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DAY8: 谷の町ゴリス

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アルメニアでの二日目、今日は朝から4時間12,000ドラム(30US$)でタクシーをチャーターし、エレヴァンの近くにある教会群を訪れる。エレヴァンは世界最古といわれる街、そしてアルメニアは西暦301年に世界で初めてキリスト教を国教とした国。そんなこともあり、ここエレヴァン近郊にはアルメニア正教の総本山エチミアジンをはじめとして独特な教会が点在しているのだ。まず訪れたのはフリプシメ教会。教会だけでなく普通の建物も同じなのだけど、アルメニアの建築の多くが灰色から茶色、赤茶まで色の異なるレンガを組み合わせて建物が立てられていて、とても独特な外観になっている。

まだ朝の早い時間だったのだけど、中に入ると礼拝の真っ最中だった。司祭らしき人は黒のマントを羽織り、アルメニア語で祈りの言葉を唱えていた。まるで中世にタイムスリップしたかのような不思議な雰囲気の空間。

次にやってきたのはアルメニア正教会の総本山、エチミアジン。総本山だけあって、エレヴァンの市街地からそう遠くない場所に広い敷地を有しており、新学校や図書館、博物館なども同じ敷地内に入っている。レンガの色使いはどれも同じだと思っていたけれど、さすがにここの教会に使われているものは古く年季が入っていた。

世界最古のキリスト教国家の総本山だけあって、エチミアジンには旧約聖書やイエス・キリストにちなんだものが保存されている。教会の入り口の向かいにある場所でチケットを1,500ドラムで購入し教会の中で待つと、建物の奥にある博物館に入ることができる。ここにある目玉がロンギヌスの槍。これはイエス・キリストが十字架にはりつけにされた際、イエスの死を確認するためわき腹を刺したと言われているもの。槍の柄の部分も含めて保管されているのかと思いきや、先端部分だけだった。

この博物館には他にもノアの箱舟のかけらや、旧アルメニア帝国時代のものや中世の司祭がまとっていたマントなどが保管されていて、見ごたえがあった。ノアの箱舟の話、本当かどうかはさておき、ここにあったら本物なんじゃないかと思えてくる、そんな空間。たいていこういう博物館は撮影禁止なのだけど、「好きなだけ写真撮って宣伝してね」と博物館のお姉さん。こういうのたまにはうれしいね。

エチミアジンでアルメニア正教の奥深さに触れた後はズヴァルトノツの教会堂の遺跡へ向かう。ここもフリプシメやエチミアジンと同時代、古代アルメニアが最盛を極めた7世紀に建てられた教会。当初は高さが45mの塔のような建物で、「天使の聖堂」とも呼ばれた他に類のない教会だったが、930年の地震で倒壊して今では円柱のみが残っている。

三箇所の観光を終えた後はエレヴァンに戻り、南部の街ゴリス(Golis)へと向かう。タクシーに南部行きのバスが出るターミナルまで送ってもらうも、ゴリス行きバスは朝の一便のみでマルシュートカを1台7,000ドラム(18US$)でチャーターしなきゃ行けないらしい。ちょっと迷うも隣にゴリスのちょっと手前の街、シシアン(Sisian)行きのバスがあったので、それに乗り込む。シシアンからゴリスまでは40キロくらいなので何とかなるだろう。乗り込んだバスは10分ほどで出発し、すぐエレヴァンの郊外に出た。郊外に出ると昨日も遭遇した羊の大群が道をふさいでいた。

バスは2時間ほど走った後ドライブインのようなコーヒースタンドのような場所で休憩。そこのコーヒースタンドの看板娘がこれぞアルメニア美人!まだアルメニアに丸一日しかいないのに「これぞ!」も何もないけど、とにかく吸い込まれるようなきれいな人だった。

昨日も雪をかぶった山を見ながら峠を越えたけど、今日も雪山に囲まれた高原地帯を進み2,700mくらいの峠を越える。街もほとんどなく、ただひたすら山と草原が広がっていた。4時間ほど走り、バスの終点シシアンに到着。ここでタクシーを捕まえ、3,000ドラム(8US$くらい)でゴリスに行ってもらう。この辺までくると、あともう少し南に行けばイランなんだなあ。そう地図を見ながら灌漑に浸る。雨上がりの道と新緑がきれいだ。

シシアンから30分ほど車で走るとゴリスの街が見えてきた。谷底にへばりつくように街が広がっている。

宿は旅行人で評判がよさそうだったHostel Golisに向かう。季節はずれなので他に客がいないと思っていたけど、満室で日本人のツーリストと相部屋に。4部屋しかない小さなゲストハウスだけど共用のテラスが気持ちよくてリラックスできる場所だった。宿の雰囲気ひとつで街の印象が変わる、なんて現金なんだ。ま、そんなものか。

夜は街に一軒だけあるというそれなりのレストランで食事。羊の野菜煮込みを注文。アゼルバイジャン、グルジアと期待を超える料理が多かったけど、ここの料理もじゃがいもが甘くておいしく絶品だった。気候が厳しいと野菜はおいしさが増すね。

レストランから宿の帰り際、水を買おうと商店に寄ると「キタイ?」といつもの中国人攻撃。ヤポンヤポンと答えると、おばあちゃん初めて日本人に会ったようで大喜び。僕らがアルメニア人とグルジア人とアゼルバイジャン人の区別がつかないのだから、彼らからしてみたら日本人も韓国人も中国人も同じなんだろうね。でも、こうして日本人と会って喜んでくれるというのは単純だけどうれしいもの。

明日の朝は早起きして崖の上に建つ、タテヴの教会へ行ってきます。アルメニアのハイライト!

Written by shunsuke

2012年10月10日 at 6:32 AM

DAY7: 山と教会の国、アルメニア

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昨夜遅かったこともあり、この日の朝はゆっくりと8時くらいに起きる。今朝もトビリシはいい天気だ。

ミスタービーンそっくりな宿のオーナーから教えてもらった、アルメニア行きのバスが出るオルタチャラバスターミナルへと向かう途中、グルジアワインを買いに近くのワインショップに寄る。旧市街のJerusalem Square付近には観光客向けの店が並んでいて、グルジア各地でつくられたワインを試飲させてもらいながら選ぶことができる。何軒か並んでいたうちの一軒、Vinothecaに入り、軽いフルーティなものからフルボディのしっかりしたものまで、6種類くらい試飲させてもらって計4本おみやげに購入。バックパックに入れて持って帰ることを伝えると、割れないようにと二重に梱包をしてくれた。スタッフも英語が堪能な上、ノリもよくていい買い物ができた。ありがとう!

4本のワインをバックパックに詰め込み、改めてオルタチャラバスターミナルに向かう。旧市街からタクシーで10分ほどで到着。ここは周辺各地への長距離バスも発着するターミナルのようで、イスタンブール行きなんてバスもあった。イスタンブールって文字を見るとヨーロッパの一部ってことを実感する。

イスタンブール行きに惹かれつつも、帰りの飛行機が待つアルメニアの首都イェレバン行きのマルシュルートカを見つけて乗り込む。一人30ラリ(17ドル)くらいだった。乗り込んだところでちょうど定員になり、イエレバンに向けて出発!1時間ほどで国境に着き、ここで乗客は歩いてイミグレを抜ける。ここでアルメニアのビザが必要なツーリストはアライバルビザを申請する。乗客がみんな必要のない人たちばかりだったのでちょっと心配だったけど、運転手さんはちゃんと待っててくれた。

ここから首都イエレバンまでは4時間ほど。一気に行ってしまいたいところだけど、国境から1時間ほど走ったアラヴェルディ(Alaverdi)で途中下車。この周辺に集まる修道院、中でもサナヒン修道院とハグパット修道院が見所になっていて、トビリシから一緒になったツーリストとタクシーをチャーターしてまわることにした。グルジアからアルメニアに入ったとたん廃墟の工場や古いアパートが目立つようになってきた。グルジアとアルメニアの経済格差の差が如実に現れている。

このあたりは公共交通機関がほとんどないので、修道院をめぐるにはタクシーをチャーターするしかない。だからきっとアラヴェルディにはそんな観光客を目当てにしたタクシーがたくさんいるのだろうなと思いつつマルシュルートカを降りるとやはりいた。二つの修道院をめぐるのに1台5000ドラム(約1,000円)で交渉成立。乗り込むとバックミラーにもちゃんとアルメニアンクロスがぶら下がっていた。

まずはサナヒン修道院に向かう。このあたりは川が100mくらいの谷をつくっていて、谷の底にアラヴェルディの街があり、谷を見下ろす丘に修道院を囲むように街がつくられている。アラヴェルディからサナヒンに向かうには渓谷の坂を登っていく。そして登りきった断崖の上に修道院はあった。

10世紀に建てられ、モンゴルやイスラム系の襲来を乗り越え、ほとんどが当時の姿のまま残っているという。修道院の建物の床がそのまま墓になっていて、床が墓標になっていた。中に眠っている人には申し訳ないがその上を歩く。

修道院の中ではろうそくが1本300ドラム(約60円)で売られていて、火を灯し燭台に祈りがささげられていた。ろうそくの光にアルメニア正教独特の十字架。

礼拝堂の中で祈りをささげているらしき少女の姿がとても印象的だった。数百年前から変わらないひっそりとした建物の中でろうそくに祈りをこめる姿を見ていると、こちらも厳かな気持ちになってくる。

次はハフパット(Haghpat)修道院、こちらはサナヒンの対岸にあり、同じく断崖を登った台地の上、ハフパット村の中にある。サナヒンがしっとりと思い雰囲気だったのに対し、こちらは少し開放的な雰囲気な建物、緑に覆われていてラピュタに出てきそうな雰囲気だ。

40cm四方ほどの石を積み重ねて築き上げられた教会。壁を見ると石のひとつひとつに十字架が彫られていて、番号がつけられていた。これって何の番号なんだろう?

屋根の上にもクロスが掲げられていた。ここアルメニア正教で使われている十字架はアルメニアンクロスと呼ばれていて、各諸派あるキリスト教の中でもアルメニア正教しか使われていないとか。グルジア正教のクロスも似たようなものだったけど。

さて、二つの僧院を見終わり、アラヴェルディの街から今日宿泊予定のエレバンに行こうとするが、定期バスも乗り合いタクシーのマルシュートカもない。タクシーと交渉するとエレヴァンまで1台10,000ドラム(約2,000円)で行ってくれることになり、迷わずタクシーをチャーターすることにした。

アラヴェルディからエレヴァンまではおよそ200km、4時間弱の行程だ。車は標高2,500mくらいの峠を越えるため、ぐんぐん高度を上げていく。灰色の厚い雲が次第に真っ黒になり、大粒の雨も落ちてきた。

1日しかいなかったアゼルバイジャンは別として、グルジアと比較してここアルメニアには全然木が生えていない。もちろん標高が高かったりと樹木の生育に向かない気候なのかもしれないけど、ここまで生えていないのにはびっくりした。草地や畑と化した大地には寝食谷が広がっているところもあった。紀元前から人が住む古い土地の上、農業国で、牧畜も盛んだから仕方ない。たいていどこの場所でも家畜の数と樹木の数は反比例するものだ。森林は畑に変わり、樹木の幼木は家畜に食べられてしまうんだろうな。

200km強の道のりを3時間ちょっとで駆け抜けて、暗くなる前に無事にエレヴァン到着。エレヴァンはこれまで通ってきたアルメニアと異なり、近代的な建物が並びファッショナブルなきれいな人たちが通りを歩く大都会だった。よれよれのユニクロ服に身を包んだ僕はちょっと肩身が狭い。明日はアルメニア正教の総本山、エチミアヂンへ行きゴリスへ向かいます。

Written by shunsuke

2012年9月17日 at 10:21 PM

カテゴリー: 2012/05 Caucasus

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DAY6: グッバイ、ウシュグリ

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朝、6時に起きて朝もやの村を歩くも、霧が濃くてほとんど視界ゼロ。8時くらいになると霧も晴れ、朝日を浴びた村のようすが浮かび上がってきた。これでウシュグリの景色も見納めだ。いつかここにはまた来たいな。50家族ほどが暮らすウシュグリ村、Ninoの話によると最近ではここを拠点にトレッキングに来る人も増えてきているようで、メスティアからウシュグリまでの道を舗装する話もあるらしい。5年後、10年後には、どんな風になっているんだろう。

8時過ぎに一晩お世話になったNinoの親戚の宿をあとにする。70歳過ぎのばあちゃん手作りのジャムや手料理がおいしくて、息子、孫たちも対応がよくアットホームで快適な宿だった。その分しっかりとるけどね。ともかく、ばあちゃんの手料理に感謝、ありがとう!

昨日来た道を再び4WDで戻る。朝方の霧が嘘のように晴れ、青空と雪そして緑がきれいだ。

11時過ぎにメスティアに到着。スワネティですっかりお世話になったNinoともお別れだ。彼女は普段、メスティアの役所で働く公務員で、旦那や親戚がこのNinoの家や他のビジネスを手伝っている。この先はウシュグリとメスティアとトビリシをつなげて、トレッキングの手配とかもやりたいと話してた。たくましいね。

ちょうど昨夜同じ宿に泊まっていた旅行者が、乗っていた車をそのままマルシュートカとして貸しきってズグディディまで行くというので、15ラリ(800円)で便乗して乗せてもらうことにした。途中、ドライバーがグルジアで何番目かに高い山、Mt.Ushbaが見えるポイントで停まってくれた。コーカサスの峰はどれも鋭く、山好きをぞくぞくさせる形をしているな。

行きは登りに加え、たびたびのビール休憩のためゆっくりだった道のりも帰りはあっという間に3時間足らずでズグディディに到着。メスティアから高度を下げていくと次第に濃い緑の針葉樹が減り、広葉樹の若葉の割合が増えていく。この季節は新緑が鮮やかだ。

ここでグルジア西部のもうひとつの見所、古都クタイシに行くリチャードや他の旅行者と別れ、トビリシに戻ることにした。これで、今日戻って明日アルメニアに行けばタテヴの教会にも行くことができる。ちょうどズグディディからトビリシに向かう乗り合いバス、マルシュルートカがあり18ラリ(1000円)で乗る。

トビリシへは4時間ちょっと、夜8時前に到着。ウシュグリからトビリシまで一日で来たのは、がんばったぞ。前回トビリシで泊まったSkada Veliのオーナーに電話すると今日も空いてないけど、また階下の住人のところに泊まればいいよ、と手配してくれた。Mr.ビーン、ほんと感謝です。

Written by shunsuke

2012年8月20日 at 1:37 AM

DAY5: 雪山と新緑、そして血塗られた村

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メスティアで迎える朝。トビリシでは昼間30度近かった気温も、標高1,400mのメスティアでは朝晩肌寒い。メインストリートを歩いてみると、道の両側のいたる所でホテルやレストランが建てられていた。木の柱を使って昔からの作り方で家を建てているのがいいね。聞くところによると、トビリシからメスティアまでの定期航空便もできるらしく、数年したらヨーロッパからたくさん人が訪れる観光地になるのかもしれない。

建設ラッシュに沸くメスティアの中心地だけど、ここにも塔を持つ家が結構残っている。雪山をバックにした塔の姿が絵になるな。

9時過ぎにチャーターした4WDでウシュグリ村へ出発。ウシュグリ村はメスティアから50kmほど南東に行った村で、このスワネティ地方でも最も奥まった場所にある。曇り空の中、未舗装の道をゆっくりと進む。雨が降ると川になる場所にもちろん橋などなく、そのままわたっていく。

途中、二度ほど峠を超える。峠を越え、谷が見えるとそこに別の集落があり、そこには塔のある家が建っている。

そもそもなんでこの地方に塔のある家があるんだろう?ちょうど旅行人のブログにいい説明があったので、少し引用してみる。

中国や欧州の城郭のように普通は高い塔を一軒一軒別々に建てたりせずに、村や町全体を高い壁で囲んだり親族で守ったりする。それが、この地では一世帯で一つの塔を建築するのは、いわゆる「血の掟」という因習が存在するからだ。自分または家族の一員に危害が加えられたら、必ず相手またはその家族に復讐を果たさなければならない。だから、別の家族を敵に回すおそれがあるので、一つの家族単位で防御しなければならなかったのだ。

同じような掟はグルジアだけでなく、アルバニアにもあるという。アルバニアでは塔ではないが、頑丈な石積みの家をつくりクーラと呼ばれているそうだ。チェンチェンでも同じ掟があるというから、コーカサスを中心にこのような掟が存在するのではないかと思う。

スワネティ地方にはウシュグリ村だけでなく、他の村にも多くの塔が建てられていて、いまだに200棟あまりが残っているという。よほど昔はこの血の掟が恐れられていたのだろう。もちろん現在では塔自体はほとんど使われていない様子だが、アルバニアで現在も血の掟が生きているように、この地でもそれは存続しているといわれている。血の掟は恐ろしいが、塔の林立する村の風景は実に美しい(引用終わり)。

3時間ほど山道を走ると、その美しいウシュグリの村が見えてきた。廃墟になっている家もあり、崩壊寸前のように見える家も多い。

村の奥まった場所にあるNinoの親戚の家が経営する宿に向かいチェックインする。三食つきで一泊50ラリ(30USD)。グルジアの物価を考えるとちょっと高いけど、この場所でホットシャワーもついているし、それなりのお値段かな。リチャードは「こんなの払えるか」と言って他の宿を探しに飛び出していった。

早速村の中を歩く。村はいくつかの集落に分かれていて、この宿は一番高い場所の集落にある。標高はおよそ2,200m。集落は石で作られた家が並び、その間の入り組んだ道に牛や豚、ヤギが歩く。

村の中を歩いていると、10歳くらいの女の子がつたない英語で話しかけてきた。どうやらおみやげいらない?と言っているようだ。残念ながらほしいものはなかったのだけど、彼女も暇だったらしく10分ほど僕にウシュグリの現状を教えてくれた。

現在、村には150人くらいが住んでいて、皆家畜を買い、狭い畑で日々の暮らしの糧を得ているそうだ。村人の中でも最近増え始めてきた観光客相手に宿を経営したり、おみやげを売り始めている人もいるとか。そして、こんな環境の中で、Ninoの家族はトビリシ、メスティア、ウシュグリとビジネスを展開していて一家で貴重な現金収入を稼いでいる。メスティアからウシュグリまで送ってくれたのもNinoの旦那で、ウシュグリの宿もNinoの親戚。どういった環境でもビジネスセンスのある人は、機会をつかんで稼いでいるんだね。

そんなことを考えながら歩いていたら、家の二階からヤギがひょっこり顔を出した。

宿の下手にある集落に行ってみる。ここは人が住んでいない家も多く、崩れかかっている塔も多かった。入れる塔はないのかなと探していると、おっちゃんが出てきてロシア語8割、身振り手振り2割で色々教えてくれた。ほとんどわからなかったけど、塔の入り口は高いところにあって、中には入れないらしい。よくよく考えてみたら、外敵から守るために塔を建てたのだから簡単に入れるわけない。そりゃそうだ。

夕暮れ時、村の高台に登ってみると、これまで空を厚く覆っていた雲が晴れ、光が山肌に差し込んできた。宿のある上手の集落と雪を抱いた山、そして新緑のコントラストが美しい。牧歌的って、まさにこういう景色のことを言うのだろう。だけど、平和そのものに見えるこの村でほんの100年前まで血の掟による復讐が行われていたんだ。そう考えると不思議な気分になる。僕に過去を見通す能力があったならば、青空と雪山の白、新緑の緑に真っ赤に染まった光景が見えたのだろうか。

高台から下手の集落を見下ろす。光が新緑に反射して、なんとも言えない美しさだ。5月初旬はまだ寒いかなと思っていたけど、雪と新緑の両方楽しめてよかった。その分雪解け水で村の中の道は泥だらけだったけど。

最後にもう一回雪山をバックに宿のある集落を。モスクワに向かう飛行機の中でこの村の存在を知り、強行日程だったけどここまで来て本当によかった。そう思わせる村だった。

夜は同じ宿に泊まっていた日本人3人とリチャードでグルジアワインとウシュグリでつくられたどぶろくを飲み、互いの仕事のことや人生について話す。電気は通っているのだけど、夜7時を過ぎれば周囲は真っ暗になり、標高2,200mの村は肌寒くなる。仕事から離れこんな環境でゆっくり休暇を過ごすことができる、そのことに感謝した夜だった。

Written by shunsuke

2012年8月9日 at 1:13 AM

DAY4: 塔が建ち並ぶ谷

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4時30分に起き、6時に出るメスティア(Mestia)行き直行バスに乗るためトビリシ駅前に向かう。5月初旬で昼間は30度近くなるトビリシも、夜明け前は涼しくて、タクシーの窓から入ってくる風が肌寒いくらいだ。

トビリシ駅前には5時過ぎに到着。バスの出発時間は6時になっているのだけど、乗り合いバスのため人数が集まると時間より前に出発することもあるので、早く行ってみたけどさすがに5時過ぎには誰もいない。暗い中30分ほど待っているとぽつぽつと人がやってきて、定刻の6時にはほぼ満席となり、いざメスティアへ出発。

これから目指すメスティアは山がちなグルジアの中でも奥地のスワネティ地方の中心地。バスは整備された道をひたすら西へと走る。道の両側には雪山をバックに草原や畑が続き、ところどころで馬がくつろいでいる。

途中何度か休憩を挟み、4時間ちょっとでスワネティ地方の玄関口、ズグディディ(Zugdidi)に到着。ここまでくるとトビリシではからっとしていた空気がかなり湿り気を含んでくる。iphoneの地図を見ると、あと20kmほど西へ行けばもうそこは黒海なんだ。ここでまたもや1時間ほど休憩。どうやら運転手の友だちが何人か乗っているらしく休憩のたびに酒盛りをしているようだ。他の乗客はだいぶ怒っているけど、焦っても仕方ないので僕もゆっくりする。

午後2時近くなってようやくズグディディを出発。ズグディディを出発して20分くらいすると、道は上り坂になり両側に山が迫ってきた。新緑と残雪のコントラストがきれいだ。

ここからはひたすら川に沿った山道をゆっくり登っていく。すると1時間半ほどズグディディから走ったところでまた休憩になった。バスの中で待っていても仕方ないので、外の空気を吸いに出てみるとドライブインのようなレストランからいい匂いが漂ってきた。コーカサスの名物ハチャプリだ。

休みごとに酒を飲んでいる彼らの仲間入りをするのは他の乗客の手前ちょっと気が引けたけど、5秒後にはハチャプリとグルジアビールで彼らと乾杯してしまった。まーこうなったら仕方ない。とことん楽しむか。

片言の英語と片言のロシア語でやりとりをしたところ、ごろつき5人組はみなドライバーの幼馴染で久しぶりにメスティアに帰るところだとか。これから僕が行くNinoの名前ももちろん知っていて、まだメスティアに着いてないのにすっかり歓迎会モードになってしまった。もちろんドライバーの彼はお酒飲んでないよ。さすがにね。

20分ほど酒盛りをしてバスに戻ると、他の乗客も僕がすっかり楽しんでいることに半ばあきれたような、驚いているような。でもこれまでのようなピリピリモードでなく少し和やかな感じになってきた。

一緒にトビリシからメスティアまで11時間バスを共にしたきょうだい。シャイで最初は話しかけても反応してくれなかったけど、最後のほうには質問攻めにされた。ロシア語、ほとんど何言っているかわからなかったのが残念。

道はだんだん細くなり、山はどんどん近づいてくる。

日が傾きかけてきたころ、車窓に塔のある家が見えてきた。ここスワネティ地方に多く見られる塔のある家は外的から身を守るために作られ、100年前まで他の村から攻められた時、男たちがこの塔にこもって戦ったという。一気に中世にタイムスリップしたような気分になる。

夕方6時前、無事にメスティアに到着。ここはこのスワネティ地方の中心地で、谷になっている場所を東西に貫く一本の道沿いに町が開けている。ドライバーにNino’s houseに行きたいと告げていたので、ちゃんと家の前で止めてくれた。場所もメインストリートに面しているのでわかりやすい。こぎれいな一軒家でそれぞれ部屋をホステルにしていて一泊夕食つき40GEL(グルジアラリ:約25USD)。

晩ごはんはスロヴェニアからの4人組とイスラエリー、香港人、NZから来たリチャードと庭のテーブルでNinoの手料理をいただく。グルジアは旧ソ連圏でも料理がおいしいことで有名で、ここでも地場でとれた野菜をふんだんに使った料理がおいしかった。

スロヴェニアの4人組がちょうどこの先のウシュグリ村から戻ってきたばかりだったので、話を聞いてみると”fantastic!!”との一言。それにリチャードも興味を持ったらしく、翌日は宿の4WDを一台300GEL(170USD)でチャーターしてウシュグリ村まで一泊二日で行くことになった。明日の今頃はウシュグリで夜を過ごす、今から楽しみだ。

Written by shunsuke

2012年8月6日 at 11:03 PM

カテゴリー: 2012/05 Caucasus

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DAY2:新しさと古いものが同居する街、バクー

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昨夜遅くに到着したこともあって、朝はゆっくり8時過ぎに起床。外に出ると真夏のような日差しがすでにギラギラと照りつけていた。旅の始まりを祝うかのようないい天気だ。

この日は一日バクーに滞在して夜の夜行列車で隣グルジアのトビリシへと向かう。まずは鉄道駅に行き寝台列車のチケットを買いに行く。ここ旧市街のイチャリ・シャヘルから鉄道駅まで地下鉄がつながっていて一本で行くことができる。

ソ連時代の1960年代につくられた地下鉄。去年ウズベキスタンで見たのと同じく深い場所までエスカレータで下りていく、旧ソ連圏ではオア馴染みのやつだ。旧ソ連圏でソ連時代のことは悪く言われることが多いけど、ロシア語という共通言語で教育を広げたことと、この地下鉄のようにインフラを各地の中核都市に広めたこと。この二つは大きな恩恵として影響を残している。旧ソ連圏を訪れるたびにどこでもロシア語は通じるし、ソ連時代に整備された地下鉄はどこでも今も現役で使われている。バンコクやジャカルタなどアジア各国がモータリゼーションの爆発に気がついた後ようやく公共鉄道の整備に手をかけたのとことなりはじめから地下鉄が整備されていたこれらの町では渋滞が少なかったり、都市計画が立てやすかったりするんじゃないかな。もちろん負の遺産も多かったけど。

さて、無事に駅でチケットを購入してイチャリ・シャヘルに戻り、ゆっくりと周囲1kmほどの旧市街を歩いてみる。古い建物は古いまま保存されていて、その上にほどよく補修や新しく手が加えられている。広場では老人がお茶をすすりながら世間話に花を咲かし、路地では子どもたちがサッカーボールを追いかける。古すぎもせず、中国にある観光用の古い町並みでもなく、ちょうどよく生活感がある旧市街だ。こんな街の雰囲気、好きだなあ。

しばらく旧市街を道なりに歩いていると、小麦の香ばしいかおりが漂ってきた。元をたどっていくと、カフェの前で炭火でナンが焼かれている。ああ、小麦の文化圏に来たんだなあ。

こんな風に目の前で焼きたてのナンが振舞われているから、思わず店に入ってしまった。ナンにジャム、それにヨーグルトの朝ごはんをいただく。シンプルだけどナンが抜群においしくて、それだけで幸せになる。おばちゃん、ありがとー。

食後にチャイでも飲みたいなーとカフェを探して歩く。道で暇そうにしていたおっちゃんにいいカフェない?と聞いてみると「おージャパニ、チャイ飲んでけ」と彼が経営しているみやげ屋に連れていかれた。みやげ物も見られるし、チャイも出してくれるからちょうどいいか。

ここイチャリ・シャヘルから道を挟んだ向こう側はすぐカスピ海だ。カスピ海沿いはきれいに整備されていて、オフィス街をバックに若者が湖岸沿いに腰掛けて休日を過ごしている。日本で言うと横浜の山下公園のような雰囲気かな。それにしてもみなムスリムのはずだけど、女性は誰もスカーフをせず、人目を気にせず肩を抱き合っている。

ここバクーは紀元前より油田で知られ、帝政ロシア時代に開発が本格化していった。ダイナマイトを発明したノーベルが開発に携わり、1900年頃には世界の石油産出量の半分はバクーだったという。今でもカスピ海沖で原油が生産されて、伊藤忠などが出資しているパイプラインを通じてグルジア、トルコに運ばれている。

近年の原油価格上昇でアゼルバイジャンも大きな恩恵を受け、バクーの街は活況に沸いていた。石畳の町並みが残る旧市街の横で先鋭的なビルが建てられ、昼休みにはビルから出てきたビジネスマンが石畳の上を闊歩していた。建物のデザインやキンキラキンのライトアップが成金的、バブリーでわかりやすい。

そんな古いものと新しいものが同居する町、バクー。地域の中心都市としてヨーロッパ各国やアラブ各国から直行便が飛び、アラブのポップスターはドバイとイスタンブール、そしてバクーは必ずツアーで寄るようになっているらしい。イスラム圏であるけどアラブでない、ヨーロッパとアラブをつなぐ貴重な窓口なのかもしれない。一日だけの滞在だったけど、首都に限って言えばスカーフをしている女性もほとんどおらずモスクも見当たらず、街中にアザーンが響くこともなかった。そんな新しいものと古いもの、西洋とイスラムが同居する不思議で魅力的な街、バクー。これからも古いものを大切にしながらどんどん魅力的な街になっていってほしい。

Written by shunsuke

2012年7月31日 at 3:06 AM

カテゴリー: 2012/05 Caucasus

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DAY8: Deadvlei、再び

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午前4時30分、再びDeadvleiを見にいくべく昨日よりも30分早く起き、一路60km離れた国立公園の入口に向かう。今日も快晴、絶好の天気だけどなかなかゲートが開かない・・・車を借りてテントを持ち込めば国立公園の中で寝泊りできるらしい。そうするしかないのかな。

日の出のちょっと前にゲートが開き、一目散でDeadvleiを目指す。昨日と全く同じ道のりなので、風景の姿かたちは変わらないのだけど、時間が早い分朝日を浴びた砂の色が違う。じっと見ていると引き込まれていきそうな赤色だ。

何とか太陽が高く昇りきる前にDeadvleiに到着。今日は無風だった昨日とは異なりかなり風が強く雲も多い。強い風で砂が舞い上がっているのがよくわかる。Big Daddyに登るのが今日でなくてよかった。

Deadvleiに向かう先客の二人組。砂の壁に向かって手をつないで歩いていく後姿が素敵。とても絵になった。

肝心のDeadvleiはというと、太陽が高くなりすぎていて、赤い砂の斜面だけでなく白い粘土質のところにもすっかり日が当たっていてしまっていた。水蒸気が蒸発していく明け方の一瞬しか、National Geographicに出ていたような景色は見られないんだね。残念。

それでも強い風で白い砂が舞っていて、またそれはそれで白黒の不思議な光景を見ることができた。風が強く吹いたり、太陽の傾きが違ったり少しでも自然条件が違うだけでまったく異なる表情を見せる。当たり前のことだけど、一秒たりともまったく同じ景色はない。大自然の不思議だ。1万円払って早起きしてきてよかったな。

風に乗って砂が飛んでくる中レンズを守り、30分ほど最後のSossusvlei を見納めて帰路に着く。いつかまたこの場所に来ることがあったら、次は必ず国立公園の中に泊まって太陽が出る前にこの場所にやってきたい。

この日は午後にウィントフックまで戻るのでまた2時間ほどかけて宿に引き返し、荷物をまとめてNaulkuftを出発する。出発間際、昨日遅くまで飲んだマルコが見送ってくれた。一応これは”ヘビーローテーション”の振り付けのつもりらしい。” I want you”のところね。

極度に乾燥した場所でかなり動き回ったから疲れていたらしく、 ウィントフックまでの道はほとんど寝ていた。国立公園の中に入る仕組み、行きたい場所、見たい景色もよくわかっていなかったり手際が悪かったけれど、想像を超えた自然の光景に圧倒されっぱなしのナミビアだった。

Written by shunsuke

2011年12月22日 at 1:04 AM

カテゴリー: 2011/09 Southern Africa

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