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DAY3: ヌクス、禁じられたコレクション

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ウズベキスタン二日目、この日は朝一番の飛行機でタシケントからウルゲンチまで飛ぶ。すでに航空券は日本で購入していたので、朝5時半に起床し、タクシーで空港に向かう。チェックアウトがてらフロントでUSDから現地通貨のスムに両替してもらったら、1USD=2200スムだった。公定レートが1USD=1800なので、闇で両替したほうがかなりレートがいい。朝から陽気だったフロントのお兄ちゃんとタクシードライバー。うーん、朝から天気もいいし二人ともいいやつだったし、いいことがありそうだ。

そう思った瞬間、ホテルの部屋に携帯電話を忘れたことに気がついてあわててホテルへ戻る。何やってんだ。これまで何回携帯なくしたことか。この前の5月もブラジルで同じことやってタクシーでホテルまで戻っているし、進歩がない・・・

ともあれ無事に携帯も回収し、空港でチェックインをしていると、昨日北京空港のラウンジで見かけたナイスガイを見つけた。話しかけてみると、香港人で名前はチャールズ。女友達と二人で来ていて、なんと同じウルゲンチ行きでウルゲンチから200kmほどあるヌクスまで行く予定とのこと。僕はそのヌクスを経由してさらにその先にあるモイナックに行く予定だったのでちょうどいい。

ウズベキスタン航空の機体は予想外に真新しい。定刻どおり7時に離陸して1時間ほどで砂漠の中に開かれたオアシス都市、ウルゲンチの町並みが見えてきた。

ウルゲンチに到着後、ヌクスに向かうチャールズと話していると、なんとすでに香港から車を手配してあるとのこと。「よかったら乗ってく?」との言葉に甘えて、タシケントで働いていてロシア語堪能なTちゃんと一緒に4人でヌクスへ向かうことにした。

旅行会社を通しただけあって、車は立派なシボレー。チャールズと一緒に両替をしようとドライバーにレートを聞いたら、1USD=2400スムだった。どうやらこれが今では闇の平均的なレートらしい。

30分ほどウルゲンチから走ってアムダリヤ川を渡る。キルギスのパミール山脈の雪解け水を水源とする川で、ほとんど雨が降らないこの地域にとっては貴重な水源となっている大河。ただ、近年以前にもまして水量が減っているらしくドライバーのつぶやいた”Almost no water”が印象的だった。

ヌクスまでは2時間半ほどのドライブ。のども渇くだろうということで、道端でひと休憩。なんだかにぎやかだなあと思って降りてみるとメロン市場だった。今はメロンとスイカが季節、”気温40度以上湿度10%以下のこの地で育った果物は世界中で一番だ”と自慢げにおじちゃんがメロンを抱えて持ってきた。確かにうまそうだ。

どこから来たんだい?えっ?ヤポンスキ、フクシマ は大丈夫かい?こんな遠いところまでよく来た。たくさん食べていってくれ。とおもむろにメロンを切り出して僕らにすすめてきた。ありがたくがぶりつくと、想像以上の甘さ。まるで濃縮還元したメロンジュースのような甘さとおいしさだ。こりゃ、世界一もオーバーじゃない。チャールズもこんなメロンは初めて食べたとむしゃぶりつく。

一人3切れくらい食べてお金を払おうとすると、「何行ってんだ、こんな遠くまで来てくれたのに金なんて受け取れるか」と頑として受け取ってくれない。そうか、ありがたくご馳走になるよ。おっちゃん、ありがとう!

おなかも満たされ、車内でうとうととしている間にヌクスに到着。昼ごはんを食べようと入ったレストランで一枚の絵に釘付けとなった。絵になんの説明もないけれど、おそらくアラル海の漁の様子を描いた絵。1960年代まではこうしてアラル海でチョウザメをはじめとする漁が盛んに行われていた。

食後はヌクスのハイライト、ヌクスの博物館へ向かう。ここにはソ連時代に国から認められていなかった前衛アートを守るため買い集めた民俗学者サヴィツキーのコレクションが収蔵されている。

恥ずかしながら僕は、チャールズたちに言われるまでこの博物館の存在を知らなかった。写真撮影禁止の館内はここヌクスがあるカラカルパクスタン地域の歴史から、ウズベキスタンの絵画、ソ連時代にサヴィツキーが集めたコレクションまでそろっていて、ゆっくり1時間半見て回った。

ガイドの説明によると、ソ連時代には政治的に敏感だと認識されるような内容の絵画は、描いた画家はもちろん収蔵している人間も政治犯として逮捕される危険があったとのこと。その絵画を救うためにサヴィツキーは1950年代から60年代にソ連中を駆け回り、モスクワから遠く離れたここヌクスにひっそりとコレクションを集めていったらしい。命がけで彼が守った絵画たちがここにあるのだ。

どのような絵が政治的意図を持ったのかなんて個人の感覚でしかない。たとえばこの牛の絵はこの博物館でも目玉の絵なのだけれど、角が左右非対称なところとか、尻尾の先に太陽があることが共産主義の否定と受け取られたらしい。ほんっとにばかげているよね。人間の自由な発想を阻害する国家は衰退する。僕はそう思うよ。

見終わった後は、Tちゃんのガイドをしていたナルギーザとしばしおしゃべり。彼女によると、ここの絵画はフランスとかにも展覧会で持ち出されたりしているらしい。 だけどウズベキスタン国内の一自治共和国であるカラカルパクスタン共和国ではなかなか維持する予算もないらしく、今は維持するだけでも各国からの寄付に頼っている状態とか。いつか日本でも「禁じられたコレクション」みたいな題名でサヴィツキーコレクション展をしてくれないかな。そう思わせるくらい迫力のある絵画たちだった。

もともと僕はここからさらに200kmほど北西に行ったアラル海湖畔の街、モイナック(Moynaq)に行く予定だったのだけど、ここに来て博物館内の弱冷房による暑さで疲れてしまい、チャールズたちと一緒にヒヴァまで行くことにした。だってヌクスからタクシーチャーターしても100USDって、高いよね。みんな疲れたのか、ヒヴァまでの道は4人とも爆睡。

ヒヴァには午後4時半に到着。ここでチャールズ一行とウルゲンチの友人宅に泊まるTちゃんとお別れ。ヒヴァは19世紀中ごろまでヒヴァ=ハン国としてエミール(藩王)に統治されていたオアシス都市で、今でもその城壁と町並みがイチャン=カラ(内城)としてそのまま残っている。ヒヴァの中でも一番高い場所にあるイスラーム・ホジャ・ミナレットに登ると、ちょうど夕暮れ時を迎えた街が一望できた。

このミナレットのてっぺんからの風景をスケッチしていた女の子に遭遇。フレンチで、カメラは持たず心に残った風景と人々をモレスキンのノートにスケッチしながら旅しているとのこと。ひとつの風景をスケッチするのに最低一時間。それだけの時間、目に映るものをペンを通して残していったら見えている景色もまた違ったものに思えてくるのだろうな。尊敬するよ。デジタルカメラになってとりあえずシャッターを切って記録しているだけの自分がとても軽薄に思えてきた。

夜は街の真ん中にあるB&B、ミルザ・ボシ(Mirza Boshi)のレストランでウズベク料理を食べる。ちょうど夕暮れ時の街のようすが幻想的で目に焼きついた。考えてみたらほんの150年くらい前まではこの地はまだまだ秘境で、残虐なエミールがイギリスやロシアからの使者や旅人の処刑を繰り返し、街には奴隷があふれていた場所なんだよね。そんな歴史を考えると、この夕焼けも幻想的というよりもおどろおどろしいものに思えてきた。

この夜、モイナックまでの同行者が見つかったので、明日は一日かけてアラル海へ行ってきます。

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Written by shunsuke

2011年9月11日 at 11:54 PM

カテゴリー: 2011/08 Uzbekistan

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平遥訪問記その1:いにしえの金融センター平遥

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「昔の城壁、町並みが中国で一番ありのままに残っているんだよ。あの街は僕ら山西人の誇りなんだ」。北京にいた2003年の時に、山西省の友人からそう話を聞いてずっと気になっていた場所、平遥に先週末行ってきた。

山西省の省都太原から南に100kmほど行ったところ。飛行機で太原まで行き、そこから車で2時間ほどいった場所に平遥の街はある。まずは空港近くの農家飯に連れて行かれ、腹ごしらえ。「うちの鶏は新鮮でおススメよ!」店のおばちゃんがそうすすめてくれた土鶏飯、甘めのソースで炒めた鶏をもち米の上にのせて食べる。中華っぽくない料理だったけど、もち米とソースの相性が抜群でやみつきになる味だ。

そしてもう一品のおすすめ、コウリャンの麺。柔らかい麺の上にあんをかけて食べると、コウリャンの粉っぽい風味とあんが混ぜ合わさってまったく新しい味になる。名古屋住民にはあんかけスパをおいしくした感じと説明すればわかりやすいかな。写真をみるとそばに見えるけれど、味はもっと粉っぽい。粉っぽいからこそあんかけがよく合うんだろうね。

お店の看板娘、19歳。日本人と話したのは初めてだったらしく質問攻めにあった。どこに住んでいるの?地震大丈夫だったの?資生堂の化粧品ほしいんだけど、持ってない?ほっぺたの赤さが北の人だ。

太原から平遥までは、畑とポプラの並木が広がる典型的な華北の景色。南と違って空気が乾いているのが、肌を通して伝わってくる。肌から水気が奪われていくような、そんな感じ。途中何度か川を見たのだけれど、どの川にも水が流れていなかったのが気になった。

午後3時前に平遥に到着。すると、こんな光景が出迎えてくれた。こういうのを見ると中国の田舎に来たなあという実感が沸いてくる。

平遥の街は周囲6kmの古城を中心に、その周りに新しい街が広がっている。古城に近づくと堅牢な石造りの門が見えてきた。

ここで改めて平遥の説明を。Wikipediaによる説明を要約するとこんな場所なんです。

平遥は清代末期までは山西商人の拠点であり、中国の金融中心地であった場所。中国では長い歴史の中で戦火にあったり、改築されて昔の都市がそのまま残っていることは少ないが、この平遥古城には14世紀の明代始めに造営された町がそのまま残っている。「亀城」と呼ばれた城内の街路は「土」の字につくられていて、建物は八卦の方位にのっとって配置されている。明代から清代にかけての中国の典型的な城郭、街路の配置、商店や住居などの古建築の保存状態はよく、中国でも最も整っているもののひとつらしい。

清代末期、平遥には大きな票号(近代以前の金融機関)が二十数家あり、中国全土の票号の半分以上が集まる金融の中心地であった。これらの票号は各地に支店を置いて金融業を営んだが、なかでも19世紀初頭に「匯通天下」として19世紀後半に名をはせた中国最大の票号「日昇昌」は有名である。しかしこれらの票号は辛亥革命で清が倒れると債権を回収できず没落していった。これらの票号の建物は現在でも残り観光地となっている。

周りを山に囲まれているわけでないこの平遥の古城が現代に残されたのは、金融の中心地で戦渦に巻き込まれるとみんなが困ったからなんだと、僕はこの説明を読みながらそう感じていた。実際に街でも宿のおねえさんをはじめとする数人の地元人に聞いてみたけど、みんな「たぶんそうだろうねー」とは言っていたからたぶんそうなんだと思う。だれもそんなことはわからないんだけどね。だけど、なぜこの場所が金融の中心地として発達したんだろう?その肝心なことはわからずじまいだった。

女真族の清王朝において騎馬民族と農耕民族をつなぐ中継地点にあったから?今回はガイドをつけてゆっくり話を聞く時間がなかったので、今度また次の機会があったら豆炭のにおいが漂う街を歩きながらじっくり聞いてみたい。

さて、話を平遥の街に戻してみると、他の中国の古城観光地同様、メインストリートにはレストランやおみやげ物やがずらりと並んでいた。そしてこれも他の観光地同様、ここを訪れる観光客の9割以上は中国人。だけど他の古城と違うのは、門構えは観光地っぽくなっているものの建物や道はほとんどが昔から残されてきた建物が使われていること。そして、一歩路地を入るとそこに地元の人の生活の場になっているということ。つぼを売り買いする地元のおっちゃんと、街をねる観光客が対照的。

メインストリートを歩いていると、一軒のお店に目がいった。「平遥名物生姜キャンディ」。生姜にはちみつをまぜてキャンディにしていて、とっても身体によさそう。風邪を引きやすい僕にはちょうどいい。杏味とかもあって、おみやげに大量購入。店の前でお兄ちゃんが飴つくりの実演をやっていたのだけど、茶色の原料が空気を入れながら練っていくと黄金色に変わっていくのがとっても不思議だった。

この平遥。古城の中に入るのはタダだけど、街の名所や城壁に登るには150元の共通観光券を買わなくてはならない。せっかくだからということで150元を払ってチケットを買い、まずは19世紀最大の銀行、日昇昌に行ってみる。それにしても150元は高いよね。この観光業のインフレをさっきの生姜キャンディに還元すべきだよ。

日昇昌の中は昔の銀行窓口のようすとかが再現されていて雰囲気があった。何より建物の梁に直径が40cmくらいある太い丸太がふんだんに使われているのが迫力があった。ニセモノが多い中国の古城だけど、平遥の建物はホンモノだよ。当時でもここの付近はそんな丸太なんてなかったはず。まだ森が残っていた遠い南のほうから運んでくるだけの政治力と財力があったってことなんだろうな。

日昇昌を出ると、道のそばからおいしい香りが漂ってきたので思わず足を止める。中国全土でいろいろな焼餅があるけど、僕はこの焼餅が大好物。ここのは黒ゴマを入れた甘めのあんで、焼きたてがとてもおいしかった。一個1元っていう手軽さも最高だよね。

焼餅を売っていたおばちゃん。朝7時くらいから19時くらいまで、1日300個くらい売れる日もあるのよ。1日300個ってことは2分に1個ってことか。それでも粗利300元だもんな。きっと原価が1個0.2元くらいなんだろう・・・

この後、夕暮れの古城を上から眺めに城壁に登ります。

その2に続く。

Written by shunsuke

2011年4月25日 at 2:18 AM

カテゴリー: 旅行

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食いだおれ出張記

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9日ぶりの日本。テレビから「東京でも食べ物がない!」との映像が流れていたので、覚悟して戻ってきたものの、ものがあふれるスーパーのようすを確認して一安心です。

地震の被災地で食べ物に困っている人には申し訳ないくらい、とにかく食べてばかりの最近でした。基本的には朝は麺で、昼と夜はみんなでつついて食べる中華飯でした。朝ごはんの麺たちはこんな感じです。

こちらは縮れ麺に濃い目に味付けしたひき肉をのせたやつ。お好みでチリをかけてかき混ぜる。すると、ひき肉のソースとチリが麺が絡み合って食がすすむ。朝から食べすぎだ。半分くらい食べてからスープを入れると、スープなしの時とはまた違った味が楽しめる。一度で二度おいしい。広西の米粉と同じだね。

東南アジアといえば、エビを忘れちゃいけません。小さい時はにおいをかぐだけでも嫌だったのに、今ではおいしいエビなら喜んで食べますよー。どの麺にも共通していたのは、店ごとに味にこだわってじっくり煮込んだスープがある点。ここはエビや貝を弱火で煮たしてダシをとっていた。もちろん味は文句のつけようがありませんです。

そしてラクサ。米粉そっくりのビーフンに魚系のダシをたっぷりきかせたココナッツ味のスープを注いで、チリを入れて食べる。実はこれまで食べたことなかったのだけど、甘めのスープとチリもただ辛いだけじゃない。いろんな香辛料を炒めてつくられたペーストは辛さの中にコクがあってこれに白飯かけて食べたいくらい。そんな甘さと辛さを一度に楽しめるラクサ、やみつきになりそう。

食べてばかりじゃなくて、それなりに仕事もしてます。ボートで川をさかのぼったり。

南国の鮮やかな花に見とれたり。

蝶の大群にも遭遇した。これはびっくり。

時にはご飯食べることも仕事だったり。

スコールのあとはこんな虹も。うまく写真に撮れなかったけど、二重に虹が出て幻想的だった。二重の虹は初めて見た。

そうそう、夕日も忘れちゃいけない。海に夕日が沈むので毎日絵の具をキャンバスに塗ったような鮮やかな夕日だった。なかなかゆっくり夕日を見る時間はなかったけど、最終日にようやくこの夕日を眺めながらゆっくりお茶を飲むことができた。幸せなひとときだったなあ。

そんな内容の濃い時間の中で、一番印象に残っているのは地元の人々ののんびりした生活の時間の流れとおおらかな性格。もちろんビジネスはビジネス。それでも一度じっくり根を下ろしてここで生活してみたい。そう思わせる場所でした。また行くことができるよう、うまく形にしていかないとね。

Written by shunsuke

2011年3月22日 at 2:04 AM

DAY3: It’s awesome!!

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Climbing day 2: Machame Hut(2,900m) – Shira Camp(3,850m)  7km

すっかり放置していたキリマンジャロの続きを。

登山二日目、この日は7時に目が覚める。標高3,000m近いのだけれど、ぐっすり休めて気持ちのいい目覚めだった。筋肉痛もないし、なかなか快調な滑り出しだ。外に出てみると、KarinとLiseが泊まっているテントのようすがなんだかおかしい。どうやらLiseが高山病の症状を訴えているらしい。ゆっくり水分補給しながら登っていこうと皆で励ます。

朝ごはんもしっかりコックが料理してくれる。スープからパン、ソーセージと普段の朝ごはんより立派なくらいだ。登山者一人につき2人から3人がついているんだから当たり前といえば当たり前か。自分でやっておいて言うのも何だけど、食料だけじゃなくて食事用のテントからテーブルと椅子もパーティごとに人力で持ちあげていく登山スタイルは植民地時代の名残が強くてどうも苦手だ。

8:00に朝食を済まし、8:30出発。この日は3,100mのMachame Campから3,840mのShira Campまで7kmの行程。6日間の中で一番短いけど、3,000mを越えた後は急に高山病の症状が出る人が多いので高度順応のためにもゆっくりゆっくり歩いていく。そんなゆっくり歩く僕の横をポーターたちが抜かしていく。食料、テント、そしてトイレまで。全部を運ばせる登山スタイルはやっぱり苦手だ。

30分くらい歩いたところで、見晴らしのいい場所にたどり着いた。昨日から歩いてきた道が一望できて、いよいよ登山ムードが高まってきた。ここから見てもBeard Lichenだらけだ。Larahはちょっと疲れ気味。

この日は10時を過ぎると雲が出始め、次第に小雨が降ってきた10月頭は雨が少ないシーズンなんだけど、長い登山こういう時もあるさ。僕らパーティも雨対策。

12:30にランチポイント到着。小雨が降る中ポーターが先に準備して食事用のテントを立ててくれていた。殿様登山サイコー!!苦手とか言っていたけど、いいものはいい。

標高が3,500mを越えるともう高木は見当たらない。生えている植物も苔っぽいものだったり、とげとげがあるものだったり、気温の変化や乾燥に耐えられるようなものが多くなってくる。

登山道も岩場が増えてくる。

眼下の雲、目の前のガス。

途中、三途の川に来てしまったのではと錯覚を覚えるような光景に出会った。Larahによると、誰かが登山の記念に石を積み始めていつの間にかこんな高さになったとのこと。賽の河原で石を積むという信仰は日本だけだろう。説明するのに時間がかかった。

15:30、本日の宿泊地Shira Campに到着。キャンプサイトの向こう側に見えるのがLemoshoルートの登山道。このキャンプサイトでLemoshoから来たパーティに会ったけど、出てくる言葉がamazing!! fantastic!! awesome!!(only American)と絶賛の嵐だった。アメリカンは何でもawesomeだ。そしてそれをヨーロピアンは馬鹿にしてる(笑)

早めに着いたので、高度順応のため荷物を置いてもう少し上がってみることにした。Larahと一緒に30分ほど自分の最大の速度で登り、300mくらい高度を上げてみる。この高さになっても思ったよりもハイペースで登ることができる自分にびっくり。まだまだ捨てたもんじゃないな。キャンプに下りると夕日が最高にきれいだった。左側に見えるのはメルー山(4566m)、そしてたたずむマルクス。

今回はがんばって三脚を持ってきた。三脚使ってこの夕暮れをパシャリ。混ざりそうで混ざらない青と赤の色合いがきれいだ。awesome!!  わざわざ持ってきた甲斐があったなあ。今晩もおいしいご飯を食べてゆっくり休もう。

Written by shunsuke

2011年2月24日 at 12:55 AM

カテゴリー: 2010/10 Kilimanjaro

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DAY4:サハラの北の端で温泉につかる

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ガルダイア二日目、あまりに言葉が通じないことに嫌気が差してぐだぐだ9時ごろまでホテルでゆっくりする。ガルダイアのあとは砂漠にある赤い街、ティミムーンに行こうかとおぼろげながら計画していたのだけど、なんだか行く気もなくなってきた。うーむ、どうしようか。

さすがにおなかがすいてきたので近くのパン屋に入り、なんとかパンを購入。うん、やればできる。必要は発明の母だ。

旧フランス植民地であるアルジェリアでは、主食はパン。去年行ったチュニジア同様レストランにはたいていバゲットがかごに入って置いてあって、いくらでも食べてもいいところが多い。日本で食べるものよりも歯ごたえがあって、小麦の味がしっかりしている。

おなかが満たされたところで、バスターミナルに行ってティミムーン行きとアルジェ行きのバスを確認してみる。両方とも夜行バスであるらしい。せっかくここまで来たんだし、ティミムーンに行ってみようということで、夜6時半発のティミムーン行きバスのチケットを700AD(7ユーロ)で購入。

昨日に続きガルダイアの旧市街に向けて散歩する。旧市街への入り口にあるカフェを過ぎたところで「ニーハオ」といつもの挨拶をされた。話してみると地元の両替屋、彼の話によると「シノワが多いが、ジャポネも結構来るぞ」とのこと。そりゃ、クラブツーリズムさんが来るくらいですもの。

ガルダイアの広場に出ると、昨日のドライバーアハメッドにばったりでくわした。午後の予定を聞かれ特に何もないと答えると「ハマームに行ってみないか?ハマームナトゥラルだ」との誘いが。ハマームナチュラル、つまり温泉ということ?なに?サハラに温泉があるのか!それは行ってみたい!ということで、午後はアハメッドの友人オマルの車で温泉があるゼファナ(Zelfana)の街を目指すことになった。

ゼファナまではおよそ70km。オマルは片道1時間で行けるぞ、と言うけれど70kmを1時間ってめちゃくちゃ速くない?と思ったらこんな道で納得。走れど走れど、岩と砂しかない道が続く。

途中、ガソリン補充に休憩。そこのサービスエリアみたいなところで、何か食べるものを探していると、どこからともなく人が集まってきた。話してみると「ジャポネに初めて会ったよ!」とのこと。こういノリで何とかなる場は言葉が通じなくても問題ない。

ゼファナまではオマルの言ったとおりぴったり1時間で到着。さっそく街の中心にある温泉に向かう。温泉は入浴料500AD(5ユーロ)、物価を考えるとかなり高い。

中は中東のハンマームのような蒸し風呂を想像していたら、湧き出る温泉を利用した温水プールだった。入り口で水着をレンタルして入るタイプ。温度がぬるめなのでいまいちだったけど、久しぶりに湯船に使った気分ですっきり!そして温泉からあがってみると不思議なくらい肌がすべすべになっていた。サハラの温泉、効能もすごい。

「風呂上りに俺の紅茶はどうだい?うまいぜ」と、いい香りのするミントティーを売りにきたので一杯もらう。小さめのグラスに注がれた香りの強いミントティーを飲み干すと、砂糖のほどよい甘さとミントの香りが風呂上りにぴったりだった。お風呂上りはやっぱりおいしいねえ。うまそうに飲む僕を見てしたり顔のティースタンドの主人。かなり乾燥しているから知らない間に水分も失われているんだろうな。

温泉を満喫した後は18時半のバスに間に合うようまた来た道をガルダイアへと戻る。ガルダイアに近づくとこれまでずっとだだっ広い荒野だった大地に谷が刻まれているのが見えてくる。これがムザブの谷だ。こうやってほかの場所から来ると、ここの土地が谷間のオアシスに築かれた街だということがよくわかる。

「そうだ、絶好の夕暮れポイントがあるからそこに行こう」オマルがそんな提案をしてくれて、ムザブの谷へと降りる道の途中で車を止めてくれた。ここからまた昨日とは違った角度でベニイスゲンの街が一望できる。ベニイスゲンはよく見るとチュニジアのような水色を使った家が目立つ。昨日僕らが昇った見張り台に今日も誰かが上っているのがよくわかる。

右手に目を移すと丘の上にメリカの街が見える。元々この二つの街はそれぞれ丘の上に築かれた別の街だったのだろうけど、今では人口が増えて間がつながっている。こうして町並みを見ながらその街がたどってきた歴史に思いをはせるのは旅の醍醐味だ。きっと中世のラクダのキャラバンも同じ景色を眺めていたんだろうな。一目見てその街の歴史がわかるような町並みって見ていて飽きないよね。

どうだい。とニンマリ笑うオマル。いやあ、最高の場所をありがとう。

ホテルに戻り、今度はちょうど夕暮れの時を迎えたガルダイアの街をホテルの屋上から眺める。

二日間のガルダイア滞在最後の瞬間。深くなっていく空の青に差した燃えるような鮮やかな赤が印象的だった。この後バスに乗って砂漠の街ティミムーン(Timimoun)に向かう。

Written by shunsuke

2011年1月10日 at 11:38 PM