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DAY4:ピースフルな人々とその本音

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バガン3日目。この日は頑張って5時に起きイラワジ河の船から朝日を眺めるボートトリップに参加することに。いくらのんびり旅行とはいえ、たまには観光しないと、と気合いを入れて起きるもののあいにくの曇り空・・・残念。それでもイラワジ河から見た朝の景色は実に幻想的だった。

船着場に戻るとすっかり陽も高くなっていて、活気があふれていた。このイラワジ河は河口から800kmくらい上流にあるバガンでも川幅が1kmほどある巨大な河だ。今はまだ全然開発されていないけれど、将来的には貴重な輸送路にもなりえる。

おなかが減ったので船着場でごはんを食べることに。船着場のおねえちゃんに何かある?と聞くとカレーしかないけどいい?との返事。でもこのポテトカレーがほくほくのスパイシーで大当たり。中華っぽくもあり、インドのテイストにも強い影響を受けているミャンマー料理、中でもカレーは外れがなかったなあ。カレー最高!

ここのレストランはカレーだけじゃなくて、この美人姉妹も評判。左側のお姉ちゃんは32歳だけどまだ独身で一家を支えるためにホテルで働いている。「バガンはいいところだけどお金を稼ぐ手段がほとんどないの。ヤンゴンや他の国にも働きに行きたいわ」とのこと。聞くところによるとドバイとかの中東に出稼ぎに行く人も多いらしい。

食後にどう?と出てきたのはビンロウ。木の根っこか何かを葉っぱに巻いてかんでいくとしびれるような味がしてくる。東南アジアでみんな口の中を真っ赤にして噛んでいるやつだ。フィリピンでも試してみたけど、あんまりうまくない。

昼間は暑いので昼寝をし、午後3時過ぎ今日もレンタサイクルで遺跡に出かける。自転車でこいでいるとそこらじゅうで売られているタナカ。ゲッキツの木をゴマスリのようにすって水に溶かしたものをみんな顔に塗る。

自転車こぐのも疲れるのでひと休憩。ミャンマーのカフェではどこのテーブルにも無料のお茶とカップがこんな風に置いてあって飲むことができるのがうれしい。お茶の味はプーアル茶みたい。雲南も近いしここで取れる茶葉の味も近いんだろう。

途中NLD(National League for Democracy:アウンサウン・スー・チーさんの党)の元事務所らしき建物を見つけた。傾いた看板と壊れた家屋が現状を物語っているようで印象的だった。今度11月に選挙があるのだけれど、今回会って何人かに選挙とNLDについて聞いたのだけれど、誰一人たりとも感想すら話してくれなかった。口にするのもはばかれる。これが一見平和そうに見えるこの国の現状なんだろうな。

この日はイラワジ河沿いの遺跡に寄る。今日も青空がきれいだ。

パゴダはどこのパゴダもすばらしい。聞くところによると無数にあるバガンのパゴダの多くは個人の所有物で、今でも個人の土地に小さなものが建てられているらしい。もともとミャンマーの小乗仏教は少しでも金が溜まるとお布施をしたり自分でパゴダを建てることに使う人が多いとか。

この日もサンライズは昨日と同じShwesandaw Payaから。昨日とは違い鮮やかな夕日が差し込んで、また違った雰囲気だった。今こうして改めて見てもいつまでも眺めていたくなる風景だなあ。これで3 日間過ごしたバガンも終わり、翌朝の便でヤンゴン経由で中国です。

Written by shunsuke

2010年10月14日 at 1:53 午前

カテゴリー: 2010/09 Myanmar

DAY3: ゆっくりとミャンマーを満喫

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バガン2日目。といっても今回の目的は中国人のいないところでひたすらゆっくりすることなので、サンライズも無視しして9時くらいまでゆっくり休む。

ブランチを食べてふらふらーっとマーケットを歩いていてみると、ここは中国製品ばかり。そうだよなー考えてみたら直線距離で400kmくらいでもう雲南省なんだもの。世界中どこに行ってもmade in chinaからは逃れられないなあ。

マーケットで働くのは女性がほとんど。東南アジアの国は女性が働き者の国が多いけど、ミャンマーの女性も働き者が多いようだ。

さらに歩いていると同じ宿のスペイン人Juanとイタリア人のRenatoのラテンコンビにばったり。なぜかはわからないけれどミャンマーにはやたらにスペイン人が多かった。宿でも遺跡でも聞こえてくるのはスペイン語。ちょっと不思議な気分だった。お茶目なJuanとはすっかり仲良しに。今度1月にバルセロナに行くので、再会を楽しみにしてるよ。

そんなJuanのお気に入りの女の子。

ブランチを食べたばかりだったけど、すぐにおなかが減ったので地元向けの定食やさんに入っておすすめのランチを頼んでみる。ヤンゴン風ライス。付け合わせのサラダとの組み合わせがぴったりでおいしかった。

午後は自転車を借りてようやくバガンの遺跡めぐりに出かける。広いとは聞いていたものの、本当に広い。怠け者の僕は近くにあったShwezigon Payaでのんびりする。中国からくると空がとてつもなく青く見えるなあ。

バガンはとても有名な観光地だけど、遺跡があまりに巨大なので遺跡のすぐそばに地元の人たちの生活空間がある。 というよりも生活空間の中に遺跡が残っているのか。

土の道に馬車と自転車、そしてのんびり寝そべる牛。きっとこのバガンのパゴダが建てられ始めた頃からほとんど変わっていない時間が流れているんだろうな。

 村の辻には東屋みたいな建物があって、井戸端会議場になっていた。いつもの井戸端会議の途中に突如現れた闖入者におばちゃんたちも大盛り上がり。

結局ほとんどパゴダも見ずに寄り道ばかりしていたらいつの間にか夕暮れの時間になってしまった。だって暑いしどのパゴダも同じようなもんなんだもん。この日はサンライズ一番人気とのShwesandaw Payaから眺めてみる。あーこれぞバガンだ。

バガンはもちろんミャンマーの人にとっても大人気の場所で、ヤンゴンやマンダレーからたくさんの人がやってきていた。

夜はJuanとRenato、川崎から来た日本人と晩ごはんを食べラテンなミャンマーナイト。ミャンマービールにレモンを絞るとコロナそっくりの味になってびっくりだった。帰り間際に同じ宿に泊まっていた人と話していたら、同じ大学で同じ年入学(s97ゲーセン)だったことが発覚。世界は狭いなあ。

Written by shunsuke

2010年10月14日 at 1:05 午前

カテゴリー: 2010/09 Myanmar

DAY2: We love Popa

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ミャンマー二日目、この日は5時前に起きて空港に向かい6時30分発のバガン行きの飛行機に乗る。欠航が多いから気をつけてくださいね!とヤンゴンの旅行会社から聞いていたミャンマーの国内線だったけれど、無事定刻どおりに離陸し、1時間ちょっとするとバガンのパゴダたちとひたすらでかいイラワジ川が見えてきた。

空港からタクシーで50,000チャット払い予約してあったINNWA Guest Houseに向かう。宿に着くと、ちょうど宿に泊まっていた人が車を貸しきってポッパ山に向かうところだったので同乗してポッパ山に行ってしまうことに。どうやら満月に合わせてお祭りがあるらしく、いつもにもましてにぎやかだとか。

ポッパ山はバガンの南50kmほどのところにある山で、ミャンマーの土着信仰ナッ信仰の総本山。ナッと言われてもよくわからないのでドライバーに聞いてみると「行けばわかる」との一言。そうか、行けばわかるのか。車はこんな感じののどかなガタガタ道をひたすら走っていく。祭りに周りの村からやってきた人たちを追い越すたびにピックアップに乗れるだけ乗りこんだ人たちが大歓迎してくれるのがうれしい。

ポッパ山に近づくと次第に上り坂になり、参道に近づいたところで車を降りて歩くことに。しばらく行くと、巨大なおじさんの像がぬっと現れた。仏像、ではなくてかなりリアルなおじさん像。これがナッ神なのね。

「誕生日は何曜日?」この神様をそばで見ていたら、近くで祈っていたおばあさんから急に日本語でそう聞かれた。おばあさんは82歳、戦争時代に日本軍に日本語を習ったらしくとてもきれいな発音だった。ここミャンマーの民間信仰では生まれた曜日によっていろいろな運が決まるらしく、仏様に祈りをささげる時はまず曜日によって何をどう祈るかが決まるらしい。

さらにしばらく行くとようやくポッパ山の全貌が見えてきた。昔々にポッパ山が噴火した時巨大な岩が飛んできてこのような形になったらしい。頂上まで参道が続いていて階段を登っていく。

すると参道には日本猿よりも小ぶりな猿がいた。だけどみんなあまりかまってくれなくて寂しそう。ここでは猿よりも神様が主役。

参道にはみやげ物やがたくさんならんでいて、縁日のよう。その中でもミャンマー特産の日焼け止めタナカを売っている店が多かった。特殊な木をごますりのようなものですりつぶして水に溶かしたのをほっぺたに塗る。子どもや女性にとってはおしゃれの一環になっていて、ほとんどみんなこのタナカを塗っている。

800段くらいの階段を登っていくと、次第に絶景が広がっていく。こうして高いところから見ると本当に周りに何もない。

このミャンマーは日本の1.4倍の国土に4000万人ちょっとが住む国。これだけ雨が降って気温も高い上に人が少ない場所だから農業しかり林業しかりいろいろな可能性がある。軍事政権が今後どういう形になるかわからないけれど、東南アジアでのラストリゾートであることは間違いない。

と、そんな生臭いことを考えているうちに頂上に到着。頂上にはさらにパゴダやさっき見たのとは別のおじさん、ナッ神がいてみんなが祈りをささげていた。中でも小さい子どもが目に付いた。聞いたところによると、日本で言う七五三のような感覚で将来の成長を祈願して子どもを連れてくるらしい。この子が大きくなった頃にはどんな国になっているんだろうか?

我々もナッ神への祈りを済ませ、同じ道を下り帰路につく。ここポッパ山は地元民だけでなく外国人観光客にとってもそれなりに有名らしく何人か日本語で話しかけてくる人たちもいた。ミャンマーでは小学校の5年間しか義務教育でないとのことで、この地域では中学に行かない子どもも多い。

ポッパ山を登り降りして小腹がすいたので、帰路につく前におやつをつまむ。米とトウモロコシを揚げたものでおいしいのだけれど、ちょっと油っこい。ミャンマー料理は油っこいのが多いが玉に瑕だ。

来た道を再び二時間かけて戻り、宿で少し休んだ後サンライズを見に自転車を借りてバガンの遺跡に出かける。アンコールワット、ボロブドゥールと並ぶ三大仏教遺跡。遺跡というと多額の入場料をとるところが多いけれど、ここは最初に10ドル払えば何日でもいていいことになっている。こういうところも中国のようにガツガツしていなくてミャンマーらしくていいよね。

この日は一番の見所のShwe-san-daw Payaを明日以降にとっておいて、宿の兄ちゃんおすすめのBulediに向かう。自転車で未舗装の道をこいでいき、サンダルを脱いでパゴダに登る。すると、ちょうどこの日は雲がかかって西の空がきれいな赤色に染まり、パゴダを背景にはっとするような夕暮れになった。明日以降も素敵な旅になりますように。

Written by shunsuke

2010年10月12日 at 7:33 午前

カテゴリー: 2010/09 Myanmar

DAY1: ヤンゴンの街と怪しい両替商

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中秋節の三連休に週末をくっつけて五連休にしてミャンマーへ行ってきた。地図で見ると雲南省のすぐ横はもうミャンマー。南寧にもミャンマー領事館があったり、南寧からマンダレー行きの直行便があったりと日本からは遠いイメージのあるミャンマーも南寧からだとすぐお隣さん。

9月21日に仕事をさっさと終わらせて夜行列車に乗り、昆明を目指す。南寧からも直行便があるのだけれど週二便しかないので今回は昆明から行くことにした。昆明に来るのは仕事も含めて今年で三回目。10年前に留学していたこの街もすっかり今では大都会で、来年には地下鉄も開通するらしい。国際線乗り場の案内を見ていたら、ダッカ行きやドバイ行きまで出ていた。すごいや昆明。

ヤンゴンへは昆明から2時間のフライトで定刻どおりに到着。この日は翌朝のバガンへのフライトに合わせてヤンゴンで一泊する。北京から来る友人と飛行機を合わせたためにヤンゴンinにしたのだけれど、ミャンマー政府が今年5月から始めたアライバルビザの発給を9月1日から急遽中止したため、北京の友人が来られなくなってしまった。ほんと残念。

ヤンゴンでは予め迎えをお願いしておいた”Beauty land Hotel”のスタッフの車に乗り、ヤンゴン市内へと向かう。ここミャンマーは旧イギリス植民地。だから車はほとんどが右ハンドルの日本車の中古車で「●●ホテル」とか、日本で使っていた宣伝がそのまま残っている車も多い。だけどよく見てみると、なぜか車道は右側通行。コモンウェルスは全部左側通行かと思ったらそうじゃないのね。それにしても右側通行の右ハンドルは珍しい。

車は30分ほどでダウンタウンにあるホテルに到着。ヤンゴンにはこの日しかいないので、すぐに近くにある名物マーケット、ボージョー・アウンサンマーケットに向かう。するとすぐに「チェンジマネー?」と声をかけられ、1$=950チャットと話に聞いていたとおりだったので、彼についていくことに。

彼の名前はナイナイ。まだ幼い子どもと奥さんを支えるためにこのマーケットで両替商をしたりしているとのこと。そんな身の上話を5分くらい聞かされた後、「ニホンジンデスカ?」と突然彼の英語が日本語に切り替わった。なーんだ、日本語のほうが英語よりよっぽどうまいじゃん。とても独学で学んだとは思えないきれいな発音、うちの会社の陳君に見習わせたい。それより、そんなに日本人に見えなかったんですか、僕。

ナイナイは先祖がインドからやってきたとのことで、インド人に近い顔立ち。その一方、マーケットでルンジーを買ったお店の女の子は中華的な顔立ち。ミャンマー人と言っても、他民族国家の上、タイやバングラデシュ、インドからいろいろな血が混ざっていて、道行く人たちの顔立ちもばらばらだ。

※ナイナイ君ご本人より指摘をいただき訂正(2013年4月29日)、ナイナイ君間違っていてごめんなさい。

夜はマーケットで出会った怪しいナイナイと路上で話ながらスーレーパヤーを眺めながらミャンマー料理を食べて過ごす。「シュンサンゴメンナサイ。カンペキチュウゴクジンカトオモウタ」と関西弁で謝るナイナイ。

いいよナイナイ、料理もおいしいし、ゆったりしてるし。中国から来ると、仏教の文化が人々の心の中に流れているせいか、まだまだ経済的に発達していない影響か、とてもゆっくりとした時間が流れているように感じる。でもそのゆったりとした中にも、民族や言葉が入り混じって新しいエネルギーが生まれてくるのを感じる。初めてのヤンゴンはそんな絵に描いたような東南アジアの街だった。

Written by shunsuke

2010年10月12日 at 5:16 午前

カテゴリー: 2010/09 Myanmar

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