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Archive for 7月 2007

DAY3: 26時間のバスの旅

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ラワールピンディから乗ったバスは一路北へ走る。道は途中から山道に入り悪路になっていくが、バスはスピードを落とさずに走り抜けていく。陥没部分を過ぎるその度に、サスペンションなどないオンボロバスはジェットコースターのように飛び跳ねる。最後方に座った僕は壁にもたれようとすると突起物が側頭部にあたり、頭をもたげようとすると眼鏡が鼻の頭に突き刺さる。眠ろうにも眠れない。進むも地獄、戻るも地獄。そんな心境だ。そんな僕の心境を知るすべもなくWe Love Pakistan号は進む。

今日は日曜の夜、毎晩夜中まで机に向かうのも日常、こうしてパキスタンで眠るに眠れずバスに揺られるのもここの日常。ネスカフェのCMかなんかで使っていた「カムチャツカの若者がキリンの夢を見ている時・・・」みたいな詩があったけど、こんな時世界はそういう風に日常のつながりで構成された膨大な線なんだなってことを実感する。それはつまり、僕の日常は世界の一地点でしかないってことを感じる瞬間でもある。

そんなバスの旅も気がつくと周りは明るくなっていた。両側には山が迫り、足元を急流が流れる。川は透き通った水色でもなく、メコンのような茶色でもない、このあたりの土壌がとけこんだ川の水はチャイの色のような不思議な色をしている。あたりを見る限り粘土質でもシルトでもない、かなり硬い地質のようだ。

朝食を食べ、昼食をとりひたすら北へと進むが一向に着く気配がない。距離にすると確か600キロ弱なのだが、険しい道はところどころがけ崩れが起きておりその度に岩を取り除くだけなので、その部分で速度が落ちる。次第に緑が少なくなり山が険しくなった午後18時、出発から23時間後にようやくギルギッドに到着。すぐさまフンザの中心部カリマバード行きの乗り合いタクシーに乗り換えてひたすら進む。

20:00、空がほとんど暗くなっていた頃、窓の外に白いものが見えた。きれいな雲だなと思ったその白いものは万年雪をたたえる名峰ラカポシだった。濃紺の空に静かにくっきりと浮かぶ真っ白なその峰。息を飲む美しさとはまさにこういうことを言うのだろう。

Written by shunsuke

2007年7月30日 at 11:37 午後

カテゴリー: 2007/07 Hunza

DAY2: ラホールからラワールピンディへ

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朝6:30、猛烈なかゆみで目が覚めた。どうやら左の足首をダニにやられたらしい。パキスタンで40ドルも払って泊まったホテルでダニにやられるなんて、まったくついてない。

窓を開けると土の道のところどころに水溜りが浮かんでいる。どうやら昨夜眠りについた後に雨が降ったようだ。部屋の中に吹き込む風が心地よい。通りを歩く人たちは老若男女みな白い薄手のダブダブの服を着ており、いわゆる洋服を着ている人はほとんど見当たらない。ちょうどみなオウムの麻原彰晃が着ていたような服をイメージしてもらえればぴったりだろう。涼しいのだろうけど、パキスタン第二の街でほとんどの人がそういう格好をしていることには以外だった。

そういえば、昨夜日本で言うところの最高裁長官がラホールにやてきたらしく、23時過ぎにもかかわらず横断幕を掲げた人たちが道端に集まり、トラックの荷台に乗りながら何かを叫んでいた。けたたましい音楽にグリーンのライト、そしてそれを取り囲む警官たち。彼らの言葉を解さない僕には歓迎なのかモスク事件のデモなのかはわからなかったが、気味が悪かったのはどうやら皆が同じ白い服を着ていたせいだったのかもしれない。

午前中はオートリキシャに乗り、街の名物ラホールフォート(Lahore Fort)とバードシャヒモスク(Badshahi Mosque)へ出かける。ムガル帝国の5代皇帝シャージャハンが残した庭園、建築物がここラホールには多く残されている。唯一の外国人観光客の僕に近寄ってきた若者ガイドと一緒に砦と庭園、そしてモスクをめぐる。砦は質実剛健、庭園は豪華絢爛、そしてモスクは一度に10万人が集うことができるという。モスクはダマスカス以来だが、ようやくイスラム国家に来たという気分になる。

午後はバスターミナルへ向かい、ラワールピンディ行きのバスを探す。どうやらパキスタンでは主要なバス会社は独自のバスターミナルを持っているらしい。ラホール‐ラワールピンディ間はどうやら「ダイワバス」がいいとのこと。タクシーでターミナルへ行くと、なんと韓国のDaewooのことだった。さすがに「ダイワバス」ではわからない。

13:00、押し合いながら窓口でチケットを買いバスに乗り込むと飛行機のCAのようなサービスがあった。パキスタン=女性は社会進出なし、というイメージだったのですこし驚く。さらに沿道に目をやっていると、女性専用スポーツジムがあった。パキスタンの女性アスリート・・・機内の高校教師といい、イスラム国家を掲げながらしっかり女性は地位を固めているのかも。

ラワールピンディまでの道は高速で5時間余り。沿道に目をやっていると、道端で座っている男性が多い。よく見たらみな用を足しているだけだった。オウム服を着ているとどうやら立ちションができないようだ。そういえば、空港とバスターミナルのトイレの小便器は僕が背伸びをしてやっとたどり着くほど高い位置にとりつけられていた。きっとみな個室に入っていくから、西洋人の高さに合わせたのだろう。いい迷惑だ。

ラワールピンディですぐに北部ギルギッド行きのバスに乗り換える。有力バス会社の大型バスは売り切れで、頼りないバスしか席がないが時間がない僕には選ぶ余地はなく、こんなギラギラバスに乗ることになった。

隣のイスラマバードでゴタゴタやっているのも怖いし、さっさと移動するのが賢明だ。回りはみな髭もじゃもじゃのオウム服の人たちに囲まれて、オンボロバスは19:00に出発。これが長いバス旅の始まりだった。

Written by shunsuke

2007年7月29日 at 11:07 午後

カテゴリー: 2007/07 Hunza

DAY1: バンコク経由ラホール行き

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今回のフンザ行きは、仕事を始めて初めての海外旅行でもあった。忘れないうちに、できる限りその時感じたことを残していこうと思う。昔からいやなことはすぐに忘れる才能はあったが、最近は楽しかったこともすぐに忘れてしまうから。

7月14日、出発の日は大荒れの天気だった。台風4号が接近し、次第に雨も風も強くなっていく。そんな三連休初日の土曜日、空港への道中はたくさんの人であふれていた。北海道へ向かうらしき若者たち、韓国へ団体旅行のおばちゃん。そんな中僕は使い古したバックパックに昆明で買ったトレッキングシューズ姿、明らかに浮いていた。学生の頃なら日本ではちょっと汚い(と見られるような)格好をしていても気にならなかったけど、なんだかバックパッカー姿で電車に乗って空港にいるのが気になった。年をとったのかな?それとも社会になじんできた証拠なのかもしれない。

出発一時間前にセントレアに着き無事にチェックインする。今回初めてのマイレージ特典フライトだったのだけど、どうやら特典旅行分はマイルがたまらないらしい。「本当にすみません」マイレージカードを差し出した僕に申し訳なさそうに謝るカウンターのお姉さん。そこまで申し訳なさそうに謝られると、まるで僕が悪いことをした気分になってしまった。

台風の風をもろともせず、飛行機は無事に旅立った。機内ではフンザを題材にした「草原の椅子」を読む。フンザは題材というよりも脇役といったところ。いつも思うのだが、宮本輝は旅をつまみにして人間の弱い部分を繊細に表現するのが実にうまい。

今回のバンコクは2002年以来5年ぶりだった。田んぼの中に点在するため池と、オレンジの屋根の家々、そして雨季の大地に果てしなく広がる深い緑。着陸間際に雲を抜けて見えてきたそんな懐かしい光景で、僕の心が旅モードに切り替わった。そういえば、2000年の4月に一年半の旅に出かけたときもこの光景を眺めて旅が始まった。あれから僕は7つ歳を重ね、おなかまわりも多少肉がついた。月日っていうのはこういう時に実感する。

5時間のトランジットの間、タクシーに乗りカタコトの英語とカタコトのタイ語で30分かけて空港近くのマッサージ屋を見つけてもらう。こういう時、なまじ英語がわからない方が楽だ。拙いタイ語でなんとか自分の気持ちを伝えることができる。一時間半のマッサージの後は、屋台で夕食。久しぶりに鶏肉の蒸しごはん、カオマンガイを食べる。前にタイにいた時よく食べた味と変わらない、そして20バーツという値段がまた懐かしい。

 

正味2時間くらいのタイだったけど、マッサージに料理にとすっかりタイを満喫した。この国の素晴らしいところは、これだけ開けた観光立国で昔から世界中から観光客が訪れているのに、来る者が不快に思うことが少ないことだ。急に観光客が増えた土地が観光地ずれしてしまうのと違って、きっと昔から観光客と接しているから来る側も迎える側も心地よい関係を築くのが上手なのだろう。その一番大きな要因は、きっとこの国の人たちの満面の笑顔に違いない。

タイを満喫した僕はラホールへと旅立つ。八割が日本人観光客だった先ほどの便とは違い、9割は一目でわかるパキスタン人だ。観光客らしき人は僕と団体旅行の韓国人のみ。モスク事件で危機感が高まっている中、敢えて行く人はそんなにいないのだろう。

機内で隣に座ったのは、上品な感じのパキスタン人の女性だった。大学院の研究室にパキスタン人の男性に嫁いだ日本人女性はいたが、パキスタン人の女性と話すのは初めてかもしれない。聞けば、カラチで数学を教えている高校の教師で、家族とプーケットへバカンスに行った帰りだという。「カラチへ戻る前に故郷のラホールに寄るの」何で一人でラホールへ、との僕の問いにそう微笑んで答えた彼女の英語は訛りがほとんどなく、そしてスカーフをまとわない笑顔はみとれるほど美しかった。

現地時間22時30分、ようやくラホールに到着。イミグレを過ぎ外に出た瞬間、僕の眼鏡が真っ白に曇った。まるで蒸し風呂、いやサウナか。暑いとは聞いていたけれどこれまでとは思わなかった。どれでもいいからタクシーを捕まえてホテルへ向かいベッドに倒れこむ。時差の関係で計26時間、長い一日だった。ホテルの外気計を見ると、23時30分現在43℃。28年の人生史上最も暑い夜だった。

Written by shunsuke

2007年7月29日 at 4:20 午後

カテゴリー: 2007/07 Hunza

出発前夜

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先週末、旅に向けて新しい手帳を買った。その名もTraveler’s note.

旅は、思考する。
旅は、発見する。
旅は、想像力を解放する。
旅は、自分の内面をさらけだす。
そのすべてを受け入れ、
ここに書き留めよ。

このコピーに思わずやられた。うーん、まさにそのとおりだよな。

一昨日はフンザ行きに先立ち、本を二冊購入。藩王国時代のフンザに調査を行った歯科医師の冒険記、Allen E.Banik and Taylor, "Hunza Land"とフンザがモデルとなったといわれている宮本輝『草原の椅子』。両方とも持っていって飛行機の中で、そしてフンザでゆっくり読みたい。

それでは、Hunza Landから冒頭の一節を。

ここに紹介するフンザという国は、最近まで他の世界とまったく孤立していた、ヒマラヤ山中の不思議な小国である。フンザ国―人口わずかに2万5千人、中国と西パキスタンと国の境を接し、ソビエト・ロシアからわずか18マイルの距離にあり、1万フィートから1万9千フィートの聳えに立つ連峰に囲まれた、肥沃な谷間の小国。しかも過去2千年にわたってこの珍しい国民はほとんど完全といっていいくらい、外部の世界と縁を切って生活を続けてきたのだ。

今ではこんな世界へわずか9日の休みで行けるようになった。それが果たして肥沃な谷間の小国をどう変えたのか。予定では16日にフンザin。モスク立てこもり事件、そして台風となんか悪いニュースが続いているけど、7時間後いよいよ出発です。

Written by shunsuke

2007年7月14日 at 2:03 午前

カテゴリー: 2007/07 Hunza