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DAY9: 崖の上のタテヴ

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ゴリスで迎える朝、夜明け前の5時に目を覚ます。そもそも昨日5時間近くもかけてここまで来たのは崖の上に建つタテヴ修道院の夜明けを見たかったからだった。コーカサスまでの飛行機の中、雑誌「旅行人」のコーカサス特集に掲載されていたタテヴ修道院の写真。夕日か朝日を浴びて断崖絶壁に建っているその姿がとても美しくて、ウシュグリ同様ひとめぼれしてしまったのだ。写真が見つからないのが残念だけど。

かくして朝日を浴びるタテブを見るために早起きしたものの、空は厚い雲に覆われている。少し明るくなってきた外を見渡してもここから20km離れたタテヴへ行ってくれそうなタクシーが見当たらないので、谷の向こうのオールドゴリスまで散歩する。道を歩くと大量の牛たちが朝のお散歩中だった。

宿のおばちゃんの話によるとここゴリスでは100年ほど前まで人々は横穴を住居として暮らしていたらしい。その洞窟のような穴が今でも残っていて、それをオールドゴリスと読んでいる。川を渡り対岸のオールドゴリスまで足を伸ばしてみると、今では墓地になっていた。

オールドゴリス散策中にすっかり夜は明け、町がにぎわい始めてきた。時計を見るともう7時を回っている。タクシーを捜すと、今にも止まりそうなボロボロのプジョーがすぐに見つかり、往復7,000ドラム(18US$)でタテヴまで行ってくれることになった。ここゴリスがそうであるように、このあたりは河の流れが深い寝食谷を作り出していて、車はその谷に沿うように進んでいく。九十九折の坂を何度か登ったり下りたりするたびにおんぼろの車が止まってしまわないか心配しながら進むこと30分、視界の先にタテヴの修道院が見えた!すごい、本当にギリギリのところに建てられている。

後で聞いた話によると、途中の街からタテヴの修道院を結ぶロープウェーができていて、それに乗れば速く着くらしい。僕もドライバーもそんなことは知らずおんぼろルノーで坂を登りここまでたどり着いた。まだ朝早い時間のせいか、僕以外に観光客は誰もいなくてひっそりとしている。静謐との言葉がぴったりな雰囲気だ。

修道院の礼拝堂から何か音が聞こえてきているので、木製の重い扉を開けると中で二人の修道士がアルメニア語で祈りを捧げていた。窓から差し込む朝の光、修道士、そして意味のわからない祈りの言葉。きっと中世の礼拝のようすもこんな感じだったのかな。

しばらく礼拝堂でたたずんだ後外にでる。タテヴの修道院に着いてから30分くらい経つけれど、誰もやってこない。この雰囲気を独り占め。アクセスが悪いせいか、教会や遺跡に行く時は他に観光客がいない時に行くのが一番だ。

結局タテヴには1時間ほどいてゴリスの街に戻り、宿で遅めの朝食をいただく。朝ごはんを食べながらマスターと話していると、どうやら3,500ドラム(9US$)でエレヴァンまでの乗り合いタクシーを手配してくれることが判明、しかも宿まで迎えに来てくれるとか。ゴリス滞在の間、ずっと厚い雲が空を覆っていたけれど、ゴリスの街は石造りの家が並んだきれいな町並みで、また来たいと思わせる場所だった。

宿でタクシーが来るのを待っていると、マスターの言葉通り10:30にタクシーがやってきた。僕を乗せた後街の中でさらに3人を乗せ、昨日バスで通った道を一路エレヴァンへ向かう。途中、今はトルコ領になっているアララト山がきれいに見られるスポットがあるのだけど、今日も厚い雲が覆っていてくっきり見えなかった。残念。大アララトとと小アララトがあって、左が小、右の麓しか見えていないのが大。大アララトは標高5,000以上もある巨大な山だ。信仰の対象になったのもよく理解できる。

午後1時過ぎ、4時間足らずでエレヴァンに到着。やっぱり乗り合いタクシーは速いな。到着した場所が地下鉄の通っているバスターミナルだったので、地下鉄に乗って街の中心に戻る。ところが、このエレヴァン地下鉄、アルファベット表記がまったくなくて全然読めない!始発駅だったから迷わなかったけど、これはアルメニア語がわからない人には大変だ。

アルメニア滞在の間、ずっと厚い雲が覆っていたけれど、エレヴァンで迎えた午後ようやく雲の切れ間から青空が見えたので、しばしエレヴァンの街を歩いてみる。街の中心Republic Square にあるマリオットホテルから眺めたアルメニア国立美術館。ここのアルメニア史の展示は紀元前の大アルメニアからの歴史と出土品が展示されていて見ごたえがあった。

街の中心部に唯一残るモスク、ブルーモスク。中は緑があふれていて近所の人、ムスリムたちの憩いの場になっていた。ここで英語が話せるイランから来ている学生がいたのでしばしおしゃべり。旧ソ連時代はアゼルバイジャン人が多く暮らしていて、彼らが通ったモスクがあったみたいだけど、ナゴルノ・カラバフ紛争が始まるとほとんどアゼルバイジャン人はアルメニアを去り、モスクは壊されてしまったとか。ここはイランがお金を出して修復、整備しているそうだ。一見平和そうなモスクの中も10年ちょっと前にはそんな歴史がある。そういえば大学の授業でコーカサスはバルカン半島と並んで民族が入り乱れて住んでいたことを議論したっけ。その現実をふと垣間見た瞬間だった。

翌朝早い便でモスクワへ飛ぶので、おみやげを探すがてら夕暮れが沈むイェレバンの街を歩く。アルメニアの国土は山ばかりで産業もなく寂しい国だけど、この首都だけは別世界のようにきれいに整備され人々もおしゃれ。ゴリスの宿で一緒だったイギリス在住のアルメニア人のおっちゃんによると、ユダヤ人と並びディアスポラの多い海外在住のアルメニア人からの投資もイェレバンに集中しているようだ。アルメニアンブリックとこの花屋さんの色使いが僕は大好き。

夜はホステルのメンバーとバーに行き、コーカサス名物のハチャプリを食べ収め。小麦のおいしさもぴかいちだったな。いよいよ明日はコーカサスとお別れかと思うとしんみりとしてきた。

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Written by shunsuke

2012年10月14日 @ 10:12 PM

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