにインドに行ってきた。デリー、ムンバイに加えグジャラートのカンドラ港を訪問、以前と大きく変わったとこ、変わらないこと含めて、感じたことをメモしておきたい。

デリー市内になんとメトロが6本も開通していて、しかもかなり正確に5分おきに運行されていた。これは便利。聞いたところ、2010年に開催されたコモンウェルスゲームに向けて気合い入れてインフラ整備を行ったらしい。メトロも日本の技術協力が入っているとか。女性専用車もあるところなんてとてもインドらしい。

乗車マナーはどうなんだろうか?と思って乗ってみた。基本的に金持ちは車で移動するはずだから、地下鉄に乗っている人は庶民階層が多い。それでも乗り降りの時は7割方降りる人を優先にして、乗る人も降りる人を待ってから乗っていた。地下鉄ができたばかりの頃の中国と比べると、数段マナーはいいイメージだ。カーストに代表されるよう、明確な階級が社会の中に存在しているので、こういうところは意外としっかりとしているのかもしれない(見かけはね)。

でもオールドデリーで駅を降りたとたんリキシャと人の群れに出くわす風景は4年前から何一つ変わっていなくて、少しほっとした。都会にいても、田舎にいても人が多い。これぞインド。

デリー、ムンバイでは街の中ではすっかり野良牛を見かけなくなってしまっていた。どこへ行ってしまったのだろうか?でも少し郊外に足を延ばせば、しっかりと牛は道の真ん中を闊歩していた。地元の人いわく、「コモンウェルスゲームの際に郊外へ追い払ったけど、次第に街中に戻ってきていて、あと1年くらいすればデリーもまた野良牛たくさんになるよ」とのこと。たくましい。

もちろん食事はカレー。僕の理解では、インドにおいてカレーというのは料理ではなく調味料であって、日本でいうしょうゆや味噌のようなもの。だから基本的にほぼすべての料理は香辛料が使われたカレー味、おいしいけれど胃腸への負担は大きかったようで3日目におなかをやられて医者にかかる羽目になった。デリー、ムンバイとも都市では晩ごはんを食べはじめる時間帯は20時過ぎのようで、19時半にレストランに行ったら誰もいなかった。夜は遅い、これ結構意外だった。写真はデリーの南インド料理の名店、Hotel SARAVANA BHAVANのマサラドーサ。ここも22時過ぎまで行列が絶えなかったな。

オリンピック期間中だったけど、ダントツで一番人気があるスポーツ、クリケットが競技にない時点であまり国民の関心は高くなかった。スタースポーツとかではサッカーとかを放映していたけれど、しっかりとクリケット専用番組「Star cricket」があって、24時間クリケットの過去の試合とかを流し続けていた。ホテルで見られるスポーツチャンネルは5つあったけど、そのうち2つがクリケット専用番組。それだけ人気があるってことだよね。

今回、出発前にマルチスズキのマネサール工場で死者が出た暴動があったり、滞在中に北部の大停電があったりしたけれど、現地に向かう飛行機の中で友人が貸してくれたこの本を読んでいたので、現地で見たこと感じたことがすっと腑に落ちた。インドのことを知りたい!という方には全力でおすすめです。

グローバリズム出づる処の殺人者より
アラヴィンド アディガ
文藝春秋
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Written by shunsuke

2012年8月18日 at 12:48 AM

カテゴリー: 自分の仕事と研究のこと

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DAY5: 雪山と新緑、そして血塗られた村

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メスティアで迎える朝。トビリシでは昼間30度近かった気温も、標高1,400mのメスティアでは朝晩肌寒い。メインストリートを歩いてみると、道の両側のいたる所でホテルやレストランが建てられていた。木の柱を使って昔からの作り方で家を建てているのがいいね。聞くところによると、トビリシからメスティアまでの定期航空便もできるらしく、数年したらヨーロッパからたくさん人が訪れる観光地になるのかもしれない。

建設ラッシュに沸くメスティアの中心地だけど、ここにも塔を持つ家が結構残っている。雪山をバックにした塔の姿が絵になるな。

9時過ぎにチャーターした4WDでウシュグリ村へ出発。ウシュグリ村はメスティアから50kmほど南東に行った村で、このスワネティ地方でも最も奥まった場所にある。曇り空の中、未舗装の道をゆっくりと進む。雨が降ると川になる場所にもちろん橋などなく、そのままわたっていく。

途中、二度ほど峠を超える。峠を越え、谷が見えるとそこに別の集落があり、そこには塔のある家が建っている。

そもそもなんでこの地方に塔のある家があるんだろう?ちょうど旅行人のブログにいい説明があったので、少し引用してみる。

中国や欧州の城郭のように普通は高い塔を一軒一軒別々に建てたりせずに、村や町全体を高い壁で囲んだり親族で守ったりする。それが、この地では一世帯で一つの塔を建築するのは、いわゆる「血の掟」という因習が存在するからだ。自分または家族の一員に危害が加えられたら、必ず相手またはその家族に復讐を果たさなければならない。だから、別の家族を敵に回すおそれがあるので、一つの家族単位で防御しなければならなかったのだ。

同じような掟はグルジアだけでなく、アルバニアにもあるという。アルバニアでは塔ではないが、頑丈な石積みの家をつくりクーラと呼ばれているそうだ。チェンチェンでも同じ掟があるというから、コーカサスを中心にこのような掟が存在するのではないかと思う。

スワネティ地方にはウシュグリ村だけでなく、他の村にも多くの塔が建てられていて、いまだに200棟あまりが残っているという。よほど昔はこの血の掟が恐れられていたのだろう。もちろん現在では塔自体はほとんど使われていない様子だが、アルバニアで現在も血の掟が生きているように、この地でもそれは存続しているといわれている。血の掟は恐ろしいが、塔の林立する村の風景は実に美しい(引用終わり)。

3時間ほど山道を走ると、その美しいウシュグリの村が見えてきた。廃墟になっている家もあり、崩壊寸前のように見える家も多い。

村の奥まった場所にあるNinoの親戚の家が経営する宿に向かいチェックインする。三食つきで一泊50ラリ(30USD)。グルジアの物価を考えるとちょっと高いけど、この場所でホットシャワーもついているし、それなりのお値段かな。リチャードは「こんなの払えるか」と言って他の宿を探しに飛び出していった。

早速村の中を歩く。村はいくつかの集落に分かれていて、この宿は一番高い場所の集落にある。標高はおよそ2,200m。集落は石で作られた家が並び、その間の入り組んだ道に牛や豚、ヤギが歩く。

村の中を歩いていると、10歳くらいの女の子がつたない英語で話しかけてきた。どうやらおみやげいらない?と言っているようだ。残念ながらほしいものはなかったのだけど、彼女も暇だったらしく10分ほど僕にウシュグリの現状を教えてくれた。

現在、村には150人くらいが住んでいて、皆家畜を買い、狭い畑で日々の暮らしの糧を得ているそうだ。村人の中でも最近増え始めてきた観光客相手に宿を経営したり、おみやげを売り始めている人もいるとか。そして、こんな環境の中で、Ninoの家族はトビリシ、メスティア、ウシュグリとビジネスを展開していて一家で貴重な現金収入を稼いでいる。メスティアからウシュグリまで送ってくれたのもNinoの旦那で、ウシュグリの宿もNinoの親戚。どういった環境でもビジネスセンスのある人は、機会をつかんで稼いでいるんだね。

そんなことを考えながら歩いていたら、家の二階からヤギがひょっこり顔を出した。

宿の下手にある集落に行ってみる。ここは人が住んでいない家も多く、崩れかかっている塔も多かった。入れる塔はないのかなと探していると、おっちゃんが出てきてロシア語8割、身振り手振り2割で色々教えてくれた。ほとんどわからなかったけど、塔の入り口は高いところにあって、中には入れないらしい。よくよく考えてみたら、外敵から守るために塔を建てたのだから簡単に入れるわけない。そりゃそうだ。

夕暮れ時、村の高台に登ってみると、これまで空を厚く覆っていた雲が晴れ、光が山肌に差し込んできた。宿のある上手の集落と雪を抱いた山、そして新緑のコントラストが美しい。牧歌的って、まさにこういう景色のことを言うのだろう。だけど、平和そのものに見えるこの村でほんの100年前まで血の掟による復讐が行われていたんだ。そう考えると不思議な気分になる。僕に過去を見通す能力があったならば、青空と雪山の白、新緑の緑に真っ赤に染まった光景が見えたのだろうか。

高台から下手の集落を見下ろす。光が新緑に反射して、なんとも言えない美しさだ。5月初旬はまだ寒いかなと思っていたけど、雪と新緑の両方楽しめてよかった。その分雪解け水で村の中の道は泥だらけだったけど。

最後にもう一回雪山をバックに宿のある集落を。モスクワに向かう飛行機の中でこの村の存在を知り、強行日程だったけどここまで来て本当によかった。そう思わせる村だった。

夜は同じ宿に泊まっていた日本人3人とリチャードでグルジアワインとウシュグリでつくられたどぶろくを飲み、互いの仕事のことや人生について話す。電気は通っているのだけど、夜7時を過ぎれば周囲は真っ暗になり、標高2,200mの村は肌寒くなる。仕事から離れこんな環境でゆっくり休暇を過ごすことができる、そのことに感謝した夜だった。

Written by shunsuke

2012年8月9日 at 1:13 AM

DAY4: 塔が建ち並ぶ谷

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4時30分に起き、6時に出るメスティア(Mestia)行き直行バスに乗るためトビリシ駅前に向かう。5月初旬で昼間は30度近くなるトビリシも、夜明け前は涼しくて、タクシーの窓から入ってくる風が肌寒いくらいだ。

トビリシ駅前には5時過ぎに到着。バスの出発時間は6時になっているのだけど、乗り合いバスのため人数が集まると時間より前に出発することもあるので、早く行ってみたけどさすがに5時過ぎには誰もいない。暗い中30分ほど待っているとぽつぽつと人がやってきて、定刻の6時にはほぼ満席となり、いざメスティアへ出発。

これから目指すメスティアは山がちなグルジアの中でも奥地のスワネティ地方の中心地。バスは整備された道をひたすら西へと走る。道の両側には雪山をバックに草原や畑が続き、ところどころで馬がくつろいでいる。

途中何度か休憩を挟み、4時間ちょっとでスワネティ地方の玄関口、ズグディディ(Zugdidi)に到着。ここまでくるとトビリシではからっとしていた空気がかなり湿り気を含んでくる。iphoneの地図を見ると、あと20kmほど西へ行けばもうそこは黒海なんだ。ここでまたもや1時間ほど休憩。どうやら運転手の友だちが何人か乗っているらしく休憩のたびに酒盛りをしているようだ。他の乗客はだいぶ怒っているけど、焦っても仕方ないので僕もゆっくりする。

午後2時近くなってようやくズグディディを出発。ズグディディを出発して20分くらいすると、道は上り坂になり両側に山が迫ってきた。新緑と残雪のコントラストがきれいだ。

ここからはひたすら川に沿った山道をゆっくり登っていく。すると1時間半ほどズグディディから走ったところでまた休憩になった。バスの中で待っていても仕方ないので、外の空気を吸いに出てみるとドライブインのようなレストランからいい匂いが漂ってきた。コーカサスの名物ハチャプリだ。

休みごとに酒を飲んでいる彼らの仲間入りをするのは他の乗客の手前ちょっと気が引けたけど、5秒後にはハチャプリとグルジアビールで彼らと乾杯してしまった。まーこうなったら仕方ない。とことん楽しむか。

片言の英語と片言のロシア語でやりとりをしたところ、ごろつき5人組はみなドライバーの幼馴染で久しぶりにメスティアに帰るところだとか。これから僕が行くNinoの名前ももちろん知っていて、まだメスティアに着いてないのにすっかり歓迎会モードになってしまった。もちろんドライバーの彼はお酒飲んでないよ。さすがにね。

20分ほど酒盛りをしてバスに戻ると、他の乗客も僕がすっかり楽しんでいることに半ばあきれたような、驚いているような。でもこれまでのようなピリピリモードでなく少し和やかな感じになってきた。

一緒にトビリシからメスティアまで11時間バスを共にしたきょうだい。シャイで最初は話しかけても反応してくれなかったけど、最後のほうには質問攻めにされた。ロシア語、ほとんど何言っているかわからなかったのが残念。

道はだんだん細くなり、山はどんどん近づいてくる。

日が傾きかけてきたころ、車窓に塔のある家が見えてきた。ここスワネティ地方に多く見られる塔のある家は外的から身を守るために作られ、100年前まで他の村から攻められた時、男たちがこの塔にこもって戦ったという。一気に中世にタイムスリップしたような気分になる。

夕方6時前、無事にメスティアに到着。ここはこのスワネティ地方の中心地で、谷になっている場所を東西に貫く一本の道沿いに町が開けている。ドライバーにNino’s houseに行きたいと告げていたので、ちゃんと家の前で止めてくれた。場所もメインストリートに面しているのでわかりやすい。こぎれいな一軒家でそれぞれ部屋をホステルにしていて一泊夕食つき40GEL(グルジアラリ:約25USD)。

晩ごはんはスロヴェニアからの4人組とイスラエリー、香港人、NZから来たリチャードと庭のテーブルでNinoの手料理をいただく。グルジアは旧ソ連圏でも料理がおいしいことで有名で、ここでも地場でとれた野菜をふんだんに使った料理がおいしかった。

スロヴェニアの4人組がちょうどこの先のウシュグリ村から戻ってきたばかりだったので、話を聞いてみると”fantastic!!”との一言。それにリチャードも興味を持ったらしく、翌日は宿の4WDを一台300GEL(170USD)でチャーターしてウシュグリ村まで一泊二日で行くことになった。明日の今頃はウシュグリで夜を過ごす、今から楽しみだ。

Written by shunsuke

2012年8月6日 at 11:03 PM

カテゴリー: 2012/05 Caucasus

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DAY3: モスクの国から教会の国へ

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バクーからの乗った夜行列車は快適な二等車両。コンパートメントは僕しか客がいなくて独り占めだった。夜の車内は結構気温が下がったけど、毛布も配ってくれてぐっすり眠れた。旧ソ連圏で夜行列車に乗ったのは初めてだったけど、どこでも似たような感じみたい。これもソ連時代の正の遺産だね。

朝6時過ぎに目が覚めたら、外はこんなのどかな風景。しばらくするとアゼルバイジャンとグルジアの国境に到着したようで、パスポートを回収しにコンパートメントに車掌さんがやってきた。ここは降りてイミグレを通過するのではなくてパスポートを回収してスタンプを押すようだ。

ソ連崩壊以降20年間、ナゴルノカラバフ紛争を挟み緊張状態にあるアゼルバイジャンとアルメニアだけど、お互いの間に位置するグルジアとはそれぞれ良好の関係を保っている(一方でグルジアはロシアと南オセチアやアブハジア問題で緊張状態にある)。こうして列車で何の不自由なく国境を行き来できるのもアゼルバイジャンとグルジアの関係が良好だからだね。

列車はグルジアに入ってからもゆっくりと走り、朝10時前にトビリシに到着。泊まろうとしていた旧市街の宿、Skada Veliに向けて歩いていると、石造りの教会が目に入ってきた。アゼルバイジャンと比べて話されている言葉の音や食べ物はほとんど変わりない。だけどアゼルバイジャン語とグルジア語ではまったく文字が違ったり、少しアゼルバイジャンの人のほうが顔が濃かったり、そして何よりアゼルバイジャンからグルジアに来るということは、モスクの国から教会の国へ来たことになるんだ。

しばらく旧市街の中を迷い目的地、Skada Veliに到着。何も看板がないものだから迷ったぜ。あいにく宿は満室だったものの、別の家族が住んでいる1階の家の空き部屋を紹介してくれて、キッチン付の快適な部屋に20US$で泊まることになった。旧市街の奥まった静かな場所にあって、こぎれいに整備されたベランダスペースがあって、宿のオーナーがとことん親切。これは居心地がいい。

宿に荷物を置いて、旧市街を歩いてみる。トビリシの旧市街はバクーの旧市街と違ってほとんど修復の手が入らず、建物が古いまま残されていて地元の人たちの暮らしが息づいている。

少し風邪気味だったこともあり、とてもよいとの噂を聞いていたトビリシの温泉に入って温まることにした。旧市街の南にハマムがあり、そこには天然の温泉が引かれているとのこと。温泉好きには期待が高まる。宿からハマムまでの道の途中にはいたるところにレンガ造りの教会が建っていた。そういえば、実はキリスト教国家ってあまり行ったことない。イスラエルとイタリアくらいかも。

火山もあるグルジアでは温泉も多く、ここトビリシのハマムも源泉掛け流し!硫黄のにおいが強烈で水温も僕の好きなちょい熱めの気持ちいいお湯だった。イスラム圏では日本の銭湯みたく共同浴場になっていることが多いけど、ここは個室でゆっくり温泉を満喫できた。

このハマムがあるあたりは新しく開発されている地域のようで、昔からの建物と新しいカフェやホテルが隣り合わせで共存していた。そんな雑多な場所にぽつんとモスクのような建物が建っていたのが印象的だった。グルジアはグルジア正教の国だけど、アルメニアとちがってアゼルバイジャン人のようにムスリムもそれなりに共存している。

「ナリカラには登ったかい?」とハマムを出たら先ほど道を聞いたタクシードライバーが声を掛けてきた。ナリカラとはトビリシの旧市街の裏手に残る要塞、そこから見える夜景が最高にきれいらしい。

20度くらいはあるんじゃないかと思う急な坂道を10分ほど登ると、要塞の真下にたどりついた。ドライバーのおっちゃんの言葉とおり、トビリシの街、教会が一望できる。特別何かをライトアップしているわけでなく、自然でほどよい夜景だ。普段中国の人工的なライトアップを見慣れているので、このくらいの慎ましやかな夜景を見るときれいだなと感じる。

夜、宿のミスタービーン似のオーナーに翌日から二泊三日でメスティア、ウシュグリまで行きたいことを伝えると、オーナーの友人でもあるメスティアで宿をやっているNinoに電話してくれ、翌日のバスの手配からホテルの手配までしてくれ、翌朝一番5時30分のバスに乗りメスティアに向かうことになった。(名前忘れちゃったけど)オーナー、ほんとありがとう!

東京からモスクワに向かう機内で見た、雪山をバックに塔が立ち並ぶあの村に向かっていよいよ出発するんだ。この月明かりに照らされたトビリシの町もきれいだけど、深い山に抱かれた村もきれいなんだろうな。

Written by shunsuke

2012年8月2日 at 4:57 AM

カテゴリー: 2012/05 Caucasus

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