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Archive for the ‘エンターテイメント’ Category

文化を残していくこと

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先月のこと、東京国立美術館で開かれていたボストン美術館展を見にいった。

ボストン美術館展 日本美術の至宝 http://www.boston-nippon.jp/

始まった時から気になっていて行こう行こうとしていたものの結局最終日の6月10日にようやく見にいくことができた。「日本美術の至宝」との副題がついているこの展覧会、ボストン美術館は日本国外で随一の日本美術コレクションを持ち、それが今回海を渡って日本に戻ってきた。

展示は奈良平安時代の仏絵から絵巻、仏像から刀や着物までそろっていて、すべて丁寧な補修が施され素晴らしい展示だった。インドの影響か鮮烈な赤の使い方が印象に残った菩薩像、何もない空間に色々なものを想像させる水墨画。中でもふすまに大胆に描かれた曽我蕭白の作品は「奇才」の名にふさわしく250年後に作品を見ている僕らにまで、彼の感情と情熱が伝わってくる作品だった。

なんでボストンにそんなたくさん貴重な美術品があるんだろう?今回の展示を見るまでは僕はそんな疑問を持っていた。サザビーズのオークションで問題になったフランスと中国の話もあったし、本来日本にあるべきものなんじゃないかとそう思っていたりもした。展示会場の説明によると、今ボストン美術館に収蔵されている美術品は明治期にその価値を見出した米国人が購入してアメリカに持ち帰ったものらしい。

明治の時代に購入されたそれらの美術品は、今考えるととても安い金額で購入されていたと言えるのかもしれない。だけど、見事に修復され、当時の鮮やかな色彩が再現された絵巻を見ていると、アメリカに渡ったからこそこんなにいい状態で保存されていたんだろうなと思えてきた。満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと突き進み、本気で一億総玉砕と叫んでいた時代にこれら美術品を損なわずに保管していく余裕があったとは思えない。戦争末期に空襲で焦土と化した日本で、紙に描かれた絵画や木造の仏像が焼け残る確率のほうが低かったかもしれない。

燃えたり傷ついたり。そんな直接的に被害を受けることもあるだろうし、余裕がなくなって適切な管理ができなくなるという間接的な被害もある。文革のように時に古い文化自体が攻撃の対象となってしまうこともある。戦争や内紛はその国の政治経済や人命だけでなく、積み重ねてきた文化遺産も壊してしまうんだ。

東京での展示は終わってしまったけど、名古屋、福岡、大阪ではこれから開催するので、近くの方はぜひ。

6月23日~12月9日:名古屋ボストン美術館
2013年1月1日~3月17日:九州国立博物館
2013年4月2日~6月16日:大阪市立博物館

Written by shunsuke

2012年7月8日 at 5:00 PM

カテゴリー: エンターテイメント

劇団四季「アイーダ」@四季劇場・秋

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先週、劇団四季のミュージカル「アイーダ」を見にいった。前回「エビータ」以来のミュージカル、前からいい評判をかなり聞いていたので楽しみにしていたのだけど、評判にたがわぬ内容だった。

ストーリーを言うと、古代エジプトの三角関係の話。エジプトの将軍ラダメスは王女アムネリスとの婚約者がありながら、捉えられてきたヌビスの王女アイーダに恋をし、アイーダもラダメスに惹かれていく。そして将軍と捕虜との禁断の恋は愛へと発展する。

ラダメスとアイーダの結婚式当日、牢屋につながれていたアイーダの父、ヌビス王をラダメスは逃がす手引きをする。エジプトを裏切りアイーダとともに捕らえられたラダメス。アムネリスは愛したラダメスへの想いを込めて、ラダメスとアイーダを同じ墓に生き埋めにすることとする。

僕が一番気になったのはエジプトの王女アムネリス。最初は単なるおしゃれ好きなお姫様として描かれているのだけど、次第に王女としての気品をまとい一人の女性、次の王として成長していく。彼女の最後の言葉「我こそはイシスの神の娘、その命令である!」女性としての愛する人への想いを断ち切る切なさと、王女として保たなくてはならない気高さ、その間で揺れる気持ちが言葉と表情に表れていてここの場面は鳥肌が立った。

一回の判断で人生が大きく変わる。そういうことって人生の中で何回かあると思う。僕にも30年ちょっとの人生の中でそんな決断のタイミングが何回かあった。その時にはそこまで深く考えずに決断したことでも、後から振り返ってみたらそれが大きく人生を変えていた、なんてこともあったっけ。

ラダメスとアイーダは「どんな結末になってもその判断をしたことは後悔しない、だって一回きりの人生だから」と信じて決断をする。自分もそんな場面に遭遇した時、心の声に耳を傾けて自分の感情を偽らずに行動したい。そんなことを考えさせられた。

人生に迷っている人、決断をためらっている人、結婚を迷っている人、そんな人におすすめです。

Written by shunsuke

2012年6月18日 at 1:20 AM

劇団四季「エビータ」千秋楽@自由劇場

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先週末に劇団四季のミュージカル「エビータ」の千秋楽公演を見にいった。2009年6月に異国の丘を見にいって以来、久しぶりのミュージカル。正月にアルゼンチンに住む友人とトレッキングに行き、アルゼンチンにも女性大統領が登場して、どこか頭の片隅にアルゼンチンのことがあった通勤の帰り道に、電車の広告で流れていて即決だった。

マドンナ主演で映画にもなっているので物語はよく知られている。アルゼンチンの片田舎で私生児として生まれ、ブエノスアイレスに出ていき女優、歌手、最後は大統領夫人にまで成り上がるエバ・ペロンの生涯を描いたミュージカル。映画が1996年公開だからもう16年も前になるんだ。今回、映画の中で大統領夫人となったエバが宮殿のバルコニーで歌う”Don’t cry for me Argentina”を聞いてみたけど、16年前に聞いた以上に心に響いてきた。歌詞、彼女の抑揚、見ている者をひきつけさせる歌だ。

 

肝心のミュージカルはというと、進行役のチェ・ゲバラ役の芝清道さんの演技と歌声、そして前編の最後にペロン政権が誕生する際、労働者が立ち上がる場面での”New Argentina”の歌声が圧倒的だった。まさにこれぞライブ!という迫力。一週間経った今でも耳に焼きついている。ただその分、エビータ役の方が15歳から演じるには少し厳しかったけど、帰って調べてみたらもう50過ぎてらっしゃるのね。そりゃ15歳の小娘を演じるのは厳しいわ。

あとこの”Don’t cry for me Argentina”だけは英語の歌詞かスペイン語で聞きたかった。日本で日本の劇団がやすミュージカルなのだから仕方ないのだけど、映画で何回も聞いた後に聞くとちょっとイマイチに感じてしまう。機会があったら英語でのエビータもいつか見てみたい。

「彼女は命を燃やして、人生を駆け抜けた」そんなサブタイトルが付けられているように、彼女は厳しい階級社会のアルゼンチンで恵まれた環境で育ったわけでないのにもかかわらず、わずか33年間で大統領夫人にまで登り詰めた。そして、慈善事業に注力したことから死後半世紀以上が過ぎたいまでもサンタ・エビータと慕われている。なにせセックス・シンボルであったマドンナがエバを演じた時には「マドンナ、帰れ!」とアルゼンチンで顰蹙を買ったくらいだ。今33歳の僕は、くしくも今エバがこの世を去った年と同じだけ生きてきたことになる。それだけの激動の33年間、彼女の生きた時間はきっとものすごいスピードで流れていったんだろう。

アルゼンチンは第二次大戦中に世界一の外貨保有国でありながらも、ペロン政権での工業化の失敗と、バラマキによる福祉政策により1950年以降経済が停滞していった。エバの亭主ペロンの失脚後は、1980年代までクーデターと軍事独裁による混迷が続いていく。クレオパトラの鼻が1cm低かったら歴史は変わっていたと言うけれど、エバがもう少し長生きしていたらアルゼンチンの現代史は違ったものになっていたのだろうか。

Written by shunsuke

2012年3月3日 at 7:28 PM

ヤン・リーピン「クラナゾ」@bunkamuraオーチャードホール

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ずいぶん時間がたってしまったけど、4月6日に渋谷bunkamuraにヤンリーピンの新作「クラナゾ」を見にいった。

こちらの舞台、中国語で「藏谜」。その名の通りチベットの文化に焦点を当てた舞台で、08年、10年と雲南の各少数民族の文化を詰め込んだ「シャングリラ(云南影响)」で来日して以来ヤンリーピン三度目の来日公演だった。雲南出身の彼女の活動は僕が昆明にいた頃から話には聞いていたのだけど、初めて彼女の舞台を見ることができたのは2009年の南寧でのこと。その時は、踊りの美しさに鳥肌がたったものだった。

ヤンリーピン「云南的响声」@南寧劇場

これまでも彼女は実際に少数民族の村々を回り、そこで踊りのうまい若者をスカウトして劇団をつくってきた。今回の演目にあたり、彼女はチベットを歩き回りチベット族の若者をスカウトしていったという。そうすることで、踊りの中に詰め込まれた文化や代々受け継がれてきた伝統が消えることなく価値を持つものとして民族のものとして残されていく。「どうしたら少数民族の文化が受け継がれていくことができるのか」そう考え続けた彼女がたどりついた答えだ。すごいのは、ヤンリーピン自身が私財を投じて劇団を経営していること。そしてダンサーかつ、演出家かつ、プロデューサー。53歳を迎えた今年もまだ世界を回りながら現役で踊り続けている、そんな雲南の誇りなんです。

今回の踊りの演目もすべて生活の営みの中の一こまを切り取って、それを舞台に仕上げている。農作業で畑を耕したりヤクを追うしぐさ、水を汲み酒を飲み干す動作、そして祈り。彼女の手にかかると生活のあらゆる場面が踊りになってしまう。

一つひとつの踊りはチベタンらしく舞台の床が抜けるかのような力強さと躍動感にあふれていてすばらしい。そしてそれ以上に信仰の中に生き、輪廻転生で世界が成り立っているチベットの世界観を舞台の演目としてよくつくりあげたと思う。チベットのことを知らなくても踊りで楽しむことができるけど、チベットのことを知っているとこの舞台はもっと奥深いものになる。すごいよ。言葉は半分くらい漢語だったのでそれも楽だった。

今回は公演前に東日本大震災が起きて、率直なところ公演はキャンセルになるんだろうなと思っていた。客席はこの時期にもかかわらず満席。いや、こんな時期だからこそみんな心を震わせるものを求めているんだろう。4分の3が年配の人だったけど。

公演後に彼女が舞台で述べた言葉がとても印象的だった。「三年前の地震でチベットは大きな傷を負った。だけど同時に日本をはじめとして多くの人からたくさんの勇気をもらった。今度は私たちが日本の皆さんに勇気を与える番。地震が起きて日本の多くの人が困難な状況にある今だからこそ私たちは行かなくてはいけない。それが私たちの使命だと思ってここにやってきました」この言葉には不覚ながら泣いてしまった。地震以来涙もろくなってるなあ。

丽萍,来てくれてありがとう。我们都激动你们的演出。你表演的确给我们了勇气。

彼女の踊りはYou tubeにものっているので、見たことない方はぜひ。

孔雀の舞

月光

Written by shunsuke

2011年7月30日 at 4:42 AM

カテゴリー: エンターテイメント

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レンブラント 光の探求闇の誘惑@国立西洋美術館

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上野の国立西洋美術館で開かれているレンブラント展に行ってきた。世界中に散らばっているレンブラントの銅版画、絵画を東京に集めた充実の展示。版画の銅版も展示されていて、魂を込めて銅版を削った彼の姿が浮かんでくるようだった。集めてくるの大変だったと思う。読売新聞グッドジョブ。

展覧会のタイトルにもあるように、どの作品も光をとても芸術的に使い分けていて、白黒の版画なのに、そこから色彩が浮かんでくるようだった。レンブラントが生きたのは1606年から1669年、まだ電気もない時代。当時は太陽の光がこの世の光のすべてで、それ以外の世界は闇だったはず。だからこそこんなにも光と闇を使い分けるひらめきと技法がうまれてきたんじゃないだろうか。

17世紀は写真もない時代。ものの姿を残しておくには絵を描くしかない。その時代にモノを描写できる画家という存在は、芸術家であり記録を残すことのできる映像屋、写真家を兼ねた存在だったんだと思う。画家の存在価値がそれだけ高く、だからこそ技法が発達したんだろう。

情報と映像があふれる現代では、思考せずともイメージがあふれている。その状況の中で、光と闇に生きた時代の人たちの想像力、感性を越えるような創造をするのは難しいんじゃないかな。彫刻、絵画はもうすでに完成された芸術になったのかな。

そんなことを感じた休日でした。

Written by shunsuke

2011年5月1日 at 2:18 PM

カテゴリー: エンターテイメント

蒼穹の昴を見逃すな!

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先週末、桂林から陽朔へと向かうバスの中、出発を待つ社内に新聞を売りにきた。そこで友人の一言「あ、蒼穹の昴がのってる」。どうやら浅田次郎の最高傑作「蒼穹の昴」をNHKがドラマ化したらしい。いやよく見ると監督が汪俊だから中国作品か。そしてそれがおとといから中国でもテレビで放映されていて、"おしんが西太后を演じる"と話題になっているそうだ。
 
 
蒼穹の昴、初めて読んだ時は時間が経つのも忘れて読みふけったっけ。懐かしいなあ。そしてこれを映像化してくれたことに素直に喜びを覚える。
2007年11月30日 読書の秋
 
中国在住のみなさん、北京衛視で毎晩19:40から二話ずつ放送ですよー。でも、僕はこの時間には家にはいないなあ、残念。と思っていたらなーんだ2009年に中国国内でDVDが発売されてるんじゃん。
 
時間があるときに5元くらいで海賊版でも買いに行こう。これで週末の楽しみがまた一つ増えたね。
 
全然話が変わるけれど「おしん」って見たことがなかったので、ウィキペディアで見ていたらこんな表現に目が止まった。
 
「作品では、おしんの幼年期の苦労を描いただけではなく、義理や周りを見ることなく他人を押しのけてまで銭儲けをしてもいずれ自分を追いやってしまう、人として本当に大切な物は何かというメッセージが、おしんが人生の歩みの中で出会ってきた沢山の恩人の言葉を通してちりばめられている」
 
おお!これぞ金しか価値判断基準のない今の中国に圧倒的に足りないものではないか!蒼穹の昴もいいけれど、おしん再放送求む。

Written by shunsuke

2010年3月17日 at 1:34 AM

カテゴリー: エンターテイメント

広西の伝統芝居を見に行ってきた

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今週の火曜日、友人に誘われて広西の伝統演劇を南寧の人民会堂へ見に行ってきた。
 
演目名は「谷魂」。古くから広西に伝わる話で、昔々連日日照りが続きいていた村で、雨乞いのため一人の若者が雨をつかさどる「雷王」に会いに行き、その途中で出会った雷王の娘と恋に落ちる…とのお話。
 
 
結局最後は、村人たちの安寧のために若者や雷王の娘も命を落とすことになり、彼らの魂は稲や水、蛙に生まれ変わっていく。そして、それを見て感動した雷王が毎年蛙の鳴き声を聞くたびに雨を降らせることを約束することになる。同じ稲作文化を持つ日本にもありそうなストーリーだ。
 
途中、歌あり踊りありで、中国版ミュージカルのような舞台。中国の演劇というと「覇王別姫」のような京劇をイメージしていたので、意外だった。
 
物語はすべて桂林のほうの方言で語られるので聞き取りづらかったけれど、舞台の両脇に電光掲示板が設置されていてそこに出てくる字幕を追ってなんとか話についていけた。前回のヤンリーピンの舞台でも電光字幕があったので、演劇に字幕があるのは中国では普通なのかな。
 
最後は雷王の娘役で出演していた知人、一緒にいった友人と記念撮影。
 
 
僕には芸術的才能がない。むしろ芸術に対するコンプレックスがある。音楽、演劇、絵画、自分が芸術的才能がほぼゼロに近いからこそ、その分野で努力を重ね活躍している人に対して羨望に近い敬意を抱くし、自分の人生の中でこうした芸術に触れる時間を多く持ちたいと思う。中国でももっと芸術に触れて、この国と人をもっと理解していきたい。

Written by shunsuke

2009年9月19日 at 12:50 PM

カテゴリー: エンターテイメント