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ペルー&ボリビア旅行 Index

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ペルー&ボリビア旅行:2009年4月25日~5月7日
 
■地図
 
 
■旅程
4/25 NH6 東京(NRT)17:10 → LAX 11:10
        AA252 LAX 14:30 → マイアミ(MIA)22:15
    LA2511 マイアミ 23:55 → リマ(RIM)4:35(+1day)
4/26 LA19 リマ 7:40 → クスコ(CUZ)08:55 → マチュピチュ
4/27 マチュピチュ → オリャンタイタンボ
4/28 オリャンタイタンボ → クスコ
4/29 クスコ → プーノ
4/30 チチカカ湖観光
5/1 プーノ → ラパス →(車中泊)
5/2 → ウユニ
5/3 ウユニ →(車中泊)
5/4 → ラパス → ワイナポトシ登山
5/5 LA2566 ラパス(LPZ) 21:55 → リマ 22:50
5/6 LA600 リマ 1:05 → LAX 7:40
      NH05 LAX 12:55 → 東京 16:25(+1day)
 
■日記
 

Written by shunsuke

2009年5月26日 at 12:30 午前

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY12: インフルエンザ疑惑で救急車が迎えにきた

with 2 comments

ラパス-リマ-ロサンゼルスと来た時同様LANで帰路につく。行き同様LANはオンデマンドのワイドモニター。そして朝食もうまい。何より、細かなところのデザインセンスがいい。
 
 
ワイナ・ポトシ登山で疲れ果てていたので、せっかくのオンデマンドを見る気力もなく泥のように眠る。ただただ身体が休息を求めている。ああ、冬眠するってこんな感じなのかな。クマの気持ちがちょっと分かった気がした。 
 
行きと一番大きく違ったのは、ラパスとリマの空港で新型インフル対策でみんなマスクをしていたこと。マスク、プーノやラパスであれだけ探しても売っていなかったのに。リマでは検疫もやっていた。
 
 
それとは対照的にロサンゼルスはまったく警戒そぶりなし。空港に郵便局がなかったので、ぶらぶら出歩きカードを出しに行く。カリフォルニアも空が青いなあ。
 
 
ラパスを出て28時間後、無事に成田に到着。するとマスクにゴーグル完全防備の検疫官がドカドカと乗り込んできてサーモグラフィで温度を測り始めた。なんだか仕方のないことなのかもしれないけど、そこまで完全防備で来られるとすでにこっちが引いてしまう。
 
 
僕の二つ後ろの席の子どもが発熱していて、その子どもの簡易検査が終わるまで席を立てなくなってしまった。しかも子どもが陽性だったら周りに座っていた僕らも隔離されるらしい。
 
足止めをくらったのは15人くらいで、そのうち半分が北京や上海へ乗り継ぐ中国人だった。彼らの乗り継ぎ便の時間が刻一刻と迫っているが、CA、検疫官は日本語で説明するのみで乗り継ぎ便へのフォローがない。
 
緊急対応なので仕方のないことなのかもしれないけど、これだけ中国人の乗り継ぎ客が多いんだからせめてマンダリンしゃべれるスタッフ一人くらいは乗せようよ。それにしてもなんでこんなに英語もしゃべれないんだ?結局男の子は陰性で、30分後に無事解放された。
 
これでほっとしたのもつかの間。その夜、急に悪寒がやってきて早めに床につく。翌朝体温を計ってみると37.8℃。むむっ、殺人的なスケジュールで山登ったし、ロスで結構出歩いたし…これはまさか!と思い保健所に電話をする。
 
僕:すみません、昨日ロサンゼルス経由で帰国しまして、昨夜から体調悪くて今7度8分熱があるんですけど…
保健所:7度8分ですか…それはちょっと診てもらったほうがいいですね。家からは出てませんか?出てないですよね?一歩も出ないでくださいね。
僕:病院どこに行けばいいですかね?あと、おなかすいたんで何か食べに行きたいんですけど…
保健所:ダメです!外に出ないでください!冷蔵庫の中身でなんとかしてください!
僕:(昨日帰国したばかりなんだから冷蔵庫はカラに決まってるじゃん)あ、病院は…
保健所:病院ですね。ちょっと遠いんですけど車持ってますか?
僕:いや、持ってないので電車かバスで行きますよ。住所教えてください。
保健所:ダメです!電車なんてもってのほか!!車回しますんで家で待っていてください。いいですね、家出ちゃダメですよ!
 
と、こんな感じですっかり警戒モード。1時間後、なんと保健所が手配した救急車が家に音も立てずにやってきた。もちろんドライバーはマスクにゴーグルフル装備。人生二回目の救急車だったけど、なんか変な感じ。
 
15分くらいで病院に感染症指定の到着。車はマスクをした病院職員に導かれ別棟に向かう。救急車を降りると10人くらいの医師と看護師に付き添われ診察室へ。今度はマスク、ゴーグルだけでなく手袋も装備。うーむ、これは大ごとになっているぞ。
 
建物の中に入ると、さらにナースステーションに20人くらいの看護師がいて、経緯を見守っていた。まるで見世物のようでちょっと複雑。タンと鼻水から簡易検査をしたら15分くらいであっさりと陰性判定が出た。
 
どうやらこの病院では、僕が疑いのある患者第一号だったらしく、みな予行演習を見に来ていたようだった。見せものだったのはそういうことか。新型インフルは陰性だったけど検疫法で追跡調査が義務となっているらしく、毎日昼に保健所のお姉さんに体温と身体の調子を報告しなくてはいけなかった。
 
「千葉市の30歳会社員、日本で感染者第一号!」みたいにならなくてよかった。H1N1に対する日本の反応っぷりはちょっと行き過ぎな気もするけれど、僕は人一倍身体が弱いのでいつも以上に手洗いうがいを心がけよう。

Written by shunsuke

2009年5月21日 at 9:31 午後

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY11: 標高6,000mで見上げた空は限りなく青かった

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夜中12時半、ガイドのフランシスに起こされ寝袋を出る。結局標高5,000mちょっとのロックキャンプでまったく寝つけなかった。横になった頃から痛くなった頭のズキズキは一向によくなる気配はない。重たい頭を抱えなんとか用意した朝食を口に運ぶ。
 
周りを見てもどの登山客も体が重そうだ。昨夜床に入ってからというもの、寝返りをうつ音やガサゴソと荷物を探る音が絶えることはなかった。みななかなか寝つけなかったんだろう。
 
朝食を流しこんだら装備を身につける。ゴアテックスを着込み、ザイルを結んでフランシスと身体をつなぐ。そしてクランポン(アイゼン)をつけ、ピッケルを手に取りいざ雪の斜面の前に立つ。
 
午前1時30分ロックキャンプを出発。気温はマイナス12度、風はそれほどないけれどじっとしていると身体の先のほうがすぐに冷えてくる。この時点ですでに写真を撮る余裕なんてない。山側に差したピッケルを支えにして、雪の上にギザギザのクランポンを突きさすように足をすすめていく。月明かりが雪面に反射しているので、ヘッドライトの明かりで十分登攀が可能な明るさだ。
 
高山病と思しき頭痛のせいか、単に心肺機能のトレーニング不足か、呼吸は昨日よりもさらにひどい。三歩進んだだけでもうまともに息ができない。急な登りでは二歩進んでは呼吸を整え、なんとか自分のペースをつかもうと手探りで足を進めていく。
 
1時間ほど経った時時計で高度を確認するが、まだ150mしか高度を稼いでいないことに愕然とする。ってことは頂上まで6時間ペース、最低でも200mは登ったと思っていたのに。まったく距離と高度の感覚がわからない。これが5,000mオーバーの世界か。
 
旅行の最終日、ゆっくり買い物でもしていればよかったのに何でこんなつらいことやっているんだろう?早めにギブアップして山小屋に戻っちゃえ。頭の中を何度もそんな思いが交錯するが、そこはドMの意地。中途半端なことが多い自分に決別するためにも、ここは最後まで登りぬきたい。そんな意地を抱え、ただただフランシスのあとを追って足を先に進める。ほんとバカだよ。
 
もう何時間経ったんだろう?頭の痛みは気にならなくなってきたが、次第に頭がボーっとして自分がどこにいるのか何をしているのかがわからなくなってきた。左足のレンタルブーツの状態がよくないらしく、さっきから濡れてきて感覚がなくなってきている。足だけじゃない。手袋で覆っているはずの手もあまり感覚がない。
 
思えば昨夜はウユニからのバス移動、その前も移動の連続、そしてロックキャンプでも寝付けなかった僕の身体はかなりよくないコンディションのはず。5,500mを過ぎてからは症状はさらにひどくなり2回ほど気を失いかけた。二週間後に振り返っている今でも、生き地獄のようなあの苦しみがこみ上げてくる。
 
ちなみにフランシスは超スパルタガイド。僕が身体の不調を訴えても「立ち止まったら凍え死ぬ、前に進む以外に選択肢はない」とバッサリ。Go or dieって。ロックキャンプに戻るという選択肢も暗いなかの下りは確かに危険。進むしかないのか…
 
6時を過ぎたころ、東の空が明るくなりはじめてきた。真っ暗だった世界が次第に光を取り戻してくる。ようやく僕も写真を撮るということを思い出した。ここで高度は5,800m。
 
  
実はこの日のうちにラパスから帰国予定のため、登山に費やせる時間はそれほど多くない。ラパスへの帰りの車の時間もあり、日の出とともに下山を開始しなくてはいけないのだ。頂上まではあと200m、急がねば。
 
と頭では考えるものの、身体はまったく言うことを聞いてくれない。高度、疲労、年齢、運動不足。目指す頂上はあともう一息なのに、身体も肺も油が切れた機械のように錆びついてしまっている。結局頂上まであと高度100m地点、標高6,000mで日の出を迎えた。
 

 
ここまで来たからには意地でも頂上まで行きたかったけど、コンディションと時間を考え泣く泣くここで頂上を断念。下ってきた別のパーティを出迎えると無念さがこみ上げてきた。結局登山も中途半端じゃないか、悔しすぎる。
 
 
 
それにしても空は限りなく青い。明け方の気温はマイナス20度。きらきら光るダイヤモンドダストがまぶしかった。太陽の光は極寒の地を一気に暖かくしてくれる。高地に住んだインカの人たちが太陽を神と崇めた理由がよくわかる。
 
 
精魂尽き果てた図。限界です。
 
 
尾根を下っていく別の登山客。このあと右の斜面を下らなきゃいけないんだけど、メチャクチャ怖かった。だれだ簡単なトレッキングだよって言ったやつ(笑)
 
 
登山道のすぐ横にぽっかりと口をあけたクレバス。登りでは暗かったからよくわからなかったけど、少し踏み外したら…と思うとむしろ見えないほうが恐怖感がなくてよかった。
 
 
このあと9時過ぎに無事ロックキャンプに帰還し、15時にラパスに戻ったあとお土産を買い込んで20時の飛行機でボリビアをあとにする。それにしても、30年間の人生で精神的にも肉体的にも一番追い詰められた日だった気がする。だけど空の美しさと朝日の神々しさは、その苦痛を補って余りあるものだった。
 
登山時に濡れた左足の指3本が軽い凍傷になってしまって、現在まだちょっとしびれがある。ウユニですっかりクライマックスかと思いきや、南米旅行の最後にこんなのが待っているとは。
 
ドMのみなさん、わずか100ドルで6,000mのピークに登れてしまうボリビアたまりません(頂上行ってないけど)。神の存在を少し感じることができた気がします。なんか日常が物足りない、そう感じたら、ぜひ行ってみてください。

Written by shunsuke

2009年5月21日 at 2:01 午前

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY10: 6,000mの山に登ってみようじゃないか

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朝7時、ウユニからのバスはラパスのターミナルに到着。町の喧騒の中に帰ってくると、あの静けさの世界にいたことがまるで夢の中の出来事だったかのように感じてくる。
 
さて、ラパスからの帰り便の出発は明日の夜。ウユニを一泊二日にしたのでラパスで一日半ほど時間ができた。さて、何をしようか。
 
宿の前の道に何軒かあるエージェントをのぞいてみると、サイクリング、トレッキングの文字が目につく。やっぱりアウトドアが気になってしまう。とは言っても一日半しかないし、と思いつつダメモトで聞いてみると「今から出ればトレッキング間に合うよ、一泊二日で6,000mの山登るのに装備レンタルすべて含んで100ドルぽっきり」とのこと。
 
えー!6,000mの山に登るのに、移動も装備も食事も宿泊もガイドも全部込で100ドル、これは安い。話を聞くと4,700mくらいまで車で行って登るらしい。「素人でも簡単に登れるよ」その一言につられてトレッキング行きを決めてしまった。その残り1,300mがどれだけ辛いかをイメージできずに。
 
そうと決まれば話は早い。持ってる装備を確認し、レンタル装備のサイズを測りにいく。ここで登場したのがクランポン。おおー確かに6,000mだったら雪あるもんな、人生二回目のクランポンだよ。
 
11時、装備がそろいガイドと一緒に出発。ガイドは(ボリビア人なのになぜか)フランシス、22歳。僕とフランシスを乗せた車はラパス市内を離れ、ぐんぐんと高度を上げていく。
 
 
見晴らしポイントを過ぎると次第に荒涼とした土地になってきて、丘を越えた瞬間きれいなピークの雪山が目の前に広がった。そう、これが今から登る山Huayna Potosi(ワイナ・ポトシ)海抜6,088m。いざ目の前にするとちょっとビビる。ってか、トレッキングじゃなくて雪山登山じゃないですか。
 
 
この世のものとは思えないきれいな景色を眺めながら、車はさらに高度をあげて登山口へと向かう。
 
 
ラパスを出て一時間半ほどで登山口に到着。ここですでに高度4,700mほど。むむ、われわれは今④の場所にいて、今日は③のRock Campまで登り、明日①の頂上に向かうのか。昼ごはんをすませ、いよいよ登山開始。
 
 
今日のベースキャンプからロックキャンプまでの道のりは普通のトレッキング。まるでフンザみたいな谷を横に眺めながらフランシスのあとを追う。
 
 
僕は自分の装備、水を持っているだけなんだけど、フランシスはそれ以外に僕の分のピッケルとクランポン、そして晩ごはんも持っている。それでも彼の歩くスピードについていくだけで息が切れる。これが5,000mか。
 
 
途中、左手に氷河を望む。フランシス曰く、10年前は湖になっているところまで氷河だったんだけど、ここ数年溶けてきてどんどん短くなっているとか。フンザのウルタル氷河の時も同じこと言ってたなあ。
 
 
最初はなだらかだった上りも、次第に岩が多くなってきた。このくらいの上りになると、少し登っただけで息があがる。で、違うのはもう少し標高が低ければある程度リズミカルに呼吸をしていけばなんとかなるんだけど、ここではなんともならない。すぐ酸欠状態に。
 
 
ちょっぴり休憩。ヒイヒイ言っている僕を尻目にフランシスは余裕の表情。お願いだから肺を取り換えてくれ…
 
 
結局、普通の岩場の道を1時間40分もかけてロックキャンプに到着。標高5,130m。400mほど登るのに1時間40分か。この先が思いやられる。
 
 
ロックキャンプの中のラウンジで温かいコカ茶を飲み、ほっと一息つく。結局今日は最後まで自分の登るペースがつかめないままだった。ラウンジは二階建てになっていて、一階はラウンジで二階が寝るスペース。
 
 
ロックキャンプから上を見上げると、二泊三日で来ているパーティがクランポンとピッケルを使って斜面登攀の練習をしていた。↓の写真のノミみたいな小さな黒いのが人です。明日は富士山みたく明け方1時位に起きて、雪山装備でここを登ることになる。うーん、大丈夫かなあ。自分のペースがつかめればいいけど。
 
 
この日ロックキャンプに来ていたのは登山客15人、ガイド8人くらい。隣の調理テントをのぞくと、みなの分の料理をつくっていた。みな山男だ。
 
 
この日は翌朝の登攀に備えて19時過ぎに床につく。標高も5,000mを超えると横になって眼をつぶってもなかなか寝付けず、次第にズキズキ頭も痛くなってきた。明日の登り900m、果たしてどうなることやら。

Written by shunsuke

2009年5月18日 at 11:27 午後

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY9: 塩湖の下には水があった

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朝4時、月がいなくなるのを見計らって戸外へ出る。気温はマイナス5℃くらいか。思ったより寒くない。そして頭上は思ったとおりの星空、もはや星がない場所を探すのが難しいくらい星だらけ。流れ星もあちらこちらで流れている。三脚がないながらもがんばって18mmレンズで写真を撮ってみるが、あの星空の感動が伝わらないのがもどかしい。
 
そのあと二度寝をしたらサンライズは寝過ごして、9時に再び起床。あっという間に塩のホテル滞在も時間が過ぎ、まもなくこの愛すべき場所ともお別れ。名残惜しいなあ。
 
 
宿のおばちゃん。一見愛想が悪いんだけど、話し出すと止まらなかった。今年で50歳、水も電気もない(発電機はある)この場所で毎日行き交う人々を迎えながら何を考えているんだろう?そんなことを聞いたらNadaとあっさり一言。
 
 
おばちゃんに教えてもらった方向に歩いて行くと、塩湖に穴が開いていた。わかさぎでも釣れそうな穴。へえ~この一面に広がっている塩の下には水があるのか。おばちゃんによると水の深さは浅いところで7-8mだとか。普通にランクル走っているけど、結構怖いかも。手を突っ込むと水が冷たい。塩の結晶をすくい上げてお土産にする。
 
 
そうこうしているうちに迎えの車がやってきた。おばちゃんと別れ、5月にも水が残っているという場所へ向かう。途中、ピクーニャが横をすぎ去って行った。まるで雪原を走るカモシカのよう。
 
 
1時間ほどかけて塩湖を横切り、もう一つの塩のホテルに到着。周りには若干水が残っていて、雨季のようすをなんとなくイメージできた。あくまで、なんとなくだけど。
 
 
ここでランクルにアルゼンチンから来たルベン、フレンチのニコラス、インドの女子大生ミティカが合流。人種も言語もいよいよカオスへ。噂には聞いていたけどアルゼンチンのスペイン語は何言っているかわからない。
 
ルべンとニコラスはともにボリビアで働いていて、ただいま休暇中。ルベンはラパスで長くビジネスを、フランスの大学院で太陽光発電を研究しているニコラスはサンタクルスで専門分野でインターンをしているらしい。確かにこれだけ強烈な日差しだったらビジネスチャンスはたくさんありそうだ。ミティカは3か月ほどの卒業旅行、うらやましい。
 
そんなことをとりとめもなく話しながら昼ごはんを食べ、魚の島(Isla de pescado)へ向かう。ここには岩の上に一面サボテンが生えていて、白い塩湖とのコントラストが美しい。道しるべやごみ箱も死んだサボテンでつくられていた。
 
 
 
1時間半ほど島でのんびりしてウユニの街への帰路につく。行きのランクルメンバーも塩のホテルメンバーも、帰りのランクルメンバーもみな楽しい人たちばかりだった。ウユニ、楽しかったなあ。三日ぶりのシャワーを浴びてトモとケンとビールで乾杯し、再び夜行バスでラパスに戻る。 

Written by shunsuke

2009年5月17日 at 9:40 午後

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY8: 遠近感のない世界でキックオフ!

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朝6時半、ウユニに到着。出発した頃はたいして寒くないなという感じだったんだけど、夜半過ぎから冷え始めて明け方には窓が全部凍っていた。このへんは南緯20度前後、平地だったら熱帯雨林が広がっていてもおかしくないはずだけど、高度4,000mって恐ろしい。一緒のバスだった男の子もウユニで待っていたおばあちゃんとご対面。
 
 
ウユニの街はとてもこじんまりとしていて、塩湖観光と塩産業のためにあるようなイメージ。塩湖ツアーを扱っているエージェントもいっぱいあり、話を聞く。もともと二泊三日のツアーでチリ国境近くまで行こうとしていたんだけど、そうするとかなりハードな移動の連続になるため、一泊二日の塩湖の真ん中にある塩のホテルに泊まるツアーに決定。
 
朝食をゆっくり食べ、10時過ぎにランクルで出発。乗り込んだランクルは、イスラエリー3人、アイリッシュ2人、フレンチ1人の多国籍カー。まず向かった先は昔使っていた鉄道の廃墟。ドライバー兼ガイドによると、19世紀から使われていて、このあたりの鉱石をチリまで運んでいたとのこと。
 
 
アインシュタインの万有引力、重力場を記述する場の方程式が書かれている車両もあった。この式の意味は、重力の正体は時空の歪み。こーんな大地の果てのようなところにいると、そんなスケールの大きなことを考えたくなる気持ちもわかる。落書きはダメ!っていう考えもあるけれど、こういうスパイスの利いた落書きはアリかも。
 
 
次に向かったのは塩の精製工場。ここはさらっと流して進んでいくと次第に茶色かった大地が白っぽくなってきた。いよいよ塩湖か?と思っていたら、何の前触れもなく真っ白の世界に突入。ワオ!と歓声があがり、まずは車を止めてランクルメンバーで記念撮影。ちなみに塩湖の広さは100km×100kmほど、それだけの面積に塩が広がってるってすごい。
 
 
白いとはわかっていたものの、予想を超えるすごさ、白さに思わずはしゃぎまくるメンバー。とりあえず飛んでみるイスラエリーのAmid。軍隊仕込みのジャンプは違うぜ。
 
 
20分ほどはしゃいだ後、次の目的地塩のホテル(Playa de Blanca)へ向かう。僕以外のランクルメンバーは一日のツアーなので、ここでお別れ。今度は、ラパスからのバスでも一緒だった日本人のトモとケンと合流。
 
一泊二日のツアーは塩のホテルで降りた後、翌日昼まで一日滞在することになる。時間もたっぷりあるということで、早速トモとケンと一緒に撮影大会。まずはつぶしてみました。
 
 
次はつぶされてみました。
 
 
今度は踏んづけられてみました(ちょっとわかりづらい)。
 
 
塩のホテルから少し歩き、離れてみると真っ白い地面と青い空、そして風の音以外に何も存在しない。 "無"という言葉がぴったりくる世界だった。360度塩しか存在しない素晴らしき空間。
 
 
地面に描かれた塩の模様には一つとして同じものがなくて、見事だった。まさに自然の芸術。水が張る雨季にはどんな姿になるのか、想像できないなあ。
 
 
夕暮れ時、宿に戻るとボリビア人の家族連れが遊びにきていた。で、よく見ると子どもがサッカーボールを持っている!ということで、サッカー好きのトモとケンと一緒に日本対ボリビアの3対3でキックオフ!
 
 
サッカーが始まったものの、ここは標高3,700m。走った後なかなか頭に酸素が回らない。ハアハアゼイゼイ言いながらもなんとかボールをもらうが、今度は息がすぐには戻らず体がイメージ通り動かない。結局ボリビアチームの勝利でサッカー終了。血管切れるかと思った。そりゃ、ワールドカップの南米予選でもラパスで試合したらみんな負けるわ。
 
 
夜はローソクの明かりでごはんをいただき、星を眺める。三脚をウユニの街に置いてきてしまったことが悔やんでも悔やみきれないけど、明かりが何もない塩湖の中で眺めた夜空は言葉にならない美しさだった。
 

Written by shunsuke

2009年5月17日 at 6:38 午後

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY7: 朝から晩までひたすらウユニを目指す

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朝6時、窓から差し込む陽の光で目が覚める。ここプーノはクスコやマチュピチュと違って目の前にチチカカ湖が開けているので朝日がまぶしい。
 
7時30分、今日も時間どおりに迎えにきたエージェントの車に乗り、ラパス行きのツーリストバスが待つターミナルに向かう。ツーリストの多い路線はこうしてツーリストバスが整備されているのはすごいなあ。僕のように時間がない旅行者にはありがたいけど、その反面、ローカルがいなくてツーリストだらけのバスは面白みにかけるのもまた事実。
 
バスは8時過ぎにプーノを出発して、チチカカ湖沿いの道をボリビアとの国境を目指す。二時間ほどで国境に到着。ボリビアへの陸路入国にはイエローカードが必須、とあったけど特に何も言われなかった。こんな高地で黄熱病にかかるわけもなく、おそらくアマゾン地域にあるブラジルとの国境だけなんだと思う。
 
国境から30分ほどでコパカバーナに到着。なんだかこれまでのペルーの街と違い陽気な感じ。石畳の道に黄色やオレンジの壁、そして青い空と海がまるで地中海みたい。(海じゃなくて湖だけど)ちょっとベイルートの街を思い出した。
 
 
ここからインカの初代皇帝マンコ・カパックが降り立ったという太陽の島(Isla del sol)へ行けるんだけど、プーノでラパスまでの通しのバスを買ってしまっているので一時間半のみの滞在。
 
あとから他の旅行者に太陽の島よかったよーと聞かされてちょっぴり残念。昼ごはんはやっぱりこれ、トルッチャ。もう何度も食べたけど何度食べてもおいしい。支笏湖のチップ(サクラマス)を思い出すなあ。
 
 
昼ごはんを食べて出発まで街をぶらつくと、教会の白壁がとてもまぶしかった。
 
 
12時半くらいに別のバスに乗り換え、一路ラパスへ。途中チチカカ湖をバスごと船に乗ってわたる。他の国でもバスごと船に乗るっていうのは経験あるけれど、こんな小さな船にバスを乗せるのは初めて。大丈夫か?
 
 
小舟で渡るバスを尻目に、乗客はモーターボートで一足先に対岸へ。バスを待つ間、地元のおっちゃんと話す。「このへんのチチカカ湖はペルー側とちがってきれいだろ?このへんはチチカカの"チチ"で、ペルー側がチチカカの"カカ"なんだぜ」だって。
 
ちなみにスペイン語で"KAKA"は"う●こ"の意味。なんかこの話、昨日のツアーで一緒だったカルメンからも聞いたな…ペルー人のカルメンの場合はボリビア側が"カカ"だったけど。歴史、言語、宗教は違えどどこの国でも隣国の悪口は盛り上がる。 
 
 
ラパスには17時過ぎに到着。街の入り口でインダストリアルなチェ・ゲバラがお出迎え。このボディ、気になるなあ。彼が没した地だけあって、ゲリラ戦士の印象が強いのだろうか。
 
 
ラパスの中心地でバスを降り、すぐさまエージェントに駆け込み今日夜発のウユニ行きバスを予約する。ちょうど20時発のバスがとれたのでタクシーでターミナルへ向かう。旅の一番の難所だったウユニ行きバスへの乗り継ぎが無事終わり、ほっと一息つく。
 
一足先にウユニへ行っていたジョーが「ウユニ行きのバス、寒くて死ぬかと思った」なんてことを言っていたので、ゴアテックスにネックウォーマーもフル装備で乗り込む。スリ多発!という割には緊迫感もなく、バスのサスペンションがきいていたこともありフンザへの道に比べたら噂ほどのひどい悪路でもなかった。
 
明日の朝にはウユニ、旅はいよいよクライマックス!

Written by shunsuke

2009年5月17日 at 4:18 午後

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY6: 青と青とのはざまでスピッツを歌う

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今朝もシャキッと目を覚ます。今日は丸一日ウロス島とタキーレ島をめぐるチチカカ湖ツアー。7時30分に宿の下に降りていくと、時間どおりにエージェントが迎えにきた。バスの時間といい、ペルーは時間にきっちりしているなあ。
 
10分くらいでチチカカ湖に面した港に着き、30人乗りのクルーザーに乗り込む。クルーザーと言っても自転車並みの速度に身を預けながらガイドの話を聞いていると30分ほどで最初の目的地ウロス島に到着。
 
 
ここはチチカカ湖に浮かぶ浮き島で、トトラと呼ばれるアシで何十もの島がつくられ、2,000人ほどが暮らしているという。世界ふしぎ発見とかでもおなじみの場所だから、もっとツーリストすれしているのかなあと思いきや、到着時に歓迎の踊り、島を離れる時には別れの歌があったりとツーリスティックではあるけど、心のこもったもてなしをうけた。
 
 
トトラの地面は結構フカフカだった。ガイドによるとこういう塊をつなぎ合わせて土台をつくり、上にフレッシュなトトラを敷く。そして、杭で固定して流されないようにしているらしい。浮き島なんてただ浮いているだけじゃん。と、結構バカにしていたんだけど、いざ上陸してみるとかなりはしゃいだ。すごいぜ浮き島。
 
 
島の生活はさぞかし不便かと思いきや、魚も鳥もとれる上ソーラーパネルで発電して電気製品もそろっている。「フジモリの時代にこの辺の整備が進んだんだ。彼は私たちの生活向上に力を入れてくれた。だからみんなフジモリのことは大好きだったんだよ」こんな言葉が印象的だった。もちろん家もトトラ製。
 
 
 
ウロス島では二つの島を訪れ、計一時間ほど滞在。島から島への移動の間、10ソル払ってトトラでつくられた船に乗り込む。トトラの船はふかふかの島とちがってしっかりつくられていて20人くらい乗ってもびくともしなかった。
 
 
クルーザーに戻り、青い空と青い湖面の間を縫って、次の目的地タキーレ島に向かう。タキーレ島までの2時間ちょっとの間、ペルー人のカルメンと仲良くなった。カルメンは53歳。日系人の男性と結婚して20年以上日本で働いているんだけど、娘の新婚旅行に一緒に来て娘とその旦那と3人でぺルー旅行中。親娘で新婚旅行ってすごい!
 
お昼はタキーレ島でチチカカ湖でとれるマスのトルッチャをいただく。土の鍋で出てきた野菜のスープがおいしい。標高が高いから、ガスの火力が弱いうえ沸点が低いから煮物がおいしく感じる。伝統舞踊までついてきて、ペルーのオーガナイズぶりに改めてびっくり。
 
 
タキーレ島は段々畑が続くのどかな島。この日は年に一回のお祭りの日でとりわけ島民がみな祭りへ繰り出して、祭り会場以外はとても静かだった。衣装に着替えそそくさと祭り会場へ向かう男たち。
 
 
ゆっくり街を半周ほど歩いて、再びクルーザーに乗って帰路につく。空もチチカカ湖も青いなあ。
 
 
帰りの船の上で、ギターを見つけカルメンの娘夫婦に「乾杯」を歌う。いやあ、全然コード覚えてないや。こういう時のためにたまには練習しておかないと。
 
二時間かけて宿に戻り、シャワーを浴びてタオルを腰に巻いた姿で歩いていたら、LAからマイアミまでの飛行機の中で隣に座っていたジョーがぬっと現れた。プーノで会おう!とは言っていたものの、本当に会えるとは。ちょうどボリビアinで来た他のツーリストも交えてご飯を食べにいく。ここで天竺ネズミのクイを完食。
 

 
確かに見た目は結構生々しいけど、肉は柔らかくておいしかった。たとえるならば、うさぎの肉を柔らかくした感じかなあ。帰りにプーノのセントロでギター青年に出会い聞いていると「弾いてみる?」なーんて一言。唯一覚えていたスピッツのチェリーを弾き、白線流し世代の男三人で歌う。みんな歌詞を覚えていなくてばらばらだったけど外で富士山より高い夜空の下で歌うのは気持ちよかった。ペルー最後の夜にすっきりして、明日は国境越えです。

Written by shunsuke

2009年5月15日 at 11:26 午後

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY5: インカエクスプレスでチチカカ湖へ

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今日も窓から差し込む朝の光で快適に起床。旅に来ると目覚めはよくなるけど、今回はいつも以上によかった。というよりも夜中2時くらいに目が覚めていたりした。標高高くて空気が薄かったせいかな?
 
ゆっくり朝ごはんを食べバスターミナルに着くと、コカの葉でいれたコカ茶(Ma te de coca)が鍋でぐつぐつ煮込まれていた。いい香りに誘われ一杯いただく。ちょうどいい甘さの砂糖が入って一杯0.5sol(25円)。寒いクスコの朝にはこの温かさと甘さがちょうどいい。
 
 
売り子のおばちゃんもこの笑顔。毎日6時からバスターミナルで売っているんだって。
 
 
ラパス発プーノ行き観光バス"INKA EXPRESS"は、350キロちょっとの道を途中の見どころに寄りながら進む。客は外国人ツーリストだけで面白くはないけど、見どころを効率よく回れるので時間がない僕にはありがたい。ガイドによる案内のほか、CAによるコーヒーサービスもあってびっくり!
 
 
道中はマチュピチュにも流れているウルバンバ川を上流に向けて進む。道中は教会、遺跡、土産物屋に立ち寄った後、ランチをはさんで4,300mの峠を越え博物館に寄ってプーノへ向かう。
 
最初に立ち寄った教会。ペルーに残る16の重要な教会のひとつで、土着信仰の太陽とイエスを崇拝対象として合体させた礼拝堂が印象的だった。ガイドの話によると、スペイン人による制圧の際、住民の抵抗が激しかったところに支配のツールとして土着信仰と併せた形でカトリックの布教を進めて、このスタイルの教会が建てられていったという。
 
この話を聞いて、初日にPisacの村で聞いたケチュア語の礼拝と賛美歌を思い出した。スペイン語が国の言葉となり、カトリックが国をひとつにしている現状。中米と同じでやっぱりどこか物悲しい。スペインの罪は重い。当時の植民地支配なんてどこも同じようなものか。それだけ人としてみなしていなかったんだろう。
 
次の遺跡はあまりインパクトがなかったけど、次の土産物屋にいた動物たちはかわいかった。こちらはたぶんリャマ(最後は食用)。
 
 
こちらは天竺ネズミのクイ。キョトンとした顔がかわいい。が、こちらも食用。のちにプーノでおいしくいただくことに…合掌。
 
 
40ドルのバス料金には昼ごはんも含まれていて、途中バイキングスタイルのランチタイム。オージーとフィリピーナの夫婦と仲良くなり、4,000mにユーカリが生えているなんてクレイジーってな会話で盛り上がる。ここのごはんが結構おいしかった。

 
満腹になってうつらうつらしている乗客たちを尻目に、バスは次第に標高を上げ、4,300mの峠に向けて進んでいく。さすがに峠近くの景色は素晴らしい。だいぶ空が青くなってきたぞ。標高とテンションは正比例。
 
 
このあと博物館に寄って、17時前にプーノ着。宿について翌日のチチカカ湖ツアーと二日後のラパスまでのバスを予約して、たまっていた洗濯をする。ふう、ようやく旅らしくなってきた。

Written by shunsuke

2009年5月15日 at 7:58 午後

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia

DAY4: インカの石積みにしばし見とれる

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久し振りにぐっすりと8時まで寝て、目を覚ます。この日はまずオリャンタイタンボの遺跡観光。昨日とはうって違って朝から快晴の空の下、24歳のミュゲルのガイドで石段が積まれた遺跡を歩く。となり村に住む彼女との結婚資金を稼ぐため身振り手振りを交えガイドに勢を出すが、いかんせん英語がかなりイマイチ。スペイン語のほうがよっぽど伝わる。がんばれ、ミュゲル!
 
 
クスコとマチュピチュの間にあるオリャンタイタンボの遺跡は、どちらとも違って通り過ぎる人が多くて人が少なかった。遺跡の上からこんな絶景を眺めながらのんびりする。人がうじゃうじゃいたマチュピチュよりも気持ちがいい。平和だなあ。
 
 
一時間半ほど遺跡をぶらついて、乗り合いタクシーのコレクティーボでクスコへと戻る。クスコの空港からの谷を通る道とは違う4,000mちょっとの峠を通る道で、青い空の下カラフルな畑にユーカリの木が並ぶ風景が続く。まるで北海道の美瑛の風景に空を一段青くした感じ。
 
 
車は80キロ超で飛ばして2時間足らずでクスコに到着。宿に着くとちょっと疲れが出たみたいで、明日のプーノ行きツーリストバスを40ドルで予約して少し休む。宿でカフェラテ(Cafe con leche)を出してくれたんだけど、これがおいしかった。
 
少し休んで街へ出ると、もうすでに夕方になっていた。街のセントロの広場へ行くと、ツーリストガイド協会のデモをやっているらしく、すごい人でにぎわっていた。
 
 
口ひげがスペイン人を現わしているという、伝統的な仮面をかぶった人も登場。青空と教会をバックに、絵になるなあ。
 
 
広場はみなの憩いの場。
 

 
この後、ミイラが展示されている博物館に寄るとすっかり日が暮れていた。街の真ん中にある地元民御用達のお店でごはんを食べ、インカ時代の石積みが残る通りに急ぐ。「剃刀の刃すら入らない」と言われているが、大きさのちがうふぞろいな石がみごとなまでにぴったりとはまっている。で、これが500年経ってもいまだに街の真ん中に残っていて建物の土台になっているのがすごい。しばしぼーっと見とれる。
 
 
この石積み以外にもクスコの町は観光客がひしめく表通りだけでなくて裏通りも建物の色、外観が統一されていた。夜になると石畳に街頭の灯りが反射して、とても情緒がある。ちょうど月が正面にのぼってきた。この明かりの色もいいなあ。
 
 
明日はちょっと早めに起きて一路チチカカ湖のほとりの街プーノへ向かう。

Written by shunsuke

2009年5月11日 at 10:27 午後

カテゴリー: 2009/04 Peru, Bolivia