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Archive for 1月 2007

スワニーのウォーキングバッグ

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先日、スーツケースを買った。スワニーのウォーキングバッグ

“小児麻痺の後遺症に悩むわたしは、地球を百週しながら「カバンを軽くしたい」と思いつづけ、ついに もたれて歩けるバッグを完成させました”

名駅のハンズで見かけたこの社長のメッセージに一目ぼれ。等身大の社長がウォーキングバッグにもたれかかってニカッって笑っているんだもん。思わず買ってしまった。

これ、すごくいい!まず、取っ手が中央に曲がっているため、杖代わりになる。なんと80kgまで支えられるらしい。そして、軽い。押して歩けるから人ごみでも、改札口でもスムーズに歩いていける。

こんな風に、自分が苦しんできたことがヒントになって、考え続けたこと、思い続けてきたことが形になるって、仕事冥利につきるだろうな。スーツケースやかばんを買い換えようかなと迷っている人は、ぜひお試しあれ。

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Written by shunsuke

2007年1月31日 at 12:35 AM

嫌われ松子の一生

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嫌われ松子の一生をDVDで見た。

ストーリーとして映画で描くには重い、あまりに辛い話を、ミュージカル仕立てにして松子を描いている。いや、そうでもないと物語として観るに耐えられなかったと思う。「この役を演じるために女優を続けていたのかもしれない」主演の中谷美紀はそう語っていたというが、彼女はその言葉に違わぬ迫力だった。

福岡に生まれたちょいと不器用な松子。中学教師になったが、泥棒事件をきっかけに松子の人生は転落をはじめ、ソープ嬢、ヒモ殺しと自分の思い通りにいかなくなっていく。自分が関わった男たちに裏切り続けられ、「なんで?」と嘆き続けた結果、晩年には人とのかかわりを避けるようになる。そして、旧友との再会をきっかけに自分の可能性にかけようとするが、その矢先に殺され松子の一生は終わる。

少し間違っていたら私も松子になっていたのかもしれない・・・些細な出来事がきっかけで人生なんて簡単に転落していく。観ている者にそんな感じを抱かせる。東電OL殺人事件と似たような気持ちを抱かせる作品だった。

ただ、救いなのは松子は他力本願で、相手に甘い夢を見てしまう生き方しかできなかったが、その一途さが相手を救ってもいたことだった。

「私にとって松子は神だった」最後の恋人であり、元教え子の龍は松子の死後そう語る。「殴られても殺されても一人ぼっちよりかはマシ」龍にそうこぼした松子はただ孤独を恐れていただけなのかもしれない。ただ不器用で計画性がないだけだったのかもしれない。だけど、彼にとって松子の愛は自分がどんなにひどいことをしても、それを包み込み愛してくれる、そんな存在だった。

「人間の価値ってさ、何をしてもらったかじゃないよね?何をしてあげたかってことだよね?」作中に出てくるこの言葉が印象的だった。一人の男性にそこまでの愛情を注ぎ込んだ不器用な松子の一生は、幸せだったのかもしれない。

人には帰るべき故郷が必要で、誰かの支えなしでは生きてはいけない。そして自分を支えてくれる人がいれば、人間どんな状況からでも這い上がることができる。きっとそういうことなんだろう。おススメの一作。

Written by shunsuke

2007年1月29日 at 3:04 AM

カテゴリー: エンターテイメント

greeting from Jerusalem

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昨日、家に戻ったらエルサレムからのポストカードが届いていた。

一月頭にイスラエルへ行った友人からの便り。特に感動するようなことが書いてあるわけでも、はっと目を見張るような写真だったわけでもない。それでも何千キロも彼方からこの手紙が届いたと思うと、それだけでうれしい。

鼻を近づけてみると、アラブ人街の路地から漂う羊の匂いがするかもしれない。耳を近づけると、祈りの時間を告げるアザーンや、嘆きの壁で集う正統派のユダヤの歌声が聞こえてくるかも知れない。一枚のカードを見つめそんな思いをはせるだけで、僕は気持ちが高ぶってくる。

マウスをクリックするだけで、世界中のどこへでもメッセージを送れる時代だ。そんな時代だからこそ、何千キロを旅してきたメッセージに思いをはせる喜びがあるのだと思う。僕自身も手紙を書くのが大好きだ。時代遅れなのかもしれないけど、大切なメッセージ、グリーティングは手紙で送りたい。

Written by shunsuke

2007年1月23日 at 1:11 AM

久々の東京一週間

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月曜から金曜まで英語集中研修、久々に一週間東京で過ごす。

朝8時半から夜8時半まで英語漬けの日程、最近なかなかこういう機会もなかったのでいい気分転換になった。テキサス生まれ、日本在住11年の面白いアメリカンに会う。コイツと一緒に旅をしたらさぞかし愉快だろうなあ、そんな風に感じさせる信念を持ったナイスガイだった。また5月に会えるのが楽しみだ。

そして二つ確認したこと。
①やっぱり異なるバックグラウンドを持っている人間と通じ合う瞬間は楽しい。神経が研ぎ澄まされるその一瞬がたまらない。より多くの人間と価値を共有できる、そんな仕組みを作り上げる仕事を早くしたい。

②英語と中国語は混ざらないけど、英語とスペイン語、スペイン語と中国語は混ざる。"Yes"と答えたつもりなのに"Si"と答えていたり、"What"と聞き返したつもりが"Que"と反応していた。スペイン語学習時は、英語は普通に出てきたが、中国語を話そうとするとスペイン語が出てきた。これは不思議だ。スペイン語を無理やり突っ込んでからかなり切り替えがヘタクソになった。今年29歳、テーマは頭の切り替えだ。

水曜夜、研修所を抜け出し大学の友人と会う。年も学年も違うが、こうして会って話すととめどなく話題が湧き出てくる。「比較軸を持てることが銀行の面白さなんだよ、ウヒャヒャヒャヒャ」彼のその言葉が印象的だった。

ミクロなものづくりの現場から一つずつ事実や結果を積み重ねていくメーカーの視点と、マクロな金融システムから比較軸を設定して論理を設定する銀行の視点、これはきっとtheory-buildingとtheory-testingの視点の違いみたいなものなんだろう。大学で研究したこと、思考の方法として意外と仕事につながっていってる。

木曜、シリアで出会った友人と有楽町の天ぷら屋で会う。彼とはトルコで出会って、シリアで再会。異文化の中に身をおいて初めて見える比較軸と、価値感の選択肢が増えていく喜び。そして、日本の将来のことについてとことん話す。

問題は経済格差が広がっていくことよりも、意識の格差・情報の格差が絶望的に拡大していくこと。そして、その情報と意識の格差が確実に経済格差に結びつく時代であること。「少しでも考えなきゃいけないことを伝えたいんだよね」一年目からこんなことを考え出して実現してしまうのがすごい。

金曜、男6人が新橋に集まり、大学院の友人の結婚を祝う。きりたんぽを食べ解散したあと、こっそり3人で後をつけ友人宅へ。僕は秋葉原で降りたフリをして隣の車両にのり、駒込で降りた友人を尾行する。15分の尾行の末、新居を突き止め三人で押しかける。プチ探偵はサイコーに楽しかった。アツシ、結婚おめでとう!

Written by shunsuke

2007年1月21日 at 11:21 PM

10年

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週末、学部時代の同期の呼びかけで「進路相談会」へ行く。

きっかけは、友人の一言。もう大学に入学してから10年、大学卒業してからみんなそれぞれいろんな道を歩んでいる。そろそろ僕らが考えてきたこと、経験してきたことを後の代に伝えるときなんじゃないか。 

当日、1-4年生の学生10人くらいと話す。10年前に僕が何を考えていて過ごしていたかを想像すると、自分が恥ずかしくなるくらい、考えて行動している学生ばっかりだった。自らの経験の積み重ねからしか、自分の将来を描くヒントは生まれない。それだけ、将来の自分を描くのに必死な学生ばかりだったように思える。

10年前の日本はまだ希望があった。出口の見えない不況と言われていたけれど、未来があった。今はどうだろう。人口が減り始めて、老人だけは増えていく。地方の財政は崩壊し、社会保障は崩れていく。わかっている人はきっとわかっているんだろう。ただがむしゃらに働いていれば報われるという世界が終わったことを。

Written by shunsuke

2007年1月21日 at 10:04 PM

冬の京都

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7日、起きたら外は本格的な雪模様。その中、一路冬の京都へ。

京都もちらちら雪が舞う寒い冬空、大学時代からの友人と一年ぶりに会い男二人で昼から日本酒で新年会。つまみには湯豆腐、串カツ、ブリの刺身、ふらりと入った店が意外とうまく昼の12時から普通にまわりのおばちゃんと一緒に4合ほどあける。

赤い顔して外へ出ると、雪はやみ暖かい陽光が差し込んでいた。身体も温まったところで、午後は大原へ。途中、比叡山を過ぎたあたりで、車窓には再び雪が舞い始める。大原は山里、京の町屋が並ぶ洛中の町並みとは違った趣深さがある。同じ京都だけど、まるで別の街みたいだ。

夜は、豆腐料理を「ひと色」で。京都の豆腐屋、服部豆腐店が開いている料理屋とのこと。湯豆腐、すくい湯葉と豆腐づくし。草津の豆腐もおいしいけれど、京都の豆腐もまたうまい。草津とくらべて味がすっきりしている。やはり水がちがうと味もかわってくるのだろう。写真はすくい湯葉。

宿は、ゲストハウス「胡乱座」へ。19世紀につくられた京町屋を改装した宿でイタリア、スペイン、韓国からの留学生たちとプチバックパッカー気分。週末だけで、旅気分に浸れる場所を見つけることができたのが一番うれしい。

翌日は東福寺と鞍馬に足を延ばす。東福寺は谷を利用した庭園と枯山水の庭が美しい。自然の造形美をそのまま庭という人間的な美としてしまう、きっと中国だったら沢を埋め立ててそこに仏像を並べただろう。自然の中に人間がいて、人間は自然とともにある。日本の自然観がなせる業なんだろうな。

東福寺から京阪に乗り出町柳で叡山電鉄に乗る替える。京阪に乗るたびに、そこらじゅうにいる「おけいはん」が気になってしかたない。これは関東人にはできないなあ。

鞍馬に向けてどんどん山を登っていくと両側には杉が植えられた山が迫る。大原への道も、鞍馬への道もそうだったけど、山は低いが険しく山々には手入れされた杉が目に付く。その中でも鞍馬の杉は見事だった。この山々が京都の水を支えているのだろう。鞍馬寺に着くと、今日は初寅ということで甘酒とお神酒が振舞われていた。一杯だけもらって帰る予定が、あれよあれよという間に5杯も注がれてしまった。まあ正月だからいいか。ほどよく酔っ払って、くらま温泉に浸かり名古屋へと戻る。

実は京都は中学三年の修学旅行以来13年ぶりだった。当時は京都の町並みの美しさ、東福寺や三千院の庭の奥ゆかしい美しさなんてまったくわかっていなかった。京都の街が、仏閣が美しいと感じられるようになったということは、少し大人になったのかな。今度は自転車を持ってゆっくり来たい。

Written by shunsuke

2007年1月8日 at 10:58 PM

カテゴリー: 旅行

チベット

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1月2日、NHKで「青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく~」を見た。昨年7月に青海省のゴルムドからラサまでの鉄道が開通してから、初めての外国メディアによる撮影だったという。

列車の出発何時間前から駅でたむろう人たち。座席指定なのに大量に持ち込んだ荷物の置き場を確保するため、改札に殺到する人たち。夜中なのに、周りのことには関せず大音量で音楽を流す人たち。これぞ、中国だ。そして、チベットの空はひたすら青く、山は見るものを圧倒させるほど美しい。

流れてくる音と映像すべてが自分の経験とシンクロしていて、懐かしくて涙が出てきた。

1998年、僕が初めて日本を出て訪れた国が中国だった。そして帰国予定の三週間後、僕はチベットで年を越していた。ヒマラヤの神々しい山々、人々の中に脈々と受け継がれている仏教中心の生活。ゾクゾクするような興奮と自分の世界が広がっていくワクワク感、いったいこの先にはどんな世界が広がっているのだろう。僕はすっかり旅の魅力にとりつかれ、その後はヒマラヤを越えネパールから帰国した。

僕にとって、小学校で日本全国を旅してから遠ざかっていた、異なるものへの憧れを呼び覚ましてくれたのがチベットだったのだ。気がつけば、その後毎年足を運んでいた中国にもここ二年訪れていない。チベットへはもう5年半も行っていないことになる。

今後チベットでは鉄道の開通によって、人とモノの流れが劇的に変化していくだろう。いや、もう変化しているに違いない。中国も急速な勢いで発展し続けている。僕が9年前に感じた古きよきチベットの姿はもはやそこにないかもしれない。「今チベットからメールしているんだぜ!」98年の時点ですでにラサにインターネットカフェがあり、友人にそんなメールを送れることが驚きであり、うれしくもあった。今のチベットからメールを送っても、その感動はないだろう。

ツーリストが増えていくにつれて、人々も変わっていく。純朴そのものだったチベット人が故宮で土産物を売る中国人のように、写真撮ったら金をくれ!と、そんな風にすれていくかもしれない。「あの頃はよかった」そう嘆く人も多いだろう。

でも仕方がない、どんなにあがいても僕があと2年で30歳になるのと同じように、世界がどんどん狭くなっていくことも止められないのだ。そして、遊牧を中心とした生活から都市への定住へ、経済的な物質的な豊かさを求めることを誰も否定することはできない。少なくとも、日ごろ石油をジャブジャブ使いながら日々を送り、彼らの一年分の稼ぎほどの航空券を買ってチベットにやってくる人にそれを否定する権利はない。

10年後のチベットはどんな姿になっているのだろう。どう変わろうと、チベタンの彼らがハッピーならそれでいい。僕はそう思う。

Written by shunsuke

2007年1月6日 at 9:00 PM