Archive for 7月 2009
国慶節はフィリピンから四川省へひとっとび
さて夏も本番。今年日本には秋にも長い休みがあって、みなどこに行こうかなんて話をしているけれど、あいにく僕は中国カレンダーで恩恵にあずかれず。変わりに10月1日の国慶節(建国記念日)から8連休になりました。今年は休みがつながって長くなったみたい。
ということで国慶節の休みはどこに行こうか。ずっと考えていたんだけど、ようやく日程も確定。学生時代からいつかは行ってみたかったフィリピンのコルディレラ山脈にある、イフガオの棚田を見に行った後、マニラから四川省の涼山まで一気に飛んでこの前上海で会ってきた彝族の友人の結婚式に出席してきます。
中国での結婚式、しかも彝族の結婚式なんてなかなか出席する機会なんてない。どんな結婚式なのか今から楽しみです。旅程はこんな感じ。中国南方航空 (CZ)で南寧-広州-マニラ-広州-成都が4万円程度だった。ノースウェストの特典2万マイルで行くかどうか迷い中…
10/1 CZ3295 南寧 8:00 – 広州 9:00
CZ397 広州 11:40 – マニラ 13:55
マニラ到着後友人と合流し、夜行バスでイフガオへ(車中泊)
10/2 イフガオ観光、棚田を満喫(イフガオ泊)
10/3 イフガオ観光、夜行バスでマニラへ(車中泊)
10/4 CZ398 マニラ 14:55 – 広州 17:15
CZ3377 広州 20:15 – 成都 22:00
10/5 CA4467 成都 8:00 – 西昌 8:50
西昌に到着後、結婚式に出席(西昌泊)
10/6 引き続き結婚式(西昌泊)
10/7 西昌から昆明へ汽車で移動(車中泊)
10/8 CZ3864 昆明 21:00 – 南寧 22:05
6年間の昆明の変わりようを見てから南寧に帰宅
8日間で飛行機6回と、いつもながらかなりハードな日程になってしまった。ちなみに中華人民共和国建国記念日の10月1日は僕の誕生日。誕生日が建国記念日って、生まれた時からやっぱり縁があったのだろうか。
ヤシの木と水、そして建設ラッシュ
今週末、ようやくこちらに来て初めてゆっくり週末を過ごした。さて、広西チワン族自治区。自治区って聞くとなんか"辺境"や"危険"というイメージがあるようだけれど、僕の住んでいる南寧は市区(日本で言えば市内の都市人口)に250万人が住んでいるかなりの都会です。
場所は北緯22度、台湾よりも北回帰線よりも南で、標高も200-300mほどしかない。年間平均気温が21.6度、今の7月は最低気温の平均が25.1度。その上、海が近いから湿度が高い。調べてみたら7月の南寧の最低気温の平均が東京の平均気温と同じ。そりゃ寝苦しいわけだ。
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 平均 | |
平均気温 | 12.8 | 14.1 | 17.6 | 22.0 | 26.0 | 27.4 | 28.3 | 27.8 | 26.6 | 23.3 | 18.6 | 14.7 | 21.6 |
最高気温平均 | 17.3 | 18.3 | 21.5 | 26.3 | 30.7 | 31.9 | 33.0 | 32.5 | 31.6 | 28.6 | 24.1 | 19.9 | 26.3 |
最低気温平均 | 9.6 | 11.2 | 14.8 | 19.0 | 22.7 | 24.4 | 25.1 | 24.7 | 23.3 | 19.5 | 14.8 | 11.0 | 18.3 |
東京平均気温 | 5.2 | 5.6 | 8.5 | 14.1 | 18.6 | 21.7 | 25.1 | 27.2 | 23.2 | 17.6 | 12.6 | 7.9 | 15.6 |
街路樹にはヤシの木(実のならないやつ)が植えられ、道端にはハイビスカスの花が咲く。南寧の街中はそんなイメージどおりの南国です。ちなみに町のメインロード「民族大道」はこんな感じ。
町の真ん中に邕江(ヨンジャン)という河が流れ、南湖という人口池をはじめ町のいたるところに水があふれる町でもあります。もちろん日本と比べると決して清んだ水ではないけれど、北京や上海なんかと比べると水道もおいしい。
南湖の周りは公園になっていて、夕方は散歩やジョギングをする人で賑わい、夜や休みの日は愛を語る南寧っ子(もしくは外から来ている人)であふれます。「金かからないからとりあえず南湖行っとくか」と言ったところ。どこの国でも公園は金のかからないデートスポット。
夜になるとライトアップ大好きなお国柄もあり、こんな感じになります。この敢えて橋の上から滝のように水を流して、ライトアップしてしまうところがいかにも中国らしい。キンキラキンなものやライトアップは変わらず健在です。
その一方で金融危機もどこ吹く風で街のいたるところで建設ラッシュが続いています。極端なことを言えば、どこを歩いていても建設中のマンションやらビルが視界に入ってくる。
本当にこんなに需要があるの?と思いたくなるくらいの建設ラッシュ。僕の会社の従業員も20代で年収の10倍以上のマンションをローンで買っていたりする。中には投資用に数件持っている人も。みんな大丈夫と思っているみたいだけど、実需とかけ離れているのは感覚的に感じる。どこかではじける気がするのは僕だけじゃないじゃないかな。
そんな感じの南寧、僕がこの町を離れる頃にはどんな姿になっているんだろうか。楽しみでもあるけれど、どれだけ変わってしまうのかがちょっと怖くもある。
あなたの言っていることがわからないわ
今日で日本を出て三週間。引継ぎで毎日ドタバタだったので、もうすでに何ヶ月も南寧にいるような感じがしていたのだけど、よく見たらまだ三週間だった。
さてさて、この三週間を振り返ってみて、ある程度は予想していたのだけど予想以上に中国語の能力が落ちていることが一番ショックなことだった。地元の人が言っていることの50%もわからない。言いたいことの半分も伝えられない。先週ホテルでフロントのお姉ちゃんに道を聞いたら「あなたの言っていることがわからないわ」と言われてしまった。これ、ほんとにショック。
日本人一人で、会社の従業員も仕事の相手もすべて地元の人なので、もちろん仕事は中国語でやらなきゃいけない。ものすごく優秀で素晴らしい日本語を話す通訳兼アシスタントがいるのだけれど、やっぱり通訳してもらっていては話にならない時も多いんです。それ以上に個人的にも悔しい。
課題は二つ。僕自身の中国語(普通語)のレベルを再び上げる、そして地元の方言に慣れて聞き取れるようにすること。目安としてはまず半年で中国を徹底的に復習、そしてあと半年で地元の方言を勉強して、特徴をつかむ。
一年後には不自由なく地元のおっちゃんたちとガチンコで渡り合えるよう頑張らないと。
6年ぶりの上海と5年越しの再会
先週末は6年ぶりの上海訪問。それにしてもこの街の変わりようはすごい。初めて日本を出た1998年に初めて上海を訪れた際に、心躍らされるような熱気を感じて以来たびたび来てはいるのだけど、来る度にまるで別の町に来たような感覚に陥る。
ちょっと調べてみたら、GDPが2003年からの6年間で平均12.1%、1998年からの11年で平均11.3%の成長を続けてとのこと。計算してみると6年前に比べてGDPが約1.8倍に、初めて訪れた11年前に比べると3倍になっていることになる。そりゃ、別の街になるのも当たり前だ。一行政区と国家とを比較するのは雑だけど、日本と比べたらその差は歴然だ。
年度 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 平均 | |
上海 | GDP成長率 | 10.1% | 10.2% | 10.8% | 10.2% | 10.9% | 12.3% | 14.2% | 11.1% | 12.0% | 13.3% | 9.7% | 11.3% |
1998年=100 | 100 | 110 | 122 | 135 | 149 | 168 | 191 | 213 | 238 | 270 | 296 | ||
2003年=100 | 100 | 114 | 127 | 142 | 161 | 177 | |||||||
日本 | GDP成長率 | -1.5% | 0.7% | 2.6% | -0.8% | 1.1% | 2.1% | 2.0% | 2.3% | 2.3% | 1.8% | -3.5% | 0.8% |
1998年=100 | 100 | 101 | 103 | 102 | 104 | 106 | 108 | 110 | 113 | 115 | 111 | ||
2003年=100 | 100 | 102 | 104 | 107 | 109 | 105 |
そんな上海出張、今回は仕事以外でもうひとつ目的があった。それは何度かブログでも書いていた四川省涼山自治州出身の彝族の友人と会うこと。
■過去ログ
四川省で日本語を学んで、北京で3年弱、上海で半年ほど働いた彼は、今回結婚を機に四川に戻ることになった。彼にとって上海最後の日にちょうど出張を組み込めたのもきっと何かの縁だったんだろう。上海でちょうど5年ぶりに会うことができた。
自分の故郷、涼山ではまだまだ子どもに教育の機会を与えようとしない家が多いし、教育を受けようとしない若者も多い。結局使い捨ての出稼ぎ労働者になるしか金を稼ぐ道が残っていない。政府の役人もそんな状況を見ていても自分の懐のことしか考えていない。
四川の田舎でヤギを追っていた自分が汽車に乗って町へ出て、飛行機に乗って北京や上海で働くなんて夢にも思わなかった。教育によって自分は機会をつかむことができた。自分が経験してきたこと、教育の大切さを伝えて故郷を変えていきたい。
かなり酔っ払っていたのでおぼろげではあるけれど、そんなことを言っていた。彼にとってこの三年半は見るもの経験することすべてが初めてのことで、僕が想像することができないほど大変だったと思う。
同じ職場で働くことができなくなるのは残念だけど、僕も広西で白酒にめげずに生き延びるから四川に戻って頑張ってほしい。10月の結婚式で会えるのを楽しみにしているよ。
そんな彼との最後の晩餐で食あたりをした。金曜日に日本料理屋で食べたサーモンの刺身を食べた後、土曜の昼から強烈な腹痛と下痢が襲ってきて、歩くのも大変な状況に。薬を調合してもらい何とか南寧へ帰るも散々な目に合ってしまった。
南寧の日本料理屋では怖くて手が出せなかった刺身を上海だったら大丈夫と思って手を出したのが間違いだったな。ちなみに一緒に夕食をともにした彝族の彼には被害なし。まったくどれだけ身体が弱いんだか。
広西日本人連絡会に参加してきた
先週末のこと、広西の日本人会に参加してきました。
日系企業がたくさん進出している隣の広東省と違い、ここ広西チワン族自治区に進出している企業は10指にも達してません。松やにからロジンを精製している化学メーカ二社、Appleのイヤホンを製造している電機メーカー、サトウキビから酢酸を精製している化学メーカーなどなど。
南寧で生活している日本人もそれほど多くなく、留学生や日本語の先生を合わせても20人足らずです。広州だけでも一万人以上が暮らしていることを考えると、日本とのつながりもまだまだ少ないのが現状です。
そんな中、前任者に続き広西の窓口として日本人連絡会の世話役を任されてしまいました。広西に進出している数少ない日系企業として、ここ広西の地と日本をつなげることができるように頑張っていかないと。
ここ数年は中国とASEANのゲートウェイとしてここ広西、南寧も注目が集まってます。ビジネスで、もちろんプライベートでも広西に興味がある方がいらっしゃいましたら何なりとご連絡ください。
今日で二週間にわたった過酷な引継ぎも終わり、明日上海へ行って週末は入居。そして来週からいよいよ仕事も本番です。
白酒攻撃の日々
中国に来て一週間、引き継ぎという名の宴会続きの日々です。
上海や北京だったらそうでもないのだろうけど、広西チワン族自治区の、さらに田舎に行くことばかりなのでこれでもかというくらい飲まされます。ええ、もちろん昼と夜のダブルヘッダーでビールから始まり、中国独特の白酒(バイジウ)、そしてワインまで一気飲みです。ってか、ワインってコップに注いで一気飲みするもんじゃないだろ?
立場上飲まなくてはいけないのもわかるけど、なんか面子の張り合いというか大学一年生の見栄の張り合いというか、皆さんよくやります。お酒が強い人ならいいのだろうけど、もともとあまり強くない僕はいかに盛り上げつつ飲まされないかを探る日々。なにかいい方法がないでしょうか?
こちらに到着して事務所にほとんどいないうちから弱音を吐きそうですが、明日は久しぶりの休肝日。ゆっくりごはんを味わってきます。
旅立ちの日
今日、無事に日本を経ち中国にやってきました。2日ほど広州に滞在してから南寧へ向かいます。
出発前は一日一日と赴任日が近づくにつれてどんどん寂しさがつのり、ことある度に別れを惜しんでいました。自分で望んで中国に行くはずなのに、不思議なものです。
結局最後はバタバタになっちゃって、きちんとお別れを言えなかった人も多かったな。
9年間の学生時代につくばで、3ヶ月の北海道で、そして2年間の名古屋と1年間の東京生活でお世話になったみんな、そしてここまで育ててくれた家族に、改めてこの場を借りて改めてお礼を言いたいです。
楽しい時間をありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。
筑波山、ゐ多”、そしてジョージさんライブ
日本で過ごす最後の週末、もともと行く計画を立てていた富士山が登れなくなってしまったため、2月にラブックを開いた友人たちと筑波山に登ってきた。
東京からレンタカーで出発してまずは筑波山の麓のそば屋、ゐ多"(いだ)で腹ごしらえ。大学3年生の時に来て以来だから10年ぶりになるけれど、古民家をつくりかえた店のたたずまいもおじちゃんのにぎやかさも全く変わっていなくてうれしかった。
ここの鴨汁そばはすごい。まずはそばを何もつけずに食べる。「50回噛むとそばの甘みが出てくるんだよ」そんなおじちゃんの言いつけどおりにかむとあら不思議。甘くて香ばしいそばの味が口いっぱいに膨らんできた。
次に、生で出てきた鴨肉をその場で焼いて汁にくぐらして食べる。鴨の肉汁が口の中でジュワっとはじけてうまい。おまけにねぎと一緒に食べた時なんて、もうおいしさ倍増で幸せ絶頂気分。カメラを忘れてケータイしかなかったのが悔やまれる…
で、あらかた鴨を食べ終わってそばを汁につけて食べてみると、今度は鴨をくぐらせた汁に鴨のだしがしっかり出てる。中国に行く話をしていたらおじちゃんが「俺は今は67であと15年は現役で頑張るから帰ったら食べにきて」と言ってくれた。この名物おじちゃん、いい味だしてるなあ。帰ったら必ず来るよ。
お腹もふくれたことで、いよいよ筑波山。「筑波嶺の峰より落ちる男女川、恋ぞつもりて淵となりぬる」と陽成院も詠った男女川源流の湧水で力をもらい、1時間半でほぼ頂上に到着。
最近高尾山ばかりが注目されているけど、都心から二時間ほどで樹齢500年を超えるスギや、日本最北(だったはず)の照葉樹林、関東では珍しいブナ林もある筑波山って実はすごい。アクセスがちょっと悪いけど、関東近郊から半日で行けるし温泉露天風呂もあるのでぜひおすすめです。
そこからケーブルカーで麓まで降りて温泉で汗を流した後は、すぐ水道橋にジョージさん率いるGroove Pocketsのライブに向かう。ピアノとベースの二人にドラム、トランペット、ギターも加わってゴキゲンなライブだった。
トランペットを吹いていた福山さん、"500 miles high"でまるで空を飛んでいるかのように気持よさそうに吹いていた音が印象的だった。それにしてもみんな楽しそうに演奏していたなあ。やっぱりJazzはいい。僕もしばらくちゃんとギターを弾いていなかったけど、中国で時間見つけて弾いてこよう。
房総半島(ほぼ)一周チャリツアー:DAY3 雨の中電車で帰宅
房総半島チャリツアー三日目、朝起きた瞬間にざあざあぶりの雨。ここまでは晴天に恵まれてきたけど、とうとう降ってきちゃったなあ。
雨でも走れるようにゴアテックスを持ってきていたけど、雨を前にして萎える二人。冨浦から先の内房の道は山が海沿いまで迫っている地形のせいで狭い上にトンネルが続く。おまけに木更津から先は工業地帯。まあ言ってみればあまり面白くない道。
この雨とこれからの道を前にして、結論が出た。「ここまで来たら房総半島ほぼ一周したってことでいいじゃん」結局昨日までの二日間が気持ちいい道とおいしい料理でかなり満足してしまっていた僕らは、敢えて雨の中は走る必要はないかなと意見が一致したわけです。大人の決断ですな。
ほら、この後も7月2日の赴任まで予定が詰まっているし、風邪ひいたらいろいろ大変だし。
バスで帰るYSKと冨浦駅で別れ、僕はチャリのタイヤを外して輪行バックに入れて電車で千葉へと戻る。駅舎に描かれたビワと一緒に記念撮影。最後までビワづくしの街だったなあ。
房総半島ほぼ一周、実に楽しい旅でした。ちょっと道は狭いけど九十九里とか自転車道も整備されていてめちゃくちゃ気持ちがいい道だった。おまけに魚と果物が安くてうまい。チャリ好きなアナタ、千葉県民だけどあまり千葉のこと知らないなあなんて感じているアナタ、房総一周おすすめですよー。