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バングラデシュ&インド旅行 Index

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バングラデシュ&インド旅行:2008年12月23日~2009年1月5日
 
■地図:陸路移動距離およそ2,700km
  
 
■旅程
12/23 SQ631 東京(NRT)9:25 → バンコク(BKK)14:40
12/24 TG321 バンコク 11:00 → ダッカ(DAC)12:30
12/25 ダッカ → カルカッタ →(列車泊)
12/26 → シリグリ → ダージリン
12/27 ダージリン
12/28 ダージリン
12/29 ダージリン → シリグリ →(列車泊)
12/30 → バラナシ
12/31 バラナシ
1/1 バラナシ →(列車泊)
1/2 アグラ
1/3 アグラ → デリー
1/4 SQ405 デリー(DEL)7:45 → シンガポール(SIN)15:45
  SQ632 シンガポール 20:40 → 東京 7:00(+1day)
 
■日記
 

Written by shunsuke

2009年2月7日 at 5:58 午前

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY12: タージマハルで愛の意味を考えてみた

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早朝五時、目覚まし代わりの携帯タイマーが鳴り響いて目が覚める。今日はタージマハルでサンライズを見に行くのだ。
 
まだ真っ暗な外に出てみると、息が白い。そして、肌にじんめりくるような湿気。なんかいやな予感がする。隣で寝ているハウウォンを起こし、歩いてタージマハルのイーストゲートへ向かうがなかなか空は明るくならない。ああ、霧でなにも見えないのか。
 
20分ほどならんで350ルピーの入場料を払い中に入る。すっかり空は明るくなっているのにまだ周りは真っ白な霧に包まれている。街中が霧に包まれてしまった感じで、近づいてみてようやくタージマハルがぼんやりと見えてきた。
 
 
遠くから大理石の白とシンメトリーを見たかったのに。まあ、そう愚痴を言っても天気だから仕方ない。そばに寄ってみてみると想像していたよりもデカい。これを人力だけで遠くから運んできて積み上げたんだからすごいよ。中に入ると、霧と大理石の白と影の黒がコントラストを描いていて、まるで白黒写真の世界に迷い込んできたようだ。
 
 
一方、もう一つのみどころアーグラーフォートはガラッと変わってラジャスタンの赤い石でつくられている。ここもファティプル・シクリと同じく地元の人の憩いの場所にもなっているみたいで、赤い砦と原色のサリーとショールが鮮やか。みんな色づかいがうまいよね。
 
 
アーグラーフォートの中にはタージマハルを建てた5代皇帝シャー・ジャハンが幽閉された部屋があった。赤い石の宮殿の中、そこだけぽっかり白い大理石でつくられた部屋。まるで真っ黒になってしまったオセロの中に一枚だけ残った白のよう。
 
ガイドによると、シャー・ジャハンはは自分の妻たちのために、彼が好きな白い大理石を使ってアーグラーフォート内に住居を建てた。しかし最愛の妻ムムターズ・マハルの死後、息子のアウラングゼーブによってそこに幽閉されてしまい、最後はそこから愛する妻のために建てたタージマハルを見つめながら死んでいったという。
 
 
一説によるとシャー・ジャハンはムムターズ・マハルが死んだ時、一夜にして髪が真白になってしまったらしい(とガイドが言っていた)。もしかしたらシャー・ジャハンにとって、彼女がいない世界なんて意味のないものだったんじゃないだろうか。そうだとしたら、自分が愛する建物に幽閉されて、愛した人が眠るタージマハルを見ながら死んでいった彼の晩年はとてつもなく幸せなものだったのだと思う。
 
"You don’t know the meaning of love, you should go Taj Mahal!!"  日本を出る前にそんなことを聞かされたけど、シャー・ジャハンの死にざまを聞き、霧の向こうにうっすらと浮かぶタージマハルを眺めていたら、ふとこの言葉が腑に落ちた気がした。愛ってこういうことだったのね。
 
 
いろいろあったインドの旅、最後はそんなことを考えながら帰途についた。

Written by shunsuke

2009年2月5日 at 10:42 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY11: 古いものを大切にする国

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2泊したバラナシをあとにして、夜行でシンガポールから来たハウウォンと一緒にアーグラーと向かう。アーグラーまでの列車は2Aクラス、バラナシまでのスリーパーと違って、個室でない寝台の中では最高のクラスだけあって乗客も上品な人が多い。
 
一緒のコンパートメントになったのはいかにもインドの上流階級といった感じの3人家族。夫婦はもちろん、娘のアスタちゃんも英語が達者で話がはずむ。一家はバラナシ在住でお父さんはインド鉄道で働く公務員、アーグラーまでタージマハルを見に行くらしい。言葉づかい、態度、心づかい、すべてが上品だった。品性って国民性じゃない、やっぱり教育なんだなあ。
 
出発して少しするとアスタちゃんとママのチェス対決が始まった。さすが上流階級。それとも、これって日本でいうと将棋をやるようなものか?ママとアスタちゃんのチェス対決はママの勝ち。負けて地団駄を踏むアスタちゃんがかわいい。
 
 
そして夕食時になると、一家のカバンの中からお弁当やおやつがいっぱいでてきて、食べてみてとすすめてくれる。チャイの売り子が通りかかれば僕の分も買ってくれて、お金は受け取ろうとしない。
 
ダージリンまでの列車もそうだったけど、この国は心が温かい人が多いよ。それが高じてしつこいとも感じるのかもしれないけど、だって日本で逆の立場だったらほとんどの日本人の家族は話すこともないんじゃないかな?で、僕はこの温かさとしつこさが好きだ。
 
夕食後、アスタちゃんのおねだりでママとチェスの再戦。すると今度はアスタちゃんの勝ち。勝って手放しで喜ぶアスタちゃん、でその二人を目をすぼめて見守るお父さん。なんか幸せを絵にかいたような家族だ。
 
翌朝、インドらしく6時間遅れてアーグラーに到着。タージ近くのゲストハウスに荷物を置き、屋上のレストランからさっそくタージマハルを眺める。
 
 
 
おおっ!これぞまさに思い描いていた風景。ちょっぴりモヤでかすんでいるけど、タージの美しさはかすみやしない。とりあえずタージは翌朝のサンライズにとっておいて、この日はハウウォンが行きたがっていたファティプル・シクリ(Fatehpur Sikri)へ行く。
 
実はハウウォンに言われるまで名前すら知らず、聞いてすぐにロンプラを開いてみる。ムガル帝国の三代目皇帝アクバルが建設し、14年後に捨てられた都。水不足が理由と言われているが、真相は謎のままらしい。おお!謎の都か、これは面白そうだ。こんなふうに自分じゃ気がつかないところを知ることができる、これが二人旅のいいところだろうな。
 
早速タクシーをチャーターし、一時間ほどトコトコ行くとファティプル・シクリが見えてきた。ラジャスターンで見られるような赤い石でつくられた宮殿跡がにょっきにょっきと並んでいる。
 
アクバルは宗教に寛容な王だったらしく、イスラム様式の都のところどころにヒンドゥーのデザインを取り入れている。さらに、よく見るとユダヤの六芒星なんかもあったりする。ガイドの話によると第一夫人がヒンドゥー教徒、第二夫人からゴアからきたキリスト教徒、第三夫人がイスラム教徒だったという。そうか、当時ゴアにはユダヤ人がいたから六芒星があるのか!と勝手に納得。
 
 
 
宮殿跡の横にはバカでかいモスクが並んでいる。この赤い石を使ったモスクもすごい。ラホールで見たバードシャヒー・モスクにそっくりだ。ムガル帝国時代はここもラホールも同じ国、考えてみたら当然のこと。
 
モスクはニューイヤーらしく多くの家族づれでにぎわっていた。ムスリムの祈りの場というよりもこのへんの憩いの場のような雰囲気。ムスリムもヒンドゥー教徒もシク教徒もみな思い思いにくつろいでいる。ムスリム以外もしっかりスカーフをかぶっていて、色とりどりのスカーフと建物の赤が情緒たっぷり。しばし、ぼーっとする。
 
 
結局、夕暮れ時まで遺跡にどっぷりつかる。この国に来て感じたのは、古いものを大切にしていること。バラナシのガート沿いも石造りの建物、迷宮のような街が残り、このファティプル・シクリもできるだけ元の姿を損なわないよう当時と同じやり方で修復していた。こういうところ素晴らしいなあ。
 
 
どうしても中国との比較になってしまうのだけど、中国にいる時古い街並みが壊されていくことにどれだけ心を痛めたことか。いったん壊したものはもとどおりに戻らない。古い街並みを観光用に形だけ再現して「老街」とかネーミングしている中国人にインド人の爪垢を飲ませたい。
 
 
さあ、明日はタージマハルでサンライズ。いよいよ今回の旅もクライマックスだ。

Written by shunsuke

2009年2月4日 at 10:37 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY10: ガンジスで考えた

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ガンガークルーズにみんなで行こう!昨夜酔っ払いながらシンガポールとメキシコ、そしてイタリアからきたツーリストたちとそんな約束したばかりに朝5時半に起きる。頭が痛い…新年早々完全に二日酔いだ。

でもこの旅の目的のひとつ、ガンガーからの初日の出を見るために頑張って起きる。6時に下に集まるとほかのメンバーも辛そうな顔、8時くらいから1時過ぎまで飲み続ければそりゃそうだ。

近くのマニカニカ・ガートまで歩いて、50歳くらいの船頭に声をかける。案の定50ルピ(100円くらい)ーが相場なボートに「ニューイヤープライス、一人200ルピー」と吹っかけてくる。すると一緒にいたメヒカーナが「なにがニューイヤープライスよ!50ルピーでないと乗らないわよ、新年早々あったまくるわね。まったくこれだからあなたの国はダメなのよ!」とまるで船頭さんに恨みがあるかのように怒り出した。うーん、鬱憤がたまっていたんだろうか。

すると父親のような齢の船頭さんはタジタジで、「そう言わずに50ルピーでいいから他に行かずに乗ってくれよ、ムンバイテロで客が少ないんだよ」と弱気になってきた。のほほーんと200ルピーでもいいやと考えていた僕は、確かに得したんだけど船頭さんがかわいそうなのでちょっと複雑な気分。そういえば、仕事始めてからぼったくられることに腹を立てなくなったなあ。というか、自分が納得していればぼったくられようと別にいいかと思ってきた。きっとお金にシビアなツーリストから怒られそう。甘いんだろうな。

メキシコ人の彼女は「だからあなたの国はダメ」と言っていたけど、3年前メキシコのパレンケの遺跡でタクシーに相乗りして身ぐるみはがされそうになったのを思い出した。人をだますことに関してはどこの国も大差ないような気がする。

ボートでガンガーにこぎ出して10分くらいするとぼんやりと周りの輪郭が見えてきた。岸のほうに目を凝らすとザッブーンという水しぶきとともに沐浴しているがわかる。いかにもガンジス。しばらくすると対岸から朝日が昇ってきた。日中同様、うすいオブラートをつつんだかのようなぼんやりとした朝日。ちょうどボートが通りかかっていい構図。

風情はあるのだけど、太陽を直視しているのにちっとも目を細める必要がないのがちょっぴりさびしい。

クルーズは所定の一時間きっかりで終了、そのあとぷらぷらとガート沿いを歩いていると「すみません、ちょっといいですか?」と声をかけられた。何だ、また物売りかと思って適当に相手をしていると、「何でバラナシに来たんですか?」と真面目な話をふられてびっくり。で、相手がかなり日本語が上手なことにさらにびっくり。

「インド人はみんな幸せになりたくてバラナシにくるんです。お金持っている人も何も持っていない人も、みんな幸せになりたくてバラナシにくるんです」15分くらいの彼との話の中でこの言葉が強烈に印象に残った。

インドに来て一週間ほど、インド人といっしょに右手で米とカレーをこねくりまわし、左手でおしりをふき、そして道をいく牛を眺めていた。最初は嫌悪感のあったこの習慣も気がつけば自然と受け入れられるものだ。でもやっかいなことにそんな一見非合理的な習慣を受け入れてしまうと、これまでの自分の感覚ってなんなんだろうと考えてしまう。

考えてみてほしい。街中に野良牛なんて非合理的な存在そのもの。牛を放し飼い(というか放ってあるだけ?)にすればフンをするし、アスファルトや石畳だったら糞はそこに残る。でもインド人に言わせれば、野良牛はゴミを食べてくれ、その乳がまたチャイになる。こんな素晴らしいことないじゃないか!なんてことになってしまう。

ガンジスもそう。聖なる河とか言っているけど、汚水垂れ流し、ゴミ流しまくり。聖なる河ならゴミ流さなければいいのに。朝、船頭さんにそう聞いたら「いや、聖なる河だからなんでも受け止めてくれるんだ」との答えが返ってきた。確かに理はあるんだけど腑に落ちない。インドにはそんな風に感じることが多い。だから考えてしまうんだ。きっと彼も悩んでる。

つまり僕がこれまで生きてきた中で得てきたモノサシで測れることが少ないんだ。日本語使いの彼の口から幸せになるために…って言葉を聞いた時、自分にとって幸せってなんなんだろうと真剣に考えてしまった。そして、インド人にとって幸せってなんなんだろうとも。

そういえば昨夜、ガートで献花の儀式を家族づれで見に来ていた人たちは老いも若きもみんな幸せそうに見えた。自分が健康で、愛する家族がいること。僕にとってもインド人にとってもこれだけで幸せなんだろうな。

Written by shunsuke

2009年2月2日 at 7:45 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

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DAY9: ガンガーにつかる(ちょっとだけ)

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バラナシ二日目、昨日列車の中で壊れた一眼レフを直せる場所がないか朝から歩く。インドの朝は結構遅い。9時頃から写真屋を探すのだけど10時を過ぎてもほとんどの店はシャッターを閉めたままだ。
 
カメラの状態はというと、フィルムを交換したあとに何回か連続して巻いている時に突然シャッターが下りなくなってしまったのだ。電池ではない。構造が単純なだけにインドの町工場みたいなところでも修理できると踏んで探してみると、「あそこならいけるかも」とコダックのショップから一軒の店を紹介してもらった。
 
「おお、ミノルタか。これは久しぶりだ」直せるのか?と聞いてみると、「とりあえずやってみるので2時に来てくれ」との返事。おお、そうか頼んだぞ。
 
ガート沿いを歩くと、川に階段に牛。ガイドブックで見た光景がひろがる。てくてくあてもなく歩いていると、何やら音楽が聞こえてきた。ヒンドゥーの経典らしきものを太鼓のリズムに合わせて読んでいる。話を聞くと、毎年新年のころに皆それぞれ違った街からバラナシにやってきて、夜通しで24時間経典を読み続けるとのこと。「叩いてみるか?」と誘われたので叩いてみたけど、難しい。10分でギブアップ。
 
 
そうこうしているうちに2時になり、修理屋に行ってみるとなんと見事直っていた。これぞインドマジック!思わずおっちゃんに抱きつき、チップを多めにあげる。やっぱりチップってこういう心から感謝を表したいときにあげるもんだよね。
 
バラナシはインド人にとっても観光地だ。「巡礼地」という響きからもっと厳粛な雰囲気なのかなあと思っていたら、ターバン巻いたシク教徒やチベタンの姿もちらほらいて、インド人はみな観光モードで家族でのんびり船に乗っていた。
 
 
 
もちろん沐浴している人もいて、水中でスクワットするみたいに手を上下させながら頭までもぐっている。水は汚い。パッと見隅田川よりも汚染されていそう。でもそんなことはお構いなしにざぶんざぶんとかぶっている。僕も穢れを落とすべくショートパンツになりガンジスに入る。
 
 
最初はルンジー買って頭からいこうと考えていたんだけど、実物の川を見て気分がなえた。これで十分だろ?ヘタレな割には、よくやった。そんな風に自分をほめて岸に上がると、さっきのホーリーシャワー男がさわやかに話しかけてくる。まるで風呂上がり。しょせんウワベだけじゃのーみたいな顔でニヤニヤサドゥーに笑われてしまった。
 
 
夕方近くになると、ダサシュワメードガート近くにたくさん人が集まってきた。どうやら「アールティ」と呼ばれる献花の儀式があるらしいので、見ることにする。最初はヒンドゥー教の儀式なので後ろからこっそり見ていたら、女の子から「こっちへ来てみなよ」と手まねきされて相撲の砂被りみたいな席で見ることに。
 
招いてくれた女の子は隣の州のパトナの近くから家族づれでやってきたという彫りの深いインド美人。そばにいるだけでドキドキ。なんて単純な男なんだ。バラナシに住んでいる人も、ほかから来た人も夕暮れ時の時間をみな家族づれでやってきて思い思いに時間を過ごしている。
 
儀式はイスラムっぽいにぎやかな音楽に合わせ、(おそらく)マリーゴールドの花にろうそくの火をそえてガンガーに流していく。そして最後にはバラモンからおでこにビンディーをつけてもらって終わりになる。
 
 
 
隣のインド美人の話によると、亡くなった人々へ思いをこめて花を流すらしい。宗教的儀式なんだけど、他者を寄せ付けないものではなくて来るものみな受け入れる、そんな暖かい雰囲気だったのが印象的だった。せっかくなので、僕も最後にビンディーをおでこにつけてもらって宿へ戻る。今年は大好きだったいとこが亡くなったので、彼の供養にもなったかも。
 

夜はPuja Guesthouseの屋上レストランでカウントダウンパーティ。地元のインド人も集まってきて、ツーリストたちと飲んで騒ぐ。インド人は酒飲むとかなり強引で、全然顔色は変わらないのに次々とビールやインドのスピリッツを周りに飲ませボトルが空いていく。白酒なみにたちが悪い。

いつの間に「なんだ、日本人もたいしたことないな」みたいな話になって、僕も彼らに乗せられて3杯ほど空ける羽目に。まさかインドに来てまでイッキをさせられるとは思わなかった。最後は酔っ払いながら日印ダンス対決で年を越す。インディアンヒップホップ、酔っぱらいの千鳥足にしか見えなかった。

Written by shunsuke

2009年2月1日 at 10:47 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY8: ガンガーと野良牛

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 NJPからの列車は16時間遅れてムガルサライに到着。ホームに降り立った瞬間「ハロー、マイフレンド」と笑顔でいかにも胡散臭い口ひげを生やしたリクシャドライバーが声をかけてきた。なんかいよいよインドに来たって感じだ。 それにしてもなぜ第一声からマイフレンドなんだろう?そんなにあっさり使ったら逆に怪しく感じると思うんだけど。

怪しいマイフレンドを避けてオートリクシャに乗り、20分ほど揺られるとガンガーとバラナシの街が見えてきた。リクシャを橋の上で止めてもらい、ちょうど夕暮れ時の川と街を眺める。おお!ガンガー!

 

ガンガー沿いの町並みは古く、石畳の細い路地が入り組んでいる。宿はその迷路のような路地の先にあった「Puja Guesthouse」。ルーフトップのレストランから見るガンガーが素晴らしい。

宿に着くとロビーでシンガポーリアンと仲良くなった。彼も今日バラナシに着いて、二日後に同じ列車でアーグラーへ行くとのこと。お互い一人旅で、遺跡好き。中国語でも話せるのがうれしい。こういうのがあるからゲストハウスにはロビーは必須だよね。

バラナシは、これまでの街(コルカタとダージリン、シリグリしか行ってないけど)同様、いやそれ以上に牛が道を我が物顔で歩いていた。「インドには野良牛がいる」そんな話は聞いていたけど、実際に見ると街中で会うと最初は結構ビビる。百聞は一見にしかず。 

インドの牛は幸せだ。他の国では食べられてしまうけど、ゴミを食べ、自由に街を闊歩する。かといってヒンドゥーで神聖な牛をインド人が日ごろから大切にしているかと言えばそうでもない。市場では商品に手を(口か?)出そうとして叩かれ、路地で道をふさいでいる邪魔物のようにどかされる。野良牛生活も楽じゃない。

Written by shunsuke

2009年1月31日 at 10:22 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY7: Late 10 hours

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三日間過ごしたダージリンを後にしてバラナシへ向かう。トイ・トレインで7時間かかった道も乗合ジープで行くと3時間ちょっと。敢えてゆっくりと行く、改めてぜいたくな鉄道の旅だった。

 
麓のニュージャルパイグリ(NJP)に着き、ダージリンで予約したNJPからバラナシ近くのムガルサライまでの列車を確認するため駅の窓口に行く。
 
窓口には列車の到着時刻を知らせるホワイトボードがあるのだけれど、そこに"10 hours late"の文字が。あー、噂に聞いていたインド鉄道か。どうやったら10時間も遅れるんだよ、乗る人かわいそうに…
 
なーんてことを考えてポケットからチケットを出してみると、見事自分の乗る列車だった。5分くらいやるせなさにひたり、とりあえず荷物を置くためにホテルを探す。あがいても仕方ない。見どころも何もない街だけど、逆に素のままのインドを知るにはいい機会だ。
 
駅を出ると大量のリクシャが暇を持て余していた。
 
 
リクシャが余っているっていうことはリクシャを引くリクシャワーラーももちろん暇を持て余していた。
 
 
いやいや、街に出ると子どもも暇を持て余していた。
 
 
 
もちろんウシものんびりと。
 
 
ごめんなさい、みんな暇でした。
 
 
10時間もあるので、ホテルに半額だけ払ってシャワーを浴びて仮眠をとる。ホテルの部屋からの景色がいかにもインドって感じだった。
 
 
うとうとしていたらなんか騒々しい音で目が覚める。洗濯物を干した屋上に行ってみると煙が上がっていた。
 
 

「おい、見てみろよ。燃えてるぜ」「あらま、ほんとだわ。あんた、子どもにかまってばかりいないで、たまには私の心にも火をつけて」 「おいおい、その前にすでに火の車のうちの家計をなんとかしようぜ」

 
NJP駅の周りはツーリストもいなくて、(おそらく)普通のインドの街だった。コールセンター大国だけあって、コールセンター教育クラスがあるらしい。そして、その横をゆったりと通り過ぎるノラ牛。これぞインド。
 
 
そろそろ10時間たつぞ。ノラ牛の知らせに駅に向かう。
  
  
10時間後、列車はきっちりやってきた。今回は途中乗車だったので席がとれずエアコンなしのスリーパークラス。ガタガタと線路のつなぎ目が耳に響き、窓から容赦なく夜の風が吹き込んでくる。遅れるし、眠れないし、いいことない。それでも朝がきてまたチャイを飲む。
 
 
ただ、その分景色はゆっくり眺められた。仕事上、やっぱりどんなものが畑に植えられているのか、どんな木が生えているのか気になってしまう。ダージリンを離れてからバラナシまでずっと平地が続き、そのほとんどが畑になっていた。雨も多いはずだし、豊かな土地だ。少なくとも間違いなく中国よりかは恵まれている。
 
 
そしてもう少しでバラナシに着くころ、突然一眼レフが動かなくなってしまった。2000年に買ったミノルタX-700。考えてみればミノルタはコニカミノルタになって、そのあとソニーにカメラ事業を売っちゃったわけで、時代は流れている。さすがにガタがきているんだろう。酷使してきたからなあ。
 
バラナシで修理屋を見つけて直そう。デジタルだったら危険だけど、マニュアル一眼ならなんとかなるはず。

Written by shunsuke

2009年1月26日 at 10:46 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY6: 山と紅茶と穏やかな人たち

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ダージリンは実にゆったりとしたところだった。朝起きてカフェに入り、ゆっくりチャイを飲む。街は斜面に沿って広がっていて、メインストリートにツーリスト向けの店が並んでいた。
 
 
 
メインストリートを一本外れると、そこは普通の町。だけど他のインドの街とちがいそこに暮らす多くの人はチベット系の人たち。そしてアーリア系の人たちもいっしょに暮らしている。街を歩いていても、顔立ちは日本人そっくりな人が多い。
 

 
 
そういえば、インドの街には必須の牛もほとんど見かけなかった。2,000mまで登ってこられなかったのか?それとも食べられてしまったのか?どちらにしても住民の多くは仏教徒なのだから牛にとっても居心地が悪いだろう。

 
三泊した宿"Buddhist Lodge"のスタッフ、シュクリナもネパール人とアーリア系の混血だった。彼は僕が熱を出して寝ている時、オーナーに内緒で昼ごはんをつくってくれ、暖かいチャイを何度もつくってくれた。そして、お金を払おうとしても「受け取れないよ」と断られた。
 
 
 
部屋は寒く、他の旅行者と話すロビーもない。そんな宿だったけど、そんな親切な彼がいてくれて居心地のよい宿だった。見知らぬ土地で弱っている時に手を差し伸べてくれる、これほどうれしいことってないなあ。だからせめてこの場で宣伝、ダージリン行くことあったらぜひ"Buddhist Lodge"へ。
 
そういえば、トイ・トレインの中で一緒になった人たちも何か売りに来るたびに僕の分まで買ってくれ、チェンナイの5人組も「ここは僕たちの国だから」と言ってお金を受取ってくれなかった。みな暖かい人たち。ぼったくりばかり、そんな話に聞いていたインド人観がどんどん崩れていく。こういう裏切られ方ならいつでも大歓迎だ。

Written by shunsuke

2009年1月25日 at 10:51 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY5: 丘の上からカンチェンジュンガを眺める

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旅のハイライトのひとつ、タイガーヒルからの朝日を見るために4時に起きる。山の朝は寒い。外に出るとマイナス5度、そして部屋に暖房がないから部屋の中も同じくらい。
 
宿から駅まで歩き、ネパール人ツーリストをたくさん乗せた乗合ジープに飛び乗る。タイガーヒルまでは30分の道のり。8人乗りジープに14人を乗せ、凍った道を行く。もちろんタイヤはツルツル、道にはガードレールもない。
 
無事丘の上に着き、外の展望台で凍えながら待つっていると、おばちゃんがチャイを売りにきた。ミルクでいれた砂糖たっぷりのチャイを一口飲むと、それだけで身体の芯からあったまっていく。生き返るなあ~。周りをよく見ると、9割以上を占めるインド人ツーリストはプラスチックのカップをその辺にポイポイ捨てている。おいおい、さすがにここまで来てそれはないだろ。
 
外で待つこと15分、ぼんやりと明るくなってきた。ダージリンの隣町グム(Gum)の明かりと、真っ白なカンチェンジュンガの峰がだんだんはっきりと浮かび上がってくる。ここからカンチェンジュンガまでは直線距離で30kmくらい。その距離を感じさせない雄大さに圧倒された。間近で見たらさぞかしすごいんだろうな。
 

 
次第に赤身を増していく山々にワオとカメラを構える僕。一方、カンチェンジュンガそっちのけで昇ってくる太陽に大喜びのインド人。大きな山がない南から来た人たちにとっては丘の上から見る朝日はカンチェンジュンガよりも強烈なのかもしれない。
 

 

帰り際に、チベタンゴンパに寄る。モンゴロイドで日本人そっくりな人たち。インド人って一言でくくっても肌の色、宗教、ばらばらだ。地図を見ればすぐ隣はシッキム、そしてその先は中国なんだなあ。そんな自分に似た人たちに囲まれていると親近感をおぼえてくる。そう、ここの朝ごはんは最高にうまかった。
 
 
このダージリン滞在中、"Gurkha land"との言葉、そして "Stop unruly Vandalism activity of Gorkha janamukthi morcha"との政府側のスローガンをよく見かけた。グルカランドはグルカ兵のグルカ。反政府運動が起きているみたいだけど、これだけ見た目も考え方も違ったら起きて当たり前だと思う。

Written by shunsuke

2009年1月24日 at 2:44 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India

DAY4: 線路は続くよ山の上まで

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朝、甘い香りで目が覚める。隣に寝ていたシッキムから来た彼がチャイを持ってきてくれた。素焼の器にティーパックを入れて砂糖のたっぷり入った熱いミルクを注いである。寝起きの身体に濃い目の紅茶がしみわたっていく。ティーパックなんだけどなんでこんなにおいしいのだろう。幸せな朝ですよ、ほんと。
 
 
9時前にダージリンの入口、NJP駅に到着。予約していたダージリン鉄道に乗り換える。海抜0mのNJP駅からダージリンまで100km弱の道のり、2,000mの高低差を8時間かけて登っていく山岳鉄道だ。レールの幅はインドの普通の鉄道の半分くらい(左が普通、右がダージリン鉄道)。だから別名トイ・トレイン、列車の中もおもちゃみたいにコンパクト。
 
 
列車は珍しく定刻どおりに出発。2等席で25Rp、50円くらい。蒸気機関車はもうNJP発には使っていないらしく、ディーゼル機関車だった。ちょっぴり残念。
 
トイ・トレインはベンガルの裏路地を縫うようにゆっくりと村々の中を進んでいく。スピードは早漕ぎの自転車くらい。だから、普通に歩いている人と会話ができてしまう。そして子どもたちはちぎれるくらい手を振ってくる。田舎のインドの暮らしを知るにはもってこいだ。
 
 
しばらく過ぎると自然保護区に入ってきた。左手にはイギリス植民地時代からのチークの森、右手にはうっそうとした森が広がっている。まだベンガルトラも住んでいるらしい。
 
 
ダージリンはインド人にとっても人気の観光地みたいで、トイ・トレインはインド人観光客で満席。南から来た人が多くて、外国人は僕一人。
 
 
物売りが来ると「これ食べてみろ、うまいぞ」とみんな僕に買ってくれる。インド人、人懐っこい。お皿もチークの葉でつくられていて趣たっぷり。
 
 
しばらくすると列車は次第に上りに入り、ダージリン、シッキムへと続く一本道に沿いながらよっこらせと登っていく。ちょくちょく道を横切るのだけど、もちろん踏切なんてない。
 
 
絵になるなあ。
 
 
極めつけはスイッチバック。急勾配を上るために何度も止まっては、どこからともなくおじさんがやってきて、ポイントを切り替えてくれる。そして前後逆になって再び列車は登り始める。まるで空まで続く線路を登っていくようにひたすら登る。
 
 
暗くなりかけた頃、ようやくダージリンに到着。腕時計が指す標高は2,085m、もちろん息は白い。山の中というよりも、すでに街は山の上だ。ふもとの人たちとは全然違う顔の人たちが僕らを迎えてくれた。
 
 
夜は列車の中で仲良くなったチェンナイから来た男5人組とダージリンティを飲み、キングフィッシャーで乾杯。歌って飲んでぐっすり眠る。 明日は早起きしてタイガーヒルに上ってカンチェンジュンガを眺めよう。

Written by shunsuke

2009年1月21日 at 9:14 午後

カテゴリー: 2008/12 Bangladesh & India