人に学びて、自然とともに生きる

Never stop exploring, Keep your curiosity fresh

Archive for the ‘旅行’ Category

平遥訪問記その2:700年の歴史が息づく街ですばらしい宿に出会った

with 2 comments

平遥古城めぐりもいよいよ終盤、日も傾きかけてくる中夕暮れを城壁の上から眺めるために古城の北にある拱極門に向かう。すると、こんなシュールな刺繍を発見。ほっぺたが赤いのがかわいいね。

メインストリートを北に向かって歩いていくと、町並みの向こうに目指す門が見えてきた。

門から城壁の上に登るところにもしっかりとゲートがあって、共通のチケットをチェックしている。つまりただ城壁を歩くだけでも150元を払わなきゃいけないってシステムなんだな。日本のどこに入場料だけで2000円とるような史跡があるだろうか。それでも中国人観光客は(文句は言っていると思うけど)チケットを買って観光を楽しむ。物価を考えると中国人の観光客は相当なバリューを旅行に対して認めていることなのかもしれない。日本のインバウンドももっとお金もらっていいと思うよ。京都とか町に入るだけで1,500円とかね。そんなことを考えている僕の脇を通り過ぎるおばちゃん。そうか、牛筋ひき肉なのか。

ぶーぶー文句は言ったものの、城壁の上からの景色はすばらしかった。この街がつくりものの街でなくて、700年前から人々の暮らしが根付いてきた街がそのまま残っているってことを実感する。

北にある拱極門から西に位置する鳳儀門までちょうど正方形の古城の4分の1ほどを歩いてみることにする。古城の一辺が1.5kmなのでちょうどそのくらいの距離。少し離れて拱極門と町並みを振り返ると、夕日を浴びていてきれいだった。

しばらく歩いていくと一見同じような家々もひとつひとつやブロックごとに特徴があるのがわかる。屋根の形がちがったり、壁の模様が違ったり。そしてどの路地も生活の音が響いていた。

キュートな扉。扉の魚、チュニジアの家もこんな模様の扉があったっけ。考えてみたらこことチュニジアも陸続き。もしかしたらウマイヤ朝と唐の時代に、オスマントルコと清の時代に同じものが伝わったのかもしれない。歴史のロマン。

ちょうど古城の隅っこに到着。ここから眺めた景色が圧巻。本当に古城の中は昔の家だらけなんだなあ。

30分ほどかけて古城の西にある鳳儀門に到着。ここからの眺めが実に情緒があった。夕日を浴びた石造りの町並み、店の前にはためく屋号、街をいきかう人たち。やさしい陽の光が似合うなあ。

何百年か前にここから夕暮れの街を眺めた人も、今こうして僕が眺めているのと同じ景色を眺めていたんだろうな。そう思うとゾクゾクする。しばらく夕日と古城を眺めてそんなことを考えていた。

日も暮れてきたので城壁を下りる。するとまたもやいいにおいが漂ってきて、思わず焼餅を購入。だけど今度の焼餅は具が酸味の利いたザーサイのような漬物で味はイマイチだった。焼き目がおいしそうだっただけに残念!

大きな町ではとっつきにくい印象を持つ中国人でも、田舎に行けば全然違う。こちらが心を開けばその瞬間に会話が弾み始める。この国の日常の生活の中で、普通の人々から感じるエネルギーが僕は好きだ。

たっぷり間食をし大満足で宿に戻る。今回泊まったのは一得客栈(Yide Hotel)。280年前に建てられた候王賓という銀行家の旧家を改装した、古い四合院のホテル。街のメインストリートから少し南に行った静かな場所にある。

もともと友人と二人で350元のスタンダードルームを二部屋予約したのだけど、グレードアップしてくれていてスウィートになっていた。4月のこの時期、昼間は20度くらいで暖かいのだけど、夜は5度以下まで冷え込む。それでも部屋はオンドルつきで暖かい。天井の形を見てもらえばわかるのだけど、造りは黄土高原の伝統建築ヤオトンと同じだ。考えてみたらここも黄土高原の南東部だものね。

このヤオトン造り、音響効果がすごい。外で鳴く鳥のさえずりが、まるで耳のそばで鳴いているかのように聞こえる。ほんと不思議な建物だ。そして、二つの部屋をつなぐリビングにはこんな愛らしい茶器が置かれていた。細かいところまで気配りが行き届いていてうれしいよね。

夜はホテルのレストランで友人とホテルの女性オーナーと三人で地元特産の紹興酒を片手にゆっくり話す。地元出身のオーナーは今年40歳、凛とした雰囲気が印象的な女性だ。99年頃に古城に残る伝統的な家屋を利用したホテルを開きたい!と心に決め、公務員をしている旦那に仕事は任せて2年間かけてこの築280年の旧家を探し当て、改装し2001年にこのホテルをオープンさせた。「昔の街がそのまま残るこの街の雰囲気、私たちが受け継いできた伝統のすばらしさを多くの人に伝えたかったの」そう語る彼女はとても誇らしげだった。今では平遥でも一、二を争う人気のホテルで宿泊客の9割は欧米人、宿のスタッフは全員英語を話し季節を問わず宿泊客でにぎわっている。週末なのにもかかわらず、ギリギリで予約がとれた僕はラッキーだった。

この街もこの宿も最高です。これまで訪れた中国の街の中でも一番気に入ってしまったかもしれない。日本からでも二泊三日で行くことができるので、ぜひ平遥へ行ってみてください。

一得客栈(Yide Hotel)
http://www.yide-hotel.com/index.asp

Written by shunsuke

2011年4月27日 at 1:17 AM

平遥訪問記その1:いにしえの金融センター平遥

with 2 comments

「昔の城壁、町並みが中国で一番ありのままに残っているんだよ。あの街は僕ら山西人の誇りなんだ」。北京にいた2003年の時に、山西省の友人からそう話を聞いてずっと気になっていた場所、平遥に先週末行ってきた。

山西省の省都太原から南に100kmほど行ったところ。飛行機で太原まで行き、そこから車で2時間ほどいった場所に平遥の街はある。まずは空港近くの農家飯に連れて行かれ、腹ごしらえ。「うちの鶏は新鮮でおススメよ!」店のおばちゃんがそうすすめてくれた土鶏飯、甘めのソースで炒めた鶏をもち米の上にのせて食べる。中華っぽくない料理だったけど、もち米とソースの相性が抜群でやみつきになる味だ。

そしてもう一品のおすすめ、コウリャンの麺。柔らかい麺の上にあんをかけて食べると、コウリャンの粉っぽい風味とあんが混ぜ合わさってまったく新しい味になる。名古屋住民にはあんかけスパをおいしくした感じと説明すればわかりやすいかな。写真をみるとそばに見えるけれど、味はもっと粉っぽい。粉っぽいからこそあんかけがよく合うんだろうね。

お店の看板娘、19歳。日本人と話したのは初めてだったらしく質問攻めにあった。どこに住んでいるの?地震大丈夫だったの?資生堂の化粧品ほしいんだけど、持ってない?ほっぺたの赤さが北の人だ。

太原から平遥までは、畑とポプラの並木が広がる典型的な華北の景色。南と違って空気が乾いているのが、肌を通して伝わってくる。肌から水気が奪われていくような、そんな感じ。途中何度か川を見たのだけれど、どの川にも水が流れていなかったのが気になった。

午後3時前に平遥に到着。すると、こんな光景が出迎えてくれた。こういうのを見ると中国の田舎に来たなあという実感が沸いてくる。

平遥の街は周囲6kmの古城を中心に、その周りに新しい街が広がっている。古城に近づくと堅牢な石造りの門が見えてきた。

ここで改めて平遥の説明を。Wikipediaによる説明を要約するとこんな場所なんです。

平遥は清代末期までは山西商人の拠点であり、中国の金融中心地であった場所。中国では長い歴史の中で戦火にあったり、改築されて昔の都市がそのまま残っていることは少ないが、この平遥古城には14世紀の明代始めに造営された町がそのまま残っている。「亀城」と呼ばれた城内の街路は「土」の字につくられていて、建物は八卦の方位にのっとって配置されている。明代から清代にかけての中国の典型的な城郭、街路の配置、商店や住居などの古建築の保存状態はよく、中国でも最も整っているもののひとつらしい。

清代末期、平遥には大きな票号(近代以前の金融機関)が二十数家あり、中国全土の票号の半分以上が集まる金融の中心地であった。これらの票号は各地に支店を置いて金融業を営んだが、なかでも19世紀初頭に「匯通天下」として19世紀後半に名をはせた中国最大の票号「日昇昌」は有名である。しかしこれらの票号は辛亥革命で清が倒れると債権を回収できず没落していった。これらの票号の建物は現在でも残り観光地となっている。

周りを山に囲まれているわけでないこの平遥の古城が現代に残されたのは、金融の中心地で戦渦に巻き込まれるとみんなが困ったからなんだと、僕はこの説明を読みながらそう感じていた。実際に街でも宿のおねえさんをはじめとする数人の地元人に聞いてみたけど、みんな「たぶんそうだろうねー」とは言っていたからたぶんそうなんだと思う。だれもそんなことはわからないんだけどね。だけど、なぜこの場所が金融の中心地として発達したんだろう?その肝心なことはわからずじまいだった。

女真族の清王朝において騎馬民族と農耕民族をつなぐ中継地点にあったから?今回はガイドをつけてゆっくり話を聞く時間がなかったので、今度また次の機会があったら豆炭のにおいが漂う街を歩きながらじっくり聞いてみたい。

さて、話を平遥の街に戻してみると、他の中国の古城観光地同様、メインストリートにはレストランやおみやげ物やがずらりと並んでいた。そしてこれも他の観光地同様、ここを訪れる観光客の9割以上は中国人。だけど他の古城と違うのは、門構えは観光地っぽくなっているものの建物や道はほとんどが昔から残されてきた建物が使われていること。そして、一歩路地を入るとそこに地元の人の生活の場になっているということ。つぼを売り買いする地元のおっちゃんと、街をねる観光客が対照的。

メインストリートを歩いていると、一軒のお店に目がいった。「平遥名物生姜キャンディ」。生姜にはちみつをまぜてキャンディにしていて、とっても身体によさそう。風邪を引きやすい僕にはちょうどいい。杏味とかもあって、おみやげに大量購入。店の前でお兄ちゃんが飴つくりの実演をやっていたのだけど、茶色の原料が空気を入れながら練っていくと黄金色に変わっていくのがとっても不思議だった。

この平遥。古城の中に入るのはタダだけど、街の名所や城壁に登るには150元の共通観光券を買わなくてはならない。せっかくだからということで150元を払ってチケットを買い、まずは19世紀最大の銀行、日昇昌に行ってみる。それにしても150元は高いよね。この観光業のインフレをさっきの生姜キャンディに還元すべきだよ。

日昇昌の中は昔の銀行窓口のようすとかが再現されていて雰囲気があった。何より建物の梁に直径が40cmくらいある太い丸太がふんだんに使われているのが迫力があった。ニセモノが多い中国の古城だけど、平遥の建物はホンモノだよ。当時でもここの付近はそんな丸太なんてなかったはず。まだ森が残っていた遠い南のほうから運んでくるだけの政治力と財力があったってことなんだろうな。

日昇昌を出ると、道のそばからおいしい香りが漂ってきたので思わず足を止める。中国全土でいろいろな焼餅があるけど、僕はこの焼餅が大好物。ここのは黒ゴマを入れた甘めのあんで、焼きたてがとてもおいしかった。一個1元っていう手軽さも最高だよね。

焼餅を売っていたおばちゃん。朝7時くらいから19時くらいまで、1日300個くらい売れる日もあるのよ。1日300個ってことは2分に1個ってことか。それでも粗利300元だもんな。きっと原価が1個0.2元くらいなんだろう・・・

この後、夕暮れの古城を上から眺めに城壁に登ります。

その2に続く。

Written by shunsuke

2011年4月25日 at 2:18 AM

カテゴリー: 旅行

Tagged with , , , ,

四川大地震被災地訪問:北川編

leave a comment »

前回エントリ: 四川大地震被災地訪問:汶川編

四川大地震の復興地訪問二日目、この日は震源地から北東に100kmほどいったところにある北川を訪れる。まずは成都から高速に乗り北東150kmにある綿陽に向かう。そして綿陽から安県を経て北川を目指す。

前日に訪れた汶川は、都江堰を過ぎたとたんに急に険しい谷になったけれど、ここはまた地形が全然違って緩やかな傾斜の山が徐々に増えていくような感じ。途中には仮設住宅もちらほら見えた。

北川の県城に近づくにつれて次第に山肌にがけ崩れの跡が目立つようになってくる。このあたりは汶川と違って標高1,000m以下な上に降水量もかなり多いので、かなり植生が濃い。岩だらけの山だった汶川とは大違いだ。そんな植生が濃いところでも二年後にこれだけ山が崩れた跡が目立つのだから、地震発生時はさぞかしものすごいようすだったんだろう。

成都から3時間ほどで北川県城に到着。ここ北川チャン族自治県の県城は四方を山に囲まれた場所に築かれていて、地震の発生により建物が倒壊し、がけ崩れとあいまって甚大な被害をこうむった。それに加え2008年の9月の大雨で土石流が発生し、復興が不可能なほどの被害となった。そこでこの県城を遺跡として残し、生き残った住民も全員新しく建設する新県城に移住することになった。それゆえ県城のそばの小高い山の中腹から眺めると、被害地がそのままの姿で残されているのを見ることができる。被害地をゼロから建設しなおした汶川とは対照的だ。

200mmの望遠で見てみるとこんな感じ。こんにゃくのようにねじれた北川大酒店、ぺちゃんこになった道路沿いの建物。2年ちょっとが経った今でも地震のすさまじい傷跡が伝わってくる。これには言葉を失った。

草が覆い茂っているところには小学校が建っていた。地震で建物が崩れた上、山から土砂が崩れてきて今でも多くの遺体が土の中に眠っている。そんな場所でも2年も経てば跡形もないように草が生え、10年も経てば木が多い茂る。自然はあくまで自然に忠実だ。

岩と土砂の下には中学校があった。ここにも多くの遺体が眠っているとのこと。ビルの三階分くらいある岩の大きさがよくわかる。

この姿をこのまま残しておくことにはいろいろ議論があると思う。少なくとも政府の鶴の一声で決まる中国だからこそ可能だったことは間違いない。

山の中腹は被害地を見下ろすスポットになっていて、ふもとから山の中腹まで観光地のようにずらりとみやげ物やが並んでいる。いや、これは観光地のようではなくて、観光地そのものだ。

そして、こんな写真も売られていた。地震前の北川。

地震後の北川。どこで何人亡くなったかの解説付き。10元なり。

話によると、この北川の旧県城を今後もこのまま残して博物館にしてロープウェーもつくるらしい。そうしたら多くの観光客がやってきて入場料を払っていくのだろう。確かに地元にお金は落ちるのかもしれない。ただ、この地で先祖代々暮らしてきて、地震で多くの家族、親戚を亡くした人たちはそれをどう感じるのか。このように公開されているからこそ、まったくの部外者である僕もこうやって被災地のようすを見ることができるわけで、こんなことを言う権利はないのかもしれない。でも少なくとも僕だったら、一生忘れられないような思いをした場所が、自分の家族が土の中に埋まっている場所が見せものになって心張り裂ける思いになるだろう。他人の気持ちや尊厳に敬意を払わない中国人、ここまできたか。

「北川の劇的Before and after写真、10元10元、買わない?」そんなことを考えながら廃墟を眺めていたら、みやげ物を売っていたおばあちゃんに現実に引き戻された。話してみると、県城から少し離れたところの地元出身だったので、この県城を遺跡として見世物にすることについて聞いてみた。「もちろん地震で家がつぶれちゃったけど私のように県城に住んでいなかった人間は仮設住宅にも入れなかったし、何にも補助がもらえなかった。だから自力で家を建て直して今はこうしてみやげ物売ってお金稼いでる。息子が県城死んだけど、そんなことを嘆いているヒマなんてない。なにせお金稼ぐチャンスだしね」

自分の息子の死んだ場所を目の前にしてお金を稼いでる、やっぱりたくましい。そしてメンタリティが日本人のそれとは違う気がする。よくよくいろんな人に聞いてみると、この被災地観光地化にはかなり反対の声もあるらしい。それを聞いて少しほっとした。そして、最後にこの見晴台の入り口に立てられていたメッセージが印象的だった。北川県城で生き残った人からのメッセージ、「北川で亡くなった人たち安寧を祈り、生き残った人間が安心して暮らしていくことが一番大切なんだ」感情のこもったこの文章を読んでなんか胸のつっかえが少し取れた気がした。

でもこのような旧県城を遺跡化することをすすめる文章が大々的に掲げられているということは、それに反対する声があるということであろうし、被災地を掘り返して物を盗ったりするのはチャン族の恥だ!と書いてあるということは、そういうことが横行しているということなんだと思う。一番いいのは実際に北川県城に住んでいた人たち自身の手で、自分たちが住んでいた町をどうするかどうかを決めることができればいいんだろうけどね。

帰り道、ちょうど今建設中の新しい北川県城が見えた。原っぱに160億元の金をかけて一つの街をゼロからつくっている、実写版シムシティだ。

汶川は広東省だったけど、ここ北川は山東省が支援をしているとのことで、いたるところで「山東」の名前が見えた。それにしてもこのクレーンの数、ものすごい。

このあと、謎の遺跡、三星堆遺跡に寄って成都に戻る(次回に続く)。

Written by shunsuke

2010年7月18日 at 3:16 AM

カテゴリー: 旅行

四川大地震被災地訪問:汶川編

with 2 comments

「地震で山がひとつなくなったところもある。2年以上経った今でも何百人、何千人って人が土砂の中に埋まっているんだよ」6月に成都に行った際に会った友人からそんな話を聞いた。以前にも四川の涼山州で林業関連の仕事に従事していた彼は、今年の3月から2008年に起きた四川大地震の被害地での植生回復の仕事に携わっている。
 
今回、そんな彼の好意に甘えて先週末に地震から2年と2ヶ月経った現地、汶川と北川を訪れてきた。木曜の夜遅くに成都入りし、金曜の朝一番で出発してまずは震源地汶川に向かう。車の中で熟睡の同行者とこの夏大学を卒業したばかりの通訳スタッフ。
 
 
成都から都江堰を過ぎてしばらく行くと、急に盆地が終わって山が迫ってきた。そしてその山のトンネルをくぐった先にはダムが待ち構えていて、ここですでに地震の爪あとの土砂崩れ跡を見ることができた。この標高500mちょっとの四川盆地から1,300mほどの汶川までずっと山道が続く。いやいや、ここはもうチベット高原の入り口でもあるのでここからずっとチベットまで山が連なっているのだ。ちょうど中央高速を東京から山梨方面に進んでいって八王子インターを過ぎたあたりのようなかんじ。
 
 
ここから先は岷江(ミンジァン)の流れが作り出した谷に沿って道を進んでいく。両側に迫る山肌にはほとんど岩肌がむき出しのところが多く、雨季の今はいたるところでがけ崩れが起こっていた。もともと道も対岸を走っていて、以前の道はこの土砂の下に埋まったままだそうだ。
 
 
とても気になったのが、地震で崩れた家を見世物用にそのまま残していること。地震の教訓を忘れないためか、観光用としてなのかわからないけれど、このメンタリティは日本にはない。翌日に行った北川でも感じたけれど、この家で親しい人が亡くなったりした人にとっては複雑な気分なんじゃないかな。
 
 
もちろん橋も保存されている。こんなものをほうっておくわけがない。これは明らかに観光用だなあ。
 
 
成都から二時間半ほどで汶川の街に到着。これまでの道の途中とはうってかわって、ここには何も残されていない。本当に2年ちょっと前にここで町が壊滅するような地震があったの?と疑いたくなってしまうくらい。沿海地区の各省と直轄市がそれぞれの地区のGDPの1%を地震の被災地域に復興援助として資金を供出しているらしい。都江堰は上海市が、そしてここ汶川は広東省が資金を出して、2年ちょっとの間に廃墟がまったく新しい街に生まれ変わったというわけだ。
 
 
街の目抜きどおりもちょっとチベット風に整備されている。
 
 
こんな博物館も。この赤の使い方を見て思わず京都伏見の鳥居を思い出した。
 
 
極めつけはこの小学校。まったくどこかのホテルかと思ったよ。今年あった青海の地震の際にも地震発生後一週間以内で電気、水道のライフラインが開通したとのニュースを聞いて中国の底力に驚いたけど、この復興のスピードはほんとにびっくりだ。そして改めて思う。この国に日本の税金を使って援助をする意味があるのかと。外交のカードとして意義があるとの主張も、ここまで中国が経済力をつけるともはや説得力がない気がする。この話についてはそのうちいつか改めて書いてみたい。
 
 
ま、あまり考えても仕方ないのでおいしいものでも食べようか、ということでおいしそうな食堂に寄りタンタンメンと刀削面をいただく。これが、四川らしく山椒のたっぷりきいた味であっという間に平らげてしまった。四川料理、やっぱり大好きだ。
 
 
おなかを満たしたあとお店のおばあちゃんと話をする。おばあちゃんは70歳、この食堂を家族、親戚と一緒に切り盛りして20年近くになる。地震の際にも店を営業していて、運よく家がつぶれなかったらしい。なので補強工事を少しして今でも建物をそのまま使っているとのこと。「そんでも親戚はたーくさん死んじまったよ。その分わたしゃ長生きするよ」ばあちゃんならきっと100歳くらいまで生きるよ。
 
 
ここ汶川は羌(チアン)族が結構住んでいる。掃除のおばちゃんも民族衣装だった。
 
 
このあと友人の仕事のカウンターパートである汶川県の林業局と酒を飲む羽目になり、飲んだらセーブするのも申し訳ないので帰りの車は熟睡だった。あとからきいたところでは震源地にも寄ったらしいのにまったく覚えていない。残念。明日は別の被災地、北川。汶川とは対照的な光景が待っていた。

Written by shunsuke

2010年7月16日 at 2:26 AM

カテゴリー: 旅行

DAY4: 成都でかつ丼を食べる

with 2 comments

朝5時30分、昨夜のワールドカップ対カメルーン戦の余韻も冷めやらぬ中、一日一本の西寧行きのバスに乗るため宿をチェックアウトしてバスターミナルへ向かう。早朝の夏河の街は空気がとても澄んでいて、高原のひんやりとした空に真っ赤に広がった朝焼けがとても印象的だった。

夏河初西寧行きのバスは座りきれないほどのチベタンとわずかの旅行者を乗せて6時10分に出発。見渡す限り草原と山が広がる絵に描いたような高原地帯を西に向かってひたすら走る。そんな風景に見とれながら2時間ほど走ったところで急にバスが止まった。どうやらパンクしたようで、ドライバーがバスの下に潜り込んでタイヤ交換を始めた。他の乗客たちと一緒にバスを降りてゆっくり景色を眺める。

それにしても中国をはじめ途上国の長距離バスやトラックのドライバーは多少の故障なら自分でいろいろいじってすぐに直してしまうのはすごい。こんなところでJAFなんて呼べるわけないので当然なんだろうけど。大変そうなバスのタイヤ交換も10分足らずで終わってしまった。

3,000m近い夏河から2,300mの西寧まで次第に下っていくと、突然真っ黄色の景色が一面に広がった。菜の花畑だ。それもこれでもかというくらい豪快に広がっている。

西寧には定刻通り12時30分に到着。青海省の省都だけあって大都会、なんだけどその中にも袈裟を着た坊さんが歩いていたり、チュパを着たチベタンがいたり風情を感じる街だ。ここに来るのも9年ぶり、前回は屋台で食べた刀削面が感動するくらいおいしかったなあ。

ここまで来たからには、うまかった西寧の麺をもう一度食べたい!ということで道行く人に尋ねて、西寧で一番人気との「牛肉面大王」にたどりつく。昼時ということもあり、店は満員。バックパックを背負った姿で入るのを一瞬ためらうもののすぐに気を取り直して、店の定番牛肉面をオーダーする。これが噂どおりの絶品。店の中で打っている麺はコシがあるだけでなく、噛めば噛むほどうまみが出てきて、スープと牛肉とのコンビネーションも抜群。まず小麦の味が全然違う。さすがシルクロード、ここはもう小麦の世界なんだなあ。コメの世界の広西では絶対に食べられない味だ。

牛肉面で満ち足りた後は空港に向かい成都行きの飛行機に乗る。今回成都経由にしたのは3月から成都にやってきた友人に会いに行くのと、成都でかつ丼を食べるため。北京にも上海にもない「とんかつ和幸」がここ成都の伊勢丹にはあるのだ。さっそく成都の伊勢丹の7回に向かうと懐かしいのれんが見えてきた。

店内、そしてメニューは日本のそれとまったく同じ。ごはんとみそ汁、キャベツもおかわり自由。日本人スタッフもいてほかの中国人スタッフも日本語対応ができる人をそろえている。肝心のかつ丼は期待通りのおいしさ、幸せだー米も日本で食べるようなもっちりとした味で中国で食べている気がしないよー。ひさしぶりのしじみのみそ汁がたまらなくおいしくて2杯もおかわりしてしまった。それにしてもなぜ北京でも上海でもなく、日本人が1,00人くらいしかいない成都だったんだろう。

成都には一泊して以前北京でインターンしていた時の知人と6年ぶりに会うなど、懐かしい面々と会うことができリフレッシュできた時間だった。中国在住のみなさん、とんかつ食べたくなったら成都ですよ。

Written by shunsuke

2010年7月7日 at 6:04 AM

カテゴリー: 旅行

DAY3: ラプラン寺で考えた

with 2 comments

11時まで寝てしまった前日の反省を踏まえてばっちり朝6時に目が覚める。あさもやの中を外に出て大タンカ台のほうに歩いて行くと、昨日とうってかわって真っ青なにゴンパの茶色がよく映える最高の天気。そうだよ、こんな青空が見たくてここに来たんだよ。

 

 

街のはずれにあるタンカ台の丘に登って朝日を浴びるラプラン寺を眺める。こうして全景を見てみるとあらためて寺がでかい。街の半分は寺だ。

 

 

中心部を拡大するとこんな感じ。昨日会ったゲシェは朝8時から説法を始めると言っていたので、もう今頃は寺の中で坊さんたちが説法を聞いているんだろう。

 

 

そんなことを考えてながら寺を眺めていたら、坊さんが丘をてくてくと登ってきた。若いのできっと説法を抜け出してサボりに来たのか。やっぱりどこにでもいるんだなあ。青い空に緑の草と赤い袈裟が見事な組み合わせ。
 
 
丘の上でぼーっとしていたら昨日の二人組が草原に行くとのこと。天気がいいので僕も行くことに。丘を降りて境内の中を歩いていくと豚が日向ぼっこをしていた。こんな天気のいい日は豚も気持よさそうだ。どうせもうすぐしたら食べられてしまうんだろうけど。
 
 
標高3,000mの日差しは思ったよりも強烈。水を売っていたおばちゃんもパラソルと帽子で完全装備だ。
 
 
車で20分ほどいくと、こんな感じの草原が広がっている。
 

 
草原には何か所か乗馬向けの馬が飼育されていて30元くらいで乗ることができる。「馬乗ろうぜ、馬。草原きたら馬だよ」なんかすっごい素朴な兄ちゃんにすすめられてついつい草原で馬に乗ってしまった。この素朴さで稼いでいるんだろうなー
 
 
草原から夏河の街に戻り、郎木寺へ向かう二人組を見送ると急におなかがすいてきたので、メイン通りでやたら人でにぎわっている回族料理屋に入る。そこで牛肉炒面を食べるとこれが大当たり。ちょっぴり辛めの香ばしいソースで炒められたシコシコの麺とヤク肉が最高においしかった。そうなんだよ、この小麦の味、これは南では食べられないんだよなあ。
 
 
「おい、ちょっとこっちきて座んなよ」一人で黙々と食べていたらチベタンに声をかけられた。彼は家族で青海省からラプラン寺に巡礼に来たとのこと。チベタン相手にはあまり中国語は好まれないので、カタコトのアムド方言と英語で話していたら、向こうから普通語を使ってきた。10年前はほとんど普通語は通じなかった記憶があるんだけど、今ではみんな話すことができるし聞くのも問題ない人が多いなあ。今でも日常会話はみんなチベット語だけれど、これだけテレビが普及したら当たり前か。
 
 
食後、彼と一緒にラプラン寺にコルラに出かける。チベット寺にはどこにもこうしたマニ車が寺の周囲に作られていて、巡礼に来た人々はこれを回しながら時計回りにぐるぐると回る。ここラプラン寺はチベット仏教の最大宗派ゲルク派の六大僧院の一つ。そんな聖地なので、もちろんここに巡礼に来る人は後を絶たない。マニ車はそんな巡礼者の手によって握られている部分が真っ黒になっている。
 
 
ラプラン寺はおよそ一周3.5kmほど。巡礼者たちだけじゃなくて、地元の人も時間を見つけてはコルラをしていて散歩コースのような雰囲気。
 
 
巡礼路のあちらこちらに「昔誰々が何かをした」といったスポットがあって、みんなそこの場所にくると頭をくっつけて祈る。毎日毎日頭をこすりつけられている場所はマニ車同様真っ黒になっている。
 
 
そんなコルラを終え夕暮れのラプラン寺を見ようと再びタンカ台にやってきたら二人組の坊さんと仲良くなった。彼の名はジュメ、四川のゾルゲから3カ月ほど勉強のためここにきているとのこと。多くの活仏、ゲシェがいるラプラン寺には各地から彼のような僧が集まってきていて数カ月滞在して勉強していく。そしてそれを地元の寺に持ち帰って広めていくそうだ。
 
彼が今研究しているのは仏教哲学とチベット医学。地元では寺が医療施設も兼ねていることもあり、簡単な病気は薬草を煎じて地元の人に提供するらしい。「村のために人が集まる、そんな寺にしたいんだよね」ときらきらした目で語ってくれたのが印象的だった。ジュメ、いろいろ教えてくれてありがとう。寺に戻ったら遊びにいくよ。
 
 
そんな夏河滞在最後の夕方、コルラの道筋で中国人観光客が正面からカメラを巡礼者に向けて無遠慮にパシャパシャ撮っていた。あーあ、見たくないものを見てしまった。動物園じゃないんだから、撮られる側の気持ちも考えようよ。相手は豚や牛じゃなくて人間なんだよ。
 
たとえば写真を撮られることが魂を抜かれることと同義な人もいるのかもしれない。信仰の場を他人に写真を撮られるのは信仰を汚されたと考える人がいるかもしれない。そういうことを想像しようよ。彼らの生活の場、信仰の場に相手の文化への敬意を持たずにずけずけと踏み込むから嫌われるんだよ、暴動が起きるんだよ。僕はチベタンでもないいち日本人だけど、この光景を見てあまりに腹が立ったので、そんな中国人オヤジの写真を至近距離で撮って言いたい放題文句言ってやった。自分は無遠慮に撮りまくっているくせに僕が彼を撮ったら怒り出す彼。
 
中国人、特に漢民族のみなさん、相手の文化に敬意を持って接しようね。こういう行為は恥以外の何物でもないよ。
 
 
少し歩いて冷静になって考えてみると、僕が撮っている写真も大して変わらないことに気がついた。もちろんすべて相手に撮っていいと確認してから撮っているんだけど、結局のところ自己満足であって彼の行為と大して変わらないんじゃないか。もしかしたら僕がこれまでとってきた行為も知らず知らずのうち、相手に不快な思いをさせていたこともあったのかもしれないんじゃないか。そんなことを考えたらカメラを取り出す気がなくなってしまった一日だった。

Written by shunsuke

2010年7月1日 at 2:09 AM

カテゴリー: 旅行

DAY2: 大草原を突っ走り、ゲシェと出会う

with 3 comments

夏河二日目。起きたら11時だった。前日にかなりハードな移動をしたせいか、休み前に仕事が忙しかったせいか、よっぽど眠かったらしい。もったいない!と嘆いてもはじまらないので、まずは腹ごしらえをしようと外に出る。ちょうど街の目抜きどおりで下水道管を埋める工事をしているらしく、とてもほこりっぽい。その上今日は厚い雲が空を覆っている。ああ、青い空が見たくてここまできたのに。

ここまで来たらチベット料理を食べないと、ということで昨夜と同じNomad Restaurantでチベット餃子のモモをオーダー。以前にカムやチベットで食べたモモはヤクの肉が臭かった覚えがあったのだけれど、ここのヤク肉はほんとに新鮮でおいしい。なんていうか臭みのない羊肉と柔らかい牛肉を足したような味でとってもジューシーだ。

「私たち午後にタクシーチャーターして近くの村に行くんだけど、よかったら一緒にどう?」3階にあるレストランの窓からラプラン寺をコルラするチベタンの姿を眺めていたら、ちょうど昨日蘭州からのバスで一緒だった中国人の女の子二人組にそう話しかけられた。典型的な南の訛りだったので、聞いてみると広州と湛江から来たとか。なんか南の言葉を聞くだけでほっとする。まだラプラン寺も見ていないけど、特に予定もないので一緒に行くことに。

さっそくチャーターするタクシーを見つけドライバーを待っていると、こじゃれたおっちゃんがスクーターに乗って話しかけてきた。街の人はチベタンでももうあまり民族衣装のチュパは来ていない。着ないの?と聞いたら、「あれは田舎者が着るものだ」とバッサリ。まあたしかにおっちゃんはおしゃれだ。チュパは家の中じゃ動きづらいだろうしな。

タクシーは夏河の街を出て西寧に続く道をどんどんと登っていく。腕時計の高度計が標高3,700mを示したところに峠があった。峠にはしっかり経文が巻きつけられたタルチョがはためいている。

峠を越えると、そこには一面の草原が広がる絶景が待っていた。ああ、曇りなのがもったいない!

草原で草をついばむ羊とヤギたち。けっこう色も形もばらばらなんだね。

中にはこんな立派な角を持つやつも。

道はしごく快適。ところどころに小さな、ときに大きな穴がぽっかり開いているもののしっかりアスファルトで舗装されている。と思ったら、いきなり目の前の道が工事中で行き止まりだった。おばちゃーん、工事終わらないの?と聞くと、おばちゃんはただヤクのえさの草を干していただけだった。結局われわれは遠回りをして、目的地に向かうことに。

そういえば、二人組に着いてきたけどどこに行くのかすらはっきり聞いていなかった。そんなこんなでまずは最初の目的地、甘加郷の八角城遺跡に到着。ここには500年前の清の時代に作られたという城壁が残る。500年前に城壁をつくったということは、その当時にここに攻め込まれる危険性があったということ。まったく誰が?

そんな疑問をドライバーにぶつけてみるも、もちろんまともな答えは返ってこず。まったく手のくわえられていない土の城壁の上に登って集落を眺めると、ちょうど羊の放牧から村人が帰ってくるところだった。どういう理由であろうと城壁がつくられて500年以上ここに人が暮らしてきた。きっと電気が通ってモノが増えた以外は、500年前からほとんど変わらない生活をしているんだろうな。

次は八角城遺跡の近くのゴンパを目指す。こんなはずれのゴンパにもしっかり入場料をとる人がいて、30元の入場料を請求された。ちょっと複雑な気分。一緒にここまで来た二人組のように比較的アクセスのいいこのあたりのチベットエリアには休みともなれば多くの中国人(おもに漢民族)観光客が一眼レフを片手に訪れる。そして豊かになった彼らが落とす現金は地元の人の貴重な収入になる。ゴンパが入場料をとるのも実に合理的なアイディアだ。

誤解を生むような表現かもしれないけれど、漢民族は他人の文化に対してあまり敬意を示さずズケズケと他人の家に土足で上がることが多いと僕は感じている。それが他人と自分とを測る尺度をあまり持たないせいなのか、単に異文化に身を置いた経験が少ないかなのかはわからない。だけど家でも土足だから、相手が家の中で靴を脱ぐかどうかを聞きもせず土足で上がるような、そんな感覚を覚えることが多い。そのような彼らが落とすお金が地元を潤すようになると、そこの土地が彼らにとって好ましい観光地にどんどん変わってしまう。夜中までガンガン音楽が鳴り響く雲南省の麗江しかり、広西の陽朔しかり。ヨソモノである僕にはまったく発言する権利もないのだけれど、ちょっと複雑だ。

2008年の3月にはここ夏河でも官製のプレスツアーの最中、チベット人僧侶による外国プレスへの抗議行動があった。ここを訪れる中国人旅行者は、あの時のチベット人の行動の裏には、日ごろの漢民族たちの敬意のない行動が積もり積もっていただろうことを忘れちゃいけないと僕は思う。そんな難しいこと考えずにオプマニメメフムだぜ。と若き僧侶。いや、おまえは金がほしいだけだろ。

次に車が向かったのはある湖。名前は忘れてしまったのだけれど、地元の人にとっては聖なる場所で毎年ここで儀式が行われているらしい。

経文がびっしりと書かれたタルチョが木にぐるぐる巻かれている。このタルチョの色にはそれぞれ意味があって、青が空を、赤が太陽を、緑が自然を表しているらしい。じゃ、白は?とドライバーに聞いてみるが返事が返ってこなかった。この国の人の適当さはどこに行っても同じようなものだ。僕も人のこと言えないけれど。

三か所を回ったタクシーは19時ごろに夏河の街に戻ってきた。宿の前に着くと、なんだか僧侶の一行が井戸端会議をしていた。気になったのでのぞいてみると、ちょうど四川省のアバ地方から講演のためゲシェ(博士)がやってきたところだったらしい。ここのラプラン寺は甘粛省のみならず青海省、四川省、チベット自治区から人が集まってくる。ここで勉強して地元に戻って活仏であるリンポチェやゲシェの教えを伝えるのだ。

ゲシェと話してみると、やっぱりとても普通語がうまい。そして物腰も柔らかくて気品と知性がにじみ出てくる。僕が日本人で広西に住んでいると告げると、「2か月くらいはラプラン寺にいるけれど、戻ったらうちの寺に遊びに来なよ」と言って袈裟の中から名刺が出てきた。名刺まで持っているとはさすがゲシェ。弟子にピントが合ってしまってごめんよ。

結局ラプラン寺の目の前に泊っているのに、この日は一歩も寺に入らなかった。明日こそはしっかり寺を見に行こう。

Written by shunsuke

2010年6月21日 at 12:48 AM

カテゴリー: 旅行