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DAY10: モスクワの街を戦車が走り抜ける

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朝7時半のフライトに乗るため5時前に起き、まだ真っ暗なエレヴァン市内を走り空港へ向かう。エレヴァンの空港は最近建てかえられたらしく、モダンで新しい。古い建物が多いこの国ではひときわ目立っていた。飛行機は定刻どおり飛び立ち、ふと左側の窓を目にやると、それらしき方角に雲の上に顔を出しているきれいな形の山が見えた。あれがアララト山かな?

飛行機は3時間ほどでモスクワに到着。実は、1日2便あるエレヴァン便でも朝早い便にして初めてのモスクワ観光をするのだ。このためにちゃんと東京でロシアのトランジットビザを取っておいた。6年前にトランジットした時には暗いイメージしかなかったモスクワの空港もすっかり新しくなっていて見違えるよう。さっそく空港と市内を結ぶAero Expressに乗って街へ繰り出す。片道300ルーブル(9US$)、2008年に開業した列車は30分置きに出ていて、空港同様ピッカピカ。

快適なエアロエクスプレスは新緑のモスクワ郊外を走り、35分ほどでベラルーシ駅に到着。ここが地下鉄と接続していて地下鉄に乗り換えて一路モスクワの中心、赤の広場を目指す。しかし、プラットホームに降りて地下鉄への乗り継ぎ口を探すも、あたり一面キリル文字表記で地下鉄乗り場がわからない!空港に直結しているだけあって、駅前はやたら両替屋さんの看板が目に付いた。

ようやくMのマークの地下鉄入り口を見つけて中に入る。金色の彫刻で門がかたどられ、扉は木でつくられている。まるでどこかの美術館の入口のような豪華なつくりだ。噂には聞いていたけれど、すごい。

そしてこちらも噂の長いエスカレータで地下に降りる。日本よりスピードが速いのだけど、30秒は乗っていただろうか。大江戸線もびっくりの深さ。さすが共産圏の総本山だ。

この地下鉄で3駅進み、赤の広場に近いTeatraljnaya駅で降りる。それにしてもモスクワ地下鉄の駅名は読みづらい。Teatraljnayaって、何て読めばいいんだい?地上に出て赤の広場方面に向かおうとするが、なんだか警備が物々しい。赤の広場前の道には柵が設置されていて、前には警備員が立っている。

警備の人で英語を話すことができる人がいたので聞いてみると、なんだか今日はMilitary ParadeがあるからNo enter Red squareと言っている。ん・・・ということは僕は赤の広場に行けないの?せっかくビザまでとってモスクワ市内に着たのに!そんなことを切に訴えていると後ろのほうから爆音が聞こえてきた。どうやらパレードが始まったらしい。赤の広場に続く大通りに駆けつけてみると、前方から装甲車が走ってきた。これはある意味すごい!

道の両側にはすごい人垣。みんなスマホやカメラを掲げて興奮気味に写真を撮っている。英語が上手な人に聞いてみると、WWII戦勝記念パレードの予行演習だとか。

ミサイルを積んだ車も赤の広場に向けて目の前を通過していく。日本で言えば皇居前の道を走っているようなもんだ。これはすごい。

 

しばらくすると今度はヘリコプターが飛んできた。ロシア国旗やその他いろんな旗が運ばれていく。

外国人がこんなのを見ていいのだろうか?そんな風に感じてしまうけど警備員にもとがめられていないし、きっといいんだろう。きっと軍事マニアの人たちにはたまらない光景なんだろうな。中川八洋さんが見たら興奮ものだろう。装甲車や戦車が赤の広場方面に走り去った10分後、今度は戻ってきた。まだあるのかよ!

それにしても戦車っていうのは音がうるさいし、すごく油を使いそうなしろものだ。こりゃ、戦争は金がかかるわ。そんな当たり前のことも目の前で戦車が走る姿を見ると実感を伴ってくる。パレードの予行演習が終わった後も明日の本番に向けて準備が進められているらしく、バリケードはとかれない。聖ワシリー教会もこんな近くにあるのに中に入れないなんて!遥かなるたまねぎよ。

僕と同じように赤の広場を見にやってきて中に入れず外から見つめる人たち。昼前からずっと待っている人もいたけれど、今日はもう無理そうだ。もしかしたら僕みたいに今日この日に赤の広場へ行くために遠くから来た人もいたのかもしれない。そういえば、地下鉄の駅を降りたところでも警官がパレードのために道を塞いでいて、通行人から「こんなことしかやらないプーチンなんてとっとと消え去れ!」みたいなことを言われていた。僕はたまたま訳してくれた人がいたからわかったんだけど。そりゃ、みんな迷惑だよね。

飛行機は夜7時の便だったので赤の広場付近を散歩して時間をつぶす。ロシア正教会といえば、この玉ねぎ型の屋根。この屋根を見るとなんとなくモスクに見えてくる。

散歩している間にポツポツと雨が降り始めてきたので、早めに空港に戻る。今回もあわただしい旅行だったけど、最後に珍しいものも見られて充実した10日間だった。

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Written by shunsuke

2012年10月25日 at 11:03 PM

カテゴリー: 2012/05 Caucasus

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DAY9: 崖の上のタテヴ

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ゴリスで迎える朝、夜明け前の5時に目を覚ます。そもそも昨日5時間近くもかけてここまで来たのは崖の上に建つタテヴ修道院の夜明けを見たかったからだった。コーカサスまでの飛行機の中、雑誌「旅行人」のコーカサス特集に掲載されていたタテヴ修道院の写真。夕日か朝日を浴びて断崖絶壁に建っているその姿がとても美しくて、ウシュグリ同様ひとめぼれしてしまったのだ。写真が見つからないのが残念だけど。

かくして朝日を浴びるタテブを見るために早起きしたものの、空は厚い雲に覆われている。少し明るくなってきた外を見渡してもここから20km離れたタテヴへ行ってくれそうなタクシーが見当たらないので、谷の向こうのオールドゴリスまで散歩する。道を歩くと大量の牛たちが朝のお散歩中だった。

宿のおばちゃんの話によるとここゴリスでは100年ほど前まで人々は横穴を住居として暮らしていたらしい。その洞窟のような穴が今でも残っていて、それをオールドゴリスと読んでいる。川を渡り対岸のオールドゴリスまで足を伸ばしてみると、今では墓地になっていた。

オールドゴリス散策中にすっかり夜は明け、町がにぎわい始めてきた。時計を見るともう7時を回っている。タクシーを捜すと、今にも止まりそうなボロボロのプジョーがすぐに見つかり、往復7,000ドラム(18US$)でタテヴまで行ってくれることになった。ここゴリスがそうであるように、このあたりは河の流れが深い寝食谷を作り出していて、車はその谷に沿うように進んでいく。九十九折の坂を何度か登ったり下りたりするたびにおんぼろの車が止まってしまわないか心配しながら進むこと30分、視界の先にタテヴの修道院が見えた!すごい、本当にギリギリのところに建てられている。

後で聞いた話によると、途中の街からタテヴの修道院を結ぶロープウェーができていて、それに乗れば速く着くらしい。僕もドライバーもそんなことは知らずおんぼろルノーで坂を登りここまでたどり着いた。まだ朝早い時間のせいか、僕以外に観光客は誰もいなくてひっそりとしている。静謐との言葉がぴったりな雰囲気だ。

修道院の礼拝堂から何か音が聞こえてきているので、木製の重い扉を開けると中で二人の修道士がアルメニア語で祈りを捧げていた。窓から差し込む朝の光、修道士、そして意味のわからない祈りの言葉。きっと中世の礼拝のようすもこんな感じだったのかな。

しばらく礼拝堂でたたずんだ後外にでる。タテヴの修道院に着いてから30分くらい経つけれど、誰もやってこない。この雰囲気を独り占め。アクセスが悪いせいか、教会や遺跡に行く時は他に観光客がいない時に行くのが一番だ。

結局タテヴには1時間ほどいてゴリスの街に戻り、宿で遅めの朝食をいただく。朝ごはんを食べながらマスターと話していると、どうやら3,500ドラム(9US$)でエレヴァンまでの乗り合いタクシーを手配してくれることが判明、しかも宿まで迎えに来てくれるとか。ゴリス滞在の間、ずっと厚い雲が空を覆っていたけれど、ゴリスの街は石造りの家が並んだきれいな町並みで、また来たいと思わせる場所だった。

宿でタクシーが来るのを待っていると、マスターの言葉通り10:30にタクシーがやってきた。僕を乗せた後街の中でさらに3人を乗せ、昨日バスで通った道を一路エレヴァンへ向かう。途中、今はトルコ領になっているアララト山がきれいに見られるスポットがあるのだけど、今日も厚い雲が覆っていてくっきり見えなかった。残念。大アララトとと小アララトがあって、左が小、右の麓しか見えていないのが大。大アララトは標高5,000以上もある巨大な山だ。信仰の対象になったのもよく理解できる。

午後1時過ぎ、4時間足らずでエレヴァンに到着。やっぱり乗り合いタクシーは速いな。到着した場所が地下鉄の通っているバスターミナルだったので、地下鉄に乗って街の中心に戻る。ところが、このエレヴァン地下鉄、アルファベット表記がまったくなくて全然読めない!始発駅だったから迷わなかったけど、これはアルメニア語がわからない人には大変だ。

アルメニア滞在の間、ずっと厚い雲が覆っていたけれど、エレヴァンで迎えた午後ようやく雲の切れ間から青空が見えたので、しばしエレヴァンの街を歩いてみる。街の中心Republic Square にあるマリオットホテルから眺めたアルメニア国立美術館。ここのアルメニア史の展示は紀元前の大アルメニアからの歴史と出土品が展示されていて見ごたえがあった。

街の中心部に唯一残るモスク、ブルーモスク。中は緑があふれていて近所の人、ムスリムたちの憩いの場になっていた。ここで英語が話せるイランから来ている学生がいたのでしばしおしゃべり。旧ソ連時代はアゼルバイジャン人が多く暮らしていて、彼らが通ったモスクがあったみたいだけど、ナゴルノ・カラバフ紛争が始まるとほとんどアゼルバイジャン人はアルメニアを去り、モスクは壊されてしまったとか。ここはイランがお金を出して修復、整備しているそうだ。一見平和そうなモスクの中も10年ちょっと前にはそんな歴史がある。そういえば大学の授業でコーカサスはバルカン半島と並んで民族が入り乱れて住んでいたことを議論したっけ。その現実をふと垣間見た瞬間だった。

翌朝早い便でモスクワへ飛ぶので、おみやげを探すがてら夕暮れが沈むイェレバンの街を歩く。アルメニアの国土は山ばかりで産業もなく寂しい国だけど、この首都だけは別世界のようにきれいに整備され人々もおしゃれ。ゴリスの宿で一緒だったイギリス在住のアルメニア人のおっちゃんによると、ユダヤ人と並びディアスポラの多い海外在住のアルメニア人からの投資もイェレバンに集中しているようだ。アルメニアンブリックとこの花屋さんの色使いが僕は大好き。

夜はホステルのメンバーとバーに行き、コーカサス名物のハチャプリを食べ収め。小麦のおいしさもぴかいちだったな。いよいよ明日はコーカサスとお別れかと思うとしんみりとしてきた。

Written by shunsuke

2012年10月14日 at 10:12 PM

DAY8: 谷の町ゴリス

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アルメニアでの二日目、今日は朝から4時間12,000ドラム(30US$)でタクシーをチャーターし、エレヴァンの近くにある教会群を訪れる。エレヴァンは世界最古といわれる街、そしてアルメニアは西暦301年に世界で初めてキリスト教を国教とした国。そんなこともあり、ここエレヴァン近郊にはアルメニア正教の総本山エチミアジンをはじめとして独特な教会が点在しているのだ。まず訪れたのはフリプシメ教会。教会だけでなく普通の建物も同じなのだけど、アルメニアの建築の多くが灰色から茶色、赤茶まで色の異なるレンガを組み合わせて建物が立てられていて、とても独特な外観になっている。

まだ朝の早い時間だったのだけど、中に入ると礼拝の真っ最中だった。司祭らしき人は黒のマントを羽織り、アルメニア語で祈りの言葉を唱えていた。まるで中世にタイムスリップしたかのような不思議な雰囲気の空間。

次にやってきたのはアルメニア正教会の総本山、エチミアジン。総本山だけあって、エレヴァンの市街地からそう遠くない場所に広い敷地を有しており、新学校や図書館、博物館なども同じ敷地内に入っている。レンガの色使いはどれも同じだと思っていたけれど、さすがにここの教会に使われているものは古く年季が入っていた。

世界最古のキリスト教国家の総本山だけあって、エチミアジンには旧約聖書やイエス・キリストにちなんだものが保存されている。教会の入り口の向かいにある場所でチケットを1,500ドラムで購入し教会の中で待つと、建物の奥にある博物館に入ることができる。ここにある目玉がロンギヌスの槍。これはイエス・キリストが十字架にはりつけにされた際、イエスの死を確認するためわき腹を刺したと言われているもの。槍の柄の部分も含めて保管されているのかと思いきや、先端部分だけだった。

この博物館には他にもノアの箱舟のかけらや、旧アルメニア帝国時代のものや中世の司祭がまとっていたマントなどが保管されていて、見ごたえがあった。ノアの箱舟の話、本当かどうかはさておき、ここにあったら本物なんじゃないかと思えてくる、そんな空間。たいていこういう博物館は撮影禁止なのだけど、「好きなだけ写真撮って宣伝してね」と博物館のお姉さん。こういうのたまにはうれしいね。

エチミアジンでアルメニア正教の奥深さに触れた後はズヴァルトノツの教会堂の遺跡へ向かう。ここもフリプシメやエチミアジンと同時代、古代アルメニアが最盛を極めた7世紀に建てられた教会。当初は高さが45mの塔のような建物で、「天使の聖堂」とも呼ばれた他に類のない教会だったが、930年の地震で倒壊して今では円柱のみが残っている。

三箇所の観光を終えた後はエレヴァンに戻り、南部の街ゴリス(Golis)へと向かう。タクシーに南部行きのバスが出るターミナルまで送ってもらうも、ゴリス行きバスは朝の一便のみでマルシュートカを1台7,000ドラム(18US$)でチャーターしなきゃ行けないらしい。ちょっと迷うも隣にゴリスのちょっと手前の街、シシアン(Sisian)行きのバスがあったので、それに乗り込む。シシアンからゴリスまでは40キロくらいなので何とかなるだろう。乗り込んだバスは10分ほどで出発し、すぐエレヴァンの郊外に出た。郊外に出ると昨日も遭遇した羊の大群が道をふさいでいた。

バスは2時間ほど走った後ドライブインのようなコーヒースタンドのような場所で休憩。そこのコーヒースタンドの看板娘がこれぞアルメニア美人!まだアルメニアに丸一日しかいないのに「これぞ!」も何もないけど、とにかく吸い込まれるようなきれいな人だった。

昨日も雪をかぶった山を見ながら峠を越えたけど、今日も雪山に囲まれた高原地帯を進み2,700mくらいの峠を越える。街もほとんどなく、ただひたすら山と草原が広がっていた。4時間ほど走り、バスの終点シシアンに到着。ここでタクシーを捕まえ、3,000ドラム(8US$くらい)でゴリスに行ってもらう。この辺までくると、あともう少し南に行けばイランなんだなあ。そう地図を見ながら灌漑に浸る。雨上がりの道と新緑がきれいだ。

シシアンから30分ほど車で走るとゴリスの街が見えてきた。谷底にへばりつくように街が広がっている。

宿は旅行人で評判がよさそうだったHostel Golisに向かう。季節はずれなので他に客がいないと思っていたけど、満室で日本人のツーリストと相部屋に。4部屋しかない小さなゲストハウスだけど共用のテラスが気持ちよくてリラックスできる場所だった。宿の雰囲気ひとつで街の印象が変わる、なんて現金なんだ。ま、そんなものか。

夜は街に一軒だけあるというそれなりのレストランで食事。羊の野菜煮込みを注文。アゼルバイジャン、グルジアと期待を超える料理が多かったけど、ここの料理もじゃがいもが甘くておいしく絶品だった。気候が厳しいと野菜はおいしさが増すね。

レストランから宿の帰り際、水を買おうと商店に寄ると「キタイ?」といつもの中国人攻撃。ヤポンヤポンと答えると、おばあちゃん初めて日本人に会ったようで大喜び。僕らがアルメニア人とグルジア人とアゼルバイジャン人の区別がつかないのだから、彼らからしてみたら日本人も韓国人も中国人も同じなんだろうね。でも、こうして日本人と会って喜んでくれるというのは単純だけどうれしいもの。

明日の朝は早起きして崖の上に建つ、タテヴの教会へ行ってきます。アルメニアのハイライト!

Written by shunsuke

2012年10月10日 at 6:32 AM

DAY7: 山と教会の国、アルメニア

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昨夜遅かったこともあり、この日の朝はゆっくりと8時くらいに起きる。今朝もトビリシはいい天気だ。

ミスタービーンそっくりな宿のオーナーから教えてもらった、アルメニア行きのバスが出るオルタチャラバスターミナルへと向かう途中、グルジアワインを買いに近くのワインショップに寄る。旧市街のJerusalem Square付近には観光客向けの店が並んでいて、グルジア各地でつくられたワインを試飲させてもらいながら選ぶことができる。何軒か並んでいたうちの一軒、Vinothecaに入り、軽いフルーティなものからフルボディのしっかりしたものまで、6種類くらい試飲させてもらって計4本おみやげに購入。バックパックに入れて持って帰ることを伝えると、割れないようにと二重に梱包をしてくれた。スタッフも英語が堪能な上、ノリもよくていい買い物ができた。ありがとう!

4本のワインをバックパックに詰め込み、改めてオルタチャラバスターミナルに向かう。旧市街からタクシーで10分ほどで到着。ここは周辺各地への長距離バスも発着するターミナルのようで、イスタンブール行きなんてバスもあった。イスタンブールって文字を見るとヨーロッパの一部ってことを実感する。

イスタンブール行きに惹かれつつも、帰りの飛行機が待つアルメニアの首都イェレバン行きのマルシュルートカを見つけて乗り込む。一人30ラリ(17ドル)くらいだった。乗り込んだところでちょうど定員になり、イエレバンに向けて出発!1時間ほどで国境に着き、ここで乗客は歩いてイミグレを抜ける。ここでアルメニアのビザが必要なツーリストはアライバルビザを申請する。乗客がみんな必要のない人たちばかりだったのでちょっと心配だったけど、運転手さんはちゃんと待っててくれた。

ここから首都イエレバンまでは4時間ほど。一気に行ってしまいたいところだけど、国境から1時間ほど走ったアラヴェルディ(Alaverdi)で途中下車。この周辺に集まる修道院、中でもサナヒン修道院とハグパット修道院が見所になっていて、トビリシから一緒になったツーリストとタクシーをチャーターしてまわることにした。グルジアからアルメニアに入ったとたん廃墟の工場や古いアパートが目立つようになってきた。グルジアとアルメニアの経済格差の差が如実に現れている。

このあたりは公共交通機関がほとんどないので、修道院をめぐるにはタクシーをチャーターするしかない。だからきっとアラヴェルディにはそんな観光客を目当てにしたタクシーがたくさんいるのだろうなと思いつつマルシュルートカを降りるとやはりいた。二つの修道院をめぐるのに1台5000ドラム(約1,000円)で交渉成立。乗り込むとバックミラーにもちゃんとアルメニアンクロスがぶら下がっていた。

まずはサナヒン修道院に向かう。このあたりは川が100mくらいの谷をつくっていて、谷の底にアラヴェルディの街があり、谷を見下ろす丘に修道院を囲むように街がつくられている。アラヴェルディからサナヒンに向かうには渓谷の坂を登っていく。そして登りきった断崖の上に修道院はあった。

10世紀に建てられ、モンゴルやイスラム系の襲来を乗り越え、ほとんどが当時の姿のまま残っているという。修道院の建物の床がそのまま墓になっていて、床が墓標になっていた。中に眠っている人には申し訳ないがその上を歩く。

修道院の中ではろうそくが1本300ドラム(約60円)で売られていて、火を灯し燭台に祈りがささげられていた。ろうそくの光にアルメニア正教独特の十字架。

礼拝堂の中で祈りをささげているらしき少女の姿がとても印象的だった。数百年前から変わらないひっそりとした建物の中でろうそくに祈りをこめる姿を見ていると、こちらも厳かな気持ちになってくる。

次はハフパット(Haghpat)修道院、こちらはサナヒンの対岸にあり、同じく断崖を登った台地の上、ハフパット村の中にある。サナヒンがしっとりと思い雰囲気だったのに対し、こちらは少し開放的な雰囲気な建物、緑に覆われていてラピュタに出てきそうな雰囲気だ。

40cm四方ほどの石を積み重ねて築き上げられた教会。壁を見ると石のひとつひとつに十字架が彫られていて、番号がつけられていた。これって何の番号なんだろう?

屋根の上にもクロスが掲げられていた。ここアルメニア正教で使われている十字架はアルメニアンクロスと呼ばれていて、各諸派あるキリスト教の中でもアルメニア正教しか使われていないとか。グルジア正教のクロスも似たようなものだったけど。

さて、二つの僧院を見終わり、アラヴェルディの街から今日宿泊予定のエレバンに行こうとするが、定期バスも乗り合いタクシーのマルシュートカもない。タクシーと交渉するとエレヴァンまで1台10,000ドラム(約2,000円)で行ってくれることになり、迷わずタクシーをチャーターすることにした。

アラヴェルディからエレヴァンまではおよそ200km、4時間弱の行程だ。車は標高2,500mくらいの峠を越えるため、ぐんぐん高度を上げていく。灰色の厚い雲が次第に真っ黒になり、大粒の雨も落ちてきた。

1日しかいなかったアゼルバイジャンは別として、グルジアと比較してここアルメニアには全然木が生えていない。もちろん標高が高かったりと樹木の生育に向かない気候なのかもしれないけど、ここまで生えていないのにはびっくりした。草地や畑と化した大地には寝食谷が広がっているところもあった。紀元前から人が住む古い土地の上、農業国で、牧畜も盛んだから仕方ない。たいていどこの場所でも家畜の数と樹木の数は反比例するものだ。森林は畑に変わり、樹木の幼木は家畜に食べられてしまうんだろうな。

200km強の道のりを3時間ちょっとで駆け抜けて、暗くなる前に無事にエレヴァン到着。エレヴァンはこれまで通ってきたアルメニアと異なり、近代的な建物が並びファッショナブルなきれいな人たちが通りを歩く大都会だった。よれよれのユニクロ服に身を包んだ僕はちょっと肩身が狭い。明日はアルメニア正教の総本山、エチミアヂンへ行きゴリスへ向かいます。

Written by shunsuke

2012年9月17日 at 10:21 PM

カテゴリー: 2012/05 Caucasus

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DAY6: グッバイ、ウシュグリ

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朝、6時に起きて朝もやの村を歩くも、霧が濃くてほとんど視界ゼロ。8時くらいになると霧も晴れ、朝日を浴びた村のようすが浮かび上がってきた。これでウシュグリの景色も見納めだ。いつかここにはまた来たいな。50家族ほどが暮らすウシュグリ村、Ninoの話によると最近ではここを拠点にトレッキングに来る人も増えてきているようで、メスティアからウシュグリまでの道を舗装する話もあるらしい。5年後、10年後には、どんな風になっているんだろう。

8時過ぎに一晩お世話になったNinoの親戚の宿をあとにする。70歳過ぎのばあちゃん手作りのジャムや手料理がおいしくて、息子、孫たちも対応がよくアットホームで快適な宿だった。その分しっかりとるけどね。ともかく、ばあちゃんの手料理に感謝、ありがとう!

昨日来た道を再び4WDで戻る。朝方の霧が嘘のように晴れ、青空と雪そして緑がきれいだ。

11時過ぎにメスティアに到着。スワネティですっかりお世話になったNinoともお別れだ。彼女は普段、メスティアの役所で働く公務員で、旦那や親戚がこのNinoの家や他のビジネスを手伝っている。この先はウシュグリとメスティアとトビリシをつなげて、トレッキングの手配とかもやりたいと話してた。たくましいね。

ちょうど昨夜同じ宿に泊まっていた旅行者が、乗っていた車をそのままマルシュートカとして貸しきってズグディディまで行くというので、15ラリ(800円)で便乗して乗せてもらうことにした。途中、ドライバーがグルジアで何番目かに高い山、Mt.Ushbaが見えるポイントで停まってくれた。コーカサスの峰はどれも鋭く、山好きをぞくぞくさせる形をしているな。

行きは登りに加え、たびたびのビール休憩のためゆっくりだった道のりも帰りはあっという間に3時間足らずでズグディディに到着。メスティアから高度を下げていくと次第に濃い緑の針葉樹が減り、広葉樹の若葉の割合が増えていく。この季節は新緑が鮮やかだ。

ここでグルジア西部のもうひとつの見所、古都クタイシに行くリチャードや他の旅行者と別れ、トビリシに戻ることにした。これで、今日戻って明日アルメニアに行けばタテヴの教会にも行くことができる。ちょうどズグディディからトビリシに向かう乗り合いバス、マルシュルートカがあり18ラリ(1000円)で乗る。

トビリシへは4時間ちょっと、夜8時前に到着。ウシュグリからトビリシまで一日で来たのは、がんばったぞ。前回トビリシで泊まったSkada Veliのオーナーに電話すると今日も空いてないけど、また階下の住人のところに泊まればいいよ、と手配してくれた。Mr.ビーン、ほんと感謝です。

Written by shunsuke

2012年8月20日 at 1:37 AM

インド雑感

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先日、4年ぶりにインドに行ってきた。デリー、ムンバイに加えグジャラートのカンドラ港を訪問、以前と大きく変わったとこ、変わらないこと含めて、感じたことをメモしておきたい。

デリー市内になんとメトロが6本も開通していて、しかもかなり正確に5分おきに運行されていた。これは便利。聞いたところ、2010年に開催されたコモンウェルスゲームに向けて気合い入れてインフラ整備を行ったらしい。メトロも日本の技術協力が入っているとか。女性専用車もあるところなんてとてもインドらしい。

乗車マナーはどうなんだろうか?と思って乗ってみた。基本的に金持ちは車で移動するはずだから、地下鉄に乗っている人は庶民階層が多い。それでも乗り降りの時は7割方降りる人を優先にして、乗る人も降りる人を待ってから乗っていた。地下鉄ができたばかりの頃の中国と比べると、数段マナーはいいイメージだ。カーストに代表されるよう、明確な階級が社会の中に存在しているので、こういうところは意外としっかりとしているのかもしれない(見かけはね)。

でもオールドデリーで駅を降りたとたんリキシャと人の群れに出くわす風景は4年前から何一つ変わっていなくて、少しほっとした。都会にいても、田舎にいても人が多い。これぞインド。

デリー、ムンバイでは街の中ではすっかり野良牛を見かけなくなってしまっていた。どこへ行ってしまったのだろうか?でも少し郊外に足を延ばせば、しっかりと牛は道の真ん中を闊歩していた。地元の人いわく、「コモンウェルスゲームの際に郊外へ追い払ったけど、次第に街中に戻ってきていて、あと1年くらいすればデリーもまた野良牛たくさんになるよ」とのこと。たくましい。

もちろん食事はカレー。僕の理解では、インドにおいてカレーというのは料理ではなく調味料であって、日本でいうしょうゆや味噌のようなもの。だから基本的にほぼすべての料理は香辛料が使われたカレー味、おいしいけれど胃腸への負担は大きかったようで3日目におなかをやられて医者にかかる羽目になった。デリー、ムンバイとも都市では晩ごはんを食べはじめる時間帯は20時過ぎのようで、19時半にレストランに行ったら誰もいなかった。夜は遅い、これ結構意外だった。写真はデリーの南インド料理の名店、Hotel SARAVANA BHAVANのマサラドーサ。ここも22時過ぎまで行列が絶えなかったな。

オリンピック期間中だったけど、ダントツで一番人気があるスポーツ、クリケットが競技にない時点であまり国民の関心は高くなかった。スタースポーツとかではサッカーとかを放映していたけれど、しっかりとクリケット専用番組「Star cricket」があって、24時間クリケットの過去の試合とかを流し続けていた。ホテルで見られるスポーツチャンネルは5つあったけど、そのうち2つがクリケット専用番組。それだけ人気があるってことだよね。

今回、出発前にマルチスズキのマネサール工場で死者が出た暴動があったり、滞在中に北部の大停電があったりしたけれど、現地に向かう飛行機の中で友人が貸してくれたこの本を読んでいたので、現地で見たこと感じたことがすっと腑に落ちた。インドのことを知りたい!という方には全力でおすすめです。

グローバリズム出づる処の殺人者より
アラヴィンド アディガ
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Written by shunsuke

2012年8月18日 at 12:48 AM

カテゴリー: 自分の仕事と研究のこと

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DAY5: 雪山と新緑、そして血塗られた村

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メスティアで迎える朝。トビリシでは昼間30度近かった気温も、標高1,400mのメスティアでは朝晩肌寒い。メインストリートを歩いてみると、道の両側のいたる所でホテルやレストランが建てられていた。木の柱を使って昔からの作り方で家を建てているのがいいね。聞くところによると、トビリシからメスティアまでの定期航空便もできるらしく、数年したらヨーロッパからたくさん人が訪れる観光地になるのかもしれない。

建設ラッシュに沸くメスティアの中心地だけど、ここにも塔を持つ家が結構残っている。雪山をバックにした塔の姿が絵になるな。

9時過ぎにチャーターした4WDでウシュグリ村へ出発。ウシュグリ村はメスティアから50kmほど南東に行った村で、このスワネティ地方でも最も奥まった場所にある。曇り空の中、未舗装の道をゆっくりと進む。雨が降ると川になる場所にもちろん橋などなく、そのままわたっていく。

途中、二度ほど峠を超える。峠を越え、谷が見えるとそこに別の集落があり、そこには塔のある家が建っている。

そもそもなんでこの地方に塔のある家があるんだろう?ちょうど旅行人のブログにいい説明があったので、少し引用してみる。

中国や欧州の城郭のように普通は高い塔を一軒一軒別々に建てたりせずに、村や町全体を高い壁で囲んだり親族で守ったりする。それが、この地では一世帯で一つの塔を建築するのは、いわゆる「血の掟」という因習が存在するからだ。自分または家族の一員に危害が加えられたら、必ず相手またはその家族に復讐を果たさなければならない。だから、別の家族を敵に回すおそれがあるので、一つの家族単位で防御しなければならなかったのだ。

同じような掟はグルジアだけでなく、アルバニアにもあるという。アルバニアでは塔ではないが、頑丈な石積みの家をつくりクーラと呼ばれているそうだ。チェンチェンでも同じ掟があるというから、コーカサスを中心にこのような掟が存在するのではないかと思う。

スワネティ地方にはウシュグリ村だけでなく、他の村にも多くの塔が建てられていて、いまだに200棟あまりが残っているという。よほど昔はこの血の掟が恐れられていたのだろう。もちろん現在では塔自体はほとんど使われていない様子だが、アルバニアで現在も血の掟が生きているように、この地でもそれは存続しているといわれている。血の掟は恐ろしいが、塔の林立する村の風景は実に美しい(引用終わり)。

3時間ほど山道を走ると、その美しいウシュグリの村が見えてきた。廃墟になっている家もあり、崩壊寸前のように見える家も多い。

村の奥まった場所にあるNinoの親戚の家が経営する宿に向かいチェックインする。三食つきで一泊50ラリ(30USD)。グルジアの物価を考えるとちょっと高いけど、この場所でホットシャワーもついているし、それなりのお値段かな。リチャードは「こんなの払えるか」と言って他の宿を探しに飛び出していった。

早速村の中を歩く。村はいくつかの集落に分かれていて、この宿は一番高い場所の集落にある。標高はおよそ2,200m。集落は石で作られた家が並び、その間の入り組んだ道に牛や豚、ヤギが歩く。

村の中を歩いていると、10歳くらいの女の子がつたない英語で話しかけてきた。どうやらおみやげいらない?と言っているようだ。残念ながらほしいものはなかったのだけど、彼女も暇だったらしく10分ほど僕にウシュグリの現状を教えてくれた。

現在、村には150人くらいが住んでいて、皆家畜を買い、狭い畑で日々の暮らしの糧を得ているそうだ。村人の中でも最近増え始めてきた観光客相手に宿を経営したり、おみやげを売り始めている人もいるとか。そして、こんな環境の中で、Ninoの家族はトビリシ、メスティア、ウシュグリとビジネスを展開していて一家で貴重な現金収入を稼いでいる。メスティアからウシュグリまで送ってくれたのもNinoの旦那で、ウシュグリの宿もNinoの親戚。どういった環境でもビジネスセンスのある人は、機会をつかんで稼いでいるんだね。

そんなことを考えながら歩いていたら、家の二階からヤギがひょっこり顔を出した。

宿の下手にある集落に行ってみる。ここは人が住んでいない家も多く、崩れかかっている塔も多かった。入れる塔はないのかなと探していると、おっちゃんが出てきてロシア語8割、身振り手振り2割で色々教えてくれた。ほとんどわからなかったけど、塔の入り口は高いところにあって、中には入れないらしい。よくよく考えてみたら、外敵から守るために塔を建てたのだから簡単に入れるわけない。そりゃそうだ。

夕暮れ時、村の高台に登ってみると、これまで空を厚く覆っていた雲が晴れ、光が山肌に差し込んできた。宿のある上手の集落と雪を抱いた山、そして新緑のコントラストが美しい。牧歌的って、まさにこういう景色のことを言うのだろう。だけど、平和そのものに見えるこの村でほんの100年前まで血の掟による復讐が行われていたんだ。そう考えると不思議な気分になる。僕に過去を見通す能力があったならば、青空と雪山の白、新緑の緑に真っ赤に染まった光景が見えたのだろうか。

高台から下手の集落を見下ろす。光が新緑に反射して、なんとも言えない美しさだ。5月初旬はまだ寒いかなと思っていたけど、雪と新緑の両方楽しめてよかった。その分雪解け水で村の中の道は泥だらけだったけど。

最後にもう一回雪山をバックに宿のある集落を。モスクワに向かう飛行機の中でこの村の存在を知り、強行日程だったけどここまで来て本当によかった。そう思わせる村だった。

夜は同じ宿に泊まっていた日本人3人とリチャードでグルジアワインとウシュグリでつくられたどぶろくを飲み、互いの仕事のことや人生について話す。電気は通っているのだけど、夜7時を過ぎれば周囲は真っ暗になり、標高2,200mの村は肌寒くなる。仕事から離れこんな環境でゆっくり休暇を過ごすことができる、そのことに感謝した夜だった。

Written by shunsuke

2012年8月9日 at 1:13 AM