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アルジェリア旅行 Index

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アルジェリア旅行:2010年12月26日~2011年1月4日

■旅程
12/26 MS 965 東京 12:45 – カイロ 20:30 
12/27 MS 845 カイロ 8:30 – アルジェ 12:00
    AH 6200 アルジェ 18:45  – ガルダイア 20:15
12/28 ガルダイア
12/29 ガルダイア-(車中泊)
12/30 -ティミムーン
12/31 ティミムーン-(車中泊)
1/1 アルジェ-ティパサ-アルジェ
1/2 MS 846 アルジェ 13:00 – カイロ 17:45
1/3 MS964 カイロ 16:55 – 東京 12:00 (+1day)

■日記
DAY1: 13時間かけて一路カイロへ
DAY2: そしてアルジェリア
DAY3: 時が止まった街
DAY4:サハラの北の端で温泉につかる
DAY5:飛んで歌って、ごろ寝して。
DAY6:ティミムーンでオアシス探検
DAY7:バスの中でハッピーニューイヤー
DAY8:緑の世界から茶色の街へ
DAY9:僕らは3000年後に何を残せるのだろうか?

■事前準備
アルジェリアの印象
アルジェリアへの準備と旅程

Written by shunsuke

2011年1月22日 at 1:45 PM

カテゴリー: 2010/12 Algeria

DAY9:僕らは3000年後に何を残せるのだろうか?

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旅も最終日。朝6時くらいには起きて、ギザのピラミッドを見に行こう!と計画していたのだけれど、朝起きてみるとすでに8時。歩き回る必要があるピラミッドに行って飛行機に間に合わないのもシャレにならないので、もう一つの候補だったエジプト考古学博物館に行くことにする。

「エジプトを知りたいなら大英博物館に行け」有名なロゼッタストーンのようにイギリスの植民地時代に持ち去られ、今もロンドンにあるエジプトの歴史遺産は多い。それでもこのカイロの博物館にはツタンカーメンの黄金のマスクや歴代ファラオのミイラが保管されているのだ。

せっかくピラミッドに行かない選択をし時間に余裕ができたのだからと、まずは宿の下にあるカフェでゆっくりチャイを飲む。紅茶と砂糖といっしょにミントの葉っぱが出てきた。紅茶の上にのっけて飲むと、ミントティーのできあがり。

このあたりの一角はカイロのビジネスマンの朝の休憩スポットになっているらしく、スーツ姿で水タバコシーシャを飲みながら新聞を読む人も多い。そんな客の間をすり抜ける猫たち。そういえばエジプトは古代から猫を飼っていたんだっけ。

宿から10分ほど歩いて街の中心タフリール広場に着く。博物館はこの広場に面した一角にあった。どこの途上国でも交通事情はひどいけど、この街の渋滞と排気ガスもかなりひどい。アフリカで唯一地下鉄がある街なんだけど、まだインフラが追いついていないんだろうな。

博物館の中は撮影禁止。60EGPのチケットを入り中に入る。博物館の建物はイギリス統治下の建物らしき天井の高いコロニアルな建物で、天井のつけられたガラスから光を取り入れている。「考古学博物館」との名前だけに展示物は古代エジプトがメイン。サダトさんとかはいない。

有名なピラミッドがあるギザの地から出土したもの、ルクソールの王家の谷から見つかったもの、石造や棺、それらとともに埋葬されていた装飾品がこれでもかというくらい展示されている。

興味深かったのは棺。初期のころは幅80cmくらいある棺がほとんど木で作られていた。それが時代を経るにしたがって石棺に変わっていったとのこと。これを見て、5年前にレバノンで聞いた話を思い出した。

今のレバノンの国旗にもなっているレバノン杉はマツの仲間で非常に材質が硬くて建築用材や船の建造などに適している木材らしい。太古の昔は中東地域に広く分布していたものの、エジプト文明の発展により、船や家などの建設のためにどんどん切られエジプトに運ばれていった。その結果、どんどん資源が枯渇し、エジプト文明もレバノン杉の資源と同様の衰退をたどっていった。

文明の基礎をなした資源の枯渇と文明の衰退にどのような因果関係があるのかどうかはわからない。ただ、直径1m近い大木をくりぬいて棺をつくっていたのに、エジプト文明後期には王の棺をつくることすら適わないほど木材が枯渇してんだろう。幅1m近い木の棺とその横に並んでいた石の棺を見て、そんな4000年前のことに思いを馳せてみた。

そして、いよいよ目玉のミイラとツタンカーメン。博物館に行く前は、目玉はよく知られたツタンカーメン王の黄金のマスク!と聞いていた。確かに現代でも黄金色に光るツタンカーメンのマスクはすごかったけど、それよりも歴代のファラオたちのミイラが衝撃的だった。

博物館の2階に上がり、入場券とは別で追加で100EGPのチケットを買うとその王の部屋に入ることができる。僕はちょっと迷ったものの、チケットを買い列に並ぶ。王のミイラが眠る部屋に入ると、そこにはラムセス2世、アメンホテプ2世など、世界史の授業に出てきた偉大なる王たちのミイラが並んでいたのだ。

すごかったのはミイラの保存状態。特にラムセス2世がすごい。皮膚はもとより髪の毛や爪までもしっかりと残っていて、まるでうちのじいちゃんが死んだ時とたいして変わらないような(じいちゃん、ごめん)死に顔。そして、ファラオの名にたがわず見るものをひざまずかせるような威厳を死してなお保っている。

中国の三国志の中で死んでしまった諸葛亮孔明が自身の木像を作らせて「死せる孔明、生ける忠達を走らす」との場面があるけれど、死して3000年以上経つこのミイラが現代の僕に威厳を感じさせるのって、とてつもないことだと思う。だって3000年だよ、3000年。果たして3000年後の人々を感嘆させることができるようなものが今の世界にいくつあるんだろうか?

予想をはるかに超えた展示に大満足していたら、あっという間に昼が過ぎタクシーで空港まで行き成田行きのエジプト航空に乗って帰国。アルジェリアは精神的にきつい旅行だったけど、最後にカイロですばらしいものを見ることができてよかった。エジプト、次にゆっくり来よう。

Written by shunsuke

2011年1月19日 at 8:58 PM

カテゴリー: 2010/12 Algeria

DAY8:緑の世界から茶色の街へ

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アルジェリア滞在最終日、朝7時くらいに雨どいをたたく雨の音で目が覚めた。最後の日が雨かあ。まるで今回のアルジェリアの旅をあらわしているかのようだ。

フライトが12時だったので、ゆっくり朝ごはんを食べるべく、昨夜行ったレストラン、Djurdjuraに行きゆっくり朝ごはんを食べる。カフェオレとサラダにバゲット。シンプルなんだけど、バゲットとサラダがおいしくて大満足な朝ごはん。

「おお、ジャポネ!今日も来たのか」と、まだ本当は開店していないのに大歓迎してくれて店に入れてくれたスタッフ。最後に温かいおもてなしをありがとう。ティパサでアルジェリアが嫌いになりかけたけど、スタッフたちのお陰でいい気持ちでアルジェリアを離れることができるよ。

朝ごはんを食べ終わり外に出ていたらすっかり雨が止んでいた。そういえば去年のチュニジアも朝だけ雨が降っていたっけ。この時期はこういう天気が多いのかも。アルジェの町並みはチュニスと同じで、ヨーロッパ風の建物が立ち並んでいる。アルジェリアと知らなければ、南欧と言われても気がつかないくらい。心なしかナポリに似ている。いや、ナポリくらいしか行ったことないだけか。

ホテルに戻ってパッキングをして空港に向かう。ティパサに泊まらずアルジェに来てよかった。出会う人たちでその土地の印象がこうも変わるものだということを再認識。逆を言えば、自分は日本代表なんだよね。今回も何人か初めて日本人に会ったという人たちに出会ったけど、そういう人たちにとって僕の印象が日本、そして日本人への印象になる。いつも心に留めておかないと。

空港に向かう道の途中、アルジェの中心街を通る。車窓から見る街なみは、歴史を感じる建物たちが整備されていて美しい。

空港に到着してチェックインカウンターに向かおうとすると、そこには見慣れた人民たちの列。よく見ると、「エアアルジェ、北京行き」との文字。アルジェから北京まで直行便があるのか。それだけ人の往来があるほどビジネスでの関係が進んでいるってことだろう。すごいよなあ。

彼らの一人と話したら、革命のふるさと陝西省延安から来ていた。年収の五倍の給料、10万元でやってきてビルの建設現場で1年半働いていたとのこと。このようにして石油などの天然資源と引き換えに中国は道路やビル、便宜を図ってくれた役人の住まい、時には街そのものまでもつくってしまう。アフリカの指導者、とりわけ独裁者にとってこれほど付き合いやすい国はないだろう。

飛行機は定刻どおり離陸し、定刻どおりにカイロ着。エジプト航空、結構しっかりしているかも。緑あふれてみずみずしいアルジェから3時間半かけて戻ってきたカイロは、茶色に覆われていてとても対照的だった。

イミグレを抜けると英語でMerry Christmas & Happy new year。フランス語とアラビア語だけのアルジェリアから来ると、異教徒の文化もこうして寛容に受け入れているカイロの街がものすごいコスモポリスに思えてきた(確かにコスモポリスではある)。

カイロでの宿はまったく決めていなかったので、空港にたむろしていたタクシーの客引きを捕まえ、ツーリストエリアまで連れて行ってもらうよう交渉する。すんなり場所も把握し、ダウンタウンまで60EGP(800円)で交渉成立。英語が通じるって幸せだなあ。

到着したのはNubian Hostel。受付スタッフがとても傲慢だったけど、ダブルで130EGP(1,800円くらい)とそれなりに安くてそれなりに清潔で、ダウンタウンの中心タフリール広場に近かったのでけっこうあたり。宿の下が屋台街になっていて、オープンエアのカフェやケバブスタンドが並んでいたのもうれしかった。

明日は午後5時のフライト。それまで時間あるので、ピラミッドでも見に行こう。

Written by shunsuke

2011年1月18日 at 5:03 AM

カテゴリー: 2010/12 Algeria

DAY7:バスの中でハッピーニューイヤー

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ティミムーンを18:30に出発したバスは、旅行シーズンということもあって満席。ティミムーン始発でなく僕が乗った時点でもう一番後ろしか席が空いていなかったので、仕方なくそこに座る。ちょうど隣に座ったのが、ティミムーン出身で今アルジェの大学でロジスティクスを勉強しているラルビ。大学生ということもあってかなり英語を話すことができたので、いろいろ話が盛り上がった。

3時間くらい行ったところの街で急にバスが停車。外を見てみると警官が立っている。検問だ。ライフル片手にバスに乗り込んできた警官はじろっと車内を一瞥した後怪しい人物がいないか一人ひとり見て、怪しそうな人物がいたら身分証明書提示を求める。うーむ、こりゃやっかいだ。アルジェリア人の中にいかにも怪しい風貌の東洋人が一人。そりゃ、ひっかかるよな。身構えていると「シノワ?パスポルト」と声を掛けられ、車の下のトランクに入れていた荷物のチェックを求めてきた。

仕方なく車を降りると、すごい寒さ。ぶるぶる震えながらバックパックを開き、一つ一つ荷物を取り出して確認する。適当に見るのかなと思いきや、一つ一つしっかり開けて「これはなんだ?」と聞いてくる。こっちは寒いんだから早くしてよー!と言いたいところだけどポリスに逆らってもいいことない。

考えてみればポリスチェックも当たり前のことだ。この国は2000年初頭まで内戦状態にあった国なのだから。

5分くらいかけてようやく荷物チェックが終了。テロがまだ続いている国ということもあって、この国のポリスはまじめだ。アジアだったら5USDくらい渡せば、もう行ってもいいよって感じなのに。

「ジャポネはすばらしい。世界中から信頼されている。きっと僕が他の国に行ったらアルジェリアンというだけでテロリスト扱いされちゃうよ」バスの中に戻ったラルビがそうつぶやいた。

彼はよくわかっている。残念ながら彼が日本に行ったら、確かにアルジェリアンと中東風の顔立ちというだけでそう判断される可能性が高いだろう。いや、アルジェリアがどこにあるかわからない人が多いか。それでも、僕はこの国とこの国のアラブにしては朴訥な人たちが好きだよ。僕は彼にそのくらいしか言うことができなかった。

そんなことを話しながら、ポリスチェックを3回過ぎて気がついたら朝になっていた。12時になる瞬間はカウントダウンをしよう!とラルビと言っていたのに、ぐっすりと熟睡してしまった。朝日が差し込む車内はちょっといい雰囲気。

まだアトラス山脈の南側の乾燥地帯を走っているのだけど、砂と岩しかなかったガルダイアのあたりとちがってぽつぽつと人家が見えてきた。

しばらく進んでいくとどんどん高度を上げていって、1,500mくらいまで登っていった。登っていくに連れ緑が多くなっていって、雨も降ってきた。

11過ぎ、予定通り17時間でアルジェに到着。来るときは空港でトランジットしただけだったので、初めての首都。当たり前だけど大都会だ。海岸線沿いに沿って街があるのだけれど、海のそばまで山があるから山の斜面に建てられている家が多い。日本の街だと神戸に似ているかも。

アルジェの街は治安が悪いと聞いていたので、そのままローマ時代の遺跡が残るティパサ(Tipasa)の街に向かって、泊まることにする。ティパサ行きのミニバスに乗って45分ほどで、到着。アルジェと同じように海岸線沿いに海に向かって開けた街だ。

バス停を降りてすぐ、中国人の姿がやたら目に付く。街の中心近くに中国人が経営している工場があった。ローマ遺跡を見に来たはずのここティパサでも中国の浸透ぶりがすごい。

ここにあると聞いていたユースホステルを探して街を歩く。バス停で、交差点にあるカフェで、そしてタクシードライバーにオーベルジュドジュネス(auberge de jeunesse)はどこだ?と聞いてみるのだけど、誰も知らない。しまいには二台目に乗ったタクシーで山の中腹にあるスポーツセンターに連れて行かれた。

こうなったら普通のホテルに泊まるか、とユースホステルを断念し海沿いにあるホテルに行くと一泊40ユーロ。どこから来たんだと聞かれジャポネだと答えると、「俺はアジア人が嫌いだからお前は50ユーロだ」と目の前で言われた。さすがにこれにはカチンと来て思いつく限りの罵声を浴びせてホテルを出る。あまりに腹が立ったので遺跡も見ずにアルジェに戻ることにした。

どういう事情だかわからない。もしかしたらティパサにもたくさん住み着いている中国人のことをよく思っていないのかもしれない。だけど、客である僕に対してこの態度はないと思うよ。

結局アルジェのセントラル近くに居心地がよさそうな一泊35ユーロの中級ホテル、Hotel Reginaをタクシードライバーに案内してもらってそこに泊まる。フロントもすごくフレンドリーで、部屋もきれいな上バスタブもあってアルジェに戻ってきて正解!少し腹立たしさも和らいだ。外見も白い壁に青色のアクセントがきいていて、チュニジアみたい。

晩ごはんはフロントスタッフおすすめの近くのレストラン、Djurdjuraに行ってみる。アルジェは海鮮がおいしいと聞いていたので、いわしのグリルを頼んだらまるごとどーんと出てきてビックリ。いわしを焼いてオリーブオイルとレモンをかけただけなのだけど、香ばしくておいしかった。

明日はアルジェリア最終日。ハードだったアルジェリアの旅ももうすぐ終わりです。

Written by shunsuke

2011年1月16日 at 10:28 AM

カテゴリー: 2010/12 Algeria

DAY6:ティミムーンでオアシス探検

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ティミムーンでの民泊。前日ほとんど寝てなかった上に、年越しの祭りでかなりはしゃいだのでごろ寝ながら朝9時までぐっすり眠る。この日はまず最初にティミムーンからアルジェに戻る足を手に入れなくてはならないので、一晩を共にした四人組に別れを告げ街の中心に向かう。

ティミムーンのオアシスは小さい。街の中心は歩いて10分くらいの範囲にあって、泊まった民家の場所も昨夜車で着たら遠いと感じたのに、歩いて15分で街の中心に着いた。

エール・アルジェに行くと、ティミムーンからアルジェまでは飛んでいるもののわずか週二便で、二日後の帰りの飛行機に間に合うような便がない。こうなったらアルジェまでの1,600kmをバスで行くしかないと覚悟を決め、バス会社に行くとちょうど今夜出るバスがあったので、2,500AD(25ユーロ)で売り切れる前に購入。ほら、アルジェリア人の旅行者多いしね。

18時に出てアルジェ到着は翌日11時、17時間の旅。1,600kmもあることを考えるとすごく速い。きっと砂漠の中の道をぶっ飛ばすんだろう。ということは年越しはバスの中かあ。

帰りの足を確保して、これで全行程の移動手段を確保。ガイドブックなしだとやっぱり不安だったので、かなりほっとした。一息つこうと、昨日の朝寒さをしのいだカフェに行きまた思い出のカフェオレでくつろぐ。温かいミルクたっぷりのカフェオレに砂糖をたっぷりいれる。ああ、しみわたるなあ。どうだうまいだろ?と地元で教師をしているモハメッドが話しかけてきた。

さて、バスチケットも買ったし、今日はもう一回砂漠に行ってゆっくり一人で過ごすか。と外に出ると、「ヘイ、シノワ」と陽気なおっさんが話しかけてきた。北部の地中海の地域に住んでいる人はアラブ人に近いけれど、南部の人はブラックアフリカンに近い。

砂漠まで行こうと決めたものの、どうやって行こう。さっきの彼に聞いたら歩いて40分も行けば砂山だよとのこと。それだったらということで、歩いていくことに。昨日の祭り会場を抜けて迷路のように入り組んだダウンタウンを歩いていく。この街はほぼすべての建物がこの赤い色のレンガと砂で統一されている。

そして壁の表面にはこの葉っぱのような不思議な模様が描かれている。これ、どうやってつくったんだろう?彫ったのかな?それともこの葉っぱをつけたのかな?

10分ほど赤い壁に囲まれた迷路のような町並みを進んでいくと、急に視界が開けた。ナツメヤシが茂るオアシスだ。

オアシスの中には湧き水が引かれていて、灌漑が発達している。手を差し伸べてみると、水がかなり冷たくてびっくり!

そのままオアシスを通り過ぎ、また10分くらい進むと砂漠の山が見えてきた。あたりに何もないので遠近感がなくなるなあ。もう水が流れていない灌漑。その周りの砂には塩が吹き出ていた。昔はウイグルのガレーズみたいに地下水を引いていたけど、塩が浮いてきてやめてしまったんだろうな。

さらに10分ほど砂漠の端にできたわだちを歩いていくと、キャンピングサイトが見えてきた。本当はここに泊まりたかったんだけどなあ。ちょうど大きな砂丘まで歩いて20分くらいの場所にある。

ここまで炎天下の中を40分ほど歩いてきたので、ここで休みたいなあと思っていたら、ちょうどいいところに休憩テントがあった。お茶をいれてくれるというのでお言葉に甘えてミントティーをもらう。乾ききった身体に甘いお茶がしみわたるなあ。

このキャンピングサイトには90年代からの宿泊者が書いていったノートが置いてあった。パラパラとめくってみると、フランス語でのメッセージが埋め尽くされた中、在アルジェリア日本大使のメッセージがあった。日本語での文章を読んでなんだかうれしくなる。渡辺大使、いいこと書くな。アルジェリアに、そしtて日本にも幸あれ!

しばらく休憩した後は昨日に続き砂丘にレッツゴー。一見すると近く見えるのだけれど、歩けど歩けどたどりつかない。ほんの2,300mくらいに見えたのが、結局20分近くかかった。

砂丘にたどり着く途中にはいろんな人がいた。客を待っていたドライバーのアマン。英語がうまくてびっくりだった。

アマンと一緒にいたガイド。絵に描いたような砂漠の人。

何もない砂漠で一人ぼーっとする。今日は大晦日。今頃は8時間先の日本ではそろそろ除夜の鐘が鳴るころだ。遠く砂丘を駆け抜けるバギーの音を聞きながら、今年2010年にあったこと、僕の身の回りで起こったことを振り返ってみた。

あまりいい一年じゃなかった。自分の思い通りにならないことがたくさんあった。ものごとには流れというものがあって、いい方向でも悪い方向でも一度どちらかに傾きかけると、なかなかそれを止めることはできない。そんなことを身をもって知った一年だった。日が傾きかけた頃、一人砂丘を降り、ティミムーンの街に歩いて戻った。

バスに乗る前に腹ごしらえをしないと。ということでいいにおいがただよってきたレストランの前で足を止めてみた。アラブに多い鳥をグリルしているこのお店。レストランの前にはたいていこうして鳥がぐるぐる回っている。

この鳥が食べたい。今ここで回ってるやつ。そういうとしっかり目の前で切ってくれた。普通だと冷めてしまっているものを出されることが多いんだけど、今まで目の前で回っていたやつはプリップリのもも肉にパリパリでほどよく塩味がついた皮、それがアツアツのまま出されたのだからたまらない。これ、本当に鳥肉を焼いて塩を振っただけ?と疑問に思うほどおいしい。シンプルイズベスト。本当においしい食材はシンプルに焼く。これが一番だね。

ティミムーンの街にも夕暮れがやってきた。そろそろバスの出発の時間。これからアルジェに向けて17時間のバスの旅です。

Written by shunsuke

2011年1月15日 at 12:46 AM

カテゴリー: 2010/12 Algeria

DAY5:飛んで歌って、ごろ寝して。

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夜7時過ぎにガルダイアを出発したローカルバスは、途中のトイレ休憩を挟んで順調に砂漠の道を進んでいく。夜9時頃、立ち寄ったオアシスで食事タイムがあった。降りてみると、ものすごく香ばしい羊のにおい。たまらずに一本食べると、これがジューシーでうまかった。

その後も順調に走り、午前2時半に大きな街に止まった。「ティミムーンに着いたぞ」と隣に座ったおじさんが寝ぼけている僕の肩をたたく。着いたって、今2時半じゃない・・・ちなみに乗る時には朝7時に着くと言われていてちょうどいいからこのバスに乗ったはずだったのだけど。

まあ、着いてしまったものは嘆いていても仕方ない。荷物を持って降りると、当然ながら外は真っ暗。ガイドブックもないので、タクシーを捕まえてオテル、オテルと連発する。真っ暗な街の中をホテルを探して走るものの、3軒当たって3軒とも満室。4、5軒目はスタッフが起きても来ず、ドライバーも途方にくれてきた。いや、途方にくれるのは僕のほうですよ。

さあ、困った。どうしよう。こうなったら奥の手、ドライバーに家に泊めてとお願いしてみる。すると「俺の家はここから50kmくらい行ったところだけどいいか?」との返事が。いや、それはあまりよろしくない。ということで、朝まで車の中で寝袋にくるまって寝かせてもらうことにした。砂漠対策で持ってきた寝袋がこんなところで役立つとは。でも、こんな思いをするためにアルジェリアに来たはずじゃなかったのに・・・なんて惨めな夜なんだ。

寝袋でぐっすり寝ること3時間。ガチャっとドアが開き、カフェが開いたとドライバーが教えてくれた。そうだよな、彼も家に帰る必要があるだろうし、3時間寝かせてくれただけでも感謝しなきゃ。ということで、開いたばかりのカフェに行くと、なんか僕と同じように夜中にバスで到着した人たちであふれていた。

さっそく暖かいカフェオレを注文する。寝袋に包まっていたとはいえ、砂漠の街の夜は寒い。5℃くらいの明け方の街の空気の中で飲むカフェオレは身体の中にしみわたるおいしさだった。あー生き返るよー。

1時間半かけて3杯カフェオレを飲みながら明るくなるのを待つ。7時半を過ぎた頃、ようやく東の空が明るくなってきた。明るくなっていく空の青色を燃えつくすような赤だ。

8時になってようやく日が昇り、ホテルを探しに街を歩く。ちょうど今の季節はニューイヤーの休みということもあって、ここの街はアルジェリア国内からの観光客が多い。そしてホテルがどこもいっぱいらしく、みんなホテルの部屋がないと歩き回っている。どうしよう!泊まる予定だったキャンピングサイトもタクシーで行ったら追い返されてしまった。

街の真ん中にある博物館みたいな建物にフェスティバルの宣伝があった。どうやらこの地方の年越しを祝うお祭りが、12月27日から31日まで開かれているらしい。どうりでアルジェリア国内からの観光客が多いわけだ。

観光案内所に来てみると、同じくアルジェから夜中にバスで着いて泊まるところがない四人組と会った。四人組が大学生で少しだけ英語が話せることもあり、泊まるところどうする?と聞くと「案内所に民泊の案内があったのでそこに行ってみる」とのこと。アルジェリアで民泊!とても想像つかないけれど、ホテルがないことにはどうしようもなく、彼らについていってみるとこんな家に連れて行かれた。

中に入ると、こんな感じの部屋。ドミトリー・・・というかごろ寝。オーマイガー。昨夜がタクシーの後部座席で今日2010年最後から2番目の夜がごろ寝ですか。まあ、仕方ない。他に泊まるところないんだし。

宿も見つかったことだし、少し休んで午後に4人組とともに砂漠に繰り出す。ここティミムーンは赤い街並みと砂漠で有名なサハラのオアシス。車で10分くらい行くと、すぐ目の前に大砂丘が見えてきた。おーこれはでかい!

チュニジアのトズルやクサール・ギレンの砂漠もよかったけど、ここの砂丘はひとつひとつの山がとてもでかい。そしてどこまでも続いている。だけど車やバギーのアクティビティが盛んなので、かなり奥まで行かないと車のわだちだらけの砂しかない。初めて来た砂漠にはしゃぐ四人組。

風紋がきれい。まるで砂の上で波うっているよう。

30分くらいかけて誰もいない砂丘のてっぺんに到着。ここで持ってきたズブロッカで乾杯するGodzyとSofia。って、二人ともムスリムでしょ。

お酒が入り、かなりハイになってきた4人組。やっぱり砂漠に来たら飛んでおかないと。4人の中でのリーダー格、Said。

今度はオレ飛ぶぜ!と見事なダイブのGhilles。ほんとにこのまま飛んでいってしまいそう・・・みんなはしゃぎ方が若いなー

横を見ると、夕日を浴びて砂の尾根がきれいだった。

砂漠に沈んでいく太陽。長かった一日が終わっていくなあ。

宿に戻りご飯を食べると、夜の9時から年越しの祭りがあるとのこと。街の中央にある広場に歩いて近づいていくと、手拍子と歌声が聞こえてきた。この祭りはティミムーン近辺に住んでいるAhellil族の伝統的なスタイルを再現した祭りで、夜から始まって夜中まで歌を歌い続けるというもの。どうやら、UNESCOの世界無形文化遺産に指定されているらしい。http://info.endz.co.cc/2010/12/festival-of-ahellil-creates-party.html

白い民族衣装を身にまとったAhellilの人たちが、一人のボーカルと十数人のコーラスで手拍子でリズムを取りながら終わりのない歌を歌っていく。最初のほうは周りは聞いているだけだったけど、どこからともなく手拍子に合わせて手をたたき始め、次第にみんなで大合唱になっていく。

コーラスの女性たちはみんなたくさん耳飾りや首飾りをつけて参加している。それにしてもなんとも言えない独特な雰囲気。踊りだすわけでもなく、ゆっくりなリズムでの歌がひたすら続いていって次第に会場が一体となっていく。エルサレムの聖墳墓教会で皆で賛美歌を歌った雰囲気に少し似ているかもしれない。

結局会場には3時間ほどいて12時過ぎに帰路につく。最後は会場で仲良くなったアルジェから来た5人組と記念撮影。とっても長い一日だったけど、飛んで歌って、最後は民家でごろ寝。なかなかできない体験ができたので貴重な一日だった。

Written by shunsuke

2011年1月12日 at 9:29 PM

カテゴリー: 2010/12 Algeria

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DAY4:サハラの北の端で温泉につかる

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ガルダイア二日目、あまりに言葉が通じないことに嫌気が差してぐだぐだ9時ごろまでホテルでゆっくりする。ガルダイアのあとは砂漠にある赤い街、ティミムーンに行こうかとおぼろげながら計画していたのだけど、なんだか行く気もなくなってきた。うーむ、どうしようか。

さすがにおなかがすいてきたので近くのパン屋に入り、なんとかパンを購入。うん、やればできる。必要は発明の母だ。

旧フランス植民地であるアルジェリアでは、主食はパン。去年行ったチュニジア同様レストランにはたいていバゲットがかごに入って置いてあって、いくらでも食べてもいいところが多い。日本で食べるものよりも歯ごたえがあって、小麦の味がしっかりしている。

おなかが満たされたところで、バスターミナルに行ってティミムーン行きとアルジェ行きのバスを確認してみる。両方とも夜行バスであるらしい。せっかくここまで来たんだし、ティミムーンに行ってみようということで、夜6時半発のティミムーン行きバスのチケットを700AD(7ユーロ)で購入。

昨日に続きガルダイアの旧市街に向けて散歩する。旧市街への入り口にあるカフェを過ぎたところで「ニーハオ」といつもの挨拶をされた。話してみると地元の両替屋、彼の話によると「シノワが多いが、ジャポネも結構来るぞ」とのこと。そりゃ、クラブツーリズムさんが来るくらいですもの。

ガルダイアの広場に出ると、昨日のドライバーアハメッドにばったりでくわした。午後の予定を聞かれ特に何もないと答えると「ハマームに行ってみないか?ハマームナトゥラルだ」との誘いが。ハマームナチュラル、つまり温泉ということ?なに?サハラに温泉があるのか!それは行ってみたい!ということで、午後はアハメッドの友人オマルの車で温泉があるゼファナ(Zelfana)の街を目指すことになった。

ゼファナまではおよそ70km。オマルは片道1時間で行けるぞ、と言うけれど70kmを1時間ってめちゃくちゃ速くない?と思ったらこんな道で納得。走れど走れど、岩と砂しかない道が続く。

途中、ガソリン補充に休憩。そこのサービスエリアみたいなところで、何か食べるものを探していると、どこからともなく人が集まってきた。話してみると「ジャポネに初めて会ったよ!」とのこと。こういノリで何とかなる場は言葉が通じなくても問題ない。

ゼファナまではオマルの言ったとおりぴったり1時間で到着。さっそく街の中心にある温泉に向かう。温泉は入浴料500AD(5ユーロ)、物価を考えるとかなり高い。

中は中東のハンマームのような蒸し風呂を想像していたら、湧き出る温泉を利用した温水プールだった。入り口で水着をレンタルして入るタイプ。温度がぬるめなのでいまいちだったけど、久しぶりに湯船に使った気分ですっきり!そして温泉からあがってみると不思議なくらい肌がすべすべになっていた。サハラの温泉、効能もすごい。

「風呂上りに俺の紅茶はどうだい?うまいぜ」と、いい香りのするミントティーを売りにきたので一杯もらう。小さめのグラスに注がれた香りの強いミントティーを飲み干すと、砂糖のほどよい甘さとミントの香りが風呂上りにぴったりだった。お風呂上りはやっぱりおいしいねえ。うまそうに飲む僕を見てしたり顔のティースタンドの主人。かなり乾燥しているから知らない間に水分も失われているんだろうな。

温泉を満喫した後は18時半のバスに間に合うようまた来た道をガルダイアへと戻る。ガルダイアに近づくとこれまでずっとだだっ広い荒野だった大地に谷が刻まれているのが見えてくる。これがムザブの谷だ。こうやってほかの場所から来ると、ここの土地が谷間のオアシスに築かれた街だということがよくわかる。

「そうだ、絶好の夕暮れポイントがあるからそこに行こう」オマルがそんな提案をしてくれて、ムザブの谷へと降りる道の途中で車を止めてくれた。ここからまた昨日とは違った角度でベニイスゲンの街が一望できる。ベニイスゲンはよく見るとチュニジアのような水色を使った家が目立つ。昨日僕らが昇った見張り台に今日も誰かが上っているのがよくわかる。

右手に目を移すと丘の上にメリカの街が見える。元々この二つの街はそれぞれ丘の上に築かれた別の街だったのだろうけど、今では人口が増えて間がつながっている。こうして町並みを見ながらその街がたどってきた歴史に思いをはせるのは旅の醍醐味だ。きっと中世のラクダのキャラバンも同じ景色を眺めていたんだろうな。一目見てその街の歴史がわかるような町並みって見ていて飽きないよね。

どうだい。とニンマリ笑うオマル。いやあ、最高の場所をありがとう。

ホテルに戻り、今度はちょうど夕暮れの時を迎えたガルダイアの街をホテルの屋上から眺める。

二日間のガルダイア滞在最後の瞬間。深くなっていく空の青に差した燃えるような鮮やかな赤が印象的だった。この後バスに乗って砂漠の街ティミムーン(Timimoun)に向かう。

Written by shunsuke

2011年1月10日 at 11:38 PM