人に学びて、自然とともに生きる

Never stop exploring, Keep your curiosity fresh

Archive for 5月 2010

サメを食らうラオス人

with 2 comments

最近めっきり仕事が忙しい。そしてこういう時に仕事でもプライベートでも来客が多かったりする。先週はラオスからお客さん。考えてみたら赴任して10ヶ月でようやく同じ会社の人間が南寧に来た。10ヶ月放っておかれるってある意味幸せだけど、ちょっぴりさびしくもある。
 
今回南寧に来たのは前回僕がビエンチャンでおせわになった同僚Kさんとラオス人のM。見どころ少ない南寧なのでとりあえず中山路の夜市に行ってみた。(中山路のようすはこちら街を歩いていたらサメがいた)。シュモクザメ(ハンマーヘッド)を見つけて興奮し、のせられてサメバーベキューを食べるM。サメを食べたことのあるラオス人ってなかなかいないんじゃないか。
 

Written by shunsuke

2010年5月19日 at 6:46 午後

カテゴリー: 南寧での生活

やっぱり都会は楽しい

leave a comment »

先々週末は香港だった。トランジットとかで通ったり空港降りたりはしていたものの、きちんと宿泊したのって数えたら10年ぶりだった。前回は2000年、学校休学して旅をしていた途中に立ち寄ったんだっけ。そんな10年ぶりの香港はやっぱり都会だった。

あらゆる国の食べ物がおいしく食べられて、H&MやZARA、ポーターのかばんなんかもあったりして、道行く人にイラっとすることもない。ああ、なんて快適なんだろう。自然に囲まれた田舎の生活もいいけれど、やっぱり都会で暮らすのは楽しい。やっべ、ブログ名前負けしてるな…

Written by shunsuke

2010年5月12日 at 12:27 午前

カテゴリー: 旅行

ジェクンド地震に見る中国のすごさ

leave a comment »

4月14日に起きた青海の地震、この三週間ほどの間中国各地でさまざまな募金活動が行われていた。とりわけ発生から一週間が経った21日は政府が全国的な「哀悼記念日」とし、全土の公的機関で半旗を掲げ、中国の政府機関、マスコミおよび一部企業のウェブサイトは21日、トップページを「白黒」に切り替えた。
 
中央電視台(CCTV)もすべてのチャンネルで24時間の哀悼番組を放送し、「玉树,我们在一起」の合言葉とともに募金を呼びかけ、ジェクンドの被害者に対して全中華民族がともに助けるとのメッセージを発し続けていた。そして、「5千万元!一億元!」と中国各地の企業がまるでオークションかのように我こそはと募金を申し出ていた。
 
 
この番組のために放送予定だったチャンピオンズリーグ準決勝バルセロナ対インテルの第一レグは放送されず。これにがっかりした人も多かったと思う。僕もその一人。
 
この一連のキャンペーンになんかものすごくしらじらしいと感じてしまったのは僕だけじゃないはずだ。確かに災害の起こった地に手を差し伸べるのは素晴らしい善行だと思う。ただこの国を挙げての行為に僕はものすごく裏を感じてしまう。ジェクンドの地震の被害者たちは中国全土からの復旧支援に感謝するだろう。こういう時の中国政府は本当にしたたかだ。この機会を利用してチベット人も中華民族の一部であること、そして同じ中国の一部であることを効果的に全国民に伝えている。
 
事実、今回の復旧のスピードはものすごかった。報道によると地震発生4日後の17日には大部分で電気が復旧し、一週間で水も出るようになったらしい。実際見たわけではないけれど、ジェクンドが省都から800kmも離れた4,000mに近い山岳地帯であることを考えると尋常でない復旧のスピードだ。ぶっちゃけ日本の救援隊なんて来たって言葉わからないし、高山病になるだろうし邪魔になるだけだよ。来なくて懸命だった。

Written by shunsuke

2010年5月6日 at 1:06 午前

伴郎、その後

leave a comment »

4月29日、無事に友人の結婚式で伴郎(バンラン)を務めてきた。
 
伴郎ってなに?という方はこちら↓
 
正式なスタイルだと午前中から準備して花を飾った車で新郎が新婦を迎えにいくのだけれど、すでに実家のほうで正式な家と家との式を済ませているので、南寧での式は披露宴のみ。僕も16時ころに会場入り。
 
 
伴郎・伴娘の仕事はざっくり言っておもに三つ。まず受付の際、会場の入口で新郎新婦と一緒にゲストを出迎え、飴やタバコをすすめる。なぜ飴とタバコなのかは最後までわからずじまいだったけど、これが1時間半くらいずっと手にお盆を持っていなきゃいけないのでなかなか大変。
 
次に新郎新婦の入場の際、後ろから一緒に歩いていって紙吹雪をまく。これはリハーサルなしでいきなりやったんだけど、バージンロードの半分くらいで紙吹雪を使い果してしまって最後は尻すぼみになってしまった。おまけに新郎新婦と一緒に壇上にあがってしまうトラブルも。これはかなりこっぱずかしかった。
 
最後は新郎新婦と一緒に50席ほどある各テーブルを回り乾杯をしていく。基本的には新郎が乾杯していくのだけれど、新郎がきつくなってきたり、テーブルが盛り上がっていたら伴郎も飲まなきゃいけない。普通の白酒だったらまだいいんだけど、盛り上がってくるとワインやビール、白酒やしょうゆ、はたまたわさびなんかをごちゃ混ぜにしたものを飲まされる。3杯くらい一気したんだけど、これがなんというか言葉にできない味。最後の一杯を飲み干したあと何か歯に引っかかるなあと思ったら魚の骨だった。
 
僕が記憶があるのはここくらいまで。気が付いたらカラオケで寝ていた。翌日の昼くらいまでひどく気持ち悪かったけど、こうして二人の友人の門出を伴郎として一緒に祝えたのは幸せなことだ。小韋、小蒙改めておめでとう!これからもよろしくね。

Written by shunsuke

2010年5月5日 at 12:12 午前

カテゴリー: 南寧での生活

ラオスを食べつくす

with 2 comments

実はラオスに行ったのは4月の上旬のこと。一か月近くが経っちゃっているけれど、10年ぶりのラオスの感想を。ビエンチャンでは去年の夏まで隣で机を並べていた会社の先輩Kさんのうちにお世話になった。
 
ハノイからのバスをバスターミナルで降り、Kさんと待ち合わせた「ラオスの凱旋門」パトゥーサイでKさんを待ってると写真屋のおじちゃんたちが近づいてきた。ラオスでもデジタル一眼かあ。10年の年月は大きいなあ。
 
 
Kさんの家の近くには北朝鮮大使館があり、若かれし将軍様のお写真が飾られていた。ここでも脱北は多いらしい。
 
 
到着した夜はラオスに赴任している同僚とその家族とラオスレストランで晩ごはん。家族なし、日本人社員一人で南寧にいる僕からすると、なんだか日本に帰ってきたかのような雰囲気だ。僕は一人な分、現地の社会にどっぷりつかって仕事をすることができる。でも、すぐになんでも相談できる同国人の同僚がいるってやっぱりいい。首都のそれなりのレストランで12人くらいでたらふく食べて飲んで一人10ドル以下。ラオス安いなあ。そしてパンがおいしかったなあ。
 
 
翌日は午前中に事務所でミッションを終わらせて午後は田舎のほうへお出かけ。これがビエンチャンからラオス南部へと続く幹線道路。パクセまでは600km、ラオスって小さい国のイメージがあるけれど以外と遠い。
 
 
道端をのんびり歩く牛。この風景、10年前と変わってないなあ。それでも確かに10年前と比べたら車も増えて田舎のほうの家も立派になっている。
 
 
2日目の夜はKさんの家でラオス料理をごちそうになる。まずはラオス名物ラープ。鳥や豚の肉や内臓を焼いてパクチーを添えた料理(これは豚)。もち米のカオニャオを右手でつまんで、カオニャオでラープを包むようにして食べる。ピリッと辛さがきいたラープと炊きたての甘いカオニャオがぴったりだ。
 

 
こちらが今回の大発見、ラオスの川海苔カイ・ペーン。ルアンプラバーンの名物で、川でとれる海苔を揚げてゴマで味付けをしてある。最初は、え?川?と思ったのだけど食べてみてびっくり!臭みもない上、日本の海苔よりも甘くて香ばしい。そんな海苔をつまんでいるとコクのあるビアラオが進んで仕方ない。
 
 
三日目は10年ぶりのビエンチャンの街を探検。昼は駐在者も御用達のラオスの定食屋ナンプ・コーヒー(Namphu Coffee)で。どの品も1~2ドル程度。この低価格帯は中国とあまり変わりない。こちらはラオスの米粉(名前忘れた…)フォーに近いあっさり味でおいしかった。
 

 
 
こちらは揚げた豚にスイートチリソースとパクチーを合わせてごはんにぶっかけた定食。東南アジアに来たなあって味。中国では不思議と食べられない。
 
 
最後の日の夕方、街を歩いていたら出家している少年に呼び止められた。「今から読経の時間だけど、よかったら一緒にどう?」そう誘われて寺の中に入っていくと、ひっそりとした部屋の中でラオス語での読経が響く。首都の喧騒の中にこういう空間が当たり前のように存在する。これがラオスなんだなー。
 
 
四日目の昼にビエンチャンからの直行便で南寧に帰国。ガラガラかと予想していたけれど7割程度は埋まっていた。中国東方航空もなかなか粋なペイントをしている。でもこれって、ベトナムじゃないか?南寧着の国際線は初めて乗ったけれど、楽でいいなあ。
 

Written by shunsuke

2010年5月4日 at 3:13 午前

カテゴリー: 旅行