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Archive for 1月 2009

DAY8: ガンガーと野良牛

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 NJPからの列車は16時間遅れてムガルサライに到着。ホームに降り立った瞬間「ハロー、マイフレンド」と笑顔でいかにも胡散臭い口ひげを生やしたリクシャドライバーが声をかけてきた。なんかいよいよインドに来たって感じだ。 それにしてもなぜ第一声からマイフレンドなんだろう?そんなにあっさり使ったら逆に怪しく感じると思うんだけど。

怪しいマイフレンドを避けてオートリクシャに乗り、20分ほど揺られるとガンガーとバラナシの街が見えてきた。リクシャを橋の上で止めてもらい、ちょうど夕暮れ時の川と街を眺める。おお!ガンガー!

 

ガンガー沿いの町並みは古く、石畳の細い路地が入り組んでいる。宿はその迷路のような路地の先にあった「Puja Guesthouse」。ルーフトップのレストランから見るガンガーが素晴らしい。

宿に着くとロビーでシンガポーリアンと仲良くなった。彼も今日バラナシに着いて、二日後に同じ列車でアーグラーへ行くとのこと。お互い一人旅で、遺跡好き。中国語でも話せるのがうれしい。こういうのがあるからゲストハウスにはロビーは必須だよね。

バラナシは、これまでの街(コルカタとダージリン、シリグリしか行ってないけど)同様、いやそれ以上に牛が道を我が物顔で歩いていた。「インドには野良牛がいる」そんな話は聞いていたけど、実際に見ると街中で会うと最初は結構ビビる。百聞は一見にしかず。 

インドの牛は幸せだ。他の国では食べられてしまうけど、ゴミを食べ、自由に街を闊歩する。かといってヒンドゥーで神聖な牛をインド人が日ごろから大切にしているかと言えばそうでもない。市場では商品に手を(口か?)出そうとして叩かれ、路地で道をふさいでいる邪魔物のようにどかされる。野良牛生活も楽じゃない。

Written by shunsuke

2009年1月31日 at 10:22 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY7: Late 10 hours

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三日間過ごしたダージリンを後にしてバラナシへ向かう。トイ・トレインで7時間かかった道も乗合ジープで行くと3時間ちょっと。敢えてゆっくりと行く、改めてぜいたくな鉄道の旅だった。

 
麓のニュージャルパイグリ(NJP)に着き、ダージリンで予約したNJPからバラナシ近くのムガルサライまでの列車を確認するため駅の窓口に行く。
 
窓口には列車の到着時刻を知らせるホワイトボードがあるのだけれど、そこに"10 hours late"の文字が。あー、噂に聞いていたインド鉄道か。どうやったら10時間も遅れるんだよ、乗る人かわいそうに…
 
なーんてことを考えてポケットからチケットを出してみると、見事自分の乗る列車だった。5分くらいやるせなさにひたり、とりあえず荷物を置くためにホテルを探す。あがいても仕方ない。見どころも何もない街だけど、逆に素のままのインドを知るにはいい機会だ。
 
駅を出ると大量のリクシャが暇を持て余していた。
 
 
リクシャが余っているっていうことはリクシャを引くリクシャワーラーももちろん暇を持て余していた。
 
 
いやいや、街に出ると子どもも暇を持て余していた。
 
 
 
もちろんウシものんびりと。
 
 
ごめんなさい、みんな暇でした。
 
 
10時間もあるので、ホテルに半額だけ払ってシャワーを浴びて仮眠をとる。ホテルの部屋からの景色がいかにもインドって感じだった。
 
 
うとうとしていたらなんか騒々しい音で目が覚める。洗濯物を干した屋上に行ってみると煙が上がっていた。
 
 

「おい、見てみろよ。燃えてるぜ」「あらま、ほんとだわ。あんた、子どもにかまってばかりいないで、たまには私の心にも火をつけて」 「おいおい、その前にすでに火の車のうちの家計をなんとかしようぜ」

 
NJP駅の周りはツーリストもいなくて、(おそらく)普通のインドの街だった。コールセンター大国だけあって、コールセンター教育クラスがあるらしい。そして、その横をゆったりと通り過ぎるノラ牛。これぞインド。
 
 
そろそろ10時間たつぞ。ノラ牛の知らせに駅に向かう。
  
  
10時間後、列車はきっちりやってきた。今回は途中乗車だったので席がとれずエアコンなしのスリーパークラス。ガタガタと線路のつなぎ目が耳に響き、窓から容赦なく夜の風が吹き込んでくる。遅れるし、眠れないし、いいことない。それでも朝がきてまたチャイを飲む。
 
 
ただ、その分景色はゆっくり眺められた。仕事上、やっぱりどんなものが畑に植えられているのか、どんな木が生えているのか気になってしまう。ダージリンを離れてからバラナシまでずっと平地が続き、そのほとんどが畑になっていた。雨も多いはずだし、豊かな土地だ。少なくとも間違いなく中国よりかは恵まれている。
 
 
そしてもう少しでバラナシに着くころ、突然一眼レフが動かなくなってしまった。2000年に買ったミノルタX-700。考えてみればミノルタはコニカミノルタになって、そのあとソニーにカメラ事業を売っちゃったわけで、時代は流れている。さすがにガタがきているんだろう。酷使してきたからなあ。
 
バラナシで修理屋を見つけて直そう。デジタルだったら危険だけど、マニュアル一眼ならなんとかなるはず。

Written by shunsuke

2009年1月26日 at 10:46 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY6: 山と紅茶と穏やかな人たち

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ダージリンは実にゆったりとしたところだった。朝起きてカフェに入り、ゆっくりチャイを飲む。街は斜面に沿って広がっていて、メインストリートにツーリスト向けの店が並んでいた。
 
 
 
メインストリートを一本外れると、そこは普通の町。だけど他のインドの街とちがいそこに暮らす多くの人はチベット系の人たち。そしてアーリア系の人たちもいっしょに暮らしている。街を歩いていても、顔立ちは日本人そっくりな人が多い。
 

 
 
そういえば、インドの街には必須の牛もほとんど見かけなかった。2,000mまで登ってこられなかったのか?それとも食べられてしまったのか?どちらにしても住民の多くは仏教徒なのだから牛にとっても居心地が悪いだろう。

 
三泊した宿"Buddhist Lodge"のスタッフ、シュクリナもネパール人とアーリア系の混血だった。彼は僕が熱を出して寝ている時、オーナーに内緒で昼ごはんをつくってくれ、暖かいチャイを何度もつくってくれた。そして、お金を払おうとしても「受け取れないよ」と断られた。
 
 
 
部屋は寒く、他の旅行者と話すロビーもない。そんな宿だったけど、そんな親切な彼がいてくれて居心地のよい宿だった。見知らぬ土地で弱っている時に手を差し伸べてくれる、これほどうれしいことってないなあ。だからせめてこの場で宣伝、ダージリン行くことあったらぜひ"Buddhist Lodge"へ。
 
そういえば、トイ・トレインの中で一緒になった人たちも何か売りに来るたびに僕の分まで買ってくれ、チェンナイの5人組も「ここは僕たちの国だから」と言ってお金を受取ってくれなかった。みな暖かい人たち。ぼったくりばかり、そんな話に聞いていたインド人観がどんどん崩れていく。こういう裏切られ方ならいつでも大歓迎だ。

Written by shunsuke

2009年1月25日 at 10:51 午後

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DAY5: 丘の上からカンチェンジュンガを眺める

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旅のハイライトのひとつ、タイガーヒルからの朝日を見るために4時に起きる。山の朝は寒い。外に出るとマイナス5度、そして部屋に暖房がないから部屋の中も同じくらい。
 
宿から駅まで歩き、ネパール人ツーリストをたくさん乗せた乗合ジープに飛び乗る。タイガーヒルまでは30分の道のり。8人乗りジープに14人を乗せ、凍った道を行く。もちろんタイヤはツルツル、道にはガードレールもない。
 
無事丘の上に着き、外の展望台で凍えながら待つっていると、おばちゃんがチャイを売りにきた。ミルクでいれた砂糖たっぷりのチャイを一口飲むと、それだけで身体の芯からあったまっていく。生き返るなあ~。周りをよく見ると、9割以上を占めるインド人ツーリストはプラスチックのカップをその辺にポイポイ捨てている。おいおい、さすがにここまで来てそれはないだろ。
 
外で待つこと15分、ぼんやりと明るくなってきた。ダージリンの隣町グム(Gum)の明かりと、真っ白なカンチェンジュンガの峰がだんだんはっきりと浮かび上がってくる。ここからカンチェンジュンガまでは直線距離で30kmくらい。その距離を感じさせない雄大さに圧倒された。間近で見たらさぞかしすごいんだろうな。
 

 
次第に赤身を増していく山々にワオとカメラを構える僕。一方、カンチェンジュンガそっちのけで昇ってくる太陽に大喜びのインド人。大きな山がない南から来た人たちにとっては丘の上から見る朝日はカンチェンジュンガよりも強烈なのかもしれない。
 

 

帰り際に、チベタンゴンパに寄る。モンゴロイドで日本人そっくりな人たち。インド人って一言でくくっても肌の色、宗教、ばらばらだ。地図を見ればすぐ隣はシッキム、そしてその先は中国なんだなあ。そんな自分に似た人たちに囲まれていると親近感をおぼえてくる。そう、ここの朝ごはんは最高にうまかった。
 
 
このダージリン滞在中、"Gurkha land"との言葉、そして "Stop unruly Vandalism activity of Gorkha janamukthi morcha"との政府側のスローガンをよく見かけた。グルカランドはグルカ兵のグルカ。反政府運動が起きているみたいだけど、これだけ見た目も考え方も違ったら起きて当たり前だと思う。

Written by shunsuke

2009年1月24日 at 2:44 午後

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DAY4: 線路は続くよ山の上まで

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朝、甘い香りで目が覚める。隣に寝ていたシッキムから来た彼がチャイを持ってきてくれた。素焼の器にティーパックを入れて砂糖のたっぷり入った熱いミルクを注いである。寝起きの身体に濃い目の紅茶がしみわたっていく。ティーパックなんだけどなんでこんなにおいしいのだろう。幸せな朝ですよ、ほんと。
 
 
9時前にダージリンの入口、NJP駅に到着。予約していたダージリン鉄道に乗り換える。海抜0mのNJP駅からダージリンまで100km弱の道のり、2,000mの高低差を8時間かけて登っていく山岳鉄道だ。レールの幅はインドの普通の鉄道の半分くらい(左が普通、右がダージリン鉄道)。だから別名トイ・トレイン、列車の中もおもちゃみたいにコンパクト。
 
 
列車は珍しく定刻どおりに出発。2等席で25Rp、50円くらい。蒸気機関車はもうNJP発には使っていないらしく、ディーゼル機関車だった。ちょっぴり残念。
 
トイ・トレインはベンガルの裏路地を縫うようにゆっくりと村々の中を進んでいく。スピードは早漕ぎの自転車くらい。だから、普通に歩いている人と会話ができてしまう。そして子どもたちはちぎれるくらい手を振ってくる。田舎のインドの暮らしを知るにはもってこいだ。
 
 
しばらく過ぎると自然保護区に入ってきた。左手にはイギリス植民地時代からのチークの森、右手にはうっそうとした森が広がっている。まだベンガルトラも住んでいるらしい。
 
 
ダージリンはインド人にとっても人気の観光地みたいで、トイ・トレインはインド人観光客で満席。南から来た人が多くて、外国人は僕一人。
 
 
物売りが来ると「これ食べてみろ、うまいぞ」とみんな僕に買ってくれる。インド人、人懐っこい。お皿もチークの葉でつくられていて趣たっぷり。
 
 
しばらくすると列車は次第に上りに入り、ダージリン、シッキムへと続く一本道に沿いながらよっこらせと登っていく。ちょくちょく道を横切るのだけど、もちろん踏切なんてない。
 
 
絵になるなあ。
 
 
極めつけはスイッチバック。急勾配を上るために何度も止まっては、どこからともなくおじさんがやってきて、ポイントを切り替えてくれる。そして前後逆になって再び列車は登り始める。まるで空まで続く線路を登っていくようにひたすら登る。
 
 
暗くなりかけた頃、ようやくダージリンに到着。腕時計が指す標高は2,085m、もちろん息は白い。山の中というよりも、すでに街は山の上だ。ふもとの人たちとは全然違う顔の人たちが僕らを迎えてくれた。
 
 
夜は列車の中で仲良くなったチェンナイから来た男5人組とダージリンティを飲み、キングフィッシャーで乾杯。歌って飲んでぐっすり眠る。 明日は早起きしてタイガーヒルに上ってカンチェンジュンガを眺めよう。

Written by shunsuke

2009年1月21日 at 9:14 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY3-2: エロは世界の共通語

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いよいよバスもコルカタの市街地へ近づいてきたころ、隣のビジネスマンがふと尋ねてきた。「そうだシュン、お前タイに行ったことあるか?」ああ、あるよ。と答えるとすかさず言葉をつないできた。「パタヤは行ったことあるか?」ん?パタヤってあのパタヤか、パタヤはないがパタヤみたいな場所には行ったことはあるぞ。すると、彼はニヤッと笑いこう言った。「コルカタにもパタヤがあるんだ。今から一緒に行かないか?」
 
なるほど、こういう展開か(笑)一見哲学者みたいな風貌して、考えることは変わらないんだな。スケベは世界共通だ。「100%インディアンビューティだぞ」との言葉にはぐらっと心が動いたが、あいにく次に乗る夜行のダージリンメイル(Darjeeling Mail)まで3時間ほどしかなかったため丁重にお断りをしてサダルストリートに向かった。
 
  
 
コルカタは大きな街だ。ツーリストが集まるサダルストリート付近は大きなマーケットになっていて、食べ物やから土産物屋までそろい人でごったがえしている。バングラからインドに入っても人、人、人。熱気がすごい。日本で買い損ねたチェーンロックを探し歩き回っていると右足にへんな感触、よく見ると巨大なネズミの死骸だった。こんなところもバングラと同じ。
 
 
インドの鉄道は全路線をネットで予約できる。コルカタからダージリンの近くニュージャルパイグリ(NJP)までの列車は一か月以上前に日本からネットで予約していたのだけど、実は当日にならないと席がわからない。しかもホームに名前と座席番号が書かれた紙が貼られて初めてわかるらしい。
 
 
 
少し早目にSealdah駅へ向かい不安半分でホームで確認すると、掲示板にしっかり名前があった。日本からネットで予約できるハイテクと、この紙を張るローテク。このアンバランスな組み合わせがインドっぽいんだろうな。
 
シッキム方面に向かう列車だけあって4人コンパートメントはネパール人にアジア系の顔立ちのグルカ青年だった。蚊に悩まされたダッカの夜よりずっと快適な寝台で熟睡してさあいざヒマラヤ、ダージリンへ。

Written by shunsuke

2009年1月19日 at 10:37 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY3-1: 緑の大地

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三日目、朝5時に起きてダッカをあとにする。7時発なので、6時半に来いと言われていたが5分遅れでバスターミナルに到着すると、遅いぞ!と怒られた。バスも定刻通りに出発。むむっ、この国意外と時間にはきっちりしているのかも。
 
コルカタ行きのバスは市内を走るバスと違い豪華エアコンバスだった。隣に座ったのはコルカタに帰るインド人ビジネスマン、英語が通じるのがうれしい。バスは朝もやの中緑色の大地を西へと向かう。土地という土地はほとんど農地になっていて、その八割くらいが水田だった。ビジネスマンに聞いたところこのあたりでは三毛作が可能らしい。
 
 
途中、大きな川を渡る。隣のビジネスマンに聞くとホッタリバーとのこと。
 
 
バングラの海沿いは川ばかりなので、地図を見てもどの川かわからなかったけど、とにかくデカい。バスごとフェリーに乗り、15分ほど船に揺られる。改めてGoogle Mapを見ると、ガンジスの下流。川幅は10kmほどもあった。橋がないのも納得。
 
 
途中、昼ごはんを食べる。よくありそうなドライブインで、フィッシュカレーが出てきた。川魚なんだけど、臭みがなくてうまい。
 
 
スパイスの深い味にびっくり。スプーンを使って食べているとビジネスマンが一言、「なんで手で食べないんだ?」やはりきたか。でもほら、ナンだったらわかるけど、これ米だし。そんな言い訳をしながら回りを見ると、当たり前のように誰もスプーンなんて使っていない。
  
よく知られているように左手はおしりをふく手なので、皆右手でご飯とカレーをこねくり回して器用に食べている。面白いのは左手で皿を触ろうともしないこと。食堂にはきちんと手を洗う場所があって、石鹸とタオルが置いてあるのだけど、手を洗う時や口をすすぐときも右手だけで済ますのにはびっくりした。そこまで徹底するか。
 
15時くらいに国境到着。結局ロードパーミットなしで来たのだけれど、イミグレでパーミットの「パ」の字も出てこなかった。聞かなくてもいいのに国境で「ジャパニーズだぞ、パーミットいらないのか?」なんて聞いてみたのでけど、「おお、ジャパニーズか。名前はなんだ?そーか、しゅんか。トーキョーか?おお!トーキョー!!You’re most welcome!」とハグまでついてきた。
 
どうやら昔は必要だったみたいだけど、すでに現場レベルでは形骸化して必要なくなっているようだ。それにしても人がいいというか、ツーリストずれしていないというか、バングラデシュはいい国だった。インド側のイミグレで「Give me some legend」とバクシーシを露骨に要求されたのとは対照的。
 
国境って不思議だ。国境を越え別の国に入ると、今朝出会ったばかりのバスの乗客たちの間に一体感みたいなものが生まれてくる。今回もイミグレで手間取って遅れてインド側にやってきた僕を乗客たちがチャイで乾杯して祝ってくれた。そういえば、去年のフンザからカシュガルへのバスでは国境越えの後みなでビールで乾杯したっけ。
 
インドに入り2時間ほど走って夕食。今度こそ手で食べよう!そう決めドライブインに入ると今度はマトンカレーがでてきた。恐る恐る手をのばして米とカレーを混ぜてみるが手で触ると意外と熱い。で、うまく食べられない。初めて一人でごはんを食べる赤ちゃんみたいにポロポロ米がこぼれていく。むむっ思ったより手ごわい。
 
よく周りを観察するとみなショベルカーのように手首を曲げて口に運んでいる。なるほど!こうすればこぼれないでうまく食べられるのか。きれいに完食し、インド人と一緒に右手だけで手と口をすすぐ。食後にビジネスマンが一言"Once you come to India, you should eat by your hand. Because you have four spoons on your right hand" こいつ、いいこと言うなあ。

Written by shunsuke

2009年1月19日 at 8:50 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY2: 混沌の街、ダッカ

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僕にとってバングラデシュは小さい時から気になっていた国だった。「バングラデシュの子どもたちは食べたくても食べられないのよ!」小さい頃食卓に出されたものを残そうとすると、毎回母の口から「バングラデシュの子どもたち」が出てきたのだ。当時、世界中に飢餓に苦しむ国はいっぱいあったはずで、なぜバングラデシュだったのは知らなかったが。
 
後日聞いたところ、ジョージハリスンが開いたバングラデシュ難民救済コンサートが強く心に残っていたからだとのことだった。ともかく僕にとってバングラデシュとは、若干の留学生の知人たち、そして飢えた子どもたちとの印象しかない場所だった。
 
そんな国に降り立ち、空港を出るとそこは人、人、人。事前に聞いていたとおり人だらけ。途上国では昼間から何をしているかわからないような人が多いけど、ここはこれまでのどこの国よりも人の数が違う。
 
 
考えてみれば、バングラデシュの人口密度は1000人/km2、ジャワ島と同じくらいで、日本の三分の一くらいの国土に日本よりも多い1億4千万人がくらしているのだ。そりゃ、人だらけなのも仕方ない。裏を返せば、それだけの人を養えるほど土地が豊かだということになる。まさに黄金の国、ベンガル。
 
ダッカでお世話になったのはドエルハウス。以前大阪に留学していたご主人のブイヤンさんと、ダッカで針の仕事をしている康子さんが自宅の一角をゲストハウスとして提供している。閑静な住宅地にあり、居心地のいい空間だった。
 
ブイヤンさんに翌日のインド行きバスの話を聞き、カマラプール (Kamlapur) の鉄道駅に向かうと、コルカタ行きのほかにダージリン近くのシリグリまでの夜行の直行便もあるとのこと。迷ったけど、コルカタ→シリグリの列車の切符を購入していたことと、昼間にゆっくり土地を見たかったので朝7時発のコルカタ行きに決定。国境を越える鉄道もあるんだけど、土曜日のみ運行だった、残念。
 
ダッカ市内の道を行くのはサイクルリクシャ、そして乗っているとガタガタうるさいおんぼろタクシーとボロボロのバス。バスはどれも年代物で、どうしたらこんなに傷だらけになるのかがわからないくらい。そのほかはやたら人が道を歩いている。とりあえず、人が多い。
 

 
普通の道ではリクシャが2列になって走っているので、タクシーに乗ってもなかなか前に進まない。ましてや交差点ではそれに歩行者も加わってもう大混乱。ともかく人が多い。そして空気も悪い。
 
それに加えて年末に総選挙を控えていて、街のいたるところに候補者を書いた旗がロープに吊られていて、人々がシュプレヒコールを叫んで行進していた。何を言っているのかはわからないけど、みな何かを訴えているというより、音楽とコールに合わせてパレードするというかんじ。まるでお祭りだ。
 
 
そんなこんなで街を歩いていると、すぐに人が寄ってくる。暇人が多い上にツーリストが少ないからこれも当然かも。英語を話す人はほとんどいないけれど、ブイヤンさんから教わったベンガル語のフレーズを使うとみな大喜び。これだけツーリストにかまってくれる国は退屈しない。
 
夜は友人と久々の再会。語り合い、遅くに就寝。わずか半日だけのダッカだったけど、一週間くらいいたような疲れを感じた半日だった。

Written by shunsuke

2009年1月18日 at 10:25 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY1: バンコクトランジット

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バングラデシュとインドから帰ってから二週間、すっかり旅ぼけしていました。改めて、明けましておめでとうございます。
 
今回は出張から帰ってきて、2日後に出発という強行軍。いつもにもまして時間がなく、一睡もできずに出発の朝になった。結局仕事は全部片付けることができずUSBを持っていってバンコクで終わらす羽目に。出張が後ろにずれた結果とはいえ、これは反省です。
 
30分でパッキングを終わらせて、家から千葉駅まで早足で歩き汗だくになって成田空港行きに飛び乗る。みんなクールにスーツケースを抱えている中、冬山仕様のゴアテックスとバックパックに汗だくの僕、なんか視線が冷たいなあ。
 
バンコク行きSQは時間より前にテイクオフ。クリスマス前ということで、窓際にリースが飾ってあるのが印象的だった。
 
 
乗客はほとんどがタイに向かう日本人。同じ中華系でもやっぱり大陸とは違う。12月中旬の出張で久しぶりに一週間滞在して、服務が「サービス」になりつつあるのに驚いたけど、店側が押し付けでやっているサービスとの印象が強く、まだまだこういう細やかな気配りまでは及んでいない気がする。
 

 
 機中で書き損ねた年賀状を書き、映画を一本を見たらバンコク到着。バンコクでは大学の先輩であるHさんとひさびさにじっくり話す。5年勤めた会社を辞めて2年間勉強して転職し、この10月からバンコク駐在。自然体ってこの人のためにあるような言葉で、いつ会っても飾らない言葉で話が弾む。そして、いつ会ってもバランスとセンスがいい。
 
お互い勉強している時にアジ研で会ったりもしたけれど、いざ自分が仕事を始めてみて仕事をやめ勉強する決断がいかに難しくて勇気がいることかがわかってきた。Hさんの信念と努力、やっぱりすごい。快適な夜をありがとうございました。
 
翌日、Hさん宅の屋台で大好きなカオマンガイを食べ、空港に向かう。スクンビットでも30Bで食べられるのがうれしい。この独特なごはんとパクチ、そしてスウィートチリソースを食べると東南アジアに来たなあという気になる。
 
 
ダッカ行きタイ航空の乗客ほとんどがバングラ人。さすがにツーリストはほとんどいなかった。機中で隣になった英語の堪能なおっちゃんと話す。聞くとバングラ生まれだけど、今はオーストラリア国籍だとのこと。
 
 
「仕事を続けるために国籍を変えたけど、やっぱり故郷はいいよ」そう言いつつも、外国人として入国カードを書くときのおっちゃんの複雑な表情が印象的だった。そんな感じで国を出たいきさつ、祖国への思いを聞いていたらあっという間に着陸態勢に入っていた。 
 
さあ、いよいよ黄金の国、ベンガルだ。

Written by shunsuke

2009年1月18日 at 6:17 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India