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ウズベキスタン旅行Index

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日程:2011年8月4日~16日

■旅程
8/4 CA920 成田 (NRT) 1930 上海浦東 (PVG) 2150
8/5 CA1858 上海虹橋 (SHA) 0755 北京 (PEK) 1015
CZ6027 北京 (PEK) 1620 タシケント (TAS) 1935
8/6 1051 タシケント (TAS) 0700 ウルゲンチ (UGC) 0840 → ヌクス (Nukus) → ヒヴァ (Khiva)
8/7 ヒヴァ → モイナック (Moynaq) → ヒヴァ
8/8 ヒヴァ
8/9 ヒヴァ → ブハラ (Buxoro)
8/10 ブハラ
8/11 ブハラ → サマルカンド (Samarqand)
8/12 サマルカンド → タシケント (TAS)
CZ6028 タシケント (TAS) 2055 北京 (PEK) 0600 (+1day)
8/13 CZ3282 北京 (PEK) 1230 桂林 (KWL) 1520 → 資源
8/14 資源 → 桂林 → 南寧
8/15 ZH9593 南寧 (NNG) 1415 シンセン (SZX) 1525
8/16 CZ3831 シンセン (SZX) 1100 上海浦東 (PVG) 1315
NH960 上海浦東 (PVG) 1700 成田 (NRT) 2055

■日記
DAY1: 最終便で上海へ
DAY2: 肉好きパラダイス、上海
DAY3: ヌクス、禁じられたコレクション
DAY4: 消えたアラル海
DAY5: ドラクエの世界に迷い込んだ
DAY6: 時速200kmを初体験
DAY7: 文化の香りがする都、ブハラ
DAY8: 10年越しの憧れ、青の都サマルカンド
DAY9: レギスタンを封鎖せよ

ウズベキスタンの感想
ウズベキスタン番外編: 中国で灯篭流し

Written by shunsuke

2011年10月9日 at 4:49 AM

カテゴリー: 2011/08 Uzbekistan

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ウズベキスタン番外編: 中国で灯篭流し

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今回のウズベキスタン旅行は元々、南寧での野球の教え子が地元でのお祭りに誘ってくれたのがきっかけだった。タシケントから北京に到着した後、北京から桂林に飛び桂林でIKBさん、Aちゃん、KTRさんと合流して彼の実家広西自治区の資源県へと向かう。北京で予定していた便に乗り遅れてみんなを4時間も待たせてしまったけど、無事に合流。待っててくれてありがとう。

資源県があるのは広西自治区の北の端、山を越えたらもうそこは湖南省だ。野球の教え子、Z君とL君が待つ資源の県城に向けて、桂林で貸しきった車は120kmの道のりを進んでいく。最初はのどかな田舎道だったけれど、次第に山が深く勾配がきつくなっていく。

2時間とちょっとで資源県城に到着。バスターミナルで待っていた二人と8ヶ月ぶりに再会して、まずはZ君の実家に向かう。実家は県城の中心部の古い家が並ぶ下町にあった。お祭りの時期は近隣から人々が集まっていて、街はとてもにぎやか。門もお祝いモード。

建物は3階建て。もともとは県城でなくもう少し田舎に住んでいたけれど、3年前にこの家を建て替えて今は親戚たちと一緒にZ君の両親が暮らしている。階段をのぼって、親戚が暮らす1階、2階を過ぎて3階に向かうと宴会準備ができていた。

真ん中にあるメインの鍋は絞めたばかりの鶏を新鮮な内臓とともに煮込んだもの。この日のためにZ君のお父さんは2年育てた鶏を絞めてくれた。内臓系が苦手な僕でも食べられるくらい癖がなかった(とはいえやっぱり苦手・・・)。晩ごはんを食べながらお父さんが米からつくった蒸留酒が出てきて、途中からあまりよく覚えていない。気がついたら灯篭流しが行われる時間帯になって、僕らはZ君と親戚たちに連れられうじゃうじゃ集まった人たちの群れをかきわけ街の中心を流れる川沿いにやってきた。

この灯篭ながしのお祭りは”河灯節”と呼ばれていて、毎年旧暦の7月13日と14日に資源の県城で行われている。Z君のお父さんによると、元々苗族(ミャオ族)や瑶族(ヤオ族)が住んでいた資源では、昔から旧盆に歌垣などの行事があった。その後、漢族も移り住んできて漢族の習慣である先祖を弔うため灯篭流しが合わさって今のような祭りになったという。そんな灯篭流し、僕も酔っ払いながらも灯篭を渡されひとつ、またひとつと河に流してみた。

最初は大人しく灯篭を一個一個流していたものの次第に面倒になったのか8個くらいまとめて流し始め、こんな龍まで登場。獅子舞とかあるし、龍を流すのはなんとなくわかる。

最後のほうにはどうやってつくったのか白鳥とかうさぎとか、よくわからんものまで流し始めた。もともとは先祖の霊を弔うために灯篭を流していたと思うんだけど・・・豪華なものを流しちゃえ!って、とても漢族っぽいからよしとするか。

こうして混沌とした夜は更けていった。翌朝、散歩して川沿いを歩いてみると、昨日流した灯篭や諸葛孔明やらの残骸がうちすてられていた。祭りで興奮していたけど、ちょっと現実を見せ付けられた感じ。シュールだ。それにしても、そのまま下流まで流すものだと思っていたけどしっかり回収していたのね。

昨日は夜のカオスな状態しか見ていないので、朝から県城の中心を歩いてみる。川沿いに家々が並ぶ様子は鬼怒川温泉みたい。ここも近くに温泉があるんだけど、街中にあったらいいのにな。

街は朝8時なのにすごい人手。この祭りの期間中は、普段広州で働いているZ君やA君がここに来ているように近隣から親戚たちや観光客が集まって、普段10万人の人口が5倍にもなるんだとさ。道行く人の多くは野良仕事で日に焼けていたのが印象的だった。

朝ごはんはもちろん米粉。本場のここで食べなくてどーするよ。一杯2.5元(40円くらい)、めんはつるつるで米のほのかな甘みが二日酔い気味の胃にうれしい。汁なしで半分食べて、最後はスープも兼ねて汁を足してごちそうさま。

この国は田舎にいくといろんなことがあって面白い。バイクで走っている間に洗濯物も乾いて一石二鳥。これは頭いいね!

最後にZ君、A君、今回は色々とありがとう!Z君の家族からのおもてなし、うれしかった。南寧の時から二人からは教わってばかりで、感謝してもしきれないな。社会人二年目も頑張って!そしてお互い切磋琢磨していこう。

このあと僕は南寧に寄って日本に帰国。これにてウズベキスタン旅行記おしまいおしまい。

Written by shunsuke

2011年10月9日 at 3:50 AM

カテゴリー: 2011/08 Uzbekistan

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DAY9: レギスタンを封鎖せよ

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ウズベキスタン最終日。今日はこの国のハイライト、青の都の象徴であるレギスタン広場に向かう。その後、昼に鉄道でタシケントまで戻り、夜の飛行機で北京へと戻るので、ちょっと慌しい一日だ。昨日思ったより夕方が涼しくてのどが痛いなと話をしていたら、宿のおばちゃんがハチミツをお湯で溶かした飲み物を持ってきてくれた。

「小さい時から風邪を引いた時はこれを飲んで治したのよ」と宿のおばちゃん。心遣いがうれしいな。旧市街の奥まったところにあってアクセスはあまりよくないけれど、Legendおすすめです。


サマルカンドナンで朝ごはんを済ませて、さっそくレギスタン広場へと急ぐ。宿から25分ほど歩いて広場に着くと、何やら様子がおかしい。柵がまわりに張り巡らされていて、客席のようなものもセッティングされている。

ゲートに近づくと警備員らしき人に呼び止められ「No, entry」と告げられた。なんでなんで?警備員に指差された張り紙を見てみると、2年に1回の音楽祭が9月上旬にあり、それのリハーサルのため12:00-15:00までしか観光客は広場に入れないらしい。っていうことは、列車の時間が11時過ぎだから、ここまで来たのに僕はハイライトのレギスタン広場に入れないわけ?そんなのありかよ・・・あまりに悔しいので柵の隙間から望遠で撮ってみる。この中に入って雰囲気にゆっくり浸りたかったなあ。

とぼとぼと宿に戻っていくと、道すがらハローハローと子どもたちが話しかけてきた。文明の十字路、サマルカンドには東洋風の顔立ちの人もいれば、西洋風の顔立ちの人、見るからにアラブ系の人、ありとあらゆる顔立ちの人たちが暮らしている。なんか子どもたちに励まされた気分。

宿に戻りサマルカンド駅に行き、昨日ブハラから乗ったシャルク号を待つ。昨日は定刻どおりに運行されていたけれど、今日は定刻を過ぎてもなかなか列車は現れない。ナン売りのおばちゃんと話しながら時間をつぶす。女性は若い人も年配の人も、色鮮やかなワンピースを着ている人が多かった。どの女性も突き抜けるような青空に色とりどりの服がとても似合っていたな。

列車は30分ほど遅れて到着。昨日と同じく二等車(18ドル)でタシケントに向かう。途中信号トラブルがあったのか止まったり減速したりで結局タシケントへは通常2時間半で着くところ4時間かかり3時半に到着。それに加えて冷房がほとんどきいていなくてタシケントに着いたころには汗だくだった。

タシケントのプラットホームに降り立つと「暑かったわね」と女の子に日本語で声を掛けられた。話をしてみると、日本文化に興味があってタシケントの大学で日本語を学んでいるそう。 放射能垂れ流している上、正確な情報を伝えない国だけど、そんなわが母国に興味を持ってくれている人に会うのはうれしいね。

タシケントでは行きの飛行機で仲良くなったBekaとブハラで会った韓国人のトングンと最後のごはんを食べ、北京に向けて飛び立つ。

今回のウズベキスタンは、一週間ちょっとと僕にしては比較的ゆっくりとこの国に滞在できて、最初に聞いていたとおり地元の人たちのホスピタリティに感謝した旅だった。人をもてなすことって、こういうことなんだなと出会った人たちに教えてもらった気がする。 今は欧米と韓国、日本からの旅行者が中心だけど、この先中国人とかインド人とかの旅行者も増えてくるだろう。そうした時代になってもこの国を訪れた人たちが、僕が感じたような地元の人たちの温かさや優しさを感じられる国であってほしいな。ちょっと傲慢かもしれないけれど、そう願いたい。

Written by shunsuke

2011年10月6日 at 2:45 PM

DAY8: 10年越しの憧れ、青の都サマルカンド

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この日は朝一番に列車「シャルク号」でブハラからサマルカンドへ移動する。宿には前日のうちに7時にタクシーが来るよう手配してもらったら、しっかりと時間どおりに迎えに来た。朝から「ハラショー」と陽気なおじさまのドライブで駅まで1台5ドル。

シャルク号はブハラからタシケントまでを結ぶ特別列車。ブハラからサマルカンドまでは3時間ちょっとで着く。宿で買ってもらった二等車に乗り込むと対面式のシートだった。広州とシンセン、香港を結ぶ広九鉄路もたしかこんな感じだったね。

列車は定刻どおり11時過ぎにサマルカンドに到着。古くは4世紀にアレクサンダー大王が「話で聞いていた通りに美しい・・・いや、それ以上に美しい」と言った場所。青の都、東方の真珠。2000年に昆明で留学している時に友人が持っていた旅行人シルクロードを見ながらいつか行きたいと思ってはや11年。3年前にはチケットを買うも出発5日前に薄利骨折をして断念したこともあった。そんなサマルカンドにようやく僕はたどりついた。と、到着しただけで感慨深くなってしまった。

駅からバスで街の中心部に向かうが予定していた宿のバハディールは満室だったため、そこから15分ほど歩いたところにある宿、Legendに向かう。炎天下の中少し迷ってかなり疲れたけれど、中庭に樹齢100年を越える大きな木が茂るとても居心地のよさそうなB&Bで、一部屋25ドル。

ヒヴァに三泊もしてしまったのでサマルカンドにいられるのは今日一日だけ。荷物を置いてウェルカムドリンクで出してくれたグリーンティーを飲んで一息ついたら街に出かける。ところで、ここウズベキスタンでは暑いときでも温かい紅茶(ブラックティー)か、緑茶(グリーンティー)を飲むことが多い。中国でも冷たいのは身体によくないって言って飲まないし、中米でもそうだったっけ。冷たく冷やしたものを飲むことができるのって、冷蔵システムを持っていて途切れずに電力が賄うことができるところだけなんだよね。

腹は減っては元も子もない、ということでまずは腹ごしらえ。レギスタン広場の北側にあるチャイハナに入り、これまで食べる機会のなかったラグマンを食べてみる。トマトベースのスープにこれでもか!と具がたっぷり入り、さらにこの下にうどんが隠れている。すごいボリュームだ。一見大味のように思えるけど、上に乗っかったパクチーが小気味よく効いていてすっと胃に入ってくる優しい味になっている。こりゃ、うまい。

お腹が満たされたところでまず最初に向かったのは中央アジアの英雄、ティムールが眠るアミル・ティムール廟。モンゴルではチンギス・ハーンが、アラブ圏ではサラーフ・アッディーンが英雄になっているようにここ中央アジアではぶっちぎりでティムールが英雄だ。チンギス・ハーンによって破壊されたサマルカンドを再建した男、ティムール。「豪華な墓などいらない」と言って死んだ彼だけど、死後にこんな立派な廟に一族ともども眠ることになった。ガイドブックによると、1941年にソ連の学術組織によってこの墓が開けられティムールが片足が不自由だったことなどがわかったという。死んで数百年経ってもゆっくりさせてもらえないなんて、英雄になるのも考えものだ。

この後はタクシーに乗り、一路丘の上にあるサマルカンド有数の聖地、シャーヒズンダ廟群に向かう。ここは7世紀に預言者ムハンマドの従兄がここで礼拝中に異教徒に襲われ命を落とした場所らしい。その後、ティムールの時代に宰相ウルグベクによって門が建設され、ティムールゆかりの人々が眠る聖地となった。青の都サマルカンドの中でも飛び切り青が美しい場所。

中は回廊になっていて、道の両側にそれぞれティムールの妹や妻、配下の将軍を祭った廟が並んでいる。どれも青を貴重とした見事な模様のタイル装飾で彩られていて、ただため息が出るような美しさだった。ヒヴァが素朴な美しさ、ブハラが文化の香りのする都だとしたらここサマルカンドは世界の中心だ。そんなことを考えながら進んでいくと左手に少し雰囲気の違う建物が見えた。これはクサム・イブン・アッバース廟、ここでモンゴル軍に破壊されずに残った唯一の建物で、この廟に3回詣でるとメッカに礼拝したことと同じとなるらしく、この扉は”Heaven’s door”と呼ばれている。見事な木彫りだ。

しかし、ここに3回詣でただけでメッカに行ったことと同じになるなんて、なかなか便利な話だ。チベットのマニ車も一回まわすだけでお経を読んだことと同じことになるし、宗教ってそういう遊び心が垣間見えるところが面白い。生活に宗教が根ざしている場所ほど、敬虔と呼ばれる人たちほど楽しみながら信仰に身を投じている、僕個人としてはそんなことを感じている。

「あんたたち、中は入ったの?どんな人でも入れるから見てきなさいよ」そうおばちゃんい言われてこの廟の入口を見てみると”The doors of paradise are opened to all believers”と書かれていた。どんな信者にも開かれている、そんな懐の深さがいいね。

中の廟はシンプルな壁面、だけど見上げた天井は他のどの廟よりも美しかった。

ティムールが愛した美しい妃を祀ったシャーディムルク・アカ廟。ここで最も美しいと呼ばれている廟で、壁面の模様だけでなく、扉や窓の装飾にいたるまで細部に美しい彫刻が施されていた。現存するのは復元されたものと聞いているけれど、ここまでしっかりとこだわった彫刻がなされているのはヒヴァ、ブハラではなかったな。

1時間ほどシャーヒズンダ廟にいたら、かなり日が傾いてきた。ここサマルカンドはヒヴァやブハラと違い標高700mくらいあるため、少し日が傾くとすぐに涼しくなる。廟を出てすぐにあるシヨブ・バザールに向かうと、夕暮れ時で店じまいが始まった頃だった。それでもまだ熱をもっているナン売り場をのぞいてみる。

ナンと聞くとインドのナンのような葉っぱ型のものを思い浮かべると思うけど、ここサマルカンドのナンはちょっと特別で、こんな形をしている。原料は小麦で同じなのだけどゴマをたっぷり使っている上、少し塩味があって噛み応えのある味なのだ。

「私のところのナンは特別よ。ここまで来たからには買って行きなさいよ!」とおばちゃん。そうは言っても、それ朝焼いたやつでしょ?また明日の朝に焼きたてを買いに来るよ。と言っておばちゃんから逃れる。でも、おいしそうだなー

「それじゃ、明日の朝は私のところのナンも買っていってね」と隣のお姉さん。なんかこういうやりとりいいなあ。普段の旅の中でも現地の人と触れ合う瞬間はあるけれど、市場の雰囲気や市場で出会う人たちの表情は格別だ。モノを売り、買う。そして食べ物をつくり、食べる。それらいろいろな欲が詰まっている市場には、昔から人間が積み重ねてきた本来の姿が垣間見れるんだと思う。それが古代からの通商都市、サマルカンドならばなおさらだ。

考えてみたら、今夜はウズベキスタンで過ごす最後の夜。やっぱりメロンを食べなくちゃ、そう思いナン売り場を離れると次は果物売り場に向かってみた。すると、「食べていきなよ」とこんなスイカがお出迎え。そのギザギザスイカには惹かれたけど・・・でもごめんよ、今夜はメロンってもう決めているんだ。このお兄ちゃんはかなり東洋系の顔立ちだ。さすが文明の十字路。

スイカのエリアを過ぎると慣れ親しんだ甘いにおいが漂ってきた。厚い皮から漏れ出るくらいの強烈な甘さ、メロンだ!

10分ほど鼻を近づけたりポンポン叩いたり、どれがおいしいか吟味した後1個3,500スム(1.5ドル)でメロンを購入。おっちゃん、ありがとう!

この日の最後にティムールが建築した巨大モスク、ビビハニム・モスクに寄る。この門を見てもらえればわかるとおりとにかくデカイ。10階建てのビルくらいはありそうな高さだ。1399年にインド遠征から帰ったティムールは、サマルカンドの街に大きなモスクがないことを嘆き、このモスクの建造を始めたという。メロン片手にモスク参詣はちょっと大変だった。

青の都、初日。美しい青色との出会いと、市場で人々の素のに触れることができて充実した一日だった。明日はいよいよれウズベキスタンのハイライト、レギスタン広場です。

Written by shunsuke

2011年10月3日 at 6:13 AM

DAY7: 文化の香りがする都、ブハラ

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今日はブハラを丸一日観光。部屋も豪華だったけれど、200年以上前の姿のままほとんど手をつけていない食堂はもっと厳かな雰囲気があった。梁にはぶっとい丸太を贅沢に使い、照明に使われているシャンデリアはロシアから運ばれてきたとのこと。まさに重厚という言葉がよく似合う、そんな部屋だった。

部屋以外の場所も程よく昔からの骨格を残した上にきれいに修復されている。その上無線LANも完備して朝食込みで35ドルは安いよ。ブハラで宿をお探しの皆さん、Komilをぜひチェックあれ。今ならweb予約限定で安くなるみたい(http://www.komiltravel.com/index/83728,0)。

ここブハラもヒヴァと同様20世紀初頭までブハラ・ハン国と呼ばれ、エミール(藩王)が統治する独立国だった。特にブハラのエミールは残虐であることで知られ、1870年代にロシアの影響下に入るまでは西洋からの旅行者が、イランやアフガニスタンを経由して命を賭けて目指す場所でもあった。そんな場所にこうやって会社の休みだけどピュ-っと来ることができてしまうんだから便利になったよね。別の言い方をするならば、歴史を知る者からしたら物足りないような時代なのかもしれないな。カラーンモスクの前でおやつを売っていたおじさんと話しながらそんなことを考えた。

この日は西の方まで足を延ばしてみる。まず訪れたのは中央アジア最古のイスラム建築と言われているイスマイール・サマーニ廟。892年から943年にかけて建設された霊廟なのだけど、13世紀のモンゴル軍襲来の際にはほとんど地中に埋もれていたためにモンゴル軍が気がつかなかったとのこと。土に埋もれていたということは当時の人からは大切にされていなかったわけで、大切にされていなかったがゆえに今の時代に残されたというのは皮肉だよね。

次に訪れたのは歴代の王たちが住んだアルク城。中は広かったのでガイドを5,000スム(2ドルくらい)で雇い案内してもらう。城の中には捉えられた旅行者や罪人を閉じ込めておく牢があったり、ロシア軍との攻防の際に城の上から落としたという爆弾の残りが保管されてあったりと、昔の姿を伝えてくれていて臨場感があった。写真は王が来客に謁見する時に使われていたという謁見の間。ガイドによるとこの場で「この者の首を刎ねよ!」と言ったこともあったとか。

このアルク城の中を見ていて思ったのだけど、木造で浮き彫りのデザインが施されている柱や壁の装飾などなどつくりはヒヴァのものとほとんど同じ。だけど、人同様すべてにおいてブハラもののほうが洗練されている感がある。ヒヴァの町並みや佇まいはとても好きだったけど、こうしてブハラの街と比べてみると、ヒヴァにあったのは朴訥なよさでブハラは文化が栄えた都といったところ。

アルク城を1時間ほど散策したあと、カラーンモスクに戻る。途中人だかりがある市場に寄ってみると宝石市場だった。宝石市場だけに女性ばかり。

そういえばウズベキスタンでは頭を包むようにスカーフをかぶっている女性を見かけることが少ない。同じイスラム圏と言っても断食もしないし、かなりアラブ圏とは違う。それでも夏の暑い日にはこんな感じでスカーフをしている女性が多かった。彼女、耳のピンクサファイヤがとてもきれいで印象的だった。


朝から歩き続けたのでこのあたりでお昼を食べ、昨日入り損ねたカラーンモスクに向かう。青い空の下、すべてがシンメトリーに設計された場所。ただただ美しい。1万人が一度に礼拝できるほどのこのモスクも、ソ連時代には礼拝が許されず倉庫として使われていたらしい。何かを盲目的に信じることは時にしてそれ以外の価値をすべて否定することにつながるんだね。心に留めておこう。

さすがに疲れてきたので、ここでタキ・テルパクフルシャンの近くにあるアラブ風呂、ハンマームに行ってみる。シリアやチュニジア、アルジェリアでこれまで何度か言ってみたけど、現地語しか通じないことが多かった。そんな経験から恐る恐る行ってみると、パーフェクトな英語対応。ここは300年前から同じ場所に残っているハンマームで、外国人も多いらしい。そんな場所を貸しきって、パンツ一丁のひげもじゃオヤジとマンツーマンでサウナ、あかすり、マッサージ。計20ドルなり。現地価格からはほど遠いけれど、マッサージはかなり気持ちよかったのでまあよしとする。彼がホモでなかったので、それもよしとする。

夜は再びカラーンモスクの広場に戻ってきて、ライトアップを眺めながら晩ごはんを食べる。途中、ウォッカのビンを持ったお兄ちゃんがやってきて写真を撮るのを頼まれたことをきっかけに「日本に乾杯」「ウズベキスタンに乾杯」「今度のワールドカップ予選に乾杯」と乾杯攻撃を受けて、あえなく酔っ払う。指差し会話帳フレーズがこんなところで役に立つとは。ライトアップは美しかった。ウォッカを飲んだ後の姿はもっと美しかった。

Written by shunsuke

2011年10月2日 at 10:04 PM

DAY6: 時速200kmを初体験

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三日間過ごしたヒヴァにお別れをする日が来た。朝6時半、最後の日くらいは早起きしてみると、昼間のぎらぎらした日差しが嘘のように街はひんやりとした空気に包まれていた。街を歩くと、家々の前では外にベッドを出して寝ている人たちが目に入ってきた。きっと昼間の暑さが部屋にこもって夜も寝苦しいんだろう。中国でもよく見た光景だ。これだけ朝が涼しいと寒くないのか心配になってくるけど、外に寝られるってことはそれだけ治安がいい証拠だね。

宿の周りから足を延ばして城外にある市場に行ってみる。目の前ではスイカを運ぶトラックが横付けされ、その奥ではカラフルな洋服に身を包んだおばちゃんがトマトを大量に買おうと、トマト売りのおじちゃんと交渉している。城内の静けさと対照的に、この時間から行きかう人たちの熱気にあふれていた。

野菜、果物、そして日常生活品がずらりと並ぶ市場。その中でもやはり主役はスイカとメロンだ。どれもでかくておいしそう。

市場のはじのほうでぶどうを売っているのを見つけた。そういえば、まだウズベキスタンでぶどうは食べていなかった。そう思い一つ食べさせてもらうと、これがたまげるほど鮮烈なおいしさ。マスカットのような色、口の中に一粒入れただけでもやもやが吹き飛んでしまうような爽快な気分になる。結局のところ、これだけ昼と夜、夏と冬の寒暖の差が激しくて乾燥していると、植物は自分の身を守り子孫を残すため身に色々なものを蓄えるんだろう。その結果、果物はより甘く、野菜はより濃厚になる。ここはおばあちゃんから孫まで一家総出でぶどうを売りにきていた。こういう家族のつながりが残っているのを見ると、とてもほほえましくなる。

市場を散策し朝食をとって三泊した宿、ミルザ・ボシをチェックアウト。たまたま見つけた宿だったけれど、部屋も清潔な上朝食がとてもおいしくて大満足な宿だった。ヒヴァに行く方、B&Bに泊まるならミルザ・ボシがおすすめですよ。宿に行ったらこんな主人が笑顔で迎えてくれる。


ヒヴァまではおよそ450kmの道のり。まずはヒヴァの北門から乗り合いタクシーに30分ほど揺られ、ウルゲンチでブハラ行きの乗り合いタクシーに乗り換える。ブハラまで一人45,000スム(19ドル)400km以上もあることを考えると安い。いざ出発!と走り出して10分もしないうちに道端のメロン売り場に車を止めてメロンを切り始めた。やっぱり腹が減ったら運転も大変だもんね。それにしてもドライバーの彼、メロンの中にある種が身につかないようにきれいにメロンを切り分ける。

きれいに切り分けられたメロンに早速かぶりつく。毎日メロンを食べているけど、どのメロンも乾いた大地から吸い上げた貴重な水分が濃縮させたようにみずみずしい。僕らだけでなく、助手席に同乗していたお姉さんもオレンジの果肉にかぶりつく。水を飲むような感覚で果物を食べるんだなあ。

ヒヴァからブハラに向かう道はアムダリヤ川に沿って走る。道の両側にはヌクスまでの道同様に運河が張り巡らされ、その水を使った綿花畑が広がっている。運河から畑に水を供給する場所には水門があって、そこで水を調節できるようになっていた。

ブハラまでの道のりはまっすぐな一本道なのだけれど、いたるところで工事をしていて工事箇所になると未舗装の砂利道を進むことになる。舗装されている所でも風が強いこの場所では砂が道を覆いつくしている箇所もあった。そんな砂に車輪をとられたのか、トラックが一台横転中。

面白かったのはこのトラックにはスイカが積まれていて、助けを待つ間ドライバーたちはトラックのボディーの木陰でスイカを食べながら休んでいたこと。ここでは果物はいざという時の非常食になるんだね。

3時間ほどで道路工事の箇所を過ぎると、今度はドライバーが猛烈に飛ばし始めた。恐る恐るメーターを見てみると針が指している場所は、なんと200km/h。周りに砂しかない場所なので臨場感がないけれど、時速200kmは人生初体験だ。そんなドライバーの頑張りのお陰で6時間半でブハラに無事到着。この日は280年前に建てられてユダヤ人商人の屋敷をそのまま使った宿、Komilに宿泊。ふんだんに太い丸太を使った建物で、ベッドルームにも昔の彫刻や絵画が残されている。お金がかかっているなあ。これで一泊35ドルは安い。

街を歩くと、ヒヴァよりも人も街もこぎれいだ。道行く人たちの表情も服装も垢抜けている。

夕方、街一番の見所、カラーンモスクにやってくる。もう中は閉まっていたけれど、夕日を浴びた彫刻と壁の色が美しい。

ここで、タシケントの最初の夜に一緒にごはんを食べに行った韓国人一行とあった。写真の仕事をしているKevin、経済の先生をしているセミョン、日東電工で働いているトングン。年も感覚も近くて思わずはしゃいで、カラーンモスクをバックにジャンプするセミョン。


ヒヴァの街は暗くなるとすぐに人通りがなくなったけど、この街は暗くなっても通りがにぎやか。宿への帰り際にスークの前でガムを売っていたおばあさんと少し話す。まるで街の中に溶け込んでいるようなたたずまいが素敵だった。

Written by shunsuke

2011年9月24日 at 7:29 PM

カテゴリー: 2011/08 Uzbekistan

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DAY5: ドラクエの世界に迷い込んだ

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昨日は一日中車で移動していたので、今日は8時頃に起きて泊まっているB&Bミルザ・ボシで、宿自慢の焼きたてのクロワッサンに自家製のアンズジャムをつけて温かい紅茶とともにいただく。ついでにおとといメロンマーケットで買ったメロンも切って、同宿だったスペイン人一行とシェアする。やっぱりメロンは格別の味だ。普段ゆっくり朝食をとることが少ないだけにこうした時間は格別だなあ。部屋もきれいだし、これで15ドルは安い。

今日は一日ヒヴァをゆっくり観光する。とは言ってもこのヒヴァの歴史地区、城壁に囲まれたイチャン・カラは500m四方くらいの小さな場所。そこに神学校メドレセやモスクとミナレット、そしてかつて藩王エミールが暮らした場所がぎゅっと詰め込まれている。そして、その城壁の中に今でも人々が暮らしているのだ。

まずは、ヒヴァの名所すべてが周れる共通チケットを購入し(15,000スム)、かつてエミールが暮らしていた場所(名前忘れた)に行き、高台から街を眺める。まるで蚊を殺すかのように人を殺すことをためらわず残虐と恐れられていたヒヴァのエミール、歴代の王たちもここからこうやって街を眺めていたんだろうな。うーん、いい眺めだ。

同じ場所から城壁を眺めてみる。遠くから見るとまっすぐに見えた、城壁も敵の侵入を防ぐためかくねくねとした形でつくられていた。これだけのものを土をこねてつくったんだよな、こうして見るとまるで生き物のように見えてくる。

次に訪れたのはスザニセンターとの名前の織物工場。伝統産業の継承と女性の社会活動を後押しすることを目的として、政府が運営している織物の訓練所のようなところ。ぱっと見るとただの単純作業で簡単なように思えるけれど、聞くと4m四方ほどの絹の絨毯を織り上げるのに、1人の女性が一日10時間織って4ヶ月もかかるとのこと。単純作業もそれが積み重なれば芸術作品になる。冬はマイナス20℃にもなるこの地方では、昔から女性は冬に家出織物をしていたんだって。

次に訪れたのは同じ一角にあったモスク。ここには井戸があって、その水を飲むと女性は美しく男性はたくましくなるそうだ。試しに飲んでみるとかなりしょっぱかった。たくましくなるどころかおなか壊してげっそりしそうなので一口で止めておく。おなか壊したら元も子もないもんね。ここも茶色の土で固められた表面に真っ青なブルーの模様と空がよく映えていた。

僕が訪れた8月はウズベキスタンではまだ夏真っ盛り。この日の気温は38℃。湿度が10%程度と低いので汗はそれほどかかないのだけど、日差しを浴びているだけでどっと疲れが出る。それでも僕らが訪れた一週間前にはヒヴァで48℃を記録したようで、まだマシだったそうだ。48℃って、想像もつかないな。

そんな暑いときは休み休み動くに限る。ということで12時前に城壁の外のバザールに行き、B級グルメでおなかを満たすことにした。まず最初に見つけたのはサモサ。羊肉とたまねぎを小麦の生地に包んで焼いたもの。油をたくさんつかっているので揚げたようなさくさくした生地がミートパイのようだ。1個800スム(25円)。中の具もジューシーでおいしかった。

しばらく歩くと、よだれが出てくるような匂いが漂ってきた。人だかりができていた匂いの元に近づいてみると、あったのは羊肉のシシカバブ。炭火で焼いた串にたまねぎを添えて、パンと一緒に食べる。やわらかくて味のある羊肉とたまねぎ、そしてバゲットの組み合わせが最高だ。昔内モンゴルや陝西省で食べていた羊肉と比べると、まったくと言っていいほど臭みがなくておいしい。きっと食べているものがちがうんだろうな。

「どうだ、うまいだろ?」としたり顔の店のおやじ。どこの国に行っても地元の人が通う市場で、にぎわっているお店に外れはないね。

食後は少し宿で休み、午後は同行者Mのリクエストで城外を歩いてみる。ここヒヴァも他のオアシス都市同様、川から水を引いていて街中に水路が張り巡らされている。そんな水路は子どもたちの絶好の遊び場のようだ。気持ちよさそう!と思って水を触ってみると思ったより冷たい。それもそのはず、アムダリヤ川の水源はパミール山脈の雪解け水なんだった。

城外を歩いた目的は観覧車に乗ること。かなりボロいのと、高いところが苦手なので僕は恐る恐る乗ってみたけど、予想通り怖かった。それでも観覧車から一望したイチャン・カラは100年前から変わらない姿で、とてもフォトジェニックだった。「ここってリアル・ドラクエの世界だよね」ヒヴァのことをそう評した友人がいたけれど、まさにそんな感じ。違うのはドラゴンクエストで出てくる教会がここではモスクになっていることくらいかも。

城内に戻ると、午前中とうって変わって人の気配が少ない。みんな午後はグダーっとしているんだろうな。人気のないリアルドラクエの世界を歩いていると、200年くらい前にタイムスリップした感覚になる。ラクダの隊商とか現れても驚かないよ。

夕方、仲良くなったみやげ物屋のおじちゃんから地元の伝統舞踊のショーが5ドルで見られるよ、と聞き行ってみる。家族でやっているような劇団で、ロシア風のダンス。ひとつひとつの踊りに物語があって、観客を楽しませることを考えていた。これは5ドルは安い。

最後にショーのことを教えてくれたおじちゃん。僕はどこに行ってもこの手の陽気なおっちゃんに好かれることが多い。類は友を呼ぶというやつか。

明日は一日がかりでヒヴァから次の目的地ブハラへ移動です。

Written by shunsuke

2011年9月17日 at 5:10 PM