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チュニジア旅行 Index

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チュニジア旅行:2010年2月10日~21日
 
■地図

■旅程

2/10 ZH9604 南寧(NNG)18:40 → 広州(CAN)19:50
        AF107   広州(CAN)23:50 → パリ(CDG)6:10(+1Day)
2/11 AF2178 パリ(CDG)9:35 → ナポリ(NAP)11:50
2/12 ナポリ
2/13 ナポリ 6:50 → ローマ 8:00
      TU753 ローマ(FCO)11:05 → チュニス(TUN)12:20
2/14 チュニス(Tunis) → メドニン(Medenine)
2/15 メドニン → クサール・ギレン(Ksar Ghilane)
2/16 クサール・ギレン → ドゥーズ(Douz) → 砂漠ツアー
2/17 ドゥーズ → トズル(Tozour) → ネフタ(Nefta)
2/18 ネフタ → トズル → ガフサ(Gafsa) → ケロアン(Kairouan)
2/19 ケロアン → チュニス
2/20 カルタゴ(Cartarge)、シディ・ブ・サイド(Sidi Bou Said)
2/21 AF1685 チュニス(TUN)9:05 → パリ(CDG)11:40
        AF102 パリ(CDG)23:35 → 広州(CAN)18:30(+1Day) 
2/22 ZH 9603 広州(CAN)20:20 → 南寧(NNG)21:30

Written by shunsuke

2010年3月7日 at 3:22 PM

カテゴリー: 2010/02 Tunisia

言語が変わればデファクトも変わる

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今回チュニジアで一番びっくりしたこと。ケロアンのネットカフェでメールを売っていたら、"Kairouan"が"Kqirouqn"になってしまった。あれ?どういうこと?よく見たらキーボードがなんかちがう。AとQの位置が反対に、MがLのとなりに飛んでいる。

キーボードの"A"のキー配列が違うキーボード、初めて見た。調べたらフランス語圏ではキーボードの左上からのアルファベット配列がQWERTYではなく、AZERTY配列が一般的らしい。へーこいつは知らなかった。

 
このキーボードのQWERTY配列、実際ベストなものではないのに、最初に広まったがゆえに標準となったデファクトスタンダードの好例としてよく話に聞くけれど、言語が変わればデファクトも変わるということか。面白い。

Written by shunsuke

2010年3月7日 at 3:18 PM

カテゴリー: 2010/02 Tunisia

DAY12: ルーブルで言葉を失う

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朝9時発のフライトのため、6時のモーニングコールで目を覚ます。が、なにやらものすごく頭が痛い。二日連続でだいぶワインを飲んだもんだからかなりの二日酔い。それでも乗り過ごしたらシャレにならないので何とか空港にたどり着き二時間ほどでパリに到着。来たときも雪だったけれど、この日もどんよりとした曇り空。真っ青な空が広がっていたチュニスからくるとなおさら重苦しく感じる。
 
空港で12時間トランジットの時間をつくったので、シャルル・ド・ゴール空港のツーリストインフォメーションでパリの鉄道一日乗り放題の"Paris Visite"を買って目当てのルーブル美術館へ向かう。シャトレーの駅で地下鉄1号線に乗り換えルーブル博物館駅で降りると目の前がもうルーブルだった。
 

 
それにしても周りはアジア人の観光客ばっかりだ。とくに中国人の家族連れと日本人の卒業旅行が多い。旧正月だし、アジアからのチケットも安いからだろうな。でもとりあえず博物館のピラミッドまでやってきたものの、ガイドブックも何も持たない僕はどこが入り口かもわからずにうろたえる。すると、「ハイ、今からルーブル入るんでしょ?私たち今見てきたところだからチケットあげるわ」と、白人のカップルがチケットを二枚手渡してくれた。
 
一瞬戸惑う僕。つまり、彼らはもう見てきて必要ない、そしてチケットは一日の有効期限の間だったら何度でも出入りできるから僕に譲ってくれたってことか。1分くらいかけてそのことを理解したのだけれど、なんで彼らはこれだけ大勢いる観光客の中で一人でいる僕に二枚のチケットを手渡したんだろう?そんなに金持っていなさそうに見えたのか?9.5ユーロのチケットが惜しくて入るのをためらっているように見えたのかも。なんかすっきりしないけど、まあタダでもらったからいいか。
 
ルーブルの中は僕なんかが説明するまでもなく、ただただすごい。何がすごいって、ルーブル美術館中にあるものの8割以上が、今のフランス国外から運ばれてきたものだから。この歴史の中で支配者であったことがヨーロッパの持つ伝統と重みなんだろうなって思った。これは世界最古のアルファベット、フェニキア文字。今のレバノンで見つかったもの。
 
 
"目には目を、歯には歯を"のハムラビ法典。こちらは今のイラクからここに持ってこられた。
 
 
そして、ミロのヴィーナス。こちらは19世紀にオスマントルコ領で見つかったものをフランスが買い上げたもの。あの時代にこういう美術品の価値をはかることができる余裕があって、文化的財産を所有することの重要さを知っていたんだろうな。
 
少し前にサザビーズのオークションで中国人が円明園から持っていかれたものを落札して、お金を払わずに中国に持って帰ろうとした事件があったけど、金を払わなかった行動は別としてその気持ち少しわかった気がした。フランスをはじめとする国々がその価値をしっていたからこそ保存されて今に残っているということもあるかもしれないけれど、自国の著名な文化遺産がほかの国に行かないと見られないっていうことは、とても悲しいことだと思う。
 
 
サモトラケのニケ。広場のすべての光と視線集める存在感、今しがた羽をはばたかせて船のへさきに舞い降りたかのような躍動感、これが紀元前につくられたものなのですか。すごい。いや、彫刻に関していえば、人間がつくる芸術ってこの時点でもう完成されていたんじゃない?そんなふうに感じてしまうよ。これもギリシャで発掘されて、ばらばらだったものをルーブルの学芸員がここまで復元したとのこと。それってひとつひとつの破片から、この形をイメージできていたってことだよね。それもまたすごい。
 
 
ルーブル美術館の美しさはただ展示品の美しさだけじゃなくて、元宮殿だったルーブルの建物の建築美に加え、考えつくされた採光の中に計算された上に展示されているということ。ひとつひとつの美術品ももちろんすごいのだけれど、このルーブルの中にあって調和している空間を体験することができるのがすごい。このニケは「ダリュの階段踊り場」との踊り場に置かれているのだけれど、階段をのぼり180度曲がった瞬間、天井から光が差し込む踊り場に勝利の女神が立っている。その姿を目にした瞬間、あまりの神々しさに鳥肌が立って一分間くらい口を半開きにしたまま見とれていた。
 
 
もはや説明の必要もないモナリザ。でも小さすぎてニケのような直接魂に訴えかけるような力は感じなかった。いや、近くにも寄れないので目があまりよくない僕にはよく見えなかっただけです。残念。
 
 
ナポレオンの戴冠。ここでようやくフランスのものが登場。ナポレオンの横にジュリアス・シーザーがいるのが遊び心を感じる。
 
 
一番心に響いたのはサモトラケのニケだったけれど、絵画で目を奪われたのは「メデューズ号の筏」だった。実際の遭難事件をモチーフとして、そのリアリティを出すために実物大の筏をつくり、切断された腕などをデッサンするため死体置き場に通ったらしい。「俺はここにいるぞ!生きているんだぞ!」この縦およそ5m、横7mの絵の前に立っているとそんな叫び声が聞こえてきそうな気がする。本物ってすごい。
 
 
5時間ほどルーブルを満喫して再び空港に戻り、11時過ぎの飛行機で中国に戻る。ナポリ下町のうまいカフェと、人懐っこいナポリっ子、サハラに沈む夕日と砂と風の中に生きる人たち、そしてルーブルの歴史と芸術の美。初めてのヨーロッパ、初めてのアフリカ大陸と初物づくしだったけれど、今回も驚きと感動ばかりで自分の世界の狭さを思い知った旅だった。

Written by shunsuke

2010年3月7日 at 3:21 AM

カテゴリー: 2010/02 Tunisia

DAY11: チュニジアンブルーの街、シディ・ブ・サイド

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青い街シディ・ブ・サイド(Sidi Bou Said)を見てみたい。僕がチュニジアに行きたいと思ったきっかけの一つが、友人Sさんの撮ったこの青い街シディ・ブ・サイドの写真だった。
 
 
チュニジアに来たからにこのチュニジアンブルーを見ておかないと。ということでチュニジア滞在最後のこの日、ツクバの友Nちゃん、Cちゃんとカルタゴとシディ・ブ・サイドに出かけることに。7時に起きた時は雨でちょっと気分が萎えたのに、待ち合わせた8時半にはこの晴天!雨男なのによくやった!緑の電車に黄色いタクシー、そして赤いパラソル。信号機のできあがり。これもこの青空だから映えるんだよね。
 
 
チュニスの目抜きどおりハビブ・ブルキバ通り(またこの名前か)はフランス植民地時代の香りがぷんぷん漂ってくるオシャレなとおり。高級そうな服屋さんや銀行が並び、道端ではオープンカフェで話に花を咲かす。道行く女性もほとんどスカーフしていないのはちょっとびっくりだった。
 
 
このままチュニス・マリン駅まで15分ほど歩いて、郊外列車TGMに乗る。最初に目指すはカルタゴ。江ノ電のようなスピードでトコトコ30分ほど走るとカルタージュ・ハンニバル駅に到着。おお!ハンニバルですよ、ハンニバル。「ローマ人の物語」を5巻まで読み終わっていた僕はハンニバルの名前で即興奮。駅も青と白で統一されていてとてもきれい。
 
 
フェニキア人の都市だったカルタゴは第三次ポエニ戦争後、ローマ人によって徹底的に破壊されたため何も残っていない。ここに残っているのはその後ローマ人によって再建されたカルタゴの街の遺跡だ。まずは駅から10分ほど坂を登って街を見下ろすビュルサの丘(Acropole de Byrsa)に向かう。ここには第8回十字軍遠征に参加していて没したフランス国王ルイ9世に 捧げられているサン・ルイ教会(Cathedrale St. Louis)があり、入ってみるともともとモスクらしき建物をそのまま教会にしたようで面白い。
 
 
それにしてもいくら植民地時代はフランス領だったとはいえ、イスラム勢力からキリスト教の聖地を奪うための十字軍で命を落とした人が今はイスラムの土地となったところに祀られているのも何か不思議な気がする。彼は天国(地獄か?)で何を思うのだろうか?
 
そのあと、カルタゴの住居が残る場所に向かうと、こんな案内板が。お勧めルート、①景色を眺める、②遺跡を見て回る、③博物館に行く、④来た道を戻る。いやいやここには景色と遺跡と博物館しかないんですけど。そんなことをそのまま勧められても困る。案内版ならもう少し別のことを説明してくれるとうれしいのだけどな。
 
 
チュニジア名物、戦士の人形。どこにでも売られているのだけれどCちゃん曰く「カルタゴの戦士は遠くを見つめているね、なんか悲しそう」うん、言われてみればチュニスで売られていた戦士とちょっと表情が違う。彼はフェニキア人の末裔なのかもしれない。
 
 
ビュルサの丘をあとにして登ってきた坂道を今度は海に向かって下っていく。20分くらい歩くとアントニヌスの共同浴場(Thermes d’ Antonin)が見えてきた。ここは五賢帝の一人、アントニヌス・ピウスによって建てられた共同浴場で、当時は水風呂、サウナ、混浴風呂まであったらしい。青い空、そして地中海の海、ローマの遺跡。完璧だね。
 
 
この広大な景色にひたっていたらNちゃんが思わぬ一言。「当時のローマ人は裸で入っていたのかな?でも今ってそういう習慣ないよね?いつから隠すようになったんだろう?」確かにそうだ。あとからググってみたらどうやら裸で入浴していたらしい。それじゃ、いつから隠すようになったんだろう。一人で旅をしていると自分の知識でしか判断できず、自分の観点からしか疑問を持つことができない。誰かと一緒に旅をする最大の喜びは他人の知識と観点を共有できて違った角度からものごとを捉えるられることを知ることができること、そしてその喜びを共有できることだと思う。
 
この浴場は二階建てだったらしいけれど、今残っているのは一階部分のみで支えていた柱はほとんど残っていない。柱が残っていない…?あ!そうかケロアンのモスクとかに運ばれたのか!こういうところから運んだにせよ、大変だっただろうな。どのくらい大変だったんだろう?と試してみるけど、もちろん女子二人ではびくともせず。宗教の力はすごいぜ。
 
 
カルタゴを満喫した後はシディ・ブ・サイドに向かうため、また駅に戻る。するとおばちゃん三人組がなにやら僕らに興味津津。東洋人が珍しいらしく話しかけると大興奮。「あなたたち私の子どもたちみたいにかわいいわー」みたいなことを言っていたと勝手に解釈し、盛り上がっていると別れ間際にハグしてキスされた。アラブ圏で女性とハグしたの初めてかも。カルタゴは高級住宅地だから住んでいる人も西洋化しているのかな。
 
 
カルタージュ・ハンニバル駅から鉄道で10分ほど行くと、シディ・ブ・サイドの駅に到着。目抜き通りの坂道を登っていくと、いきなり視界が開けこんな景色が広がった。空の青、地中海の青、そしてチュニジアの青!もう完璧!神様、仏様、アッラーありがとう。
 

 
チュニジアで一番美しい街。その名にたがわず真っ白な壁と真っ青な青で街が統一されていてすごい。きれいきれいと聞いていたものの、しょせん単なる色の組み合わせじゃん。チュニジアに来る前は実はそう思っていたりもした。徹底した色の組み合わせとデザインを目にしたとき、ここまでココロ動かされるとは思っていなかった。参りました。
 
 
目抜き通りのハビブ・タムール通り沿いに昔の豪邸が博物館として開放されているので中に入ってみる。屋上に上ると街が一望できるよーと案内されさっそくのぼる。色だけじゃなくて細かいところのデザインまで美しい。
 
 
鉢植えまで青なのね。
 
 
道沿いの土産屋さんで売っていた皿に思わず見とれてしまう。この皿、帰りにパリにトランジットするため、迷って結局買わなかったのだけれど、あとで後悔。なんてきれいなんだろう。こんな皿でパスタ食べたら特別だろうな。
 
 
青に緑にオレンジ。心なしかオレンジもおいしそう。
 
 
「いいところだろ?チュニジアの誇りなんだよ」今も普通に人々が暮らすシディ・ブ・サイドの街。この街を維持していくのはここに住んでいる人たちの街への愛情もあるんだろう。
 
 
すっかりチュニジアンブルーに魅せられて満足した一行は再びTGMに乗ってチュニスに戻る。チュニスマリン駅から宿に戻る途中、女性二人組から「日本人の方ですか?」と声を掛けられNちゃんCちゃんたちと意気投合。一緒にメディナの夕暮れを見ることになった。
 
メディナの土産物やさんの中は1TDほど払うと屋上に上げてくれる店があって、その屋上からのパノラマを眺めるべく夕暮れ時のメディナを歩く。ようやく見つけて屋上に上がると、まさに日がまさに沈むタイミング。夕陽を浴びる旧市街の家々がきれいだ。
 
 
そのあとシーシャを吸い、三たびチュニジアの居酒屋、トントンヴィルに向かう。女性4人も連れて行ったら大変なことになっちゃうかも、と躊躇したけれど、なんとかなるかとドアを開けると、すでに日本人女性二人組がいてご一緒することに。え?6対1ですか?僕が住んでいる南寧に日本人女性は3人しかいないので、ここ7カ月ほど初対面の日本人女性と話す機会なんてなかった。だから初めて会うCちゃんだけで結構緊張したのに、このハーレムはなんですか?そしてなぜチュニスで?恐るべし日本女子。
 
 
で、こんなハーレム状態なものなのだから、周りのチュニジアオヤジたちからの視線が厳しいったらありゃしない。「コノヤロー、なんでお前だけ独り占めなんだ」言葉通じないのに、いや言葉すら発していないのに伝わってきますよ。逆だったら僕もそう思うし。ということで酒が入るとオジサマたちは大興奮。
 

 
この日は7人でワインを4本。そして、最後の一本は彼からプレゼント。途中でラブレターを渡しにくるオヤジがいたり、投げキッスしてくるオヤジがいたり、まあ貴重な経験ができた。
 

 
この状態にはイケメンバーテンダーの彼も少々あきれ気味。ちょっと苦笑い。
 
 
ぐるっとチュニジアを一周して砂漠の太陽も見られたし、最後にハーレムも満喫できて大満足のチュニジアでした。明日はパリでトランジットして帰国です。「最近出会いがないんだよなあ」そう嘆いているそこのアナタ、今はチュニスがおすすめですよ。

Written by shunsuke

2010年3月6日 at 1:09 AM

カテゴリー: 2010/02 Tunisia

DAY10: 再びオヤジたちの巣窟へ

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旅も10日目。7時にぱっちり目が覚め廊下を歩いていると、お気に入りのSabraスタッフの女の子が「ボンジュール、ムシュー」と笑顔であいさつ。そしてすぐに朝食を用意してくれた。ここのホテル、最高。お腹を満たしたあとはグランモスクに入場できる共通券を購入し、シディ・サハブ霊廟に向かう。モハメッドの同志であったシディ・サハブを祀ったこの霊廟のアラベスクは、マグレブいち美しいときいていたけれど、その評判にたがわぬ美しさ。

アラベスク、そしてモスクのドーム。緑の色使いが印象的だった。

いやいや、アラベスクだけじゃなくて天井もすごい。

いやいや、全てが美しい。

廟の中で番をしていた老人。40年以上毎日この霊廟に足を運んでいるとのこと。40年間、ここで何を見てきたんだろう。

シディ・サハブ霊廟を後にして、アフリカ一のモスク、グランモスクに向かう。この日は三日前のように風が強い日で、周りの砂が舞っているのかどことなく空にぼんやりもやがかかったような天気だ。金曜日のせいかモスクには人がほとんどいなくてこの空間を独り占めしたような気分だった。

周囲の回廊を支えているのはローマやギリシアの遺跡から拝借してきた円柱たち。他の遺跡から持ってきただけあって色、デザイン、一つたりとも同じものがない。しかしこれだけの円柱をこの内陸の街まで持ってくるのは大変だっただろうな。

この扉の奥はお祈り部屋。ムスリムしか入ることができない。何から何までシンメトリーだ。

入ることはできないけれど、見ることはオッケー。おお!これはすごい。ここの円柱も拝借モノだ。

ここはイスラム第四の聖地。マグレブ諸国からの巡礼者があとを絶たない。

モスクでぼーっとしていたら、気がついたらもう12時。今日は18時にチュニスでツクバの友人Nちゃんと待ち合わせをしているのだ。ルアージュをつかまえると、高速を飛ばし2時間半でチュニスに到着。無事にホテルでNちゃんとその友だちCちゃんと合流。

そしてチュニスに到着した日に行ったチュニスの居酒屋、トントンヴィルに向かう。この日も店は大盛況、そしてやっぱり男だらけ。トントンヴィルのマスターはしっかり覚えてくれていて、店の奥の席を用意してくれた。

3時間ほど飲んで食べて3人でワインボトル2本。結構飲んだ。そして途中から写真もまったく撮ってないので、何を食べたのかもよく覚えてない。唯一記録に残っていたアサリの酒蒸し。白ワインがきいていておいしかった。って、酒使っていいのかよ。ま、ここじゃみんな飲んでいるからいいのか。

だけど、前回は1名だった日本女子が2名に倍増して店中のオヤジたちが大興奮だったのははっきりと覚えている。

明日はチュニジア最終日。NちゃんCちゃんとカルタゴ&シディ・ブ・サイド観光です。

Written by shunsuke

2010年3月5日 at 6:31 PM

カテゴリー: 2010/02 Tunisia

DAY9: ケロアン行ったらハマムに入ろう

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朝、夜が明けきらないまだ薄暗い中、モスクから流れるアザーンの音で目が覚める。そういえば今回の旅でアザーンを聞いたのはここネフタが初めてかも。この日はイスラム第四の聖地、ケロアン(Kairouan)に向かうので朝8時にチェックアウトをし、ルアージュが止まるメイン通りに急ぐ。とりあえずトズルに向かおうとするけど、なかなかルアージュの人が集まらないので、ゆっくり朝ごはん。チキンにトマトに玉ねぎ、オリーブにパセリがたっぷり入って1.5TD(100円ちょっと)、これは安い!そしてうまい。

9時過ぎにようやくルアージュは発車。このルアージュ、車ごとに行き先が決まっていてみんなで乗りあうタクシーなのだけれど、そこはイスラムの国。車に乗る時に夫婦でもないかぎりおのずから男性の列、女性の列ができておもしろい。お金を払うときは後ろの人から前の人に料金を手渡して、おつりもドライバーから乗客経由で返ってくる。車掌さんがいた昔の中国のバスを思い出すなあ。

その後、トズル、ガフサ(Gafsa)とこの日も三回ルアージュを乗り換えて午後3時過ぎにケロアンに到着。結局20TD以上もかかってしまったけど、時間は金には変えられない。さっそくメディナのそばのオテル・サブラ(Hotel Sabra)にチェックインする。このホテル、部屋もきれいでこれまでにないくらいアットホームな雰囲気な上、スタッフの女の子がとってもキュートな上に親切。これだけでケロアンの街が好きになってしまった。なんて単純なのだろうか。

ケロアンには北アフリカのイスラム最大の聖地グランモスクがあるのだけれど、一日しか有効でない共通券を買う必要があるのでそのへんのメジャーなところは明日に延ばし、この日は街をぶらぶらする。ケロアンはじゅうたんで有名な街。メディナの目抜き通りAv. 7 Novembreを歩くとこんな風にじゅうたんを展示している店が目に入ってくる。

次はガリアーニ霊廟に立ち寄り。ローマの遺跡から拝借してきた円柱がどれも色もデザインが違っていて興味深い。たしかイスタンブールのアヤ・ソフィアももともとビザンティンの教会だった建物をそのままモスクにしていたっけ。イスラムって、彫刻の顔を削ったりというイメージが強いけれど、偶像崇拝にさえ引っかからなければほかの宗教の芸術を認めてそれを受け入れる懐の深さがあると思う。でも、盗んでそのまま使っちゃうのはちょっと違うか。どちらにしても大理石が美しい。

「腹すいたのかい?だったら俺の作ったピタを食べていきなよ」うん、たしかにおっちゃんのつくったのはうまかったよ。

家々の扉を注意深く見ると、手が飾ってある家が多いことに気がつく。これは「ファーティマの手」と呼ばれるもので、理想の女性とされるイスラム教の預言者ムハンマドの娘で第4代カリフ、アリーの母、ファーティマの手をかたどった護符らしい。と、ガイドブックからの知識。一見びっくりするけれど、お守りみたいなものか。手って偶像崇拝にあたるんじゃ…と思って聞いたら「顔がなければいい」とのこと。

ケロアンまで北上してくると、人々の肌の色、顔は南部とは明らかに違ってくる。ここに暮しているのは砂漠に生きる人たちでなくて地中海の人たちだ。

次第に陽が傾いてくる。旧市街だからといって観光地用に整備されているわけでもなんでもなくて、目抜きどおりを除けば普通にそこに暮らす人たちの生活がある。

6時になると、大音量でアザーンが鳴り始めた。さすが聖地、行きかう人々も家路を急ぐ。

宿に戻り、屋上からメディナを見下ろす。

ちょうど宿の前がオープンカフェ、Cafe Sabraになっていて、夕暮れ時は大量の男どもで盛り上がっていた。「ヘイ、せっかくだから座っていきなよ」よく理解できなかったけど、おそらくそんな感じで誘いを受け一緒にコーヒーを飲む。南部のコーヒーは粉っぽかったけど、ここで飲んだのコーヒーはイタリアのエスプレッソと大して変わらないほどおいしかった。

隣に座っていたのが以前スペインに働きに行っていたモハメド(またこの名前か!)。スペイン語が通じたので話をしていると、「毎日仕事帰りの夕暮れ時にこのカフェでゆっくりコーヒーを飲むのが楽しみなんだよ」とのこと。家に楽しみはないの?と聞くと「子どもはかわいいんだけど、女房がうるさくて」だとか。どこの国でもこの手の話は同じだ。

そろそろお風呂に入りたくなってきたなあと思って宿のおっちゃんに聞いてみると、なんと宿の隣にハマムが。その名もHammam Sabra。ホテル、カフェ、ハマムをセットにするなんて、やるなSabraグループ。中に入ると、これまでにない清潔さ。これは期待大!

写真撮っていい?と聞くと、「おーぜひ宣伝してくれ、ジャポネーゼは大歓迎だ」とのことなので男性ハマムを大公開。ここがロビー、ハマムに行ったらまずはこの隣で着替えて、ここで借りたタオルを腰に巻き、中に入る。このとき自分の水着とかサンダルを持っていくと便利。

中はスチームがきいていて蒸し風呂のよう。っていうか蒸し風呂か。お湯があるので、ここで簡単に洗うところを洗って湯船につかる。ここは湯船があったけど、湯船がなくてサウナで蒸すだけのところも多い。

しっかり蒸した後はここであかすり&マッサージ。大のオトコにタオル一枚で汗みどろになって肌と肌をつきあわせてマッサージをしてもらう。と書くとちょっと引いてしまうかもしれないけれどこのマッサージがすごいうまいんですよ。韓国風のあかすりの後しっかりソープで洗ってくれ、そのあとマッサージをしてくれるのでそんなに不快感はない。だけどチュニスのハマム・エル・カシャシーンのように汚いところだと小便くさいしもう不快極まりなかったりする。だいたいどのハマムにもあかすり&マッサージ師が2人くらいいるので、ハマムに入る際にマッサージお願いねって言っておくと便利。

この後は個室に入ってゆっくり体を洗う。この時自分のボディーソープやタオルがあると便利なので、僕はいつも持っていくようにしている。しっかりきれいになったら、外に出てゴザがひいてあるリラックスルームでゆっくり汗を出す。このHammam Sabra、きれいな上あかすり&マッサージも30分くらいついて3.7TD(約250円)!これはおススメ。ケロアン行ったらハマムに入ろう!あっ、だけどこのハマム、男性専用っぽいので女性はしっかり確認してからお入りください。

Written by shunsuke

2010年3月3日 at 11:41 PM

カテゴリー: 2010/02 Tunisia

DAY8: 静かな街、ネフタ

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砂漠での朝日を見るため6時に起きる。外は一片の雲もない絶好の天気、そしてほとんど風もない。「西からの風は一日で止む」と言った宿のおっちゃんの言葉は本当だった。こういう経験則に基づいた知識ってすごいね。次第に明るくなっていく砂漠、クサールギレンの赤い砂もよかったけれど、ここの白い砂もまた雰囲気が違って美しい。

そしてサンライズ。これこれ、これが見たかったんだよ。まだ砂嵐の影響で地平線沿いはぼんやり霞んでいるけれど、これまで漆黒の世界だった砂漠が太陽が昇ったとたん一気に暖かい光に包まれる。

そんな朝日を眺めてテントに戻ったら、ブバケルとモハメドが砂の中でパンを焼いていた。最初はえ?これを食べるの?と思ったのだけれど、砂をはらってちぎったパンにナツメヤシのジャムを塗ってかじると、信じられないくらい香ばしかった。薪を使った焼きたてのパンはこんなにも甘くて香り豊かなのか。またそんなパンにこの地方特産のナツメヤシのジャムとミントティーがぴったり合うからたまらない。

どーだ?うまいか?そりゃ、そーだろ俺が焼いたんだもの。と満足げなブバケル。

腹を満たした後は、再びラクダに乗って一時間半の道をドゥーズへと戻る。ラクダ、外から見ている分にはただ乗っているだけだと思ったのだけれど、馬と違ってあぶみがない上、凹凸のある砂漠をいくので上体を支えるためにかなり腰まわりの筋肉を使う。日本で"ロデオボーイ"とか乗馬のエクササイズをよく深夜に流されていたのを見たけれど、ラクダイエットもいけるんじゃないか?そう思えるくらいラクダに乗るのも楽じゃない。

10時過ぎにドゥーズに戻り、ルアージュでトズル(Tozeur)に向かう。ここで海沿いのガベス(Gabes)へと向かうYさんと新婚夫婦お別れ。Yさん、4日間ありがとう!さて、トズル行きのルアージュを探すものの直接行くのはなく、いったん分岐点のケビリ(Kebili)まで行き、そこでトズル行きに乗り換える。ケビリを出発してしばらくすると両側にアフリカ最大の塩湖、ショット・エル・ジェリド(Chott el-Djerid)が見えてきた。

ボリビアのウユニ塩湖のように一面塩の結晶で覆われているわけではないみたいだけれど、車窓から見る限り水が張っていた上カラフルな場所もあったりして魅力的に見えた。寄ればよかったかも。

14時過ぎにトズルに到着。この日はトズルに泊まるかどうか迷ったけれど、ここでさらにルアージュを乗り継ぎ観光客の多いトズルを避け比較的静かな街、ネフタ(Nefta)に向かう。ネフタまで行くと、もうそこから30kmほどでアルジェリア国境。ネフタ行きのルアージュの中でも国に戻る途中のアルジェリアンが何人かいた。

15時過ぎにネフタに到着し、メディナの中のリベルテ広場(Place de la Liberte)に面するホテルハビブに荷物を置く。この地方では、前後にレンガをずらして壁にデザインを施している建物が多い。このホテルもそうで、壁一面に施されたデザインが見事だ。でも中はたいしてきれいじゃないのが残念。

ヨーロッパからのツアー客が多い、と聞いていたのだけれどメディナの中を歩く外国人、そして東洋人は珍しいらしくすぐに人だかりができた。どこに行っても「ジャッキーシェン」と声を掛けられる上、"シュン"という名前はアラビア語圏では発音しづらいようでなかなか名前を覚えてもらえず、すぐにジャッキーになる。めんどくさいからこの街ではジャッキーでいいや。

普通に街中にラクダが歩いていた。これぞ砂漠のオアシス。この街は前、チュニジアの初代大統領のハビブ・ブルギバ氏が避暑(寒?)で訪れたことで有名だそうだ。この建国の父チュニジア人から愛されていて、今でも多くの街のメインストリートには彼の名前がつけられている。

一歩メディナの中に足を踏み入れると、ほかのメディナ同様迷路のように道が広がっている。

その一角に昔からの家を博物館として展示しているところがあったので寄ってみた。

中国の四合院のように中庭を囲んで四方に部屋があって、それぞれ家族が暮らしていたらしい。泊まれるようにも整備されていて40ユーロくらいからとのこと。中庭の雰囲気もいいけど高い。誰がネフタまで来るんだろう…

メディナからホテルの前の広場に戻ると「ジャック!」とまた呼び止められた。どうやら僕の名前はジャッキーからジャックに進化したようだ。こんな場所でもみんなfacebookをやっているらしく、写真をとってくれとのこと。facebook、ジャックが住んでいる中国からアクセスブロックでつながらないんだ、ごめんよ。

夜はハビブ・ブルギバ通りのレストランでクスクスを食べる。二日連続のクスクスだったけれど、ここのクスクスが絶品だった。お腹が満たされた後は宿に帰ってぐっすり。明日は聖地ケロアンだ。

Written by shunsuke

2010年3月3日 at 11:33 AM

カテゴリー: 2010/02 Tunisia