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Archive for 6月 2009

房総半島(ほぼ)一周チャリツアー:DAY2-2 日本の原風景を焼き付ける

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昼ごはんをたっぷり食べ、引き続き海岸沿いの道を下っていく。今日は勝浦から富浦までの道のり。鴨川を過ぎて国道128号線「外房黒潮ライン」と別れ、南をぐるっと回る房総フラワーラインに入る。この道が大正解。まっすぐな海沿いの道が気持ちいい。
 
 
午前中の晴れ間があれよあれよという間に陰り、ポツポツと雨が降り出してきたのでしばらく道の駅ローズマリー公園で休憩。アジサイの花がきれいだった。まるで雨を喜んでいるかのよう。
 
 
ローズマリー公園というだけあって、いろいろ花が咲いていた。ラベンダーも見ごろ。黄色と紫色のコントラストがきれい。
 
 
小雨の中しばらく進んでいくと、「北緯35度最東端」地点を通過。車だったら間違いなく通り過ぎてしまうこういう場所にもゆっくり立ち止まれるのが自転車の旅のいいところ。
 
 
雨がだいぶ強くなってきたので、房総の南端をぐるっと回るコースを諦め、千倉から館山へ向かうことに決定。せっかくだからぐるっと一周したかったけど風邪ひいたら元も子もないのでショートカット。
 
館山までの道は、水田と里山が続く田舎の道。これぞ日本の原風景、こんな景色よくつくばで見たなあ。
 
 
ちょっと自転車降りて田んぼのあぜ道に入っていくと、雨につられてアマガエルがたくさん跳ねていた。
 
 
かたつむりも発見。そういえば小学生の頃、よく用水路でザリガニ釣っていたっけ。小さい頃は田んぼが遊び場だった気がする。
 
 
午後4時頃、館山を抜け富浦に入る。国道を避けて横道を行くと漁師町の日常を横目で見ながらこいでいく。
 
 
ビワの町富浦は街灯までビワだった。
 

午後5時頃、本日の宿「情熱ペンション」に到着。このツインルームで素泊まり2,500円。共用のお風呂に使い捨て歯ブラシとヒゲソリまでついていてこの値段はすばらしい。男二人向きじゃないけど。

夜は7キロほどさらにこいで、このあたりでは有名な寿司屋へ。一日中自転車をこいだ後のこの一杯、くう~たまらない!

寿司は地魚中心にぴちぴちのネタがたっぷりでうまかった。おなかいっぱい食べて2,000円ちょっと。こんなコストパフォーマンスも港町ならでは。

今日も日本の原風景と海の幸を満喫。それにしても朝から晩まで魚づくしの一日だったなあ。なんか明日の朝とか背びれとか生えてきそう。

Written by shunsuke

2009年6月30日 at 12:20 午前

カテゴリー: 旅行

房総半島(ほぼ)一周チャリツアー:DAY2-1 くいだおれの半日

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朝7時起床。予想通り体の節々が痛い…錆びついたロボットのような身体をなんとか起こして朝食をとり、勝浦名物の朝市へと出かける。
 
朝市は勝浦の町の路地に朝どりの野菜が並んでいて、実にのんびりとした雰囲気。聞いたところ400年の歴史があるとのこと。地元のおばちゃんも観光客も道を歩きながら海と山の幸を楽しんでいる。こりゃ、楽しいや。
 
 
房総名物のびわがあまりにうまそうだったので、衝動買い。
 
 
さらにトコトコ歩いて行くと、「お金いらないから食べてって~」とステキな呼び声。思わず寄っていくとおっちゃんがわらびもちを試食で配っていたので、さっそくいただくとこれが大当たり!もううまいのなんのって。ぷるんぷるんでみずみずしい食感の上もちにしっかりと味があって、きなこと黒ゴマの味でいくらでも食べられちゃう。たまらず150円で黒ゴマ&きなこのダブルをたっぷり食べてしまった。
 
 
おっちゃんと話していると、どうやら本来の作り方でわらびの根っこから作ってるらしい。わらびもちってこれまでそんなに食べたことなかったけど、こんなにおいしいものだったんだ。わらびもちだけじゃなくておっちゃんの笑顔も朝市一番。
 
 
十分すぎるほど腹ごしらえをして、ペダルをこぎだす。この日は昨日と違って梅雨の合間の太陽がギラギラと照る気持ちいい天気。太陽が出ると海もきれいだ。日本の夏だなあ。
 
 
勝浦から先の道は昨日同様、入り江と入り江が続いていく。浜を少しこいで登ってトンネルくぐってまた浜へと下る。道幅が狭い国道のトンネルを自転車で通るのはかなり怖いけど、かなりの確率で自転車と歩行者用の側道を作ってくれているので楽だった。千葉県、自転車にやさしいぜ。
 
中にはこんなトンネルも。
 
 
美大生とかがトンネルの壁に海の中の絵を描いたらしい。まあお絵かきかと侮っていたら、以外と本格的だった。
 
 
中にはこんなド迫力なサメもいた。これ、子どもが夜に見たら怖くて泣いちゃうよなあ。
 
 
しばらく行くと、また気になるものを見つけてしまった。その名も「イセエビアイス」。B級グルメ好きの僕らにはたまらない。昨日通ってきた大原の港はイセエビの水揚げ日本一なんだって。てっきり伊勢海老というからには伊勢でいっぱいとれるのかと思っていた。プチトリビア。
 
 
殻も身もまるごと使用!との名前にたがわず、中はほのかなピンク色でうっすらとエビの味がした。思ったよりうまい。そこからしばらくまじめにこいで、12時過ぎに鴨川に到着。土曜日、そしてこの天気!ということでサーファーたちが気持ちよさそうに波と戯れていた。
 
 
ここで昼ごはん。房総でよくとれるというアナゴの天丼をいただき午後に備える。それにしても食べてばかりの午前中だった。

Written by shunsuke

2009年6月29日 at 10:56 午後

カテゴリー: 旅行

房総半島(ほぼ)一周チャリツアー:DAY1-2 アミーゴオンジュク!

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煮干しでおなかを満たしたチャリーマン二人は、今日の目的地勝浦を目指してひたすらペダルをこぎ続ける。一宮で60キロ近く続いた九十九里浜も終わり、崖と浜が続く道に。浜では平坦で退屈だった道も細かいアップダウンが続く道になり、少し面白くなってきた。そういえば、上総一ノ宮といえば去年12月に携帯を電車の中に忘れて、ここまで取りにきたっけ。
 
 
午後5時、勝浦の隣町の御宿に到着。ここは童謡「月の沙漠」発祥の地らしく、それを記念した像があった。僕は恥ずかしながら「月の沙漠」の存在自体を知らなかったんだけど、何とも唐突に浜辺にラクダが出現。
 
 
この月の沙漠像から少し行ったところには、唐突にアミーゴ・オンジュクの看板が。後で調べて、江戸時代に現メキシコ人の船員を乗せたスペインの船が御宿沖で沈没した際に御宿の漁民が救出したことがきっかけで、メキシコのアカプルコと姉妹都市ということで納得したんだけど、メキシコ、サボテン、アミーゴって。気持ちはわかるけど、もう少しひねろうよ。
 
 
午後6時、ようやく本日の目的地勝浦に入る。車で過ぎたら何とも思わないこの看板なんだけど、100キロ以上をこいできてたどり着いたこの文字、ああ感慨深い。それにしても尻が痛い…足は鍛えておいたんだけど、ここまでお尻が痛くなるとは思わなかった。
 
 
宿につき汗を流して、海の幸で疲れをとる。一泊二食付きで7,000円とはとても思えないこの豪勢な夕食。ビバ房総!千葉ばんざい!
 
 
地元でとれた金目鯛の煮付け、たれの甘さもちょうどよく触感もふわふわ。感動的ですらあった。
 
 
食べ終わった瞬間、電池が切れたように歯磨きも忘れ眠りにつく。この日の走行距離110kmくらい。肩とおしりが猛烈に痛い。 明日はどうなることやら。

Written by shunsuke

2009年6月22日 at 1:08 午前

カテゴリー: 旅行

房総半島(ほぼ)一周チャリツアー:DAY1-1 サーファーと老人の町、九十九里

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日本の自然を目に焼き付ける旅第二弾、川の次は海ということで房総半島を自転車でほぼ一周してきました。今回は、チャリダーYSKと二人のチャリ旅。彼は二日、僕も一日会社を休んでチャリ旅にいくというなんとも不真面目なリーマン二人。海外行くなら日本を知らないとってことで、まあアリでしょ。
 
金曜日の朝、眠い目をこすりながら起床するが、5時過ぎの始発に乗るはずが起きた時点ですでに朝6時。すでに銚子で前泊しているYSKに謝りつつ、総武本線で銚子へ向かう。
 
電車は二時間弱で銚子に到着。ここで銚子電鉄に乗り換えて犬吠埼へと向かう。この銚子電鉄、「潮風とロマンのふるさと」とのキャッチフレーズにたがわぬ都電荒川線のような小さなワンマン車両で運転していてなんとも風情があった。手書きの行先プレートが趣あるなあ。
 
 
この潮風とロマンにあふれた平和な車窓にも、こんな物騒なものが。やれやれいやな世の中になったもんだ。さすがにアルカイダも銚子電鉄にテロをしかけるなんて思いもよらなかったにちがいない。それにしてもその上に貼られていた「史上初の鉄道擬人化キューピー650円」が気になって仕方ない。
 
 
家を出て3時間、9:30に犬吠駅に到着。駅についたらテレビ朝日系「スーパーモーニング」の生中継中だった。新商品、さんまのかば焼き寿司よろしくね。
 
 
ここで銚子に前泊していたYSKと合流して、いよいよ房総半島ほぼ一周に出発!この日は犬吠埼から九十九里を抜けて勝浦まで向かう。犬吠埼から九十九里浜までは両手に畑が広がり、軽いアップダウンが続く。結構風があると聞いていたけど、この日はほとんど風がなくて走りやすい。
 
 
犬吠埼から20キロほど進むと、飯岡の港に到着。いよいよここから九十九里浜が始まる。金曜の午前なのに海はサーファーで大賑わい。風が凪いでいるのでそれほど波は高くないけど気持ちよさそうだなあ。
 
 
途中立ち寄ったセブンイレブンではボディボードが売られていた。さすがサーフメッカ。サーフショップのほかには老人ホームやリタイア組向けのマンションが目立つ。サーファーと老人の町、九十九里。
 
 
九十九里の道の途中で、なにかいいにおいがしてきた。近づいてみると、道の両側いっぱいに煮干しを干していた。
 
 
これはなかなか見られないぞということで、自転車を降りておばちゃんに話しかけてみる。煮干しはせいろで蒸し、一日天日で干してから機械で乾燥させるとのこと。やっぱり天日を一日でも加えないと甘味がでないらしい。太陽は偉大だ。まんべんなく日光を当てるため、せいろを使って大量の煮干しを器用に裏返していく。
 
 
一匹食べていい?と聞くと「一匹と言わず何匹でも食べてきなー」とおばちゃんのうれしい一言。遠慮なくパクリ。生と煮干しの中間でちょっと中途半端な感触だったけど、確かに味はうまかった。こういうの自転車旅ならではだなあ。
 
 
煮干しとおばちゃんとのふれあいで身も心も満たされて後半へと続く。

Written by shunsuke

2009年6月22日 at 12:07 午前

カテゴリー: 旅行

映画「花と兵隊」試写会@京橋

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旅の途中でちょっと気になる人と出会うと、たいてい連絡先を交換するもんだ。8割がた2,3回ほどメールのやりとりをしてそれっきりになってしまうのだけど、中にはそれ以降節目節目で影響を与えあったり、人生のヒントをもらったりする仲になる友人がいる。8年前、バンコクで出会った松林要樹もその一人だった。
 
 
「第一回監督作品ができた」そんな彼から連絡があったは5月のこと。映像関係の仕事をして日本とアジアを飛び回っているとは風の噂に聞いていたものの、ドキュメンタリー映画をつくりあげたとの知らせはびっくりだった。7月公開だったので赴任前に見るため、6月15日に会社を早めに抜け出し京橋の映画美学校へ試写会に行ってきた。
 
映画は東南アジアで第二次大戦の終戦を迎え、戦後も日本へ戻らなかった未帰還兵を追った作品。戦争を題材にした映画と言っても、生々しい場面が続くというわけではなく、もちろん娯楽でもない。タイに暮らす6人の元日本兵の独白が淡々と続くいたってシンプルなドキュメンタリーだ。
 
おこがましさを承知で言わせてもらうと、作品の完成度は高くないと思う。ストーリー、録音、聞き取り、そして質問の掘り下げ。手探りの中彼が作り出してきたということが伝わってくるし、彼自身作品にはほとんど満足していないと思う。ただ、この映画の最大の価値は戦後60年以上、世の中に取り上げられることがほとんどなかった未帰還兵の言葉を30歳の若造が記録として残したことだ。
 
戦後60年、未帰還兵も皆80歳を過ぎ、映画の制作中にも主人公6人のうち2人が亡くなっている。松林要樹は時間との戦いに挑み、あと5年もすれば消えてしまっていただろう歴史の生き証人の遺言を残したのだ。歴史の記録としてそれだけで素晴らしいことだと思う。あとはそれを見た人たちが未帰還兵の遺言をどうとらえるか。
 
「タイってごはんおいしいし、海もきれいだし、いいよね~」なーんて言いながら気軽にタイを訪れている僕らの傍らで、10代、20代で国のために命を捧げビルマで地獄を見た人たちがひっそりと暮らしているなんて、彼の話を聞くまではまったく知らなかった。
 
ある人は日本人として日系企業に勤め、ある人は戦友たちの骨を集めて慰霊塔を建て、ある人はビルマのカレン族とともに現在も難民キャンプに住む。日本人であるからには、よくも悪くも日本の歴史からは逃れられない(と僕は思ってる)。だからこそ戦争を知らない僕らの世代が、彼らの言葉を受け継いでおかなければならないんだろう。
 
試写会後、彼の姿を見つけしばし話し込む。彼とは旅の途中のバンコク以来、8年ぶりの再会。お互い大して顔も覚えていなかったはずなのに、顔を会わせたとたん蒸し暑い夜に語り合った時間がフラッシュバックする。お互い年をとったなあ。いや、成長したというべきか。
 
彼は映像作品を作り上げることに自分の道を見つけ、僕は二転三転しながらようやく企業の中で自らの場所を見つけた。共有している感情があるからこそ感慨深かった。そういえば僕の高校時代の将来の夢は映画監督だったなあ。自分の名前でモノを作り上げることができるってすごい。
 
映画「花と兵隊」7月よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー。興味のある方、ぜひ足を運んでみてください。
 
   

Written by shunsuke

2009年6月21日 at 6:20 午後

カテゴリー: エンターテイメント

日本の自然を満喫する:犀川でラフティング編

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中国に行く前のミッション、日本の自然と文化を目に焼き付けていこうということで、6月6日(二週間も前…)にラフティングに行ってきた。日本の自然と言えば山・川・海。それの第一弾、川編です。
 
雨が心配されていた空もなんとか持ち、朝7時新宿発のあずさ1号で松本へ向かう。時代が時代なら8時ちょうどのあずさ2号になるのだろうけど、21世紀のあずさ2号は新宿行き。松本で名古屋からきた5人と合流し、7人でラフティングのスタート地点へ。
 
槍ヶ岳や穂高を源流として上高地から流れてくる梓川は途中でほかの川と合流して犀川になり、千曲川となって新潟県に入ると信濃川になる。信濃の国を流れている時は千曲川で、越後に入ったら信濃川になるのはなんか不思議。なんでなんだろう?
 
そんな犀川にいざ漕ぎ出し、こんな感じで川を下っていく。流れはゆるやかでスリル満点という感じではなく、ゆったり川下りといったところ。深まってきた山の緑がまぶしく、川面をつたう風が気持ちいい。
 
 
大きな淵で岩から飛び込んでみた。上高地から流れてきた雪解け水はとても冷たく、ウェットスーツを着ていても5分くらいが限界。
 

およそ一時間半の川下り。最後は流れも緩やかになって、自ら流れてみる。どんぶらこっこと桃太郎状態。もはや下ってるのか流れているのかよくわからない。川の流れに身を任せて空を見上げていると、すーっと自然の中に溶け込んだ気持ちになる。気持ちよかったなあ。

最後にお世話になったサンデープランニングのインストラクターの二人をパシャリ。二人とも地元なのかなと思いきや、出身は四国と京都だとか。都会の欲望にまみれた7人とはちがってさわやかな二人でした。Kaggyに王子、ありがとう。

Written by shunsuke

2009年6月21日 at 5:23 午後

カテゴリー: 旅行

「李香蘭」@四季劇場・秋:世代を越えて語り継がなければならないもの

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6月9日夜、劇団四季のミュージカル「李香蘭」を見に行った。いやーほんと陳腐な表現で申し訳ないんだけど、素晴らしかったです。
 
僕が李香蘭の名を知ったのは確か2004年の夏のこと、山口淑子さんが連載していた「私の履歴書」だった。日本人の両親のもとに生まれながらも、中国人として歌い一世を風靡した戦中のスター。その彼女の半生を描いた作品かと思って劇場へ向かったが、予想を超えた展開に驚かされた。
 
作品は、1920年代から45年にかけて日本が戦争への道をひた走り破滅に向かっていく激動の時代を、戦争に利用され時代に翻弄された李香蘭の人生を通じて鮮やかに描いている。
 
戦争を描くのは難しい。敵と味方、攻める方と攻め込まれた方。そのどちら側に立つかによって"歴史の事実"はまったく別物になってしまう。だからこそ、この作品では余計な脚色をまったく排除して二つの国を愛した女性の視点を通すことで、日本寄りでも中国寄りでもなく戦争によって狂わされた数多の人の運命と希望を描こうとしているのだと思う。
 
日本人と中国人が戦争の中で何を思い、戦争により何を失い、そして何のために生き、死んでいったのか。言葉の一句一句が観ているものの心に響いてくるのは、李香蘭という実在の、それもまだこの瞬間も存命の女性を通してその戦争の事実をたどっているからなんだろう。
 
一番印象に残ったのが劇中最後の場面。法廷で無罪を告げた裁判官が李香蘭に対して伝えたこの言葉。「憎しみを憎しみで返すなら争いはいつまでも続く。徳をもって怨みに報いよう」
 
「日本は開戦と敗戦の責任を情緒論には流されず、自らの手でしっかりと裁き歴史に刻印しなければならない」企画・構成・脚本を手がけた浅利慶太は常々そう語っている。彼なりのけじめがこの作品であり、この裁判官のメッセージなのだと思う。
 
この舞台をただのミュージカルと侮ってはいけない。これは時が過ぎ去るのを待つことで、戦争を遠い過去のものとしようとしている日本人への挑戦状だ。
  
中国にいた時に付き合っていた中国人の彼女と話した戦争のこと、日本人というだけで彼女の家族から拒絶されたこと。それらの思い出が物語と重なり合って涙が止まらなかった。
 
あとから知ったんだけど、李香蘭こと山口淑子さん本人も初日に観劇したらしい。御年89歳、まさに生きてきた軌跡が歴史そのものだ。自分の人生を演じている演劇を見るってどんな気分なんだろう。
 
    
 
それにしても中国に行く前に見ることができてよかった。活字でしか語ることができないあの時代を、自らを投影しながらこうして感じることができて自分の中で少しは整理ができた気がする。浅利慶太の挑戦状をしっかりと受けとめて中国へ行こう。
 
6月21日まで浜松町の四季劇場でやっているので、ぜひ見に行ってみてください。全力でおすすめします。

Written by shunsuke

2009年6月11日 at 1:49 午前

カテゴリー: エンターテイメント

藤原和博『サクラサク』

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南寧での仕事に備えて最近ビジネス書を読んでます。友人イチオシの『サクラサク』を読んだので忘れないうちに備忘録を。
元リクルート、和田中学校の校長を務めている藤原さんの本。中学校一年生なるはずだったのに一年間だけ中学校の校長を務めることになったサクラを主人公に、わかりやすく組織のありかたを伝えてくれる。難しいことを難解な言葉で説明するのって誰にでもできるけど、複雑なことを誰にでもわかるように伝えるって難しいんだよね。
■テーマ:他人から信頼と共感を得ることが組織経営の目的
■ポイント(気になったところだけ)
①いい組織では常にカイゼンが起きていて、カイゼンはシンボルを探しそのツボを押すことから始まる
一人一日一回いいことをしよう。そうしたら3年で1000か所よくなるはずだ、そう考えた校長サクラは校長室を開放することを決めた⇒閉鎖的な学校の一番閉ざされたところを開くことで「変わった」というメッセージを送ることができた。
②目標はみんなが口ずさめるものが一番
実現できないと目標ではなく幻想になってしまう
③魅力を見直せばほしいものと交換できる
中学生の運動データは、携帯メーカーにとってはなんの意味のないものだけど、シューズメーカーにとっては商品開発につながる大きな価値がある。自らが持つものを見直すことで価値を見出し利益をもたらすことができる。
④メンバーのキャラをつかんでうまく組み合わせる
サクラは一日二人ずつ校長室に呼んで一緒に給食を食べた結果、先生や生徒の知らなかった一面を知ることができた。メンバーのことを知れば知るほど、メンバー同士の共通点と相違点が見えてくる。何よりも自らが胸襟を開いてメンバーの話を聞くことで相乗効果のある人の組み合わせが見えてくる。
⑤捨ててみて初めて大切なことが見えてくる
⑥いい習慣が強い集団をつくる
⑦リズム感は速い決定、実行、修正のサイクルによって生まれる
サクラ、サク
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Written by shunsuke

2009年6月10日 at 11:54 午後

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