Archive for 10月 2006
北陸へ
名古屋と福井を結ぶ道は、ちょうど日本海側と太平洋側を隔てている山々が、青森からずっと連なってきた山が途切れる場所でもある。だから冬になると、日本海を渡ってきた湿った風がこの回廊を通り、岐阜の西のあたりに雪をもたらす。そう、新幹線がよく関ヶ原で徐行しているのは、ちょうどその風の通り道にあるからなのだ。
敦賀を過ぎると、武生、鯖江と街が続く。鯖を運ぶ街道この地名、すごく趣があっていい。市町村合併で「つくばみらい市」のようなこっぱずかしい地名が増えている今、このような歴史と文化が込められた地名が残っているのは地元民ならずとも一日本人としてうれしいものだ。
福井の夜は、名物鯖のへしこ、刺身、てんぷらをいただく。鯖のへしこは、痛みやすい鯖を長持ちさせるために考え出された保存食だ。塩辛い味と添えられたきゅうりが絶妙な組み合わせ、まさにお酒にぴったり。刺身は、ブリが絶品。さらっとつけただけで、しょうゆに脂が浮く。今の時期にこんなに脂がのっているのだったら、冬になったら極上の味になっていることだろう。こんな刺身、太平洋では絶対食べられない。たった二時間でこんなに食も文化も変わるなんて。これだから、食べ歩きはやめられない。
ツメカラダ
ここ二ヶ月の不規則な仕事の疲れが出たのか。無理もない。毎日3時間くらいしか寝れない日が続いていた。そんな中で、先週の終わりくらいからようやく仕事のリズムがつかめ始め、(いい意味で)手を抜けるところがわかってきたていた。そうしたら、きっと気が抜けたんだろう。これまでピンと張り詰めていたものが緩んだ隙にウイルスが入り込んだみたいだ。
僕は元来、体が弱かった。
月に何回かは風邪を引いて休む、中学校くらいまではそんな貧弱な子どもだった。今でも、ちょっと無理するとすぐ体調を崩すが、これでも強くなったほうだ。そのきっかけをくれたのは、中国留学中に出会った漢方医だった。「手の指の爪をもう片方の指で両側から挟む。そして10回揉んでみなさい。気の流れがよくなるよ」昼間でも薄暗い天井だけが異様に高いその病院で、老医者はゆっくりと僕に語りかけた。「同じように足の指も。でも、くすり指だけは揉んじゃだめだよ。逆効果になる」同時にそうも付け加えた。半信半疑で僕が試してみる。すると、不思議なことに一、二分して体がぽわーっと暖かくなり始めた。
日本に帰って調べてみたら、どうやら科学的にも信憑性のあるものだった。爪をもむことでリンパ球が増加して副交感神経を刺激する、それにより血行が促進され免疫力が高まる。逆にくすり指だけは交感神経を刺激することになるのだという。
以来、僕はほとんど毎日このマッサージを続けている。そして、それ以降は以前だったら悪化していった風邪の所期症状が、悪化せずにそのまま回復に向かうことが多くなった。今回もまさにそんな症状だった。今日、出勤して仕事をしていたら知らず知らずよくなっていた。たったこれだけで、カラダが強くなるなんてうれしいことだ。やっぱり何をするにしても体が資本、大切にしないと。さあ明日は金曜日、週末はもうすぐそこだ。早く全快して、おいしいものを食べに行こう。
グアテマラ・コーヒー
雨の夜
珍しく七時過ぎに仕事が終わったときも雨は降り続いていた。家に戻り、オーディオのスイッチを入れる。秋の雨の夜、こんな夜に聞くのはオフコースに限る。
僕の両親はいつも音楽を聞いていた。これまで両親と一緒にいた時間には、その思い出の場面場面いつも音楽と結びついていた気がする。その中でも、心と記憶に残っているのが中島みゆきとビートルズ、そしてオフコースだ。
~眠れない夜と雨の日には忘れかけていた愛が甦る~たぶん「眠れぬ夜」のそのフレーズだけなんだけど、なぜか雨の夜にはオフコースが浮かんでくる。その当時、僕は愛なんて何も知らなかったけど、今でも雨の日にはオフコースが結びついてくる。
実は、中学生から大学生くらいまでは、オフコースなんてまったく手に取らなかった。なんとなくカッコ悪い。なんとも恥ずかしい理由だけど、若い僕には70年代の日本の歌がジジ臭く思えた。25過ぎてくらいからだろう、久しぶりに耳にした小田和正の声と歌詞がすっと心にしみてきた。きっと、それくらいから周りにカッコつけずに自分自身のことを見つめられるようになったのだと思う。今では、はっぴいえんどとオフコースはお気に入りの一つになっている。
外は一段と雨が強くなってきた。路面を叩く雨粒の音が心地よい。そんな雨の夜に一人懐かしい音に耳を澄ますのも悪くない。
夢の終わり
北海道に住んでいた小学生の頃、週末になるたびに家族でキャンプへ出かけていた。土曜日の朝、まだ夜が明けきらないうちに家を出て、真っ暗な道を車を走らせて遠くへと向かう。この先にはどんな世界が待っているんだろう、そんなドキドキ感が大好きだった。
だけど、ワクワクの夜は必ず朝になる。ドキドキの週末はいずれ明け、いつもと変わらぬ月曜日が訪れる。この時が永遠に続けばいいのに。日曜日の夜はいつもそんな気だるさに包まれる。神様はなんて意地悪なんだろう。
今日、散歩中に見つけた「Palme」のミルフィーユと紅茶、そしてR.E.M.のNight Swimmingを聴きながら今夜も更けていった。午前2時49分、夢の終わりはもうすぐそこだ。
秋の夜
今はまったく違う仕事をしているけど、心のどこかで大切なものを共有している。そんな友人に会うたびに、仕事に追われる毎日で忘れがちになっていることを思い出させてくれる。
何でこの仕事をやっているのだろう?最初は疑問を感じていたことが、忙しさが加速していくにつれて疑問でなくなってきていた。そして、もっと時間が過ぎていくと何に疑問を感じていたのかすらわからなくなってくる、そんな風になっていくんじゃないかなと怖さを感じていた。だって、何も考えずに処理をするほうが楽だから。
もちろん、仕事にそして組織に慣れて、順応していくことは大切だと思う。だけど自分の将来に対して、自分の未来に対しての疑問は忘れたくない。
日比谷の静かな夜と気がおけない友との会話、そしてさらさらそよぐ秋の風。東京駅へと向かう僕の足取りは、何だか来る時より軽くなっていた。
千曲川源流へ
メンバーは60代一人、50代二人、40代一人、そして二人の30代に20代は僕一人。
北京で働いていた時にかかわったプロジェクトが縁で出会った。
年齢も住んでいる場所も違うけど、年に何回かこうして顔を会わす仲間たち。
春日井から小淵沢まで鉄道で行き、車で千曲川をさかのぼる。
八ヶ岳の横を通り抜け、清里高原を進むと一時間ほどで金峰山荘に到着。
このあたりはもう標高1500メートル、ちょうど気候帯としては白神山地と同じだ。
岩山に囲まれた白樺とブナ、ミズナラの森が美しい。
夜は山の幸を楽しんだ後は、同行者の一人彝族研究者による彝族文化漫談。
僕はというと仕事の疲れで、ビール一杯で高いびき。
悲しいかな、白酒、生瓜子にはたどり着けず。
翌日は、秩父山系最高峰金峰山へ。
まるで無尽蔵に湧き出るかのような湧水がとうとうと流れる千曲川沿いを登っていく。
もうすっかり赤と黄色に染まった木々の中を通り抜けると、
低気圧が通過した青空に富士山がどーんとそびえたっていた。
ちょっと行っただけで、こんなに手付かずの自然が残る。
日差しひとすじ、影のひとさしでいろんな姿を見せる山の緑、川の青。
50年、100年経っても、この自然を誇れるように残していきたい。
心からそう思う。
心の余裕、そしてプライド
そして、余裕もない。
常に余裕を持っていたいと思うけど、時間に追われるとそんなことを考える時間がなくなる。
とにかく目の前のことをこなすことで精一杯。
仕事の処理量が多い→スピードアップを考える→ミスが増える→余計に時間がかかる
そんなサイクルにもはまった。
この一週間を振り返ってみたら、ゆっくり食事をする暇もなかった。
すべて自分のせいなのに、こころのどこかで周りの環境のせいにしている自分がいる。
後で振り返ってなんて愚かなのだろうと思うのだけど、その場で言い訳してる自分がいる。
なんて自分は要領が悪いんだろう。
くだらないプライドなんて脱ぎ去ってしまえばいい。
そんなもの、とうに脱ぎすてていたつもりだったけど、やっぱりどこかに誇りは持っていたい。
きっと心のどこかでそう思ってるんだろう。
失うものなんて何もない、そう思ってたけど実はいろんなものに自分は包まれていたんだなあ。
裸になれない、素直になりきれない。
そんな自分に腹が立った一週間だった。
犬養道子 「お嬢さん放浪記」
犬養道子『お嬢さん放浪記』を読んだ。2年前くらいだったかな。正月に養老猛と彼女が対談していた番組を見て以来、気になる人だった。
犬養毅の孫である著者が、戦後間もない時期にアメリカ、ヨーロッパを転々とする話。「あなたが争いよりは友情を、非難よりは理解を、愚痴よりは建設を、あなたのまわりに引き入れるような人になってもらいたい」。昭和23年に留学先のボストンで、彼女は奨学金の出資者にそう伝えられたらしい。
心に残る言葉だね。いつか自分に子どもができたら、そんな言葉を伝えたいもんだ。その前に、自分がそんな人にならないと。30歳まであと二年。区切りの日に、そんな抱負を。
中央公論社
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